第23話 自意識の男/善意の女
吼える新軍司令だが、唐突に歯を剥いて笑顔を作ったり、帰還者たちを褒め称え始めたり、本性を知るおれからは、頭がおかしくなったようにしか見えない。他の隊長衆も同じかな。
「いやあ、本当に光曜境を陥とせるとは思っていなかったんだよ」
「え」
「当然だろ?あの町はほぼほぼの要塞仕様。それが一日でだ。敵の凄まじいマヌケがあったとしても、まさに私が夢見た通りだ、素晴らしい!感動した!」
演技がかかっていやがる。これは要警戒だ。
「そしてなんと!手に入れた町は失われた!無人となって!素晴らしい結果、傑作だよ、傑作!」
皮肉か本音か。見れば、すでに隊長衆全員が警戒態勢にある。城壁君の肩に熱い手が置かれる。
「城壁隊長、よくやってくれた!期待以上だよ」
「しかし、帰らぬ者もいます」
「私は期待以上だったと、誉めているのだよ」
「ありがとう、ございます」
「そうか!」
感動に打ち震えるといった感じで城壁太郎の肩をパチパチ叩く新軍司令官。ウソ臭さが凄まじい。
「なに、我が国は戦死者数を問題としない点が美徳なのだ!優秀なキミは何も気にする必要はないさ」
言いたい放題だ。前線に立つ身として、ここまで言われると流石に腹が立つ。
「それに、例の女宰相をも奪還したというではないか。本当にヤリ手だね、キミは」
「いえ……」
「……」
城壁忍者がおれになんらかの気を向けた。コイツに勘づかれるだろ馬鹿野郎。
「愚かな女宰相はよくワカらん霧の中で道に迷い、帰ってきた。これはもう、あの年増女を私の駒として使用せよ、という運命の采配に違いあるまい!」
嫌な予感がするが、黙っていよう。
「よくワカらん霧も続いている、しばらくは戦いもクソもない。我々は、いや、この私は幸運に恵まれた!キミにもそれを分け与えたいよ!さあ、望みを言いたまえ!」
見るからに面白くなさそうな隊長衆の顔だが、この野郎のことだ。これはワナっぽいなあ。
「はっ。この度、他にも功績を挙げた者もおります」
罪悪感がそう言わせたのか。それともおれと同じ心情だったのか。対するクソ上司の反応は意外にも鷹揚で、
「ならばキミが思う者の名を上げたまえ」
「は、まず庁舎隊長です」
「ほう……」
新軍司令官は発言者を凝視したまま、こちらを見ない。
「敵の策謀により城門が閉ざされた直後、光曜境城内への抜け道を発見し、突入を果たしました」
「続けて」
「はっ。また濃霧急発生の危機を本隊へ伝え、軍勢離散の危機を回避しました」
「巡回隊は帰ってきてないじゃないか」
「彼らは先行してました」
「キミら仲が良かったんだ。知らなかった」
「良くはありませんが、否定できない功績をあげたということです」
「そうか」
「あと、この場に居ない、前の出撃隊長です」
「そんなヤツいたっけ?」
「……今は出撃隊一兵卒のガイルドゥムという男ですが、物理的に閉鎖された城門を、物理的に破りました」
「随分インテリ臭い言葉を使うのだね。それに私がデブを毛嫌いしていると、キミは知っているはずだが」
「ご寛恕下さい。その巨体を活かした門壊法は有効だったと、他の報告書にも書いてあるのではと」
「ほーん」
報告書を適当にだが改めて見直す新軍司令官。興奮が覚めたのか、だんだんと蒼い顔となっていく。
「だがね」
声色が不気味。
「今だから言ってしまうが」
「……」
「実は私としては、この都市に巣くう軍のクズどもを一掃する口実が欲しかったんだよ」
「は?」
「ん?」
「え」
「……」
「その意味では、庁舎隊長。君が取った行動とそれによりもたらされた結果は、私の目標と合致していなかった」
それってつまり、
「それはつまり、おれたち一同、光曜境で全滅していても差し支えなかったと?」
「まあそう言うことだ。物ワカりがいいね」
「冗談でしょ」
「冗談じゃないよ」
この放言に、流石に色めき立つ隊長衆。
「今の撤回しろよ」
「何故だね?」
「あんた、一応は軍司令官だろうが」
「一応ではない。しっかりと軍司令官だ」
「そのくせに、おれたちを騙しやがったのか」
「違うな。作戦だよ。そしてすべての作戦目標を下っ端にまで公表しなければならないという道理も規則もない。違うか?」
「てめえ」
思わず手が伸びそうになるが、その鋭い目つきを前に、立場の違いを思い出す。若造のくせに、中々気迫がありやがる。
「庁舎隊長、口の利き方に気を付けろ。君だって、光曜境に忍び込めるヒミツの通路の存在を隠していたじゃないか」
「うぅん?」
「事前に知っていたんだろ?でなければそんな上手く物事はすすまない」
ここは誤魔化すしかない。
「知らないよ」
「ウソをつくな。事前情報なしにこんな芸当できるか。まあ、それについては追求するつもりはない」
諭すような言いっぷりがびきびき頭にくる。
「私は城壁隊長君には、好きにやっていい、ただ生き残って見せろ、とのみ伝えていた。彼もまた、私の期待に応えたのだ。君ほどではなかったがね」
「……」
「ははっ、まあまあ!なんにせよ、これで蛮斧における私の地位も固まっただろう!感謝するよ。わワわっワわー。では諸君、下がりたまえ」
慣れないその耳障りなウォークライに耳たぶで耳を塞ぎ、部屋を出る我ら隊長衆。それぞれ怒りのあまり、意思の疎通を求めて目配せをしあっていたが、
「……」
微妙な勝利の余韻が残りすぎているのか、何やら下女たちからの視線を感じつつ、増幅させ、庁舎隊へ向かう憂鬱を紛らわす。ああ、あいつら怒るだろうなあ。
「新軍司令からボーナスはでない、ですって?」
「そう」
「なんで!」
「そんな約束をした覚えはないってさ」
「そりゃそうかもですが。俺たちゃ町一つを落としたんすよ。頑張ったんすよ!」
「それもよくワカらん霧で失われちまったからなあ」
「……」
普段、素直で誠実で親切な部下たちですら、トサカ頭が逆立ち、目に怨念の色が宿ったように見える。戦場の男たちは命懸けの自負がある分、これが恐ろしい。クソ司令官殿は、自分の立場が安泰どころではなくなったことに気がついているだろうか。
それから僅か数日、下っ端戦士の間で、急速に反新軍司令官の機運が高まる中、あちこちから宴会の誘いを受けることが多くなる。直下の庁舎隊だけでなく、だ。いずれも隊長の参加は無く下っ端ばかりだが、密かな趣旨は同じで、
「約束を守らない新軍司令官を斬りましょう」
「女を囲っている新軍司令官を埋めましょう」
「俺らを裏切った新軍司令官を沈めましょう」
と、明らかな報復打診であった。一度目二度目は、話だけでも聞いてやる気になるが、三度目にもなると、さすがに冷静になってくる。あれ、ヤバくないか?新軍司令官には得体の知れないところがあるからだ。
「若造クソ上司の思うツボかなあ」
蛮斧らしく立ち上がるか、あるいは従順なイヌに……いやいや、ここは女宰相に相談してみるか。
塔に登り、久しく遠のいていた応接間に入る。
ガチャ
ガチャ
彼女は一人、天窓から空を眺めていた。日に照らされ、美しい横顔だ。
「調子はどうですか、タクロ君」
見惚れてしまい、先に声をかけられたのはおれだった。
「なにか、疲れた表情をしていますから」
「ああ……」
頭が痒くなる。
「宴会ばかりでダルダルだからかな?帰還のご挨拶も遅れてしまいましたね」
「勝利の後ですから無理もないでしょう」
「勝って帰った軍隊は、褒美を欲しがるんですよ。私の立場では、部下どもに酒を振る舞うというワケです。閣下の国も同じですか?」
「そう言った一面もありますね」
「いつかの緑色の騎士とか?」
女宰相は微笑むばかりだ。
「ところで閣下。今日は」
「タクロ君」
「はい?」
「霧の範囲、観察しているかしら」
「あ。ええまあ」
結局、あれが古代遺物によるものという話はクソ軍司令官には報告していない。女宰相が子供じみた嘘を言うとは思えないが、軽々にあんな場所を戦場に設定されるのも嫌だったからだ。が、どうもしばらくは戦いをする気もなさそうだったのは幸い。
「この町まで届かなければいいですね。正体のワカらぬアレが」
ん?どうも彼女はわざとすっとぼけた話をしているようだ。誰かに聞かれているということか?ならばここは一つ、
「閣下、また外に出ませんか。お供しますよ」
「良いの……ですか?」
「前回許可されてますし。また軍司令官に聞く必要もないでしょ」
「ではあなたの権限で?」
「まあそうです。権限なんてあるかすら知りませんけどね」
「ふふ……では、お願いします」
「よっしゃ!早速」
応接室の二重扉を開け、女宰相を外に誘う。彼女が外に出る時、なにやらふわりとイイ香りがした。うーん、この部屋美女香に染まったか。おれもここで寝起きしたいよ。
階段を下る道中、宰相お付きの下女が頭を下げた。なにやらおれを睨んでいる。憧れの相手を取られて悔しいに違いあるめえフヘヘ。
うーむ、おれは先の戦いで名を売りすぎたのか、女たちの視線を感じる。女宰相閣下も気にしているかも。ならば穴場へ行こう。
「今日はちょっと暑い日ですから、都市城壁の上を案内しますよ。風が気持ちいい場所があるんです」
「都市城壁というと、あの」
「ああ、下痢便城壁野郎の管轄施設ですな。でも今日ヤツは居ないはずですからご心配なく」
城壁に上ると、城壁隊隊士の面々がジロジロ見てくる。が、いつかの出撃隊との喧嘩のようなことにはならない。ココとは多少は意思疎通できてるのかな?
せり出し魯の上に上がると、女宰相は真剣に、無言でよくワカらん霧を眺めはじめる。彼女を連れ出した最大の理由は、あの異変について話をするためだったが……爽やかな風が吹く。
「ああ」
女宰相の深い緑がかかったような髪が揺れた。美しい。
「ここは気持ちいいですね」
「でしょ。木の香りも流れてきて、気分いいんすよ」
しばらく無言で風に当たり続ける。美女の髪が風をまとう。しかしこれほど極上の女を宰相の地位につけるとは、光曜の王様は何を考えているのだろうか。彼女を狙っていたのかな?
「庁舎隊長殿、独り言が漏れてますよ」
「げ……」
「我が国の王は愛妻家です。幸いにも不道徳とは縁がないですね」
負の感情が漏れてしまった。恥ずかしい。
「ま、まあちょっとくらい縁があった方が良いかもですよ。ウチの軍司令官ほどは行き過ぎですが」
「あら、そうなんですか」
「ええ。蛮斧は軍の死者に無頓着だから部下を死なせても気にするな、とか本気で平気で言ってますからね」
「それはまあ、貴国らしいというか」
「らしいって」
「貴国の戦場における力の源泉の一つでしょう」
「勇猛さと言ってほしいですな」
「勇猛と死は背中合わせ、常に近しい関係にあると言えます」
「なら、光曜の戦士は勇猛でないと?」
「少なくとも、無鉄砲さでは貴国に敵いません」
「へーえ」
「我が国の戦士兵士にはその生にて守るもの多く、死は遠ざけねばなりません」
「守るもの……金ですか?」
「現金もそうですが他にも、家族、出世、将来、教育、不動産、金融資産、快適な生活……」
「言、言うじゃないすか閣下。では閣下も、蛮斧と光曜では人間ひとりの命の価値が違うとでも言うのかい」
「人間ひとりの命に価値を定めるならば、ええ、その通りよ」
「言いやがったな」
非常に幻滅な気分だが、
「でも、これはあなたがたの軍司令官殿が認める通りの事よ。貴国は味方の損害に無頓着だけれども、我が光曜ではそういうわけにはいかない。軍人がそんな発言をしたことが知れたら、必ず降格されるでしょうね」
「う……」
「でも、心を争いから離して周りを見渡すと」
女宰相がくるりと回り、マントが翻る。いい歳コイてるはずなのだが、気品とかいうものが美しく溢れ、自然だ。
「価値を定めることが無意味に思えますね」
この場所からは前線都市の中心地が良く見える。それを眺めて、安らぎを得ているようにも見えた。そして傍から見ると、おれは美女の隣で鼻の下を伸ばしているように見えるに違いない。彼女を外に連れ出したのは何かの話をするためだったが、なんだったっけ……ま、いっか。
「タクロ」
「ん?」
赤毛の巨きな女が現れた。
「何、鼻の下を伸ばしているの」
「う、うるさいな」
鼻をゴシゴシこする庁舎隊長。確かに鼻の下が伸びきっていた。
「またその人と?」
「なんだようるさいな。トップシークレットっつったろ?」
「その人、光曜の宰相なんでしょ。凄い噂になってるよ」
「シークレッツ……」
確かに、光曜境に連れられる際、私は姿を広く晒されている。役所が否定しても、噂にならない方がおかしい。
「……捕虜の人?」
「こら、本当に機密なんだよ。しっしっしっ!」
「ちょっと、タクロ君」
「は、はい?」
「女性にそんな態度は良くないわ」
「は、はあ」
「こんにちはお嬢さん。私はこちらの政府機関にお世話になっている者です。今日は庁舎隊長殿にこの町の案内をして頂いております」
「は、はい」
微笑んでみせると、彼女は慌て、目を伏せた。
「あなたは隊長殿とお付き合いが長いと聞いています」
赤くなり、何を話したのか、という目で庁舎隊長へ抗議する巨女。
「た、ただの幼馴染です」
「幼馴染なんて素敵ね。とっても羨ましいわ」
「そ、そんな」
それにしても女性にしては身長が高い。タクロと並ぶと、殆ど同じ高さだ。連続する固い返事を、徐々にほぐしていくと、
「あ、あのこれをどうぞ」
と、何かの干物の束のようなものを差し出された。目に衝力を込め識別する。毒も腐敗もない。
「ありがとう。何かのフルーツかしら」
「閣ッ、マリスさん。やめておいた方が良いです」
「何故?」
「その、結構臭いが」
特に香りはしないようだが。
「あんた大好きじゃない」
「うるさいな。これは付き合いで食べてるだけだよ。あの、我ら荒くれが度胸試しで好む、いや好んでるフリをしている酒のつまみですから」
「お酒と一緒じゃないなら普通の果物だよ」
「し、しかし」
「黙っててよ。あ、あの」
「とても美味しそうね。では、はしたないけれど」
「あ」
近づきの徴として丁度良い無礼講、一つ口に含んでみせる。その味はまろやかで濃厚。品の良い甘さであった。
「閣、あの……」
「すごく……美味しいわ。ありがとう」
「よ、よかったです」
「ホントですか」
「ええ」
「臭くないですか」
「いいえ全く。でもお酒の付け合わせにはならなそうだけれど」
「あの、しばらくは酒をお控え下さい」
「私はお酒を飲みませんから、でも何故?」
「まあ、その、またいずれ」
歯切れの悪い庁舎隊長から、巨女に向き直る。まだ照れている。
「素敵な贈り物をありがとう。お近づきの徴に、私も何かを差し上げたいのだけれど」
「そ、そんな。大丈夫です」
この謙虚さは本音のようだ。素朴な心に触れるのは心地よく、何かを叶えてやりたくなる。ならば、と彼女の手をとる。ふくよかで温かい、働き者の手だった。その掌から、その悩みが伝わってくる。
「あ……」
「これはあなたがいつも元気でいられるように、というおまじないです」
過食及び浮腫の改善に効果のある箇所に、衝力を流し込んだ。痛みはないはずだが、巨女は手を驚かせ、見れば頬を染めていた。酒場勤務なのに初心な娘だ。可愛いらしい。
遠くで眺めていた女友達とともに去っていく赤毛の巨女。この身分では名前を交わすこともない。
「優しい良いひとね」
「あの、閣下」
さっきからずっとこの調子の庁舎隊長だった。親しい女を私に見られたくないのかもしれないが、市井の声に触れるのは良いものだ。私は気分良く、城壁上の道を歩き始める。ややあって、
「ひっく」
体に変調が現れた。急に曖気が込み上げてくる気配だ。
「ひっっく!?」
極めて強烈で、とても歩いていられなくなる。何故なら、堰き止めることに、全神経を集中する必要が生じたためである。これはいけない。
「閣下?」
この男へ返事などしていられない。断じて漏らしてはならぬ。名誉や尊厳を堅守するため、なにより以後、侮られないために、絶対に。
「あっ」
そしてこんな時は特に勘の良い庁舎隊長。
「閣下。吐いて、吐いて!吐いてしまって大丈夫です!」
馬鹿なことを!光曜の宰相たるものが、そのような粗相を、しかも衆人環視にて、さらに言えば蛮斧の領域で出来るはずがないではないか。しかし、言葉が出てこない。
「ひっっっく」
なんということだ。人の善意を受け取るときには深き洞察が必要とはよくぞ言ったもの。
「閣下!」
庁舎隊長が決死の形相で私の背を摩り始める。逆に、それが体内の上昇気流を促進する。もはや限界だった。
干物とはいえ激クサ果実を食したのだ。腹がパンパンに膨れているに違いない。吐かせるしかない。石像の如く固まった女宰相の背をマッハで摩る。
ドン
あっという間の出来事だった。轟音とともに凄まじい衝撃波がおれの体を撥ねる。そのまま石壁へ叩きつけられた。
「ぐはっ!」
見れば、城壁外の木々が薙ぎ倒されている。辺りに木の薫り、瓦礫埃が立ち込めた。そこに、女宰相が一人屹立している。
「……」
おれは全てを理解できた。恐ろしいことだが、これが女宰相の真の実力なのだ。魔術を用いて、轟音と衝撃を発生させ、ゲップを掻き消した。それだけでこのような破壊が行われた。美しく、誠に強い女だが、実力は人間離れしている。その気になれば、いつでも庁舎を破壊して、おれを殺して、この前線都市を出ていけるはず。
であればだ。力ある彼女は寛大にもそのような挙に出ていないということになる。何故だろう?蛮斧に利用価値があるからだろうが、一体それは何だろか。真正面から聞いても彼女は答えないし。観察して見極めるしかないのかな。
幸いにも城壁は一部が崩れたに留まり、軍司令官には城壁隊長への設備老朽化指摘の実施を報告しただけで、大ごとにはならなかった。なんせ被害者はおれ一人。肩甲骨に発生した激痛については黙秘を貫いた。