第3話 立場の軽い男/探る女
ふひっふひひっ。これはやっぱり滅法イイ女だ、とおれは手を連打する……心の中で。
「閣下。光曜国の宰相閣下。先日は失礼しました。どうも人事の動きが我ら三下には解らぬほどの速さで進んでいたようで。この都市の軍司令官交替に伴う後任着任までの間おれ……いや私が都市の諸々を掌握することになりました。以後もよろしくお願いします」
女宰相はおれの目をじっと見据えたまま、ひと呼吸を置いてから口を開いた。おお、唇のピンク色が映えて見えるぜこのアマ!捕虜のくせに何か塗ってんのかな?
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします。私は前任の軍司令官殿とは面識があったので、今回の事は残念に思います」
いやまさかな。しかし色気たっぷりだぜ。ふひっ。
「新しい方ともぜひ良好な関係を築けたら、と思う次第なのですよ」
同感だ。が、ここは庁舎隊長様として、驚いた風で尋ね、否定してやる。
「前任者と面識が!?なるほど、平和な時代は色々あったんでしょう。ですが今は敵対している国同士。そんなことがあるとすれば、戦場か牢獄か、いずれかで顔を合わせるしかない」
どうだ、おれのイッパツ効いたかな?目を細めておれを見てるが、そこはかとなく婀娜っぽさがあってイイ。
「庁舎隊長殿、いえ軍事拠点統括責任者心得殿と申し上げたほうがよろしいかしら?」
うーん。肩書も悪くない。が、ここはうんざりした顔で下手下手に。
「いやそんな、ご勘弁下さい。それにしてもその名前、いやはっは長すぎですよねえ?」
くくくっ、親しみを示してみせるのも一計だ。食いついて来い、来い。
「私と前軍司令官殿は、和平条約締結時の担当者同士だったのですよ。それで面識があったのです」
食いつき無し。ちっ。光曜お堅い女め。
「私は和平の旗振り役、彼は貴国での実務担当でした。優秀であると同時に誠実な方だと思います」
あの腰抜けのことなんざどうでもいい。
「ええ同感です。そしてその善良な男がこの前線から外れた、いや外されたとすると、間違いなく大きな戦となるでしょう」
この宰相が和平の立役者なら少々カマかけてみっか。
「というか交戦があった、すなわちもう和平は潰された、というわけですね。誰が何やらかしたか知りませんが、当国首脳は憤慨していると。戦いの時代になる。お互いに気を引き締めないと、ですね」
「まだ判断を焦らずともよいのではないですか」
目立った反応は見えない。生意気な。しかしだ……
「後任の方はどのような方か、差し支えなければ教えて頂けませんこと?」
「……」
「あの……」
「はっ」
っと、見惚れてしまった。しかし所作にえらい女らしさが溢れてんな。蛮斧世界にゃ無いモンだぜ。適当に答えちまうか。
「ええと、はい。私が聞いている後任の軍司令官は有力部族出身者で、確か年齢は五十代くらい」
口が勝手に動いちまうぜクソ。だが……脅しも必要だ。
「軍事職も行政職も積んだ経験実績抜群の、それは厳しい男だという噂です」
「そうなのですね」
……特に反応なし。微笑んではいるけれど。うーむ、青ざめた仮面みたいなツラにしてやりたい。
「破壊と掠奪、蹂躙に次ぐ殺戮!都市は灰になり民族は滅び、生き残った者にだって泣くための涙すら残らない!」
「貴国について、そこまでの話はかつて聞いた事はありませんが、そんな噂が?」
ちっ、また流し受けしやがった。美人なのに良い度胸してるぜ。いや、美人だからなのか?
「……ははは、和平前、軍のどこで何をしていたかまでは知りません」
「では庁舎隊長殿もご面識は……」
「ありません、全く。私はこの前線都市付近が出身で、ちょいちょい南に出たこともありますが、どこでも重なっちゃいないですね」
何か考えているな……何を考えているのか、読み取ってやる。読み取ってやるぞ……それにしても、美人、だな。考えるポーズが、絵になっている。細くて綺麗な指。マジ細いな。
「庁舎隊長殿、先ほど和平は潰された、との事ですが」
こんな指に握ってもらったら……ふひひっ。
「その方が潰したのだ、とのお考えですか?」
おっと、思わぬ突っ込み。
「ええっと、そこまで考えて口を開いたわけでは」
「和平が潰された、となると、それはすなわち和平条約への違反でもあります。条約には、和平に違反してはならぬ、という条項があります。私も関与した条項なのですが、ご存知かしら?」
「いいえ」
けっ、それで済めば兵隊はいらねえ。意味の無い条項だ。
「私は王国で立場を持っているため、それが事実であるならば、我が国は立場を強化できるのです。故に、その辺りの事実をぜひ知りたいもの。もちろん、平和の再構築のために」
「ぎくっ」
言葉とは真逆に笑顔を深めた女宰相。
「我が国の王は、特に和平を望んでおられる。それは、嵐のように戦争ばかりしていた過去の反省からも特に。争いが起これば、それも故意に引き起されたとしたなら我が国の王は、貴国政府首脳へ直接接触を図るでしょう」
踏み込んできやがった。
「お、お待ちあれ、ください。私も確証があって言ったことではなくて、それに……」
「それに?」
「それにええっと」
「……」
沈黙。それに、ではなく、しかしながら、と思考しているのではないか、と彼女は予測しているのかな、とおれは予測。もし、この庁舎隊長様が平和を破った張本人であれば、この女は自分自身の政治的立場を維持するためにも、両国首脳の判断の場へ、この人物を差し出さねばならない、とでもいうような。立場に心得というゴミのようなゴミがついてても、今のおれ様はこの都市の責任者であるのだから、裁かれる資格は十分か?
「それとも、誰かが潰した確証がなくとも、想定の範囲内でありえる。それが新しい軍司令官殿ということでしょうか」
知るかクソ。
「ま、まあ待ってください。証拠もなくそのような風説を立てれば、この国ではれっきとした罪として裁かれます」
「ふふ……私は別の国の人間ですが」
面倒くさい女だな。
「ど、どのような立場にあろうとも。それを考慮しましょう宰相閣下。で、私の考えはこうです。つまり我ら兵隊、平和では出世のチャンスも少ないが、乱世ともなればチャンスの扉はド派手に開かれる、とどのつまりは、ということ。とまあ、そういうことです。大雑把に」
まずったかな?女宰相はおれの顔を視ている。
「……」
不思議な圧を感じる。抗いがたい何かが込められたような視線。悪寒。でも負けちゃいられねえ。対面対峙睨み合い見つめ合い蛮斧男の根性みせたるぞ。
「……」
「……」
「……んふ」
鼻から空気が漏れちった。視線がぶつかって胸が騒いだせい。なんか悔しいが、そう言えばこの女、魔術師でもあるらしい。
「ワカりました」
おや、納得した様子?
「軍事拠点統括責任者心得殿ではなく庁舎隊長殿、ワカりました。余計な波風を立てるのはよすことにしましょう。私は捕虜の身。あなたはいくらでも私の言論を封じ、実力で捻じ曲げることができる。なのにあなたは今、そのような圧を一切見せなかった。弱みに付け込んだりしないあなたの言葉は信じるに足るものです」
おかしいな。よくワカらんが褒められているようだ。
「ふう」
とほっとした様子を敢えて見せつけてやるか。彼女はおれがまだ明らかにしていないことがあるとも感じたかな。ま、お互い様なんだろうが。それでも、まずは味方を増やすことが重要だ、と彼女が決断したのならば、阿ったるぜ。
「信用していただいた事、名誉とします。しかし宰相閣下。閣下は光曜一の宮廷魔術師として高名な方だと思います。そのお力を存分に振るえば、敢えて捕らわれの身に甘んじることも無いし、無かったようにも思うのですが」
おや、この男は単純なだけではないな、と私は多少の警戒を感じる。だが聞き方というものもある。
「仮にそうだとして、そのような行為に出ていない理由はどこにあるか。またはチャンスを待っているだけなのかもしれない、などと隊長殿は考えてらっしゃるのでしょうね」
この男は率直すぎ、育ちは良くない様子。私は笑って言葉を返し、彼の目を通して心を射る。
「いやあ、考えていませんよ」
断言が返ってきた。真正面からの正直な気配。
「そうですか?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「そう、ですか、しかしなぜ?」
ややたじろいでしまった。胸を張った庁舎隊長は、再び私の、彼の目には間違いなく美しく映っている私の目を捉えて言った。
「閣下は和平の主催者でしょう。戦争になれば閣下の信用は失墜します。まして、敵国領内で武力を振るったとすれば尚更。そんな危険を閣下が犯すはずがないから……どうです?」
事実の一つを指摘され、話が止まる。心のどこかで無教養な蛮人、と下に見ている相手に図星を突かれた私が黙っていると、庁舎隊長はさらに続ける。
「ああ、我らは国境に異常あり、との通報によって出動しました。事実、河のこちら側、まあ我らの領域に……河のこちら側ですよ?貴国の不審な集団があり、それを追って河を渡ったのですが、結果私は河のあちら側で閣下を虜にした。その通報の本元がどっから出たかはともかく、一国の宰相の地位にある人物を捕らえた以上、両国の関係は極めて悪化するのが通常です。これをネタに戦争が起こったとするならば、仕組まれていたとみるべきではないでしょうか。では誰によって?ワカりません。戦争で出世を望んでる者かも知れません。かく言う私も、閣下を捕らえることによってさっそく地位を向上させることができました。ほんのちょっと」
固まった空気を察して、はにかむ庁舎隊長。
「そんなもの、真の黒幕にとっては無視して構わない付随効果なんでしょ、多分。このまま行けば、両国は戦争に突入します。和平に立ち返るにせよ、行くところまで戦うにせよ、河を越えた我が国の部隊は、なんらかの成果または損害を得ずして引き下がることはありません。軍隊とはそんなものです。まあ、勝てないでしょうけど」
これは驚きの発言だ。
「勝てませんか?」
「勝てませんよ。準備も頭数も全然足りない。その内、全員肩を落として戻ってくるでしょ」
これが、今の小競り合いに対する、私を捕らえた男の評価か。冷静さに驚きを禁じ得ない。
「ところで閣下。質問返ししますが、何故閣下は、簡単に我らの捕虜になったのです?単なる偶然か、それとも誰かが仕組んだのか。仕組んだとすれば誰が?ハッキリ言って、我が国の人間には不可能。実力も怪しいし、なにより閣下を捕らえるという知能が無い」
この自国批判、彼自身の不満も垣間見える。
「せっかく捕らえた重要人物である閣下を、未だ前線で放置していることからもそれは明らかですけど、となると貴国の要人が行ったか。ではなぜ?なぜ仲間を売るような真似を?そうだ、それはきっと、宰相閣下、あなたを邪魔だと考えている人物がいるからだ……閣下は先ほど私を過分に評価してくださいました。弱みに付け込むことをしなかったと。さて、それはどうでしょうか、閣下。よくお考え下さい。今の閣下は弱みに付け込むまでもない存在なのかもしれない、という事を。閣下がお考えの通り、貴国首脳に宰相閣下抹殺……いや排除を計画している者が仮に、仮にですよ?仮にいるとするならば、むしろ強行突破して帰国するのは危ないことです。和平派の癖に平和を乱したとかなんとか無理くり難癖をつけてギィと処刑する、ということだってあり得るわけです。となると閣下、今あなたにとって一番安全かつ平穏が確保できる場所は、ココ、ココです!前線都市は市庁舎の塔の最上階!地上から七十人分の高さこそが、貴国の裏切り者からも最も身を守るに適している。少なくともせめて、その裏切り者の正体を突き止めるまでは……」
やはり見かけによらず頭が回る。彼は嘘は述べていない。饒舌に語り切った後、息継ぎをし、
「そうではありませんか。宰相閣下」
心の形を透視しても、この男がそこまで考えていると、視通せなかったか?そうではなく、この男は喋繰りながらこの考えに至ったのだ。私にとっての正解の一つに辿りついたこの男を敵に回してはならない、と直感が告げていた。
私は、生まれ持った自分の美貌に信頼を置いている。宰相という肩書に伴う威厳を維持したまま、嬌態を織り交ぜながら、庁舎隊長への微笑みかけよう。そして反応を探るのだ。
「その通りです。全てはあなたのおっしゃる通りよ」
暴力に彩られた蛮斧の男を支配するには、堂々たる色香こそが有効だ。自分の微笑みが相手に通じたか。何物も見落とさぬつもりで男の目に感情を流し込む。すると、彼は凛々しい表情を大袈裟に整え、顎を撫でつつ髪をかき上げ、姿勢を正して、やはりここは瞳に感情を返してきた。
「閣下、私はあなたの力になります。あなたが無事帰国できるよう、和平を維持したまま凱旋できるよう、ご一族の名誉となるよう……」
そう言った男の目は、彼の表情を美しく際立たせていた。これでよい。人が真実を語る時に美は溢れる、それならば……。
甘く切ない香りがするぞ。この時、立場も身分も教育もなにもかもを超えて、互いに相手の美に見惚れていた、とおれは感想を持ったものだった。しみじみ。