第129話 爆睡中の蛮族
―レストラン濯傷
静かで控えめ。敷居は低いけど内と外の境界がはっきりしているような。立ち去る自由も歓迎されるというか。良い香りのするレストランだ。この都市にもこんな場所があったとは。が、しかし。
「あ、あの」
「何?」
「お、お金は余りないので、わたしは飲み物だけで」
「なんでカネの心配を?」
「昨日、言ってたこと思い出して」
「ああ、自立した女性が人様に何かをお願いする時は必要なモノがあるってヤツか」
「そ、それです」
「心配ないよ。アンタ、自立してないからね」
うっ。
「だがまあ、意志はあるんだろ。だからそのA通貨を持ち帰った」
そ、その通り。
「なんでも聞いていいよ」
食事が着たら、そっちに集中してしまいそう。今の内に聞きたいことは聞かないと。でも、順序立てていたら時間がいくらあっても足りない?ええい!
「こ、この通貨……A通貨のことをご存知なんですね?」
「地下外に行ったことがあるから。アンタと同じだ」
「そ、そうでしたか。あっ、どうもありがとうございます……」
音も無くやってきた給仕さんからコップが出された。香りがとても良く、思わず口に含む。それは温かく、スパイスのほんのりとした刺激が舌に心地よいスープだった。美味しい。実に美味しい。よく見れば緑色。葉物をすり潰したような。久々の食事に胸が熱くなる。
「……はっ!」
静かにスープを飲む彼女からは何も言ってこない。ここは問い続ける局面なのだろう。
「コレ……しょ、証拠として使いますが、A通貨は換金できると言われました。誰が何のために換金できるようにしたかも、ご存じですか?」
「それは前の領主だね」
「前……平和の君さまの前ですか?」
「そうだ。現君の母方のね」
こんな退廃の大都会も、荘園領から始まったとは、授業で習ったことがある。
「福祉のためにそうしたんだ」
「福祉?」
「地下……特に地下外の住人、社会から零れ落ちた連中の社会復帰を目的に配られたのが最初だ。世代が変わり、当初の理念は失われているがね」
「ええと?」
湧いてくる考えをまとめねば。
「……」
「ま、まず、換金できるモノを配布する。それが現金に換金されて、それを手に地下外を出て生活を再建する、という……こと?」
「そうさ。地下外は今も昔も生きる希望を失った連中が集まる。失業したり、失脚したり、失望したり、トラブルから逃げざるをえなかったりね。地下はそんな堕ちた連中が最期の場所として、いつの頃からか自然に形成されたんだ。が、そのまま死なすのは忍びない、ということで、一時的な福祉として地下での簡易な作業や労働の対価として与え、いずれ立ち直って保護を必要とせずに生きていけるように、という後押しだった」
「それが何故、今は、その」
あんな冒険者ギルドなんていうふざけた……
「あんな悪趣味なテーマパーク用のカネになっているか?」
「そ、そうです!」
「大都会の裕福な予算がバックについている。それを掠め取ったり、利用したりと、良からぬことを考える者どもは常にいる。そいつらに目を付けられたのさ」
「つ、つまり、悪用?」
「そうだね。あと、最近蛮斧との戦争にかこつけて、立て続けに荘園領主領がお取り潰しになっている。土地が国家に没収されたら、荘園労働者の次の雇用主は国家だ。光曜自慢の大農場にどんどん送り込まれていく。その環境変化の過程でどうしても馴染めなかったり、落ちぶれる人は出てくる。そんな連中がどんどん大都会に流れ込み、そこでも上手くいかずに地下街へ、さらに地下外へ逃げる、というフローだ。頭の回るヤツらはエサの供給が止まらず笑いも止まらない、というわけだ」
複雑な社会の仕組みに泣く者、笑う者か……目の前にサラダのお皿が現れた……黒マメ、パプリカ、玉ねぎに焼いたバナナかな?瑞々しさは無いが、甘さが心地よい。
「そ、それは……エメラルドエッジ氏ですか?」
「そいつもその一人だね。ガキ丸出しの笑えるエイリアスネームだけど、テーマパークと相性が良いんだろ。都合も、実名のリムでやるよりもよっぽど良いはずだ」
この人は!……全て知っている。だから、昨日わたしがリムを尋ねた時、そっけなかったのかな……でもその上で、わたしに声をかけてくれた。でもだがでもこの話、行きつくところはつまり……
「あ、あの、ギルドマスター殿の上司に当たる人は、いえ!ええと……ギルドマスターのエメラルドエッジ氏は、だ、誰の指示で動いているのでしょうか」
ゴクリ
「現君、通称平和の君と呼ばれる人物だね」
やっぱり!
「で、ではリムを告発するということは」
「行政訴訟の性格を帯びることにはなるし、王族の責任を追求する戦いになるね」
な、なんてこと。
「現君は王都に対して独立的でね。しっぽを掴ませないようにしているから、こんなことからの違法行為の露見は防ごうとするだろう。アンタ気をつけた方がいい。生きてこの大都会を抜けられるか、ワカらないからね」
い、命を狙われる!また?地下でも、地上でもなんてこと。
「あ、あなたは?」
「アタシ?アタシがどした?」
「山洞宮で働いているなら、平和の君さまの……」
「心配無用だ。アタシは誰の手下でもないからね。だからこんな話をしている」
行政で働いているのに?そんなことがあるのかな?そもそも本当の話なのだろうか?などと悩んでいると、主菜が現れた。お肉だ。黒く、少し焦げてるが、スパイスの香りが鼻に漂ってくる。ここはスパイス中心のお店なのかもしれない。たまらず口に入れるとピリッと辛い。薄黄色中心の雑穀が芳しく、ゆっくり噛むとミルクみたいな味がする……体が温まってきた。
「……はっ!」
なんと大人の彼女より先に、一気に食べてしまった。は、恥ずかしい。まんじりとしながら彼女が食具を置くタイミングを待ち、
「あ、あの!」
「ああ」
「このA通貨の詩ですが……これはその、前の領主様が作詞したものですか?」
「いや、違うよ。前の領主はその通貨には名前をつけたぐらいでね」
「A通貨?」
「そう」
「どんな意味があるのですか?」
「補助的、って意味だ」
「補助……」
「アタシは反対したんだが、福祉は補助であるべき、と言ってね。褒められた性格の人だったけど、そこは譲らなかったね」
反対した?この人が?それってつまり……
すっ
出てきたのは、果実のソースを乗せた小さく可愛いプディング。一瞬で平らげてしまいそうになるがゴクリ、控えねば……慎重にすくう。お、美味しい。久々のデザートにとろける舌、というよりとろけた頭が痺れそうになるほどの幸福感。空腹が最高の調味料というのは、なるほどこういうことだったのか。
「……はっ!」
気づけば食後のお茶が目の前に。彼女はすでに甘味を苦味で洗っていた。急いでわたしも続く。
「口に合ったようで何よりだ」
「とっても美味しくて。ご、ご馳走様でした」
ゆっくり頷いた彼女だが……あれ?前の質問に答えていない。はぐらかされた?
「……」
だとしても、無礼を承知で確認しなければ。これ以上の無礼は無いは。
「あの、この詩の作者についてですけど……」
「作者か」
彼女はゆっくりコップを置いた。
「それを聞いて、どうするの?」
「ど、どうもしないです」
しないのだが……
「通貨に込められた詩を聞きました。わたしが思うところ、作者はきっと辛い境遇の人たちに同情を寄せた人で、今どこで何をしているのかをその、知りたくて」
「何をしているか、か。そうさね、自分で蒔いた種の収穫について嘆いているさ」
「よ、良からぬ考えの人たちに利用されているから?」
「さてね」
短い回答に微妙な雰囲気。
「で、でも」
「このA通貨に助けられた人たちはいるのではありませんか?わ、わたし以外にも」
「さて、どうだろう」
「地下外では、これを手にして、喜んでる人も多かったですし」
「その連中が社会に戻ればいいんだが、そういうわけでもない。地下に安住しちまっているのも多い」
「……でもそのおかげで生活できるなら」
「あんな所へ安住させるために造ったわけじゃない」
「……え」
「福祉なんてものは、本来の目的が果たせなくなったのなら一度白紙に戻すべきなのかもしれない。どうしたって害虫は巣食うし、その害虫が権力だったらどうなる?もう止まらない。そして本来救うべき人たちへは届きにくくなる」
「はあ」
「それに結局、人間福祉では立ち直れないね。一時の手助けと割り切らないと、人は腐る、際限無くね。福祉漬けで根腐れする前に、立ち上がって戦う気になってもらわないと」
「戦う気……」
彼女の言葉と語気は熱く、わたしは我が身を振り返るしかなかった。
「いい時間だ。ここでお開きにしよう」
お代を置いてすっと立ち上がった彼女はそのままレストランを出る。わたしも急いでついて出た。大都会の大通りは相変わらず明るく、不穏な空気が漂っている。
「アンタの宿は?」
宿は無い。もし無いと言ったなら……
「……」
きっとこの人は、何かしてくれるだろう。でも、だ。これ以上甘えるわけにはいかない。
「あ、あっちの方に宿が」
「そうかい。さっきも言った通り、気をつけるといい。じゃあね」
去り行く中肉中背の後ろ姿。もう、何も聞かずにいいの?
「あ、あの!」
彼女は立ち止まり振り返った。
「わた、わたし、レイスと言います」
「昨日聞いて覚えてるよ」
「お、お名前を教えてくれませんか?」
「あ、すまなかった。アタシまだ言ってなかったか。アデライだよ。じゃあね」
アデライ、もしや彼女はA通貨を造った人、またはその一人では?そうならなんという幸運。なんという収穫。彼女に協力を仰げば、リム告発はさらにしっかりとしてくるに違いない。
「ぐへえこんな時間にメスガキだあ。なあ、オジサンたちと一緒にイイトコに」
ドン
「ぐぺっ!」
でも、王族。平和の君を相手にすることになる。王都の人たちから評判のあまり良くない雲上人。わたしだけならともかく、みんなに迷惑がかかるかもしれない。
さささ……
ドン
「ぎゃあ!」
みんな。みんなとは誰か。わたしが余計なことをしたら、母が帰国した時にどうなるか?兄は?兄は王府で活躍している、と聞く。家のみんな……迷惑をかけたくはない。どうすればよいのだろうか。
ドン
ドドン
「ふぐうっ!つ、潰れた!つぶれた!」
一番良いのは、リムにも、平和の君さまにも悔い改めてもらうことになる。でもそんなことができるだろうか?今日見たリムは、わたしの知らないリムだったし、平和の君が王府と緊張関係にあるのなら、悔い改めて処罰を受けるなんてあり得ないことのようにも思える。
「な、なんなんだあのガキ……」
「街娼じゃねえのかよこんなとこ歩いてる癖に」
「魔術かな……」
処罰?そもそもなぜ処罰を?地下外で明らかに違法なテーマパークを運営していること、だけど、もしもそれが違法でなかったら?わたしは国の法律を悉知しているわけでもない。
夜の大都会を歩けど歩けど、勇気が湧いてこない。明日、タクロに相談してみよう。
そういえば。彼女……アデライは気をつけろと言っていた。生きてこの大都会を出られるか、とも。ふと、来た道を振り返る。こんな時間に、わたしに触れようとした男たちを蹴散らかした道に、わたしは見た。もっと無垢で単純な、どん底一歩手前に立つ人たちの怯えと好奇の視線を。他のものは何もない。