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境界防衛  作者: 蓑火子
ルーティンワークにて
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第53話 陰越しの女

 地に伏して動かなくなったタクロを見て胸に去来するもの。それは、私自身この男からの信頼をまだ失っていなかったという驚き。彼の底抜けにお人好しな性格に呆れての感情だが、小さな悦びを感じなくもない。それは善良な男が報われる昔話を聞くようなもの……それだけの男ではなく、狡知の冴えをも備えているはず。天性の道化風とでも言えるか。


 不意に感じるのだ。それを確認したい。だから、ここで殺すことはない。私との約束を違えた不快な事実も飲み下そう。大幅な譲歩だが、この憎まれ者には使い道もある。なにより、今は追撃を優先せねばならないこともある。


 すでに、七人の女、城壁隊士、そしてクレアの計九名を応接間から出撃させている。彼らの奮闘に期待しよう。


 そして入れ違いのように、クララがやって来た。雪のように白い表情で。血に塗れたその手には、左のインエクが収められていた。軍司令官の眼球はすでに捨てさせている。


「……」

「ご苦労様。では、ウビキトゥを」


 無言のまま手渡される。ここで魔術を解く。正気を取り戻したクララは、この場にいることについて、タクロが倒れていること以外概ね理解した表情だ。顔色がさらに白くなり、その視線は私を強く非難している。


「宰相閣下は……」

「?」

「酷い行いをなさいましたね、この私を使って」


 此れはしたり。その心には私に対する恐怖が焼きついているはずだが、それを上回る憤りがあるということか。


「情にほだされたあなたは、私の命令を逸脱するところだった」

「私の精神を支配したことではなく、私を使って……酷いやり方でウビキトゥを回収したことについて言っているのです」

「私は、私を殺しに来たあなたを、そもそも道具としてしか見ていない」

「……」


 事実、太子の道具でしかないのだ。さらに任務に失敗し、敵に生かされた以上、その他の存在意義などありはしない。ただし、


「しかし、約束は守ります。あなたの奮闘により、軍司令官の術の真実は暴かれた。良い結果です。あなたの願いを叶えましょう」

「願い……?」

「ここで術を解いたのも、それを聞くためです。さあ、望みを言いなさい。あなたは光曜国に戻りたいのでしょう?」

「ならば、軍司令官の命を奪わないであげてください」

「……」


 即答にも、その内容にも、さらなる驚き。


「それは……遅かったですね。すでに追っ手が向かっています」

「当然閣下には、止められるはず」

「それで、あなたに一体どんな利益があるというの?」

「……私の気が済みます」


 罠にかけ、陥れた人物のさらなる不幸を見ていられないということか。しかし、私は約束を反故にしても一切気に留めることがない。よって、


「確約はできませんが」


と煙に撒くこともできるのであった。クララは無言で私からの褒賞を待つことしかできまい。そして私にはその気がない。すでに私にとって、軍司令官の生存は不都合なだけだ。


 タクロに続き、クララの動向も片付いた。庁舎猫の目線から、軍司令官は執務室に運ばれたことがワカっている。そこに九人の追っ手が迫る。絶対に仕留めなければならない。


ガチャ


 執務室の扉に施錠はされていない。状況を確実に把握し、直ちに行動をするため、司令塔としている黒髪女を先頭に突入する。


「!」


 次の瞬間、黒髪女が倒れた。いや、倒されたのだ。なにか、強烈な一撃を受けて。一瞬、城壁隊長の顔がブレて見えたが、これは彼にやられたのか。黒髪女は立ち上がらない。


 まずい。司令塔が倒れれば、残る八名各自個別の動きで軍司令官殺害を目指した行動をとる。不確実性が高い。先制攻撃を狙った私に油断があった。


 気を引き締めなければ。


 すぐに庁舎猫に視点を切り替える。彼らは騒動を恐れつつ、興味津々かつ無言で執務室を観察している。倒れた黒髪女が見え動かない一方で、残る八名が突入に成功していた。室内には城壁隊長、アリシア、エリア、エリシア、レリアの姿が見える。が、軍司令官とアリアの姿が見えない。位置の関係か、あるいは執務室の隣の休憩室にて治療を受けているのか。


 操られていながら不思議な感覚だが、やや暗金髪の女もそう判断したようだ。彼女は真っ直ぐ休憩室の扉の前に立ち、ノブに手をかけるが、


「一体これはどういうことだ?」


 城壁隊長のおよそ戦いに相応しく無い冷静な言葉とともに手を掴まれ、抵抗する間もなく投げ飛ばされ、


バン


やや暗金髪の女は動かなくなった。


「クリゲル、お前こんなところで一体何をしている?」


 次いで城壁隊士が挑み、飛びかかる。城壁隊長は攻撃を交わすも、隊士はさらに前進し、組み合いになる。


「質問に答えろ」

「……」

「様子が変だ」

「変とは?」

「正気ではない。こうしてるのに、自分の意思が感じられない」

「……確かに」


 頷いたアリシアは、清掃用具を手に器用に防戦、他の三人はオロオロしたり、泣きべそをかいていたり、何やら深刻な表情で腕を回したりと役に立っていない。ならば。


「城壁隊長スタッドマウアー……」


 この男さえ片付ければ、この場を突破できる。成功を確実にするため、司令塔を新たに送り込まねば。今、現地にいる者に利を与えることはできないから。


 ふと、地に付して倒れているタクロを送り込む愉快な想像が迸った。そして、判断力もあり統率力もあるこの人物を操ることをしなかった己の甘さについて考えてしまう。といって自分がタクロを操縦する風景も思い浮かばない。タクロの事を笑えないではないか。


 いずれにしても、倒れ気絶している人間は役に立たない。不安な表情で俯いているクララを送り込もう。そう決意した。なのに、


「……」


 タクロの甘さが憑ったのだろうか。何故か気が進まない。何かが引っかかる。躊躇してしまう。


 しかし、その間にも城壁隊長の対処が進んでいく。栗毛女と金髪女が投げ倒され、残るは五名。


 選択の余地は無かった。


「ごめんなさいクララ、もうひと働きしてもらいますよ」

「か、閣下……やめ、!」

「さあ、クララ。どんな手をつかっても、軍司令官を仕留めなさい。いいですね?」

「……はい」


 ウビキトゥを通して命じた一瞬、気の毒そうな目で見られた気がする。気がするだけ、気のせいかもしれないが、この不快の根源はどこから感じるものか。


「むっ」

「……」


 城壁隊長の実戦を初めて見るが、攻守とも手堅く着実な戦い方をする人物のようだ。よって、仮にタクロと対峙したならば、きっと彼から勝利を得ることはできないだろう。想像力の差というものだろうか。しかしそれだけに、腕の立つ戦士であることには違いは無い。


 その城壁隊長と対峙する城壁隊士は中々に良い人材である。隊で鍛錬しているのなら、良く鍛え上げられたと言える。力の押し合いで、互角の戦いを繰り広げている。その間に、薄赤黒毛女が扉に飛びつき、勢いよく開け放つ。


「!」


 暗闇から剣が飛び出した。薄赤黒毛女の眉間にあたり、倒されてしまった。といっても刃と先が潰されている装飾剣のようだから、出血もなく、死んではいない。が、また一人倒されてしまった。ベッドシーツを身に纏ったアリアが出てくる。


「これが閣下を害した暴徒ども?」

「……」

「いや、彼女たちは……アリシア!」

「はい。募集に参加した方達です」

「い、一体どういうことなの!」

「ワカりません。確かなこととして、彼女らを連れてきたのは私で、それを命じたのは軍司令官閣下であるということです」

「そんな……!一体どういうことなの……」


 後を振り向くアリアの動き。間違いない。奥の部屋に軍司令官がいる。薄明黒髪の女、そしてクレアが挑みかかった。


 戦闘指揮はともかく、出撃隊長アリアも蛮斧世界の女、武器を持つ有利を活かし、扉を守る。だが、


「クレア……」

「……」

「どうしてあなたが……」


 対峙する旧同僚を見てショックを受けている。


「まさか……庁舎隊長に何か吹き込まれたの?」

「……」

「弁解しなさい!」


 随分と傾いた誤解をしているようだが、私にとっては好都合かもしれない。


「アリア無駄だ!みな、こちらの声に反応しない!倒すしかない!それも殺さず倒せ!尋問をする必要があるからな!」

「これは庁舎隊長の仕業?」

「今はどうでも良いことだ!」

「いいものか!タクロが首謀者なら、ヤツを殺さねば終わらない!」

「じゃあ俺の意見だ。これはタクロの仕業じゃない」

「根拠は」

「あとで教えてやろう」

「なら……ならば誰の仕業?」

「それも後で考えれば良いことだ!」


 二人とも防戦しながら器用なことであるが、意識が散漫になればその分押し込まれる。喋りが祟り、城壁隊長も、アリアも後退していく。


カーン!


 鋭い音が響き、やや赤栗毛の女が倒れた。アリシアが振るった清掃用具が痛恨の当たりとなったのか。アリシアはさらに城壁隊士の顔面に雑巾を投げつけた。


「!」

「むん」


 瞬間、城壁隊長に引き寄せられた城壁隊士がそのまま力で押し倒され、動かなくなった。観察できた城壁隊長の戦い方からは、なにか体系的な技術が垣間見える。


 残るは二人、圧倒的に不利な戦況だが間に合った。執務室にクララが到着した。彼女には邪悪のインエクを与えてある。


「あなたは……クララ……さん。まさかあなたも?」

「この女!」


 そうだ。城壁隊長は光耀境でクララと面識を得ている。これでクララの庁舎隊メイドとしての勤務継続は破綻した。


「光耀人の捕虜が、なぜ庁舎隊のメイドになっている!」

「えっ」

「これは光耀人の策謀か!」

「目を、目を視るな!」


 奥の部屋から、唐突に鋭い声が走った。悲鳴のようだった。


「!」


 軍司令官の声だ。意識を取り戻したのか。


「彼女から視線を外せ!絶対に目を合わせるな!」

「目?」

「ッ!」


 同時にクララの右眼が光った。刹那、目を瞑った城壁隊長の洗脳は失敗した。だが、


「!」


 アリアは支配下に置けた。直ちにクララに叫ばせる。


「全員、軍司令官シー・テオダムを、討て!」


 くるりと回転したアリアが軍司令官に襲いかかる。


「いかん!」


 アリアを止めに走る城壁隊長。が、


「!」

「ああっ!」


 何故か走り出していたエリアとぶつかった。メガネと華奢な体が宙に飛ぶ。緊急事だ。城壁隊長はエリアを顧みなかったがほんの少し、僅かな間が生じ、遅れた。


「アリア君!」

「……」

「アリア君ンーーー!」


シュッ

グチ


 庁舎猫の位置からは確認できないが、突き伸ばされた装飾剣が、軍司令官の顔面に当たったようだった。生々しくも嫌な音がした。さらに走り出していた薄明黒髪の女が飛び蹴り、吹き飛ばされた軍司令官は窓を突き破って庭に出たようだ。


 庭に出た?まずい。


「止めを!」


バタン


 休憩室に飛び込んだ城壁隊長が扉を閉めてしまった。中での戦いの音。さらに、箒を手にアリシアが扉の前に立ち塞がった。顔を背け視線を外しながら叫ぶ。


「クレア!クララさん!目を覚まして!」


 まずい。軍司令官が落ちた先には、目がない。庁舎猫もいない。なんとかしてアリシアを排除しなければ。クララがインエクを使用するが、


「?」


 横向く今のアリシアにはインエクの効果を発揮できない。


 ならばとクレアとクララの攻撃が繰り出されるがこれをアリシアは一人で防ぎ切ってしまう。なんと強い娘だ。


「二人とも、私の声が聞こえてないの?」


 この少女にここまでの心得があったとは。完全に誤算である。どこからか声が聞こえる。


「一体何があった!」

「誰かが窓から飛び出してきたぞ!」

「持ち場担当以外場所を離れるな!城壁隊の命令は、庁舎への部外者の侵入を防げ、だ!」


 入院中のガイルドゥムを無理に動かしたとして、今更間に合わない。それに、庁舎を囲む城壁隊を、いくらあの巨体でも、独りで相手にはできないだろう。最近痩せてきてもいる。軍司令官殺害は、失敗だ。


「……」



 何故自分は失敗したのだろうか?このような即興の事態に対応する能力を欠いているのだろうか?何故タクロを送り込まなかったのか?冷に徹するための力が欠けているのだろうか?


「何故……か。何故……」


 空は夜の闇に暗い。


「何故……か。しかし」


 そう。しかし、軍司令官の所有していたインエクを入手できた。目的は達したのだ。後は立ち振る舞いで道を切り開くしかない。邪悪のインエクを視るクララに、いつか軍司令官が発させた自己創造溢れる言葉を発させる。そして、


「全員、今日この日は平穏無事で何事も無く。一切の記憶を思い出さないこと」


 強い光とともに、クララが倒れた。インエクの支配から解放され気を失ったようだが、他のすでに失神している者たちはどうだろうか?などと思いながら、私は待機させていたハチドリにクララのインエクを回収させたのであった。

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