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境界防衛  作者: 蓑火子
国境にて
21/131

第21話 霧中の汗だく男

 激戦後、夜の明け始め。天気は良好。激戦を避けていた蛮斧戦士にとってはまさに追撃日和だ。


 対して、おれの部下どもは巡回隊への不信にイラついている。引き締めにゃあ。


「よお。ケツ拭き城壁マンにはああ言ったが、どうしても譲れないこともあるよなあ。特に、目の前で獲物がダンスってる時なんかは」

「へい」

「おれが許す。巡回隊を気にせず、徹底的にやれ!」

「い、いいんすか」

「許す!おれたちは蛮斧戦士だし!」

「ワワワワワ」

「ワワワワワ」


 よーし、これで追撃しても勝てるだろ。


「で、敵はここから北の方向で間違いないか」

「巡回隊も先行しやがってますし。なにより本境の町がありますぜ」

「本境かあ」


 光曜境の北に位置するその町の名を聞いたことのない蛮斧人はいない。光曜東の領域の中心地だ。しかし、おれたちがそこまで到達できたことはほとんどない。


「本境にはどんだけの兵がいるかな」

「さあ……まあ、行けばワカりますよ」

「……」


 コイツ……このいい加減さが光曜にいま一歩勝ちきれない理由かもしれない。



 林の一帯を抜け平野に出ると、


「お、やってるやってる」


 光曜の軍勢に追いついた巡回隊が、勇猛果敢に敗残兵狩りに汗している。


「死んで錆になれ!」

「死んで褒賞になれ!」

「死んでカネになれ!」

「ぎゃあ!」

「ぎゃあ!」

「ぎゃあ!」


 血飛沫が舞う。うーん、実に勇ましい。逃げる敵を倒すのは蛮斧の得意技とは言え、近年そんな機会も少ない。巡回隊の面々は、後発のおれたちが引くほどに、殺戮に酔いしれていた。逃げる側には隠れる場所もない、悲惨だなあ。


 ふと巡回隊長と目が合う。が、すぐにバツが悪そうに視線を逸らされた。罪悪感か。少なくとも、恥というものを知っているなら、敢えておれから口出しする必要はないかな。


「隊長、巡回隊は敵を包囲するために横に展開してます。俺たちが入り込むには、さらに迂回せんといけませんが」

「突入する気は失せたか?」

「ちょっとですね……近づくだけで斧当てられそうですし……」

「だよな。仕方ない、迂回するか」

「へい」


 これなら同士討ちはないな、と何となく落ち着いたその時であった。


「今すぐにその戦場から逃げなさい!」

「えっ!」


 女宰相、彼女の声、間違いない。が、姿は何処にもない。間違いなく声が聞こえたのだが。


「タクロ君。速くそこから逃げて!」

「えっ、えっ!?

「隊長?」


 トサカ頭は通常運転。声はおれにしか聞こえていないのか?確かに、頭の中に響いている感じがあるようなないような。


「説明している暇はない!速く!」


 今度はかつてない、強い口調だ。彼女、こんな声も出せるのか。どうやらマジなようだが、


「に、逃げるって何処へです?」


 返事は無い。向こうからの一方通行なのだろうか。しかし、逃げるとなると、光曜境へ逃げるしかない。


「えーと、えーと、おおおおお前ら、撤退するぞ!」


 嘆きの声が溢れ出す。


「えーっ!」

「なんでですか隊長!」

「俺たちも華の追撃戦がしたいんですが」


 こんな部下どもの抵抗を、


「うるさい黙れ!」

「反抗するか貴様、命令だぞ!」

「野郎ぶっ飛ばすぞ!」


 と粉砕したおれだが、口角の上昇を感じる。女宰相の声を聞いて嬉しくなっていることを自覚すると……は、恥ずかしい。どこにいるのかはワカらんが、彼女はおれのことを見ていたということになるよな。惹かれているのかな?ともかく初恋のガキのようなウキウキ気分だ。


「ヘルツリヒ、脱落者が出ないように最後尾に付け!馬には二人乗せろ!」

「承知!」


 こんな時でもおれの言うことを一番良く聞いてくれる親切な部下にしんがりを任せると、おれは先導のために先頭を進む。


「ああ、せっかくの好機がパアじゃないすか」

「それに、敵前逃亡ですよこれじゃ」

「イケすかない巡回野郎に手柄を持ってかれて」


 後に跨ったトサカがブツブツ言っているが、制裁は後回し、今は全て無視する。あれから女宰相の声は聞こえないが、不可思議な魔術の達人が逃げろと言ったのだ。


 晴れているのに、霧が出始めた。季節外れのようだった。


「おいヘルツリヒ!脱落者は」

「大丈夫、出撃した時のままです。ちゃんと数えてます」

「隊長、こら一体なんなんですか」

「足を止めては駄目よタクロ君!もっと南へ逃げなさい!」


 また女宰相の声が聞こえた。光曜兵を救うために彼女がおれを偽っている可能性も考えないではなかったが、声には偽りのない張りがあった、気がした。


「ねえ隊長ってば」

「ああクソ、うるさい黙れ!もっともっと、急いで戻るぞ!足を動かせ!気合いれろ!へこたれるんじゃねえ!」

「隊長のウソつき!」


 さらに南へ。



 景色が明らかにおかしくなり始めた。雲一つ無い天気、暖かい。なのに霧がどんどん濃くなっていく。痴愚の力で怖いもの知らずな蛮斧戦士達も、気味の悪さを訴え始める。


「た、隊長、一体何が起きているんです?」

「ワカらん!」

「ワカらんって」

「脱落者は!?」


 しんがりヘルツリヒが後ろで問題なしのポーズを決めている。


「よし。なんにせよ、こんな天気でこの霧は異常だ。この霧を抜けるぞ」


 もはや誰も文句を吐かない。固まって移動しないと道に迷う程に霧が濃くなってきた。そして言い難い不自然さが、景色から伝わってくる。この違和感はなんだろう?



 霧を避けつつ、光曜境まで逃げ至る。ここはまだ大丈夫のようで、


「ほっ」


と一息吐ける。町は蛮斧兵でいっぱいだが、馬を疾走させたまま城門を抜け、城壁隊の建物に飛び込む。


「スタッドマウアーはいるか!」

「いないよ」


 机の上に足を乗せた補給隊長が取り巻きに囲まれて気怠げにサイコロ遊びをしてやがる。


「ど、どこ行った!」

「毒を盛られた連中で川に行った。ケツのお清めだよ」


 ゲラゲラ笑い合う補給隊諸君。


「タクロ、お前追撃を止めたのか。さしずめ巡回隊長が全てケリをつけたからだろ。先を越されて残念だったなあ」

「違わいボケ!」

「なんだとこの野郎。調子に乗っちゃてんじゃねえぞ!てめえなんざいつだって始末できるんだからな!」

「やる気かこの野郎!」


 蛮斧式挨拶が盛り上がってくるが、


「た、隊長まずい!霧がこっちにも来てます!」

「げっ!」


 急いで城壁に登る。すると、町と自然を切り分ける林の境目から、霧が見え始めていた。こちらに伸びるように向かってきている。


「なんだあの霧は」


 なんかついてきてた補給隊長が暢気に呟く。城壁隊長が腹を壊して不在の今、蛮斧人を避難させるには、この日和見オピニオンリーダーを動かさねば不可能だ。どうしよう。


「ど、毒」


 庁舎隊一同、悲鳴にならない変声を鳴らす。


「毒だと?」

「毒、かもしれない霧だ」

「かもしれない?」


 先般、毒の被害者を見ているから響くだろう。


「な、なんでそんなものが」


 できるだけ落ち着いて話す。自分の勝手な想像を。


「ワカらん。だが、巡回隊はあの霧の中で姿が見えなくなった」

「なんだと?」


 まあ事実だ。逃げだすのに精一杯だったのだが。


「敗残兵どもは」

「巡回隊と一緒に見えなくなった」

「な、なんなんだそれは」

「ワカらない。だが、今はあの霧から逃げなければならん。この町は捨てよう」

「は!?」


 呼吸荒く、大否定の補給隊長。


「せっかく得た町を捨てるだと!ありえんな」


 すると、横で聞いていたおれの部下たちがキレはじめる。


「ざっけんなコラ!お前んトコ何もやってねえだろがい!」

「そうだ!ウチの隊長が城門をこじ開けたんだぜ!」

「お前に功績なんてあるのかよ!」


 こじ開けたのは突撃デブだが動揺した補給隊長、たたみかけるなら今だ。


「異常が無ければまた入ればいい。巡回隊が敵残党を叩きに叩いてた。光曜もすぐには戻ってはこれんだろ」

「……巡回隊に異常が発生したと言うのは、じ、事実なんだな」

「ああ」


 多分。


「クソ……新軍司令官に対する弁明はお前がするんだぜ……」

「ワカったよ」


 コイツもあの野郎が嫌いなようだが、言質を取られたかな?まあいい。


「貴様ら撤収だ。前線都市まで引き返す」

「でも、まだブツを接収してる最中ですぜ」

「ここまで!中断!ワカんだろ、急がせろ!」


 おれたち隊長衆の間では、いちばん年を食っているせいか、動き出せば速いのが、このイケすかない男の唯一の利点と言えるかもな。よし、次だ。


「あっ、タクロ、おい、お前どこ行くんだ」

「ケツを清めに行った連中を迎えに行ってくる……というかそのまま、前線都市に戻るつもりだ」

「仲がおよろしいことで」

「まあな。じゃ、向こうで合流だ」



「というワケでやってきた」

「確かに、妙に霧が濃いような気はしていた」

「ケツの浄化は終わったか?なら前線都市まで戻るぞ。光曜境は放棄」

「巡回隊は?」

「自力で戻ってきてくれることを期待するしかねえよ」

「なら先に行け」

「え。お、お前は?」

「ギリギリまで待つ」

「アホか。この霧が光曜の仕業かもしれないって言ったろがい」

「それでも俺は大将だ。戻らない部下を簡単に見殺しにはできん」

「カッコイイ!って言われたいのか?」

「それこそありえん」

「そもそもあいつらマトモな部下と言えるのか?命令違反ばかりだぜ。蛮斧らしいけどよ」

「といって上役としての義務を放棄もできん。タクロ、お前は先に戻れ。みな体調も回復してきた。味方の収容ぐらいはできる」

「光曜境の町もいずれ霧に包まれるかもだ」

「その度に下がって、霧の境界で待つ」

「オナラしながらゲロを吐きつつオシッコとウンコを漏らすようなもんだがなあ」


 と、親切な部下が耳打ちしてくる。


「隊長。俺も城壁隊長殿に付きましょうか」


 万が一の時でも、報せを持って戻る、という意思表示だ。この自己犠牲を受けねば漢ではあるまい。


「よし、そうしろ。スタッドマウアー、ウチのヘルツリヒ君をお前に貸してやる。腕利きだぞ」

「そうか、スマンな」

「なに、責任者が大変なのはワカる。まあしっかりやってくれ」



 そして、河右岸で待ち続けるおれは甘い男なのではない。遠目に前線都市が入る位置。同じく目に映る霧は到達こそしていないが、


「まだ伸びてますよあれ……」

「ああ……」

「この河も霧立つことあるけど、あんなの初めて見ます」

「ああ……」

「ヘルツリヒも無事に戻ってくればいいけど」

「ああ……」

「オレカネ貸してるんすよあいつに。場合によっては隊長立替えてくれませんか?」

「ああ……」

「よっし!」


 だが、おれが真に待っているのは部下や同僚やクズどもではなく、女宰相その人なのだ。彼女はあの霧の正体を知っている。そしておれを逃がしてくれた……おれを引かせるためのウソなどではなかった、はず。根拠などないが。いや、根拠があるとすれば、塔の部屋で相対したあの日々の記憶だ。彼女はおれに対しては辛辣なことを、そうしない気がする。


 彼女、光曜に引き渡された後、何かあったのかな。やっぱ政敵がいて、命を狙われたのか、あるいは……無事に帰還しちゃったってこたないだろうが、いやしかし……


 あんまり考えても仕方ないか。いつかまたくる、女宰相との再会に期待するしかない。見れば霧は、速度は落としつつも広がってきている。


「隊長、あれは?」

「ん?」


 霧の境界に沿って、一行がこちらに歩いて来ている。が、急にそれぞれ明後日の方角へ散り、幾人かが霧中に消えた。


「なんだなんだ」


 内、一人は霧を抜けて直進中だが、足取りは覚束ない。


「ヘルツリヒだ」


 なにやら懸命に走って来ている。何かあったな。こちらも急いで出迎えると、この親切なトサカヘアは目を回していた。


「どうしたよ」

「た、隊長!き、霧に包まれて方向感覚が無くなっちまって……助かった」

「下痢便お清め隊は?」

「それが、あっという間に逸れてしまったんです!さっきまで、みんな近くに居たのに」

「他に異常は?敵襲とか」

「それはありませんでした」


 ケロリとして言いやがる。


「うーん……」


 ならば……迎えに行ってみるか。


「隊長、何か物騒なこと考えてません?霧はこっちに伸びてますぜ」

「まあ……行ってみる」

「マジですか」

「お前らも」

「行きませんよ。大体、危険だからって逃げるように指示したのは隊長でしょ」


 正確には女宰相なのだが、まあ仕方ない。


「舟を引っ張るロープがあるだろ。これをおれの腰に巻きつけてくれ。たくさん継ぎ足して」

「どこまで行くんです?」

「ロープが続くところまでだな」

「ワ、ワカりました。お気をつけて」


 安全綱の感触を勇気に、霧の中に足を踏み入れる。すぐに、周囲が深い白へと変貌する。


「……霧は霧、だよなあ」


 深呼吸して霧を吸い込んでみる……なんとも無い。毒が混じっているわけでもなさそう。勘を頼りに方角を変えてみる。城壁隊のメンバーを探し始めると……一人すぐに見つかった。


「……庁舎隊長」

「ホームは近いのに、急に寄り道すんなよ。何かあったのか?」

「よ、寄り道なんてしてないよ」

「ウソつくな。いきなり散開しやがって」

「真っ直ぐに歩いていたつもりだったんだよ!それが何故か急に道に迷ったんだ」

「……」


 ヘルツリヒと似たようなこと言ってる。この霧には迷子を生む力でもあるのか。


「まあいいや。他の連中は?スタッドマウアーはどこだ?」

「ワカらん……」

「じゃあ探してくる。お前、おれのこの腰の縄を伝って戻れ。河に出られる」

「し、しかし」

「大丈夫だ。みんな探してくる。縄を切らないように注意しろよ」

「しょ、承知」


 そんなこんなで次々に迷子を見つけて保護していく。残りは城壁隊長だけだが、


「最後の一人は死んでいるのがセオリーか」


 多少は心配になってくる。


「おい城壁チェリー!どこだ!」


 返事も無し。


「返事ぐらいしろ!このままお前放置して帰っちゃうぞ!」


 ……やはり返事はない。そして縄が張りツンのめった。ここまでか。已むを得ない、と踵を返した時、


「うおおおおお!」


 なんとそこには人が立っていた。ビックリした。ビックリしすぎてつい戦闘態勢を取ってしまう。が、その顔を見て、別の驚きが込み上がってきた。


「閣下……マリスさん」


 塔で別れたときと同じ姿の女宰相がそこにはいた。

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