第124話 湯けむり蛮族
ウウウー
ウウウー
「わっでぼりいでぃすうぃっちくらふと?」
「あ……」
何かつぶやいた深蛮斧人たちが、わたしを驚愕の目で見ている。やはりこれはわたしがしたこと。わたしの衝力が、人間をへし折った。こんな強力に衝力が放たれたことはかつてなかった。
相手の顔を見れない。二つ折りになってしまってるからだが、なんとか救命せねば。でもどうやって?そんなわたしの狼狽を、蛮族タクロが湯舟の中から見ている。
「レイスちゃんもう無駄だよ。今はかろうじて意識あるかもしれねえが、すぐに死ぬ。地面と逆さにキスしてんだぜ?逆二折になったんじゃ助かるヤツはいないだろ常識的に考えて」
蛮族に言われてしまったが確かにその通り。だがそれでは、
「そ、それでは。わ、わた、わたしは」
「自分の身ぃ守るためだろ?後悔する必要皆無じゃん。気にしない気にしない」
そんな、それではいけないはず。
「なんだ初めての殺しか。光曜人は繊細だなあ」
民族は関係ない。人を殺してはならない、普遍的な教えと教わったしそのはずだ。
「気にすんなって。おれだって戦場で何人のニンゲンぶっ殺してきたことか」
それではわたしは……蛮族と同じに?
「これはヤるかヤられるかだろ?ヤらなきゃレイスちゃんがヤられてたんだし、まあそれっていわゆるひとつの戦争だかんな。死にたくなければすっこんでろってね、よし!うぃぃぃ」
奇声を発したタクロが湯舟から上がる音がする。体をごしごし拭う音と、服を着、帽子を被る音を背後に、 わたしは色々な考えや感情が交差して身動きが取れなかった。けれど自分の手は全く震えていなかった。
自分が分離している気がする。体と心が少しズレているような、嫌な感じだ。そんなズレた頭で、蛮族タクロが何かを見ているのを見ているわたし。何を、何かを見ている。視線の先には何も無い。壁があるだけだ。
「おい」
深蛮斧人に近づき、彼らを冷酷に見下ろして何かを伝え始めたタクロを眺めているわたし。
「おれに従うか、ここから消えるか、選べ」
「わっやせいん、はっ?」
「言葉が通じねえからワカらないって?嘘つけ臆病者ども。従うか、ここから消えるか、選べよ」
「ふっくおふばっきーっぷだっうぃっちあうぇい
「ああ、そう。ならとっとと消えろ」
わたし、彼らの戒めを解くタクロをぼーっと見ている。
「わっ、わっちゃぷらにん?」
「出てけっつってんだよ!しばくぞ!」
「わっつぃ……きゃんめいくのうせんす」
六人の深蛮斧人が走り去った後、柔軟体操をするタクロを見ているわたす。彼はずっと出入り口を向いたままだ。
ややあって、悲鳴がわたしの耳を叩いたようだ。
「ぎゃあ!」
「さむしんぐふりゅうばいかんしいっぎゃあ!
まあくあんでゔぃっつねっくすがごおん」
「まあてぃん!やごっちぇきらうっ」
「のうぇいへんりいやごっちぇっおう!へんりいずねっくずごおん」
「あんでぃあんでぃずがったほおるいんぃずぼでぃえばりわんずでっどりいだああありいだあどんりいぶみい」
出て行った深蛮斧人二人が戻ってきた。
「お、生きて戻ってきたか。最初からおれに従っときゃよかったなあ」
タクロの声など届かないほど動転している全身血だらけの二人だが、わたしは彼らの負傷を見つけていない。なら他の人の血を浴びたのだろう。タクロを見て立ち止まった二人は出入り口から離れ、身を隠す場所を探している。
出入口、すぐに誰かが入ってきた。女性。美しい女性。露出の多い服装をしているが、わたしは驚いていない。タクロは警戒していない風で、警戒を解いていない。
「おっ、姉ちゃんが四人殺ったんか?」
「あなたが彼らのボス?」
「そうって言ったら?」
女性は、二つ折りになった男を見て足を止めた。そして、すぐにタクロを見据えた。
「人も獣と同じ、慎重にならないとね」
タクロを視ている。すなわち魔術的に。おそらくタクロの戦闘能力を調べているのではないか。
ニコ
女性が柔らかく笑った次の瞬間、
バッ!
「ぐへっ!」
タクロが前屈して丸まった。さらに、
「い、痛ててて!」
タクロの悲鳴。顔を押さえ目を擦っているから目潰しか。無防備となったタクロに対し、女性は妙な形の衝力を発揮した。
ボン
背後に吹き飛ばされたタクロは湯船に落ち沈み、溢れた湯がわたしの足まで濡らす。奇妙な魔術の行使で、衝力を直接当てていない。
女性がわたし、を向いたようだ。
「あなたが依頼対象ね」
人相書きを見たのだろう。つまり殺害依頼の対象。気は進まないけれど、と前置きを呟いて、わたしに対しても攻撃をする準備をとった。何故かワカる。では、対処しよう。女は衝力に乗せて何かを発射した。
わたし、はすでに衝力で固めた空気で顔を包んでいたようだ。見える……複雑で多様な香辛料の粉を飛ばしての目潰し。興味深い飛び道具選択だが、女は不幸だった。
パン!
わたし、はわたしの足を濡らした湯を衝力で固めて、撃ち放っていたようだ。
「あっ」
ギリギリで防がれたが、バランスを崩し、膝をついた。女も中々優れた衝力操作を展開しているが、これで勝負ありだ。わたし、はさらにたっぷりと湯を固めていた。誰が?わたしがだ。これを女の頭に当てれば、この敵は死ぬだろう。誰の手によって?わたしの手によって。
……
駄目!人殺しなど駄目だ!急に頭が明瞭になる。
「このガキ!」
女性が叫んだ。と、同時に背後でザバリと水の音。後ろから飛んでいくように現れたように見えた蛮族タクロは、そのまま女性に足からぶつかっていった。
「……!」
声も無く倒れた女性を足で踏みつけ恐ろしげな顔で睨みつけるタクロ。
「おいアマ、ホントは獣知らねえだろ?手ェ抜きやがってこのザマだぜ!それとも、死ぬまでに一度は使ってみたい言葉とかだったんか?おう!?」
ドカッ!
「うぐっ」
女性を蹴り飛ばして裏返した。魔術士相手にそれはあぶない!とわたしが思うと同時に、
ボン!
タクロは滑らかに位置を変え、相手の反撃を避けた。女性も驚いている。すごい。やはり、この蛮族は自身言う通り衝力を察知できている。
「う……あなた、やはり衝力が見えている」
「やはり?」
「他にも色々あるようね」
「さあね。ま、これから死ぬんだし?後で考えたらいいや」
蛮族が女性の頭を踏み潰そうと構えた。だ、駄目!
「タクロさん!殺しては駄目!」
「おっ」
ピタッ
ウウウー
ウウウー
思わず大きな声が出て、自分でも驚いた。相変わらずの警報音の中、両手を上に片足立ちの姿勢のまま聞いてくる蛮族。
「どして?」
「ど、どして?そ、それは……」
どうしてだろう?いや、当然のことではないの?もちろん何となく、ではあるけれど……
「おいおい甘ったれてんか?殺す奴は殺される、この世に数多ある真理の筆頭だろうが」
……ここでこの男に人殺しをさせてはいけないと、わたしは強く感じている。何故かはこれからワカるのだろうか?
「罪人は、こ、告発をされなければならないから……です」
「告発ゥ?」
ちっとも可愛くない、可愛らしい蛮族の仕草。笑顔で首を傾げつつ口をすぼめたまま、
「誰かのお裁きに委ねるのぉ?」
「そ、その通りです」
「このアマ、光曜のお高く止まりっち女の一人だろうが。正当な裁きが下されるとは思えんがね、お仲間、お仲間」
「そ、そんなことはありません!光曜の司法は公平で多くの人々から信頼されてます」
「そんならクソみたいな時間がかかるだろうぜ。その間にまた殺しに来るかもしれん」
「そ、それは……」
わたしは裁判したこともされたことも……ない、からワカらない。
「蛮斧でのお裁きってのを教えよう。会議で族長が気分で取り上げたり無視したりするんだが、贈り物の量や質、まあネマワシで迅速な処分を実現している。無論、公平さは信じる蛮斧人はこの世にいない」
な、何て言い返そう。何を思えばよいのだろう。ワカらない。それでも説得しなければ。
「あ、あなたは大農場で働いたり、こうしてわたしを助けてくれたり、きっと光曜でもやっていけると思います。でも、人を殺してしまっては、また大農場に逆戻りです」
「ここを生きて出られればの話だと思うがなあ……ま、いいか。おい女、名前言え」
「……」
ビシッ!
「あうっ」
「!」
タクロが躊躇なく女性の顔を鋭く叩く。びっくり。
「返事しろ、お前に決まってんだろが人殺しのズベ女がそんなクズがお前の他に何処に誰がいるんだこのメスブタがまあいいや、聞いてた通りあのお嬢ちゃんからの慈悲だ。お前の命が貴重だからじゃねえ、このおれ様が徳を世に示す機会だからと殺されて当然のお前のようなサイコパスなドスケベ痴女のお笑い犯罪行為を光曜よりも優れた寛大な愛と赦しと心で見逃してやるって話は神話誕生だあな。でも!おれ様の気が変わってお前のような弁解の余地のない敗北した罪人に対して勝者の権利を容赦なく行使してメチャメチャかつズタボロにしてやった後に殺して捨てるよりは楽だからと国境の外に二束三文で売り飛ばす可能性も大だからアドバイスをしよう。おれの前から消えろ。あと次、もしもおれの目にお前が映ったらその場で直ちに殺す。絶対に、絶対に、絶対に……絶対に」
な、なんという酷い脅し……しかし、命は助けた。この振る舞いは……蛮族、なのだろうか?
「おら立て、そんで出てけ……ぐへへぐへぐへ、イイ乳してるじゃねえかじゅるじゅるじゅる」
相手の胸元を露骨に凝視。だらしない顔。これは間違いなく、蛮族だ。
「で、名前は?あ、黙ってたら殺すしウソついたとワカったらいつか絶対に殺す」
「……ゼーヴァ」
「そうかよくワカらん名前だな。じゃあ向こうに歩け、歩いてんじゃねえ走れオラ!走るんだよ!とっとと消えろ!」
女性はよろよろ駆け足で去っていった。
「まあお優しいことだがねお嬢ちゃん、ホレ二つ折りの彼はあの世へ旅立ったようだぜ」
「……」
わたしが、命を奪った。衝力で、でも本当に?
「魔術って凄えんだな。人間があんなになるの初めて見たぜ」
「わたし……ワカりません」
わたしにあれだけの衝力を展開できる力があったなんて、知らないし今もできる気がしない。
「まあ、コイツの身元も確かめるか。どれどれ……うん、死んでるね」
「あ……」
亡骸に近づき、持ち物を確認しはじめるタクロ。
「何かないかな?」
ごそごそ
「ん。これは……なになに、黒耀の?……復国的……猟兵騎士隊?そんな集団あるの?」
「は、初めて聞きました」
空想的な名前。特徴的な、男子的な言葉。
「なんかリムって野郎の通り名に近い感じしないか?あれ本名じゃないんだよな」
「は、はい。それは間違いありません」
「ファイトネームならぬチーム名ってやつか、そういうの光曜男ども好きなんだねえ。で、そんな名前を引っ提げて、この地下区外でやりたい放題するってことか。秘密の自己顕示欲ってヤツかな?」
「……」
きっと、こんな場所は違法に間違いないし、法律の外、社会の外での犯罪だって、道徳的には絶対にいけない行為のはず。それを隠すための、妙な名前、というか偽名の陰に隠れてる?
「やっぱりさっきの女のも同じくファイトネームかなあ、やっぱ殺しておきゃよかったか?」
そうなのかもしれない。この……タクロだってある意味では同じ気がする。それならば、
「あ、あの」
「おう」
「こ、殺すとか、みだりに言わない方が」
「品が無いって?」
「ええと、その……はい、そうかもしれません」
するとタクロはニヤリと笑った。
「同感だ!ま、相手次第ってこった、ワワワ!」
きっとこの男はわたしたち光曜人が考える蛮族、ではないのだろう
「それはそれとして、この二つ折りの仲間が復讐に来るかもしれない。さっきの女もな。敵が増えたな」
敵、正直実感がない。
「不殺を貫くのも楽じゃないぜ?」
「……タクロさんは」
「うむ」
「光曜で人を……その殺めましたか?」
「いわゆるリアル戦争を除くか、含めるかによるな」
「の、除きます」
「ならまだ殺してない、はずだ、知る限りでは。まあおれに殴られた後知らずに死んだヤツがいるかもしれんが」
その意味ではわたしはタクロの先輩と言えるのかもしれない。今日のこれはいわゆる戦争ではないのだから。
「あ、もしかしてこんなこと考えてんの?自分は人殺しの犯罪者だって」
勘づかれた。胸が強くすくみ、痛むのは図星だから。
「……」
「まあ気にすんなってムリか……なあ」
「……」
「なあなあ、例のリムだけどさ。少なくともヤツの行いは犯罪だろ?仕掛けてきたんだから」
「はい……」
「この地下区外を出ればと思ってたが、どうだ。あの野郎を告発してみたら?」
「告、発」
リムを告発する。
「そうだ」
物事の最初の相手を告発し、認めてもらう。正義の証明として、それ以上のものは無い。敵となった昔からの知り合いを告発する。タクロからの言葉を受けて、わたしは自分の胸の高鳴りを見た気がした。