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境界防衛  作者: 蓑火子
ルーティンワークにて
52/131

第52話 繋縛の男/慈悲の女

―庁舎の塔 応接室


「宰相閣下……」


 返事はない。応接室に彼女の姿は無かった。


「閣下?」


 それどころか誰もいない。おれたちの視線は自然と天窓に向かう。唯一の出口だし、上に気配があるからだ。誰かが居るが、モロ罠っぽいな。ヘルツリヒ君が気配と目線で伝えてくる。


(隊長。俺上がりますよ)

(マテ。何があるかワカらん)


 とはいえ部屋に隠れる場所もない。女宰相の香りがする揺り椅子、女宰相の薫りがするベッド、勇敢女の仕事の跡のある鉢植えの陰、無臭のタペストリーの裏側と、動く者も見えない。天窓……天窓か……まず、おれが行くしかないか。


(よし、お前は出入り口。城壁副官君はこっち)

(了解)


 無言で頷く城壁副官。おれは静かに跳ねて、


トンッ……


 天窓に手をかける。音を立てないように。そして懸垂して目だけ覗き込むと……


「!」


 並み居る連中全員が天窓を囲み、声も無くこちらを凝視していた。怖っ!?うおっ!怖!


 誰かと目が合い何秒か固まったが、すぐに顔を下げる。すると、


「!」


 城壁副官が倒れていた。敵の気配は無かった。着地して出口を見ると、


「!!」


 ヘルツリヒも倒れていた。早速二人やられたか。


 思考が追いつかない。だが、このままではまずい。ここにいるより、もう一度上がるべきだ。それなら追い詰められることはない……と信じたい。


 折れた足をかばいつつ飛び跳ね、体を持ち上げる。そして、蛮斧の標語を思い出す。すなわち、「信じるものは足を掬われる」


 天窓の際に足を置く。月明かりを頼りに、屋上の縁に立ちこっちを見下ろす連中を確認。なんだか見たことがあるような女たちに加え、トサカ戦士が一人、さらにウチの新下女頭もいる。全員正気では無い。


「なんつーことするんだ」


 クレアまで……あのアマ本当に容赦ないな。やるときはやる、を徹底している。


 だが、彼女の次の一手は?おれを狙っているのだろうか?今、動きが無いのは何故だ?圧倒的に有利な位置にいるからだろうが、一体どこにいるんだ。下にも上にもその姿は確認できない。まさか、なんでもありの感がある魔術で、消えたり現れたりできるのだろうか。


 声も音も気配もなく、ヘルツリヒも城壁副官も倒されていた。まさか殺してはいないと思うが、そんなことをするにはさすがに近づいていないとできないのではないか?となると……見えないだけで、彼女はこの応接間にいる。そう確信しておこう。やっぱり下に降りる。


「閣下、いるんでしょ?」


 返事は無い。当たり前か。


「前はエルリヒに今日はヘルツリヒ、あんたウチの組長たちをどんだけ痛めつければ気がすむんだ」


 何も無い。


「みんな美人でイイ女のあんたに良くしてたってのに」


……


「この恩知らず!」


……


「返事しろよ。おれは怒ってんだぜ?」


……


 変わらず。と、いうことは、あれ?女宰相も怒ってるってことか?おれが彼女の要求を拒否したから?なんだっけそう言えば、前に交わした約束があったな。なんだったかな。ええと確か……


「私が何かをお願いした時、貴方はそれを受け入れること。拒否してはならないということ……です」


 あ!拒否しちまった。あとなんだっけ。


「私という一個人に約束するのではなく、貴方の男性としての誇りにかけて、遵守してください」


 うーむ。だから怒ってるのか?


「あの、閣下、いやマリスさん!姿を見せてください。どうも誤解があるようで!」


……


 やばい。コレ超怒ってるんじゃないか。心臓がバクバクしてくる。まずいな。女に嫌われるのはともかく、怒らせると面倒なだけなのに。


 ん?というか、彼女こんなところでこんな無言の行をする意味があるか?今の女宰相はかなり憤慨しているように思え、目的を遂げるためならどんな手段でも使いそうだ。


 だが現れないし、おれも倒れていない。その必要がないから?彼女が声なき声で言わんとしていることは、つまり、自身の安定を守るため、邪魔者を排除する必要がある。ということは……


「まさか」


 おれはおびき寄せられたか!?彼女、軍司令官を殺すための手段をまだ持っているんじゃねえか。まずい戻らねば。急げ!


「……」

「うおおお!」


 応接間の出口に向かって走り出したら、扉の陰から女宰相が現れた。ように見えたのか、居たのか。びっくり。


「い、居たんすね」

「……」


 相変わらず無言。それでも口元に微笑みを湛えている……恐怖の。


「あの、もしかしなくても、怒ってます?」

「……」

「お、おれが約束を破ったから?」

「……」


 微笑みが続いている。


「か、閣下……」


 いやここは許しを乞うよりも、泥沼の逆ギレ戦に引き摺り込むべきだろう。


「おい閣下!」


ビク


 おれの声量に、彼女が少し可愛く反応した。今だ行け!


「いや、あんた!なにダンマリ決め込んでんだよ!」

「……」

「おらあ、わけもわからず塔から落下したんだぜ!それで見ろ!片足が折れてんだ!これだよこれ、この足だよ!」

「……」

「軍司令官のことより前に、このおれにかける労りの言葉もねえのか!あーん?」

「……」

「なんとか言ってみろや!口付いてんじゃろ!」

「……」

「噴!」


 鼻から大量の空気を吐いてみせる。鼻クソがどこかに飛んだ。


「喋ることもできねえかHAッ!あんたには幻滅だあ。こんな時に拗ねて無言なんて。凡百女どもとおんなじだとはなあ、陳腐陳腐陳腐陳」

「負傷の件は、軍司令官殿に苦情を言うべきですね」


 あ、しゃべった。


「それから口の利き方には気をつけなさい。私はずっと黙っていることもできるのですから」


 つまり、手は打っているってことか。


「私に何の用ですか?」

「謎は解けたってな。完璧に?」


 無論、軍軍司令官の術についてだ。


「ええ、完璧に」

「よかったな。なら、なんだか騒動になっているが、これで終わりだな。上の連中も解放してくれ」

「お話にならないわね」


 冷たい笑みの女宰相。と、操り人間たちが天窓から降りてきた。正面の美女に後の操り人形たち。まずい、包囲されちまったか。


「私は寛容であることを心掛けていますから、今一度、あなたにチャンスを与えるわ」

「それってつまり……」

「そうよ。戻って軍司令官シー・テオダムを始末なさい」

「いくらなんでもなあ。同胞殺しはできねえよ」

「そう。では、そこのクレアの命と引き換えならばどう?あなたが軍司令官を殺さねば、彼女に死んでもらうわ」

「へっ、あんたにできるか?」


 とおれが言った途端、病弱女が自分の手で自分の首を絞め始めた。よほど力が込められたのか、細い首が一気に不穏な色に変わる。


「ちょ待った!」

「教えてあげましょう。軍司令官の術の根源はウビキトゥによるもの。つまりそれを取得した者は同じことができる。さらに私は魔術と合わせて、あなたと対峙している。前と同じようなことが出来るとは思わないことよ」


 前、とはつまり絶望ガ崗でのことか。あの時仲直りしたはずなのになあ。この女の性悪さは邪悪にパワーアップしてんのか。


「えーと、あんたは……あんたの目的は結局なんなんだ?」

「自意識を保っているのはあなただけですから」


 ということは、ヘルツリヒと城壁副官は生きているようだ。よかった。


「私には祖国光曜を離れる必要があった。あなたに捕われ、あなたの用意したこの町のこの部屋に囚われること、これは私にとっておあつらえ向きでした。よって、私にはここを離れるつもりがない。それが私の目的。今の状況を維持すること……」

「いや、それは手段だろ。そうじゃないよ。ああ、いや、違う。クソ」


 どうせ聞いたって答えまい。なら、


「軍司令官をあんな風にしたのはあんたらしくない、いやあんたらしい失敗だったのかな」

「目の前の宝を見過ごせるほど、私は無欲ではないわ」

「欲ボケ頭のせいか?あんただって冷徹になりきれていない。人のこと言えねえ。その場でヤツを殺せばよかったのに。そうすりゃこんな面倒はなかった」

「そのつもりだったけれど、そこまでの時間的猶予と手段が無かった。タクロ君、だからあなたに期待したのに、残念だわ」

「おれがあんたの言うこと、というより色香に惑って、上司を殺すとでも?」

「ええ」

「へっ。信じてもないことを言うのはよくないな。あんたは信じちゃいない。ただちょこっと期待しただけさ。その程度の期待が裏切られたからって、そう怒るもんでもないぜ」

「怒ってなどいないわ。予想はしていたけど、あなたの甘さに失望しただけ」

「甘さ?」

「落下の一件。軍司令官を助けても、もうあなたの為にはならない。それなのに……あなたの行動は、自分の首を絞める縄を自分で結うようなもの。未熟で半端な行動よ。青いわね」


 青、む、むかつくぜ。我慢我慢。


「かもな。まあいいや、おれは下に戻るよ」

「軍司令官の命を奪う、と私に約束をするならいいわ」

「約束してやるよ。守る保証は無いけどいいかい?」

「フフフ、ならダメよ」


 戦闘態勢の女宰相が向かい立つ。やる気だ。本来美人が立ち塞がるのは喜びだが、恐ろしい女が相手では喜びも……いや、確かな喜びがある。通せんぼするつもりのようだがこの女、殺気すら美しいから困った。おれは彼女にとって特別な男になれるだろうか?


「あなた、クララにはこう言っていたわ。軍司令官が殺されても構わない……と」

「おれが殺すとは言っていないけどな」

「では、私が殺すことも構わないはずでは?」

「構うさ、構うよ」

「その理由は?」

「野郎はあんたが殺す程の価値のある相手じゃねえ」

「今、私はその価値があると認めているのだけれど」


 ちっ、不愉快だぜ。


「そこどけ」

「ダメよ」

「前にあんたの部下を救ってやったろ、名前は確かスリーズ君だ。ヤツに免じて通せよ」

「随分懐かしく感じるわね。それよりも、男性の名前はちゃんと覚えてるのね」

「あんたの名前だって忘れないけど、まあいいから借りを返せ、今がその時だ」

「ダメ」


 婀娜っぽく拒否した女宰相の横を強引に抜けようとすると、


「ぐおっ!」


 かつてない強烈な風に煽られ後退。きっと変顔になってしまうほどに。歯茎が乾く。マジかこのアマ。何とか踏みとどまり、抵抗を試みる。


「あ、あんた突撃デブを使う気だろ!」


 返事はない。当たりか?


「あいつ入院中だぜ、また酷使して殺す気かよ!それにいいか!軍司令官が死んだって、新しい軍司令官がやってくるだけだぜ!おっおっおっ、い、い、いい意味の無い殺しだ!」

「今の軍司令官殿より厄介な人物は来ないでしょう」

「さあ!もっとアホなヤツが来るかもな!」

「なら、私の相手ではないわ」

「違うって!あんたの安寧はなくなるってこと!」

「なら、あなたを軍司令官に添えてあげましょうか」

「えっ」


 思わぬ出世のチャンスに欲がドゥバるが、


「あなたの振る舞いは、自分を過剰に特別視する思春期の空想劇のようね。そんな心を塗り替えてあげる。私の操り人形として」

「だと思った。ペっ!ブッブッブっ」


 吐いた唾すら跳ね返ってくるほどの風が続く。だが、ジリジリと距離を詰めている。今度はヌイてやるぜ。


「光曜境の戦いであなたを助けたことを、後悔させないで」

「ワワワワワ!後悔させてやってもいいぜ〜」


 瞬間、突風がおれを吹っ飛ばした。並みいる女たちの柔肌がおれの体を受け止めた。やわらかくて、気持ちえが……


「次は無いわ。口の利き方には気を付けなさい」

「ぐっぐっ……あ、あんたはおれに辛辣なことをしないと思っていたけど、おれの勘違いだったのかな?」

「ええ」

「信じた俺がバカだった」

「と言うよりもどこに信じることのできる要素があるのかしら。前回あれだけ私に痛め付けられたと言うのに」

「あんたの醸し出す空気だよクソったれ!」

「そう、わかったわ。痛めつけてあげる」


 一歩前に出やがった。結構熱くなりやすいな。


「あなたは私との約束を破った裏切り者ですからね」


 胸が疼く。さらに一歩前へ。


「おれを非難するのかい?」

「もちろん」

「やめなよ、非難は誘惑だぜ」

「人は、制裁行為から快感を得るものよ。すべからく」

「あんたもそんな凡庸な本能に身を委ねるのか?幻滅だな」


 この女は逆境に強く無いはず。何とか出し抜けないだろうか。


 すると、


「私が本気を出したらあなたのためになりませんね」

「おれが喜ぶからって?」

「フフ……力の差がありすぎるから」


 なめやがってこんのアマ……しかし嫌な予感。


「だから手を下すのは彼女らよ」

「ん?おわっ」


 後の肉壁たちがおれの手足を一斉に掴んだ。不気味でしょうがない。


「さ、みんな、あなたたちの名前を覚える気のない薄情な彼に、自己紹介なさい」


「ヴィルヘルミーナです」


ドスッ


「うっ」


 少し赤みがかった髪の色の女に左脇腹を殴られる。


「レオポルディーネです」


ゴッ!


「おっ」


 今度は背中を拳で突かれた。小突かれるなんてレベルではない。痛え。おれは薄い赤黒い髪の女を睨む。


「マーセイディーズです」


ガン!


「痛!」


 同時に、後頭部を頭突きされた。やや明るい黒髪が視界で揺れた。


「ジェラルダインです」

「ん?」


 次は、左足膝の関節を殴られる。当たりどころが微妙で、ちっとも痛くなかった。髪の色は何色かな?


「イルメントルートです」


ガスッ!


「痛ぇぃ!」


 明るい金髪が目立つ女はなんと右足を思いっきり踏みつけて来た。おれに恨みでもあるのか?


「フロレンティアーナです」


グリ、グリグリグリ


「いててて!そこは、そこはやめて!」


 悲鳴が漏れる。鎖骨の窪みに全力の指圧をキメてきやがった。正面に立つのはやや暗い金髪の女だ。この痛み忘れねえぜ。


「ジークルーン・ジークリンデです」

「ま、まだ残ってる?いて!いて!」


パシ、パシ!


 黒髪女に思いっきりビンタされた。しかも二発。左!右!さすがに怒りが込み上げてくる。

 

「城壁隊兵士クリゲルです」

「野郎は黙ってろいててて!殺すぞこのクソガキ!」


 尻を思いきりつねりあげられた。こんなん酷い屈辱だ。そしてまだ自己紹介をしていない女が目の前に立つ。虚ろな目。一緒にメシを食った相手がこんなになると悲しくなる。


「おい!メイド長!」

「……」

「聞こえろよ!上司の危機だ助けろよ!」

「……」

「意味がないわ。あなたも軍司令官の術に掛かったことがあるように」

「あ、あんたは知らないようだが、自分が何を命じられ、何をしていたかはハッキリ覚えてるんだぜ」

「つまり?」

「あんたの非道を知ったまま、ここの全員はいずれ術が解けるってことだ。軍司令官殺しとこの様についてもな!傷つくぜ〜ってかあんたの安寧は保たれんのか?無理だね!」

「なるほど。では、それを避けるためにはどうしますか?」

「ど、どうって……謝罪して口止めするとか?」

「フフフ、面白いことを言うのね」


 皆殺しにするということか。やりかねないような気もする。だが、病弱女からの攻撃は無かった。そして女宰相は、おれの目を揺らぐことなく見据えていた。




「さ、最後の機会よ。タクロ君、私に従いなさい」

「うぐぐ」

「もうあなたは詰んでいる。他に道はないわ」

「ぐ、軍司令官を殺さない道は?」

「ありませんね」

「軍司令官を抹殺する保険は動いてる?」

「もちろん」

「……」

「あなたが拒否しようと、軍司令官殿は倒されます」

「……」

「観念しますか?」

「し……」

「……」

「しない」

「強情ね」


 私は黒髪の司令塔にタクロの顎を打ち抜かせた。戦闘能力の高い彼女のこと、良い当たりとなり、拘束されたまま、彼は気を失った。

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