第22話 情報不開示の女/先手必勝の男
「久しぶり、という気がしますねタクロ君」
「閣下ご無事でしたか。いやあ……良かった。本当に……ン?」
庁舎隊長は、私の右側の樹に、城壁隊長がもたれかかっているのを目敏く見つけ、言い放つ。
「閣下、そこのゴミを拾ったのは貴女ですか?」
「ゴミ……まあ、倒れていたので介抱しました。過労が原因のようだけど」
「んなことしなくていいすよ」
「あら、貴方の友人でしょう」
「今回、色々としくじった落ちこぼれですがね」
「一方の貴方は大活躍でしたね」
「えへへ、まあ……って知ってるんですか?」
「ええ。聞いたり、調べたりしてね」
「あっ!いや、おれのことはどうでもいい。閣下は大丈夫でしたか!命を狙われたりは?」
今、彼に太子の話をしても意味はない。
「ええ、大丈夫です」
「それに、本境の手前で、閣下の声を聴いた件!なんですか、ありゃ」
「貴方に私の声を届けたのです。危険が迫っていましたので」
「そう。危険だ、逃げろ、と」
「ええ」
「確かに、おっしゃいましたね」
「そうね」
「ここも霧の中だ。なら、引き続き危険なんですか?」
「もちろん、危険な状況よ」
「ワカりました。なら話は後にしましょう。閣下、その下痢便生ゴミに触れてはなりません。私が抱えて行きます」
城壁隊長を丸太のように担ぎ上げる庁舎隊長。
「待ってください」
「?」
幸い、城壁隊長は眠らせたまま。二人きりで交渉ができるこの機会を活かさねば。
「ここは危険ですが、貴方が腰に繋いでいるその縄、考えましたね。確かにそうすれば、この霧の中で迷っても、辿って来た場所へ戻れるでしょう」
「生ゴミの部下どもがぶった切ってなければね」
「ならば当座は危険ではありません。この現象、そして私が置かれた状況を今、貴方に説明させて下さい」
「そりゃもちろんですが……」
「そして、改めて貴方にお願いをしたいことがあるのです」
「……」
私の見立て通りなら、庁舎隊長は私の願いを拒否しない。
「ワカりました。話を伺いましょ」
しかし、甘い相手でもない。真実を中心に、それも全てを明かせるわけもなし、巧妙な会話を心がけねば、好意を損なう恐れがある。
「まず、この霧の正体についてです」
「霧の中でも、スゥー。別に息は出来ている。閣下、凄い剣幕でしたから最初は毒かと思いましたけど……」
「この霧自体はただの霧。普段、河や湖、池から立ち上るものと同じ性質のものです」
「へえ……スンスンスン」
「ですが、霧を発生させている原因が、本境の町の外れにあります」
「原因……原因?天気なのに?」
一般常識を越えた事象である。この人物に理解を与えることは難しいだろうか。
「現在、本境から光曜境を越え、河に至る空間に対して、超音波が発せられています」
「超音波?なんですかそりゃ」
「超音波とは、通常人間のみならず動物にも知覚できる音の波が、聞き取ることができない不可聴周波の範囲で空中を伝播する弾性波を言います」
「はい?」
「広義では、一切の液体、固体、気体に関わらず弾性体を波及させるあらゆる弾性波の総称のことです」
「あの、蛮斧系肉体労働者にもワカるようにご説明願いたいのですが」
「つまりは音のことですね」
「音……何も聴こえませんが」
「人間の耳には聞こえない音ですが、一部の動物には聞こえています」
「ネコとかイヌとか?」
「ええ。その聞こえない音が水に当たると、霧を生むことがあります」
「音が水に当たる……?ちっとも理解できませんが、また魔術ですか。ならば、この霧は光曜側がおれたちを狙って引き起こしたものに違いない。区別なしとは恐れいるね」
ひどく憤慨する庁舎隊長。当然だろう。
「……この音の真に恐ろしい点はそこにあります。人間に限らず、聞いた者の行動に影響を与えるのです。例えば、方向感覚を失わせるなど」
「あー、なるほど。コイツらはそれで道に迷ったのか。いきなり変な方向に進んだのはそういうことなのか」
だが、理解は早い。
「人間には聞こえないこの音を一定量浴びている間、その者は方角を見失い続けます」
「げ……」
「下手をすれば、死ぬまで道に迷い続ける恐れもあります」
「ただでさえ迷いやすい霧の中、頭がおかしくなるのか。悲惨」
「頭では無く、感覚が、です。もっとも、音の届く距離には限りがあります。霧は風に乗り流れるので、範囲が等しいワケではありませんが、今、本境郊外から光曜境の町を含めほぼ河の右岸までが音の至る範囲です」
「国境をおれたちから守るためか?」
「ええ。国境を越えた者が本境に至ることなく遭難するように」
無論、稼働者の目的はそれだけではないはず。
「ん?それだと、光曜境の住人たちは、もう元の町には戻れないんじゃあ」
「そう……ですね」
「ヒドイことするな」
「確かに、随分とむごい処置です」
「……本境近くには、ウチの巡回隊がいた。光曜境からの兵も。連中はどうなる?」
「今、話した通りです」
「……」
庁舎隊長から感じるのは静かな怒りの感情だ。この辺りの良質なモラルは、私を安心させてくれる。他方、計画者にとって、味方の犠牲は折り込み済みだろう。
「で、誰がやったか、閣下はご存知で?」
「検討はついてます」
「検討?こんな強烈な攻撃、というか魔術、出来る奴は限られてくるはずだろ」
「それが限られないことこそが、この現象の問題と言えます。魔術ではなく器械によるものだから」
「器械」
「そう。つまり兵器です。ともなれば、比較的簡単に、誰にでも扱えるということです」
「……」
無言になる庁舎隊長。
「……この戦争は負けかなあ」
「……さて」
何を考えているか、今ひとつ探れない。
「そんなぶっ飛んだブツを持っているんじゃ、おれらに勝ち目はないよ。あんたらが兵器を並べりゃ、本当におれたちは単なる野蛮人になる」
目端の利く人物だが、ここでやる気を失われては困る。情報を一部開示しよう。
「そうとも限りません」
「そうすか?」
「その兵器は、光曜人が開発したものではありませんから」
「なら、誰が?」
「我が国に、様々な兵器を研究する人がいます。それによると光曜よりもさらに古い時代の人々によって造られた物だとされています」
「ははっ、過去の遺物ってヤツですか。そら過去の出来事なんて確かなことは誰にもワカらない。過去のせいにすれば、誰も責任を取らんでいい」
それは恐らく、太子が稼働させた。自身の野心の道具を試すために。
「我が国もその兵器をコントロールできているわけではありませんが……」
「まあまあ、閣下」
話を止められた。
「閣下は一体、何がしたいので?」
「私」
「閣下は帰国しようと思えばできたのに、しなかった。それどころか、蛮斧に戻ってきた」
「……」
「閣下が何故戻ってきたか?私に会いたかったから……ではないでしょう」
頭に浮かんだその通り、との言葉は、不思議とすぐに消えた。
「頼られたのは嬉しいのですが、目的があるはずだ。それは何です?」
私が古代遺物を追求している、とも考えていないのか。私の目的について予測も持っていない?ならば仕方ない。
「タクロ君。私の目的を明かしましょう」
これはウソ。
「一つは、身の安全を守ることです」
「今の光曜は閣下にとって、危険。だから帰国しなかったと?」
「その通りです」
これはウソでない。しかし、身の危険を感じる程度だけでは、国を出ることもなかっただろう。
「もう一つは、国の寿命を一日でも先に延ばす、光曜の宰相としての私の使命です」
職務としてはともかく、私の真の目的は高尚ではない。よって、これもウソの範疇に収まる。
「危険な祖国に対する奉仕ですか」
「そうですね」
「嫌われてるのに、んなことして何になるんです。個人的趣味でしかないのでは?」
「嫌われている……」
言われるまでその発想はなかった。
「フフフ」
「え、何が面白かったんです?」
「いえ……栄華を誇った古代も終わりを迎えたように、いずれ光曜も終わりを迎えるでしょう。それが明日でないとは言い切れませんから」
「……」
「無論、好悪はおいて、ですね」
庁舎隊長は訝しげに私を見ている。この説明では当然。しかし、彼に全てを説明できる類の話でもない。それでも彼は私に好意を抱いている。受け入れることを期待する、のではなく受け入れさせよう、是が非でも。
「それって、蛮斧にいなければできないことではないでは?」
「少なくとも、蛮斧は光曜と戦える力を持った勢力で、他に無い存在です」
「まあ、陰謀を巡らせる程度にはね。なるへそ、閣下、あんたは我が国を利用なさるおつもりですか」
「本質的には対等な相手として。例えば今回の庁舎隊長殿の功績も、私から得た情報に拠っているように」
ああ、知らず昂っていたか。嫌な言い方をしてしまい、やや後悔する。
「まあ、確かに……」
女宰相は決して嫌な態度を示したりはしない。厳しくも穏やかな表情のまま、おれの前に立っている。口説けば応じてくれそうな空気すらあるが、それでも、その心は頑なだぜ。
「閣下は我が国に亡命、するつもりはありませんよね」
「ええ」
「閣下の目的のためには、あくまで捕虜の立場が都合が良いと」
「あなた以外の方には回答しない問いだけど、その通りです」
「……」
「……」
「……」
「タクロ君?」
しかし、今のは素敵な回答ではないか。要するにだ、おれが特別だということだ。おれが特別。充足感は一気に満たされた。
「ワカりました。今はこの回答で納得するとしましょう。この先、時間はたっぷりあるでしょうから」
「……」
「ほら、そんな顔せんでくださいよ。我らの仲じゃないすか」
「ごめんなさい」
「なあに。閣下の待遇は変わらずこれまで通り。戦いの混乱の中、我ら蛮斧は幸いにも、再度閣下を捕虜にすることに成功。その功績は……」
おれ一人で功績を独占するのは危険だろうし、再度おれが女宰相を捕らえた、となると色々やりにくくなる。
「この同僚のものとしましょうかね」
「優しいのね……ありがとう。感謝するわ」
「いーえ。それほどでも」
どさっ
「タ、タクロか……」
「ようやく起きたか。下痢便隊長」
下痢便と聞いて、ピクリ、と刹那動きを止める女宰相は可愛い。イヌのウンコが心の傷になっているのだらう。
「痛ててて。落としやがったな。なんて事しやがる」
「河はゴミ捨て場と昔から決まってるからな」
「河……」
お清め組の全員回収に成功し、霧も迫ってきている。これ以上、河の右岸でやることは無くなった蛮斧勢は前線都市まで撤退した。
「……それで、女宰相殿を俺が捕らえたということにしろって?」
未だ濁った目で、緊張しまくりの庁舎隊トサカヘアに囲まれている場違いな美女を、訝しげに見る城壁隊長。
「捕まえたの、またおれか、と言われたくない」
「ワカらんでもないが、不正は好きじゃない」
「でもお前はおれに借りがあるだろ?色々とな。それを帳消しにしてやる」
「……」
「事実、お前を追って、彼女を見つけた。同じことだよ。それにどうせお前、巡回隊の件での責任を取らされるんだし」
「……」
「これでやっと帳消しになるかもじゃん。もらっとけ」
「……ワカった」
「だよな」
それにしても巡回隊はただの一人も帰ってきていない。女宰相の言っていることは正確なのだろう。連中が、その体力と命が尽きるまで霧の中を彷徨続けるのだと思うと、哀れを覚えずにはいられない。しかし、助けにも行けない。可哀想だが放置だな。
また、女宰相から得た古代の遺物の件は、報告を上げても相手にされないに決まってる。んな話をした時の新軍司令官の人を小馬鹿にした顔が目に浮かぶ。だからこの話はおれの心に留め置き、乱戦時に発生した濃霧のため戦況確認不可、巡回隊の帰還者無し、とするしかない。
ただ、これだと対光曜戦は継続となり、さらに無駄に兵を霧の中で死なせることになるかもだ。うーん、どう報告するのが一番なのか、悩むところではあるなあ……まあいいや、適当に報告しちまおう。前線都市への道すがら、トサカヘアの背中を板に仕上げた報告書は我ながら簡潔明朗なものとなった。
が、帰還後ただちに出頭命令が出た。
「お疲れ様。各々の報告は読ませてもらったよ」
新軍司令官の前に雁首並べる隊長衆。この戦いで欠けたのは巡回隊長のみであった。
「巡回隊長が居ないようだね」
「……」
「……」
「……」
「……」
「呼んできたまえ。そう言えば報告書も出ていないな、全くけしからん」
「あの……軍司令官閣下」
「なんだい」
「巡回隊長はその……不帰還でして」
「言ったろ。報告書は読んだよ。だから呼んできたまえ」
「し、しかし霧が……」
「我ら勇敢な蛮斧の戦士は道に迷っても戦い続けるに違いない。なあ、勇敢なる庁舎隊長」
やばい、フッてきたやがった。ここは先手必勝だ。
「部下の統率は大将の地位が掌握する権能すね。城壁隊長殿、軍司令官殿がお命じですよ」
が、一切動じない城壁隊長を制して、新軍司令官がおれに指を突きつける。
「キミは前々から生意気だったが、ますます良い態度を取るようになってきたじゃないか」
「恐縮です」
「だったらもっと恐縮してみせろ!」
「恐縮ですぅ」
「全然足りない、もっとだよもっと!」
「きょ、きょ、きょ、恐縮!」
「違うだろこのハゲ!」
超怒鳴られてしまう。そしてなにより、おれはハゲていない。勤労に対する結構な報酬だった。