第120話 もぐる蛮族
「あ、あの……」
「用は済んだよ。リムってのはこの都市の地下に行ってるってさ」
「地下!」
リムの居場所を掴んできた……一体どうやって?それにしても蛮族タクロの大きな声。きっと受付の人にも聞かせようという負けん気、強烈。
この大都会には歴史の授業でも習う地下区街があって、有名な危険地帯、わたしの尋人はそんな場所に居るのか。
あ、蛮族タクロの手に血がついている、ほんの少し。怪我はしてなさそうなのに……え?ということはまさか。
「あの、もしかして、誰か叩いたんですか?」
「お、よくワカったな。その平和の君って太っちょをビンタしてきた」
「ええ!」
なんてこと!王族、王弟、偉い人を!
「大丈夫。口割らせるんでちょっと撫でただけだから」
血が出るほどなのに?
「そういや手洗い場があったな……ありゃ」
「故障中だそうです」
「ほーん、おらっ!」
ドカッ!
「!」
タクロがパイプを蹴り、
チョロチョロ……
ほんの少しの水流。さっさと手を洗った蛮族タクロ。
「さ、行こうぜ」
「ど、どこへ?」
「そら地下へだよ。リムって野郎に会うんだろがい」
「い、今から?」
「今行かないで、いつ行く?さあ、行くぜ!」
「あ、あの、ちょっと!」
「ねえ、お兄ちゃん」
受付の女性からの声に立ち止まる。彼女は相変わらずこちらを向かない。
「これから地下区外へ行くって?」
「お前に関係あるか?」
「地下は本当の意味でカネしか意味をなさない場所だ。あんたがいくら持てるかは知らないがね」
「おれ様はカネ持ちなんだ。だから何の問題ねえわな」
「ああそう」
「じゃあ行くか!」
「ちょ、ちょっと待って」
わたしは手を洗おうとしたが、また水流が途切れていた。
「……」
ガン!
チョロチョロ……
蛮族タクロがまた可哀想なパイプを攻撃。水が出始めたのでようやく手を洗えた。ふう、気分が落ち着いた。
「壊したら弁償してもらうよ」
つっけんどんな声へ、不愉快そうに言い返す蛮族タクロ。
「もう壊れてるポンコツをおれ様が直してやってるってことがワカらんとはなあ」
―大都会 地下区街
本当に地下。いくつカルバートをくぐったかな。正真正銘の地下。何段の階段を降りたっけ。地面の下。暗がりに目が慣れてきたかも。そこにこんな入り組んだ空間が広がっているなんて。
階段を一段降りるごとに、上の光と音が遠のいていく感覚。風の音も、喧騒も、厚い岩と土の前に消えていくよう。灯りのない場所は本当に暗い。常に灯りがあるせいか息苦しく、空気はさらに澱んでいる。ところどころ土が湿っていて、土や石の他、トイレのような匂いがする場所も。
わたしの魔術……は、ここでも問題ない。タラナも確認できる。公式情報の他は誰からも何も届かないけれど。
上で感じてた露骨な視線を不思議と感じない。みんな無関心?……いや違う気がする。地上とは何かが違う。この場所は、単に暗いとか、汚いとか、それだけではない。
誰にも望まれなかった人たちが、自分たちを閉じ込めるようにして、この地下に住み着いている。陽の光が届かない場所に、物理的だけではなく、精神的に追い詰められて来たのかもしれない。それでも生活らしきものを感じる不思議。
道……というより穴が複雑に折れ曲がり、壁に無数の削られた跡がある。かつてここがドワーフたちの王国跡だったと歴史で読んだことがあるが、その歴史の重みは今目の前にある暮らしとは明らかに無関係だ。石の彫刻も、道しるべも、誰かが生きた証だったどれも、今はただ、寒々しい空間の一部になっている。
すれ違う人誰もが目を合わせてくれない。口元を覆い、足音を殺し、わたし達から隠れようとしている。どうして?それなのにふとした時、視線を感じる。彼らの中には、もしかしたら光曜社会のどこかで生きられたはずの人もいたかもしれない。けれど何かがあって、それができなくなって、ここへ落ちた。
落ちた、か。わたしは、そんな言葉を思い浮かべて、心臓が冷える。わたしはどうなのか?……ここが下なら、そこに来ているわたしは?ここが終わった人たちの場所なら、わたしは?上ではまだ足掻けるかもしれない。いつか友人達とまた笑えたり。でもここでは?
壁をくり抜いた穴から、小さな明かりが漏れている。通路のすぐそばにこんな部屋が。粗末な寝床の近くに、祈るように置かれている灯火。誰が置いたのか、わからない。
「おおい、大丈夫か。何かおセンチになってんの?」
「……」
この蛮族には、わたしが感じる不安や恐怖は全く無縁なのだろう。ある意味羨ましい。
「その……噂には聞いていた地下区街を見て、色々考えていました」
「そうか?貧民窟なんてこんなもんだろ」
思いやりに欠ける野蛮な考え。
「前線都市の郊外にもこんな場所あるぜ。もうクズの掃き溜め。密輸強盗襲撃誘拐パラダイスだ。王都には無いのか?」
「あ、ありませんよ」
「よく管理されちゃってされちゃってんだなあ。きっと王都に集まるべき連中がこっちへ送られてるに違いない」
いい加減なことを……でも、そんな一面も?王都付近でのさすらい人は大体各荘園や大農場にスカウトされると聞いたことがある。あるいは……
「ふとっちょ曰く、リムって野郎にここでの用事を依頼してるってさ」
「平和の君さまの……その、用事とは?」
「さあね。普通の用事だっつってた。嘘っぽくもなかったから追求しなかったけど」
「……」
蛮族タクロに叩かれた平和の君さまに、わたしが同行していることは知られてはならない。知られてはわたしは……終わる気がする。
「よっと。着いた。ここだな」
周いの洞穴より大きな空間に造られた石造りの建物。入り口から高い天井まで板が無造作に打ち付けられており、そこには大きな文字でギルド、と書かれていた。
「攻めたデザインしてんな」
確かに。それにしてもギルド。ギルド?ギルドってなんだろう。
―大都会 地下区外 ギルドプラザ
扉を押し中に入った瞬間、空気が変わった。重く、湿っていて、食事の匂いとは少し違う水気と油、焦げた何か、あと、塩辛い金属のような、嗅いだことのない臭い。多くの人が食事をしている。
「おっ、酒場か。光曜にもあるんだな」
お酒。身体に害悪な。酒がある場所にリムが居る?早速、一人の痩せた男が近づいてきた。
「冒険者ギルドへようこそ」
「は?」
「ここは平和の君さまが運営する大都会ノルマウンテンの冒険者ギルドです」
「なんだそりゃ。お嬢知ってる?」
「い、いえ」
聞いたことも無い。
「それでご登録ですか?」
「なんだこのヒョロガリは、泣かすぞ!」
いきなり脅し始める蛮族に戸惑う痩せた男。
「こ、この建物内で暴力は禁止ですよ!ちゃんと公的な法的根拠もあるんです」
「知るかんなこた。ここにリムってヤツがいるだろ?会わせろ」
「リム?ギルドメンバーですか?」
「知らん。山洞宮のお偉いさんのはず」
「山洞宮の?ううん、ちょっと名簿を見てみますが、そんな偉い方が来るかな?」
男は薄汚れた台帳を繰り始めた。
「あの……これは?」
「このギルドに登録している人全員を記した台帳ですよ。リム、リム、リム」
登録。冒険者と言っていたが、冒険?地下の発掘でもするのだろうか?見回すと、多くの人がこっちの様子を伺っている。蛮族タクロが騒がしいせいだが文句も言えない……え?深い緑のマント、静かで整った歩き方、ドアを開ける丁寧な仕草、あれは!
「あ、あの!」
「ん?」
「いました、見つけました!」
「おっ、どこだ?」
「今、あの部屋に入っていくのが見えました」
「そういや面識あるんだっけ、おいヒョロガリ。あの部屋行くからもういいやご苦労さん」
「え?ダメですよ、あそこはエメラルドエッジ様の部屋です」
「何それ」
何それ。
「このギルドの最高責任者、つまりギルドマスターですね」
子どもっぽい、妙な名前。大の大人が?
「お嬢知ってる?」
「い、いいえ」
「ほーん、話は早いな。行くぜ」
「あ、ちょ、ちょっと」
バン
「む……あっ」
目が合った。が、目を反らされた?不安感……ここは勇気をだそう。
「リ、リム。久しぶりです」
「お嬢様……どうしてこんな所へ」
「学園は今休みで、リムに聞きたいことがあってきました」
「エメラルドエッジ様、申し訳ありません。こちらの方々が無理やり……」
え……何て?エメラルド……エッジ……?リムが?なにそれ。
「いや、構わん。それよりしばらく誰も通すな」
「えっ!」
痩せた男の驚愕したような顔。そんなに驚くことなのだろうか。
「聞こえたのか?誰も通すな」
「は、はい!」
勢いよく出て行った。部屋にはわたしとエメラルドエッジことリムと蛮族タクロ。気まずい。蛮族タクロも無言を通り越して無表情だ。
「ああっと、ここではさっきの通り名で通っています」
「そ、そう」
気まずい表情。あまり触れない方がいいのかもしれない。
「お嬢様はお一人で?」
「大都会に入ってからは、こちらの、えっと」
蛮族タクロと紹介してもいいのかな?
「えっあっその、ノルマウンテンに住んでます。護衛で雇われたんです」
ウソを?それになんだろうこの仕草は。蛮族らしくない不思議な低姿勢。リムは彼をジロジロ見て、
「お前のような者がか?」
いつもの厳しい口調。
「へい、妙な縁がありまして」
「……」
リムが蛮族タクロに近づいて、何かを手渡す。金貨だ。
「ここまでご苦労だった。私からも報酬だ」
「おほっ!こ、こんなに?」
「ああ。ここからは私が彼女の護衛をする。お前はもうこれをもって帰れ。上でお愉しみを満喫してくればいい」
ここで蛮族タクロと別れる?よいのだろうか……確かにリムに会う目的は達したけれど、何か、気になる感覚。
「お愉しみ……承知!そ、そんじゃあお嬢様……」
腰を曲げ近づいてきた蛮族タクロ、わたしに顔を近づけて柔らかく言うが、
「あ」
ふいっ
彼は目配せした。外で大人しく待っている、ということ?だが確実に伝わった気がした。このような秘密のサイン、少し愉快だ。
「あっしはこれで……」
タクロは退出した……が、恐らくひとまず、のはず。確かに、わたしはまだ彼から聞かねばならないことがあるはず。
「ではお嬢様、なんでもお話ください」
「は、はい!ええとどこから話せばいいか」
リムは母に使える実務の側近三名の一人。公私に渡り一番厳しい人という印象だ。だからか、母がもっとも頼りにしていたように思う。
気づけばわたしは一気にまくし立てていた。母の現況が知りたいこと、宰相を解任され周囲から前と異なる対応を受けていること、辛い思いをしていること、今はリム以外に頼れる人も無くこの大都会にやってきたこと。
「それは大変でしたね。ところで私がここにいるとは誰から?」
「スリーズがあなたがここに赴任していると。この場所については……」
タクロが得た情報により、など本当のことは言えないが、
「平和の君さま、からの、伝手で……」
嘘も言えない。
「平和の君さまから……」
「そういうわけで母に関すること、何か知りませんか?」
「閣下……マリス様は相変わらず国境の町に囚われています。先の戦いでも解放交渉はされましたが、不調に終わってしまったそうです」
「勝利だったというのに、何故?」
「図に乗った蛮族側が、領土割譲や年貢金の提供など過大な要求を突きつけてきたとか。殿下や今際の君さまではどうにもできなかったと聞いています」
「蛮族」
改めて、彼らへの嫌悪感が高まっていく。
「何とか救出はできませんか?」
「すでに今際の君、学園長が救出作戦を試みましたが、上手くいかなかったそうです」
「……」
蛮族タクロ。そうだ彼を利用することはできないか。聞けば彼は母に悪い感情は無いようだし、国境の町に復権できるのなら協力してくれるのではないだろうか。
「私は母が光曜に戻ってさえくれば、また平穏な日々が続くと信じています。」
「……は」
さっきの男がその蛮族タクロだと打ち明けよう。リムならきっと秘密を守ってくれる。
「そうすれば、あなただけでなくスリーズやシトロンに苦労をかけることも無くなるのではと。そのため、あなたに相談したいことがあるのです」
「ふう」
ため息?あっ
パシッ
叩かれた!手でかばったけど、顔を狙って!
「な、何を」
「私は躾のなっていないガキが大嫌いでね」
ガキ……わたしのことか。
「キミのことだよ。レイス」
やっぱり。でも、
「な、なんで……」
「旦那様も世を去られ、もうマリス殿は光曜政府の人ではない。私とキミの間に関係を維持する理由がない。今更戻ってこられても、ね」
「あ、兄がいるではありませんか」
「確かに。しかしキミは彼を頼らなかった。兄妹なのに。つまり不仲かもしれない。であればここでキミが消えても問題はない」
消える?
「ここは光曜の輝ける光が作り出した陰、不都合を隠す闇。来てはならなかったのだ」
そんな。
「どうして……」
「平和の君がキミをここに送ったということは、そういうことなんじゃないか?考えてもみたまえ。キミのような良家の子女がなんでこんな場所へ?」
……いや、それは違う。
「リム聞いて、それは違うの」
「もう没落しているのだよキミはね」
この地下へ、わたしは蛮族の後押しと自分の意思で来ている、つもり。でも、リムの冷たい声、没落という指摘が、どんな弁明すら無意味に感じさせる。力が抜ける感覚。
「……」
でも……
リムは母の恩恵を受けていたはず。それでいて、今、その恩人の娘であるわたしを……
「わたしをどうするのですか?」
「世間知らずなガキは度し難いな、というのが答えになる」
つまり殺そうと。
さっ
リムが腰の剣に手を触れた。わたしに殺されなければならない理由などない。これは……明らかな不正義だ。許せない。リムは公人、最も不正義をしてはならない立場のはず。
ここは光曜の闇。リムを裁判で罰することは簡単ではないだろう……戦わなければ。そうでなければ、わたしは本当に惨めの底で救いが無くなる。地下で殺され死体は闇へ消える。そんなのは嫌だ!
思い出せ。霧の中で蛮族を相手に生き延びたことを!きっとここでも戦える。
ドン
気づいた時、わたしはリムに対して衝力を解き放っていた。そして私は見た。懐かしい匂いを漂わせたまま、わたしに剣を突き刺そうとしているリムの驚愕の表情を。