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境界防衛  作者: 蓑火子
ルーティンワークにて
46/131

第46話 自己犠牲の男/取調の女

「げ」


 もう上がって来やがった。さては女宰相がテクを加えやがったな。軍司令官の不思議な能力を暴くためなら、何でもやりそうな女だ。


 おれは暗殺女を抱きかかえたまま、演出のために引き裂いたハンケチを、女の胸元に押し込む。


むにゅ


 手に柔らかい感触と暗殺女の冷たい凝視、ああ、ええわあ。しかし、術に囚われたアホのフリを再開せにゃな。それに、連中が音を聞いた以上、また何かを裂かなければ不自然なり。というワケで、やむなく女のスカートの裾を破る。


ビリ!


 良い音が鳴る。


ビリビリ!


「ああ!」


 この女も美味い声で鳴くな。


「庁舎隊長、貴様!」


 こっちの男も上手く騙されてまあ……こりゃ喜劇だな。


 それにしてもこの女……小ぶりだがイイ乳してるな。


むにゅむにゅ


 まだ然程揉まれていないのか、形良く、収まりが良い。


むにゅむにゅ


 この青いパイ乙二房を揉みしだいてやれば、マヌケ野郎はさらに冷静さを失って、再度例の能力を使ってくるかもだ。


「ああー」

「いや!あああ!」


 暗殺女が暴れまくる。クソ、痛ッ、ノリが良いのは助かるが、こっちは恍惚したまま、男の嫉妬と怒りを煽るという離れ業を展開中なんだ。少し、手加減してもらいたいぜ。


「あああー」

「ダメ!いや!」


 暴れ、身を捩る女を抑える為に、体重を加えてやる。その瞬間、互いの顔が極限まで近づいた。クチビルが触れるか触れないか。残念ながらあとちょっと足りず、触れ得なかったが、


「やめろ!」【黒】


 絶叫を発した軍司令官、飛びかかり、おれの肩と首を掴んだ。パイオーツに触れるまでもなかった。気持ち悪いことに、この男との距離も極めて近づいている。コイツが力を行使するのはココしかあるまい。というか、コイツの心の色を見たのは、今が初めてかも。


「貴様貴様貴様!」【黒】


 真っ黒。こりゃ殺意だな。この先、何が起こるかはワカらんし、コイツとの距離が離れないよう、おれは軍司令官の服の端を掴む。


 が、それすら意に介さない怒れる男の目が光った。おれは僅かに目を逸らすが、


「死ね!死んで詫びろ!」【黒】


 もはや遅かった。それは強烈な殺意で、すでにおれの精神はその言葉に同意していた。意識が消える直前、おれは裂けたハンケチで、おれの腕とヤツの腕を繋ぐヤツを見た。




「おっ、あっ!?」


 もしも現場を目撃した者が居れば、塔からタクロが軍司令官を道連れに飛び降りたように見えただろう。それほどクララの手並は見事だった。


「おあっ!」


 咄嗟の力で塔の石縁に右手を掛けた軍司令官。だが、タクロの体重が、軍司令官をさらに下へと引っ張る。次いで恐怖の悲鳴。


「あああああ!」

「閣下あぶない!」


 助けに入るのは、仕掛けた張本人のクララである。茶番のようだが、この娘は己の役割を理解している。身を乗り出し、


ガシッ


 軍司令官の右手を両の手で押さえた。


「た、助かった!」

「う、うう……」

「ク、クララさん」


 彼女は戦いの訓練も経験もあるのだろうが、それでも大の男二人を支え続けることはできない。つまり、このままではそのうち落ちる。クララが手を離すか、私の為にもろとも落ちるか。この好機、軍司令官の恐怖を利用して、その能力の謎を解く、と私は決意した。


 腹部から、よく通る声で。


「クララさん、軍司令官閣下。何が起こったのですか」


 これに、クララが応じる。


「庁舎隊長が……落ちて……軍司令官閣下も一緒に……閣下が隊長殿を……私が閣下を……支えているんですが……ううっ」


 私は、二人の女に驚きと愕然たる感情をぶつける。


「なんてこと!早くお二人を、いえ皆さんを助けなければ」

「は、はい。しかし……くっ、うっ!」


 アリアの身体能力では、天窓の先に上がれない。無論、私が風を送り込めば上がれるが、救助の手助けは邪魔なだけ、私はそれをしない。次いで、


「エリアさん」

「は、はい……!」


 今にも失神しそうな程に、動揺し、狼狽えているのがエリアだが、この娘は明確な指示を与えればそのために迷わず行動できる性格をしている。


「この庁舎の中にいる誰かを呼んできてください。ああ、力のある方、誰かいないかしら」

「そ、それなら城壁隊長殿が軍司令官閣下の執務室で待機していらっしゃるはずなのです!」

「それは良いタイミングでしたね。ここに呼んできて下さい。速く、急いで」

「は、はい!」


 勢い良く部屋を出るエリア。しかし、ここで城壁隊長に来られてはつまらないし、私の目的の障害でしかない。すでにエリアの足下に風を纏わらせ、走る速度を下げている。


 また、エリアを遠ざけるとともに、私にとっては運悪く庁舎にいる城壁隊長をさらに遠ざけよう。過日、今際の君の部下を逃した時と同じ手法を、こんな時のために既に用意してある。衝力を蓄えたカラスを、城壁隊の門に突っ込ませるのだ。どこかで大きな爆発音がした。


 これで、城壁隊長は自身の庁舎へ戻らざるを得なくなるはずだ。力から解放されたカラスが喜びを露わにいずこかへ飛び去っていく。


「な、なんでしょう」


 何事か、と町も騒がしくなる。この塔での茶番もより一層目眩まされた。あとはこのアリアだ。良い使い道を思いつき、余計な一言を呟いてやる。


「何か騒動でも……敵襲?」

「まさか!あり得ません。あの霧は我々だけでなく、敵の行く手をも遮っています」


 それでも動揺を深める真面目なアリア。


「もし……エリアさんが呼びに行った城壁隊長が何かの騒動の方へ向かってしまったら……」


 アリアの表情が蒼白になる。つまり助けは来ないということなのだから。


 私の考えでは、アリアには自覚……すなわち実力ではなく、軍司令官の特別な考えによって出撃隊長の地位を得ているという自覚がある。このような責任感は平時には美徳だが、緊急時に弱点になりやすい。自分を客観視しているだけに、臆病になってしまうのだ。


 加えて庁舎、城壁、補給の諸隊長に並ぶ一人として、焦りもあるだろう。このような不安定な心を操るには、魔術を弄する必要すらない。私は不安げな表情を作る。


「アリアさん。軍司令官殿は、力はお強いのでしょうか?」


 彼女の胸は不安に鼓動し、やや迷って、


「閣下は技工に優れた方です」

「今、自力では……?」

「……」


 この沈黙は、体力では無理、と再確認のため。手助けすることもできず、この現場を離れることも出来ない。アリアの顔色は、青白さを通り越して、気の毒な程に白みを帯び始めた。


 と、軍司令官の明るい声が、壁伝いに聞こえてくる。


「だ、大丈夫だよアリア君!が、頑張るしかないけど」

「閣下……!」


 なるほど、まだ絶望はしていない様子。では、追撃だ。私はすでに幾羽もの野鳥を配置し、彼らを通してこの茶番劇場の一部始終を監視している。


「僭越ながらマリスです。軍司令官閣下。庁舎隊長殿のご様子は?」

「か、変わらず」


 いや、変わっている。今は術にかかっていて、何かの役には立たない前後不覚の状態にあるではないか。


「前に庁舎隊長殿は、自分は塔から落ちても無事だったことがあると力説していました」

「そ、そ、そ、そりゃホラ話でしょう?」


 私はアリアを見る。


「アリアさんも聞いたことが?」

「ど。どうでしょうか。私も聞いたこと……」


 自信を喪失している今のアリアには否定も肯定もできない。これで全員の頭に、庁舎隊長は受け身に自信があるらしい、という情報を付与した。


「軍司令官閣下。今はとりあえず、庁舎隊長殿をお離しになるべきでしょう」

「ははは離す?」

「はい、お手を」

「て、て、ててて手を離す?」


 このお惚けは疑念を生じさせないため。さらに、


「はい。庁舎隊長殿は、きっと受け身に自信があって、そう話していたのではないかと」

「いいいい今の彼には受け身なんて出来ない気がす……いやまてよ?」


 そう。人を従わせることができる力の持ち主ならば次にどう振る舞うか。


「庁舎隊長!引っかかっているこの布を取れ!」


 やはり。そして、言葉がトリガーか。


「……」

「ちょ、庁舎隊長。上を向け!こっちを見ろ!」


 すでに、死ね、という命令が与えられたタクロは。その為の動作を完了しているからか、動きがない。そしてこの発言。視線を合わせて言葉を伝えることが能力発動の条件のようだ。


「頼むからこっちを向け!おい!庁舎隊長!」

「……」


 能力の表向きの特性はワカった。次はこれが魔術か、それ以外の何かに依るのかを確かめねばならない。その良い手段を、私は幸運にも得ている。


「閣下?」

「ダメだ!クソ、コイツめ!」

「手をお離しください」

「あ、あなたにはワカらないと思うが、ぬ、布が引っかかってるんだ!離せない!」

「ああ!」


 アリアの痛ましい悲鳴が響く。そして、私は既にカラスを集め始めている。


「はあー、はあー」

「閣下、お気を確かに」

「だ、大丈夫だよ。クララさん。あ、貴女も大変だね」

「な、なんとかまだ」

「こんな事があって、なんだか貴女と親しくなれそうだ。HAHAHA……」

「は、はい」


 笑いに力ない軍司令官だが、伊達っぷりは忘れておらず、これは大したもの。一方、独り心痛のアリアの眉間が険しさを増す。カラスが啼いた。


「な、な、なななんだか鳥が多くない?」

「そう言えば……」


 怯える軍司令官。それもそうだろう。私が呼び寄せたカラスは、軍司令官その人を狙っているのだから。私は突撃命令を下した。


喰亞ー


「うわっ!」


 カラスが人に立ち向かう時、脚の爪を用いる。十数羽の集団が、軍司令官の服を剥ぎ取りにかかる。


「や、やめ……あああ!」


喰亞ー

喰亞ー

喰亞ー


 瞬く間に軍司令官の瀟酒な礼服がボロボロになる。上衿から右側の袖口まで裂かれ、純白の下着が露わになる。窄袴も後股ぐりから無惨に破かれ、穴だらけである。こちらは下着まで穴だらけで、少々申し訳ない気分となるが、


「や、やめてくれ……」

「あっち!あっち行って!」

「閣下!ああ、閣下!」


 遂に泣きの軍司令官に、懸命にカラスを遠ざけようと声を張り上げるクララ。右往左往するしかないアリア。それらの声が虚しく響く間に、軍司令官はボロが引っかかっただけの、ほぼ丸裸となった。良し。肩幅は狭く、腕や脚も細くて長い。全体的に体脂肪が少なく、引き締まった印象だが、筋肉の発達は控えめ。肌は比較的白く、日焼けする機会も少ないことがワカる。


 とりあえずカラスを攻撃から引き揚げさせる。見るも哀れな姿となった軍司令官だが、その華奢な身体に、ウビキトゥの所持は見られない。能力の機序から、最もそれが疑われるのだが。


「お、覚えてろカラスどもめ。すぐにでも駆除してやる」


 惨めな強がりだが、なかなかしぶとい。私は一羽のカラスを彼の近くに立たせた。そして、


「……」

「な、なんだ。こっちみるな……っておい!どこ見ている」


 隅々までチェックしなければならない。その為には多少はしたないことでも致し方ない。かろうじて布一枚が覆い隠すその部分を、私は見落としが無いよう凝視する。


ジー


「な、なんなんだよおこの鳥ぃ」


 何かがある気配はなかった。では、その裏側は?カラスをタクロの頭上に立たせ、上を見上げさせる。


「な、な、なんか変だなコイツ……ま、まさか復讐を?わ、私が駆除すると言ったから?」

「閣下お気を確かに!相手はカラスです」


 何もない。


「し、ししかしカラスは賢いと言うではないか」

「ああおいたわしい!」


 そう叫ぶアリアだが、私の考えでは、この人物は世の不思議を不思議として受け入れる柔軟さは持ち合わせていた。つまり、まだ狂ってはいない。


「魔、ま、マ、リス殿はまだいるかね」

「はい軍司令官閣下」

「よ、よ、よかった。声が聞こえなくて、心配したよ」

「何か良い方法がないか思案していました」

「私も城壁隊長殿を呼んできます!」

「さ、ささっき大きな音が聞こえた。そっちを見に行ったのかもしれん。彼は有能だから」

「ああ……」


 洞察力も生きている。やはり舐めてかかってはいけない相手だ。


「エリアは何をしているの!」


 いつまでもこうしてはいられない。何かないか、何か。軍司令官の若者風の髪、端正な顔、細い首、カラスの爪引っ掻き痕が痛々しい胸、背中、腰、尻、脚、タクロがぶら下がっているため青く鬱血した右腕、容姿良い女性に掴まれた命保つ左手、何も無い。無い。


「クッ……」

「マリス様……」


 私も苛つきとは無縁ではない。強い風を熾す。


「風……?うわおおおおお!」

「きゃあっ……フッ」


 強風を正面から受けて、軍司令官の顔が風に弄ばれたヘンな表情になる。クララはそれを目撃し、横を向いて音を消して笑っている。口は開かれ、歯茎は剥き出しになり、白い歯が光る。ちゃんと手入れをされた健康的な口だった。


「クララさん!この風は危険だ!もういいから、手を離して部屋に逃げろ!」

「フッ……!フッ……!」

「クララさん……」


 正面下のカラスから見える景色は、横を向いて断続的に息を吐き、軍司令官の体を支えるクララが懸命に人命救済しているよう美しく見えた。軍司令官も同じように見たのだろう、感動している。もっとも別のカラスの視点からは、あたら美女が笑いを噛み殺す、こちらも妙な表情が見える。目が爆笑しているのだ。正気のタクロなら笑い話にしそう……目だ!


 愚かな私め。なぜ気が付かなかったのだろう。軍司令官の体表面はほぼ全てチェックしたが、眼球はまだ見ていない。目を見よ!


「私は貴女を採用してよかったと心の底から思う。容姿が優れているだけではない。仁愛に優れた貴女とこの危機にあることを、私は誇りに思っているのだ」

「ぐ、軍司令官閣下……うっ……」

「もういい。手を離したまえ」

「そんな!」

「この男の上に着地できれば、生きられるかもしれないのだから」

「でも……」

「貴女まで死ぬことはないのだ。悪虐なこの男から貴女を助け出すことはできた。それで死ぬというなら受け入れよう。ああ、あの人は良い死に方をした、と人口に膾炙されるのも悪くない」

「……」


 クララの瞳から零れたのか、水滴が軍司令官の頬で跳ねた。


「そうなった場合、今のが辞世の言だ。軍司令官シー・テオダムの文書集に、貴女が書き記してくれたまえ」

「!」


 軍司令官の目が光った。と同時に、クララが妙な反応をとった。間違いなくこの男、この土壇場で術を使った。そして私は見た。彼の右眼を覆う透明な何かを。左眼にはない。あった、ウビキトゥだ!


 ハチドリを捕捉していて良かった。その小さく細長いくちばしなら、奪取に打って付けである。軍司令官の眼球目指して、緊急飛行させる。


 あと少しで眼球に突き刺さる。


バッ

「あっ!」


 次の瞬間、軍司令官はクララの手を振り払った。紙一重、ハチドリは、届かなかった。


 タクロと軍司令官はきりもみ状に、落下していった。風を熾した救助に、ふと私は躊躇する。軍司令官がこのまま死ぬか前後不覚に陥れば、回収はより容易であるはずなのだから。

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