第37話 横向く女/予感の男
会議室を猫が歩む。実技試験を終え、候補者は四名に絞られた。
エリナ・ジークルーン・ジークリンデ嬢。
マーセイディーズ嬢。
赤毛の幼馴染。
そして、自称メーレなる危険な女。彼女らは別室に待機している。
「では、庁舎隊のメイドに誰が相応しいか。みなの意見を聞きながら決めたい」
「閣下、私の意見は?」
投げやりなタクロ。
「好きに言いたまえ。ただし、それを私が承認するかは別の話だ」
「というか、全員落選でしょう。私から一本とれた者は皆無……」
「いいかね庁舎隊長。蛮斧国家はこれ以上の、時間と、金の、浪費を、認めない!以上だ」
「……」
「というわけでメイド諸君の意見も聞きたい。何といっても一緒に仕事をする仲間なのだからね。誰をどのような理由で推薦するか……アリア君。どうかね」
出撃隊長アリアは、今やメイドの一員ですらないが、タクロはもはや文句を言うこともあきらめた様子である。凛々しく発言する出撃隊長。
「私はマーセイディーズ嬢を推します。素手での戦いぶりは見事でしたし、素直そうな性格で、みなと上手くやれると思います。行政文書の間違いについても、正しい指摘があり、今後に期待ができます」
「なるほど。ではクレア君は?」
「私はあの方です」
それは赤毛の幼馴染であった。クレアがはにかみながら言うには、
「ちょっと体格はありますが、軍司令官閣下とあれだけ長く試験を行える体力なら、毎日の仕事でも私たちを助けてくれると思いました」
「そうだね。確かによく付き合ってくれたもの。心優しい人だ」
本音が漏れているが良いのだろうか。しかし、軍司令官がタクロの幼馴染に良い感情を抱いた様子が、どことなく可笑しい。一方、幼馴染を褒められても無反応のタクロである。
「エリア君?」
「わ、私はエリナさ」
「紛らわしいやっぱり却下だな」
「!?そ、そんな……」
「うるさいぞキミ。それでエリナ……いやエリア君。なぜだね?」
「……はい。頭が良さそうな方でしたので……」
「フフ、確かにそうかもね。エリシア、君はどうかな?」
「私はみんな良い人だと思いました!きっと仲良くできますよ!」
幾人かがイラっとした気配を呈するが、軍司令官は優しい。
「ここまで選んできたんだもの。当然だよ!HAHAHA!」
「ウフフ」
ほのぼの空気の中に、片付けを終えたらしいアリシアが戻って来た。
「ああ、お疲れ様。今、誰が一番良いと思うか、意見を聞いていたんだ。君の意見も聞きたい」
アリシアは一瞬、タクロをチラリと見た。
「はい。出撃隊に転任となったアリアさんの代わり、ということであれば」
アリシアは赤毛の幼馴染を挙げた。数では彼女が頭一つ抜けた。
「彼女は庁舎隊長殿と親しい関係であること、さらに実技を含めた全ての試験結果の平均で最も評価が高いこと、以上が推薦の理由です」
「えっ、ウソ。見せて」
「僅差ではありますが。理由は以上の二つです」
「なるほどワカった」
ここにいる誰もが、危険女メーレを挙げなかった。不思議なものだが、生理的に忌避する何かを感じたということだろうか。軍司令官と女が視線を何度か交わしていたことに誰もが気づいているとも思えないが。
そして最後、レリアも戻って来た。軍司令官が同じ質問をすると、驚きの回答が。
「メーレ嬢以外なら誰でも良いのではないかと」
努めて冷静を保つ軍司令官。
「それは何故だね」
「彼女はきっと和を乱しますから」
「そ、その理由も聞きたいな」
「いやあ、その」
「いつもの占いの結果でしょ」
口籠るレリアに突っ込むクレア、一瞬場が和んだ。占いの真贋は別として、女たちは一様に同感の様子だ。
この間、私は質問者たる軍司令官を注視していた。占いなどを信じる男ではないだろうが、彼は密かに推すメーレ嬢の思わぬ不評に動揺しているようだった。既存の女たちの好感を損なってまで、押し切る価値がある人事だろうか、と熟考中に違いない。だからだろう。
「では、庁舎隊長。最後はキミの意見だ」
「あ、聞いてくれるんすね?」
彼は最後にタクロに賭けたのだ。
「当然だろ。ただし、全員失格以外でね」
「というか閣下は誰が良いんです?」
「私が発言したのでは公平性に欠けるだろ」
「まあ良いすけど……みなが反対する女すね」
場に声無き緊張が走る。よりにもよって何故?というような。
「メーレ嬢?」
「ええ、まあ」
「理由を」
軍司令官が身を乗り出す仕草に、女たち全員が漏れなく目を向けた。これは明らかに失態。軍司令官が誰を推しているか、白状しているようなものだ。
「まず名前被りがない!これは大きい」
「それはいいから」
「あと、戦いの時の振る舞いからみて、実力だけならピカ一でしょう。そもそも手加減していましたが」
「手加減?それは閣下が、でしょう」
「あの女もだよ。閣下だってワカってるはずだよ」
タクロの言葉を受け当の軍司令官はフッと笑ったが、絶対にワカっていないだろう。
「身のこなしがまるで違う。多分、何かやってたんだと思いますよ」
「何か?」
「訓練的な何か……すかね」
「しかし点数ではキミの幼馴染がトップだったが」
「資料によると、最も穴が無い結果を出したのはこの女すね。目立ちすぎないよう、狙ってやってるんでしょ」
最も合理的な意見ではある。
「ではキミが決めるのは?」
「どうしてもというなら、この女です。点数はあくまで参考。公平に、選考の結果のみを見るならば違うんでしょうが」
先程までの楽しいお友達選びの空気は消え失せた。不機嫌さと苦々しさが同居したような空気だ。アリアが尋ねる。
「庁舎隊長、野蛮が売りのあなたが彼女に立ち会っていたら?」
「ちょっとは本気だしてたかもな。まあ結果は同じ気がするが」
大勢は決したようだ。軍司令官は厳かに語る。
「人材は常に不足しているのだ。採用計画立案者の試験結果を通した意見を尊重し、メーレ嬢を採用するしかない。それで良いかね庁舎隊長」
「いえ無理にとは」
「おい」
タクロは、厳粛な空気を台無しにするのが上手い。それにしても軍司令官は責任回避に力を惜しまない。そのためか、タクロは相手の操縦方法を心得ている。
「私は別に今回は見送ってもいいですけど。お前らどうだ?」
水を向けられたメイドたちは如何にも同意、という表情だ。それを慌てて軍司令官がかき消す。
「そうはいかん。再選考となったら恨まれるぞ。もういいアリシア君。彼女を呼んできてくれたまえ」
軍司令官といえども万能ではないのである。彼に対するメイドたちの好感度は低下したようだった。
そしてやってきた女。自分が合格したと確信しているのか、実に堂にいった背筋清い歩き方である。光耀境の時と同じ居容。試験の時とは打って変わって、美貌が溢れていた。彼女の視線の先にいるのは軍司令官だけ、他の誰も視界に外にある。男はその瞳に挑まれ、魅入られるだけ。敗北は決まっているようなものだった。
「選考の結果を伝える。合格したのは君だ。応募者二百名の中から最も優秀だと判断された」
やや声が上ずっている。
「それは軍司令官閣下のご判断でしょうか」
「選考結果に従った判断だよ」
すると危険女は軍司令官から視線を外し、タクロをじっと見た。タクロは何を考えているものか。そして女は頭を下げた。
「身に余る光栄です」
タクロは何も言わない。無言が継続する予定を、軍司令官が打ち壊す。
「それで、我々は君に採用の提案をするのだが、受けてくれるかね」
「喜んでお受けいたします。ありがとうございます軍司令官閣下」
「うんうん。では庁舎隊長。あとは任せたよ」
「はあい」
手をひらひらさせて颯爽と去る軍司令官。その背中は満面の笑みを浮かべていた。さすがに感づいた様子のアリアが、冷たい目で危険女を見ていた。その危険女がこちらに近づいてくる。
「可愛いネコちゃんね、にゃおにゃお」
得体の知れないこの女は、私の目に気づいている可能性もある。ここは一つ猫らしく振る舞おう。
プイッ
「あら、残念。でもにゃんにゃんらしいですね」
「珍しいですね。庁舎ネコがご機嫌斜めなんて」
とはエリアのつぶやきだった。女の会話が広がる前に、庁舎隊長がズイと立つ。
「まあ、ともかくあんたが合格者だ。挨拶はもういらんわな。勤務のあらましや報酬は掲示の通り。これから庁舎での勤務をよろしく」
「ハイ。よろしくお願いします」
「勇敢女。しばらく一緒について細かいとこを教えてやれ」
それにクレアが異議を申し立てる。
「隊長殿、慣例では教育は私が適当だと思います」
「お前には別に指示があるんだ」
「はあ」
―庁舎エントランス
「ちぇっ」
結果に舌打ちの赤毛の幼馴染だが、
「まあ、ここまで残るとも思っていなかったし。楽しかったからいいかな」
「おれをだしにして、借金を取り立てたくせに」
「わ、私のせいじゃないよ」
「あ、きみきみ」
わざわざエントランスまでやってきた軍司令官が、赤毛の彼女に声をかける。
「きみが次点だったんだ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。きみにはメイドの素質があるようだ。また募集の機会があったらぜひ応募してくれたまえ」
「あ、ありがとうございます!」
夕陽の中、ご機嫌に帰っていった。それを並んで見る二人の男。しばしの無言の後、
「彼女はキミの幼馴染とか」
「はあ、まあ」
「恋人じゃ
「違います」
ないのか?」
食い気味に否定するタクロを見て、
「キミも見る目が無いな」
「ええっ。閣下はあのデカイ女がお好みで?」
「彼女は宝石の原石だよ。磨けば光る。ただそれだけさ」
と片手で指をパキパキ鳴らす軍司令官であった。すぐ後に、同じく落選となった二人の女を見つけると、笑顔で話しかけに行った。
その後、タクロがクレアを伴ってやって来た。
「全く、下女一人採用するのにこんなに疲れるのかと後半はうんざりでしたよ」
「そうでしたか。大変でしたね」
―庁舎の塔 応接室
「良い方が見つかったのですね」
「どうですかね。結局、軍司令官が決めたようなもんですし」
今日は別の下女を連れてきたためか、女宰相は多少他人行儀だ。勇敢女が一番のお気に入りなのかな?
「まあ、後日挨拶させますよ。ところで、新人の教育に勇敢女をつけました。しばらく、閣下の身の回りのお世話はクレリアがします」
「……」
この女はかろうじて名前が被っていないから間違えにくい。
「庁舎隊長殿……」
「はい!」
「……」
「?」
「……ワカりました。ではクレアさん、よろしくお願いしますね」
「は、はい!このクレア一生懸命務めます!」
なるほど。何かを間違えていたようだが、まあいいだろう。このツンツン女にとっても、女宰相は憧れのようだし。
翌日から、庁舎を訪れる男が増えた。新規採用の下女を見に来ている。情け無い事に我が隊の勇者たちも例外ではない。トサカ頭が揺れる。
「隊長殿」
「気味悪!」
「ひでえな!それより新しい娘が早速決まったって?まずは紹介してくださいよ、俺だけに」
「病院で大人しくしてろよ」
「いやっす」
「あら」
新規採用女と勇敢女がやってきてこちらを見た。同時に、トサカ頭がピンと跳ねた。
「タクロ様、こちらの方は」
「うちの組長だ。どうやらお前がお気に召したらしい」
「光栄です。初めまして、この度、こちらでお世話になるメーレと申します」
「は、はぅ。お、おれえるりひ」
「エルリヒ様ですね。これからよろしくお願いします」
にっこりと微笑まれた我が隊の組長は、俯き、なにやらブツブツと呟いて、トサカ頭を乱しながら去っていった。
「何か気に障ることでもしましたか……」
「気にすんな。勇敢女、問題ないか」
「はい。今日の午前中に、庁舎内の説明は完了し、午後から業務開始です」
「おう。これで下女集団も落ち着いた。内紛も、戦争もない。退屈な日々が戻ってきたなあ」
「男性は武事を好むと言いますが、タクロ様もなのですね」
「この国の男はみんなそうだろ。戦いは昇給の好機。川向こうの連中は知らんがね」
「フフフ、そうですね」
「そういやお前、家族は」
「家に母と弟妹たちがいます」
「ここの給金も悪くないが、下女頭になれば昇給になる。まだ誰が就くか、決まっていない。積極的に希望するヤツがいないからだが」
「まあ」
「もしその気があったら手をあげたらいい。この国は実力主義だからな……ん?」
珍しいヤツが来ている。
「おいムッツリ城壁男、お前も女を見に来たのか?」
「女?」
「しらばっくれてんじゃないよ。股間が膨らんでるぜ」
「人のポケットに手を突っ込むのはやめろ。女は知らんが軍司令官閣下に呼ばれてきた」
「ほーん、何の話?」
「出撃隊に取られた人員の補充を上申したから、その回答だろうな。多分却下だが」
「つまらん話。まあいいや、うちの新入り娘を紹介するよ」
「噂の新人か……ああ、さっきの女ってその話か」
「そうとも。おい、こちらが泣く子も笑う防戦の達人城壁隊長殿だってあれ?」
振り向くと、二人ともいなくなっていた。
「愛想のないヤツらだ」
「軍司令官を怒らせると面倒だ。もう行くぞ」
「あらら」
「凄い美女だ。スタイル最高だぜ」
「他のイモとは違う」
「あれだけの女だから軍司令官が狙っているらしい」
この町で今一番の噂は、危険女の美貌についてだろう。娯楽の少ない蛮斧世界では、噂が広がるのも速い。ということは、彼女の素性が知れる可能性も高くなってきたということだ。光曜境でその顔を見たものは城壁隊長一人ではないのだから。
町で世相や情報を収集していると、タクロが階段を上がってくる音が聞こえてきた。一人のようだ。聞きたいことも聞けそうだ。
「最近、郊外に足を運んでいるようですが」
「えっ」
ちょっと驚いた顔になるタクロ。
「そうですが、私を監視してるんで?」
「いいえ、たまたま同じ場所で見かけたから気になっただけですよ」
「まあ、部下を管理するには色々な下調べや準備が必要なんですよ」
この話、追って訪ねても効果は無さそうだ。なんとはなしにだが。話を変えよう。
「そう言えば、二人の組長さんの具合はどうですか」
「絶好調ですよ。一人に至っては、噂の女の顔を見に、病院から抜け出て来ましたよ」
「新しい方、他のメイドの娘からの評判も良いようですね」
「おや、そう聞いているんですか?」
「ええ」
「としても、本当にそう思うんですか?」
悪戯っぽい顔をしている。
「どういうことかしら」
「選考過程を見ていた閣下ならワカるでしょう。あれだけの美貌に堂々とした立ち振る舞い。ただもんじゃないですよ」
なるほど、タクロは知ってて泳がせているようだ。
「では不思議の美女、ということね。あなたはその麗人の正体に迫りたいと考えているのかしら」
「まあ、騒動を起こされる前には」
「なら、ヒントを与えましょうか」
「やっぱ何か知ってるんですね。ぜひぜひ」
「その美女を城壁隊長殿と面会させれば、きっとすぐに事態が動くわ」
「あの朴念仁野郎と?なんでまた」
「さて。これはヒント、ですからね」
「?閣下、なんだかご機嫌のようですが」
「そうですか?」
先般敵対したタクロだが、私への配慮を怠っていない。これが私を愉快にさせ、彼の目にはそのように見えるのだろう。
「ふふ……」
そう、私は愉快なのだ。あの危険女の素性が私の考える通りであることはかなりの確率で事実のはず。展開に期待するとしよう。