第119話 慈善の蛮族
「あの、母のことについてですが……」
ようやく本題に入れる。
「ああ。前線都市……光曜で言うところの国境の町の庁舎の塔最上階の応接間にいるよ。鳥に囲まれて」
鳥。母が好んで使う魔術の媒介。やっぱりこの蛮族は……でも、どこまで知っているのだろう?
「おれ自身失脚してからどうなってるかは知らん。情報も無いし、おいそれと戻れる状態でもないからな。でもまあ、彼女なら大丈夫だろ。殺されたって死なない感じだし」
これも、母の実力を知っての言葉?事実、母は光曜世界でも並ぶ者のいない魔術師。わたしもそう思う。でも……
「さっき裏の支配者になっている、と言ってましたけど」
「ん?ああ、捕虜とは言えお偉いさんだからな。今の前線都市には大したヤツいないし、光曜とも取引しなきゃならんだろうから、重宝されてんじゃないかって話さ」
あれ?違和感。今の話、どうだろう。矛盾はしてないように聞こえたけど、違和感。
「最新情報が知りたいってんなら、やっぱりそのリムってやつに会ったらいいんじゃない?光曜のお偉いさんなら何か聞いてんだろうし」
確かにそうなのだが、
「……でもそれにはおカネが」
「カネ?」
「あ」
あ!うっかり漏らしてしまった。
「す、すみません忘れてください」
「もう聞こえたよ。カネってこのカネか?」
金貨袋を目で示す蛮族。
「……」
「蛮斧の名言に『雄弁は金、沈黙は死』ってのがある。まあ話してごらんよ」
「……で、では」
わたしは山洞宮で賄賂を要求されたことを伝える、しかない。蛮族にこんなこと、自分の国の汚点を話さねばならないとは……惨めだ。まるで自分まで穢れていくよう。
「ほーん。光曜も大都会となりゃ、蛮斧世界と変わらんなあ」
反論できない。
「仕方ねえ。レイスちゃんのお母さんとは縁も恩もある。おれが立て替えてやるよ」
「えっ」
本当に?確かにあの量のおカネがあるなら、なんて事ないだろう。が、しかし、良いのだろうか。もちろん良くない。
「そんなわけにはいきません……恩?」
縁だけでなく、恩もあると、この蛮族は言った。
「そうそう、恩」
「あの、それはどのような……」
「ええっとそうだな。恩、恩、恩……」
考え込む蛮族タクロ。何を考え込んでいるのだろう。ややあって、
「そう言えば恩なんか無かったわ」
「え!」
「今となっては、いっつも振り回されてばっかりだった気がする。無理難題押し付けられて、危険な橋ばっかり全力で走らされていたイメージ」
「ど、どのようなことを?」
「大したことじゃないけど行政上の雑事というかだな」
「で、でもどうして」
「そうさね。お母さん超絶美人だったからさあ」
出た。お決まり。お決まりの嫌な言葉だ。男性たちは母を語る時、かならずその美貌を褒め称える。口に出さなくても、そういう顔をするものだ。そして娘であるわたしを見て……
「……」
胸がざわつく。この蛮族も変わりは無い。ならば……利用しても心に痛みは感じない。
「あの」
「おん?」
「本当に、立て替えていただけるのでしょうか」
「恩は無かったけど縁はあった。いいとも!」
この蛮族がわたしの前に現れたこと、これはきっとチャンスだ。チャンスを逃したら、不運になると言うことわざもある。
「あの。もし、他にわたしへ要求することがあれば」
「今んとこないけど……そうだ、レイスちゃん王都に住んでんだろ?」
「はい。学園寮住まいですが」
「リムってのに会った後、案内してくれよ。光曜世界トップの都市を見物したい」
「そんなことでよければ」
「決まりだな。じゃあ明日の朝、その山洞宮ってのに行ってみるか」
蛮族と行く。この犯罪都市ではある意味心強いかもしれない。
蛮族タクロはお会計とも言わず、金貨を食卓に置いて店を出た。わたしもそれについて行くと、給仕の方と目が合った。軽く微笑んでくれた。
「よし、山洞宮の前で集合でいいか?入ったことないけど通った記憶はあるような」
「は、はい」
「じゃあな」
「……」
大都会の夕焼けに消えていく蛮族。そういえばどこで寝泊まりしているのだろうか。わたしは……宿がない。これから探さないと。
「あの、宿泊一人です」
「もういっぱいですね」
「……そうですか」
「あの、宿泊一人、空いてませんか?」
「こんな時間から?無いよ」
「……あ」
「あの宿泊一人……」
「相部屋で良ければ」
「……」
どうしよう。まともそうな宿の個室はどこも空いていない。見知らぬ町で独り。惨めだ。惨めすぎる。
「げへ、げへへへへ」
しかも誰か笑いながら近づいてきた。汚らしい身なり。また性暴行狙い?いや、蛮族タクロの例もある、決めつけは良くない。
「お嬢ちゃん……」
「何か?」
「泊まるところ探してるんだろ?うちにおいでえ」
「……」
どう見ても宿を経営している風ではないし、そうだとしても酷い宿の予感。
「いえ、結構です」
「まあそういうなよ。見るだけでもさ」
手を伸ばしてくる気配。衝力。
ドン
「うぐ!は、腹がうぐぐぐぐ……」
そうだ、この大都会にも王都と同じように公園があるはず。そこへ行ってとりあえず落ち着いて考えよう。
―公園
これが公園?という程に荒れている。……八環境区画緑地と読めそうな看板の上にゴミが山になっているし、奥から人の気配や、視線、を感じる。こんな場所では考えをまとめることもできない。しかも、入り口を除いて灯火は無い。あの人たちは奥で何をしているのだろう。
完全に陽が落ちた夜の大都会を独りそぞろ歩く。高層建築からの灯に照らされた道を進むと、この都市の酷い状態ばかりが目に入る。うわごとを言い続けている人。言い争う声に、体を打つ音。女性の裸のポスターがずらりと並んだ最低な壁。辛い……もしもあの憲兵長官殿がこの大都会に来たら、全て破壊しつくしてしまうかも……そんな道の先に、山洞宮が見えてきた。
―山洞宮
すでに門は閉ざされ、誰もいない。宿無しのわたし。一応は政府機関の建物、ここでで夜明けと蛮族タクロの到着を待つとしよう。
門を支える石の台座に座る。寒さを凌ぐため、衝力展開で暖をとる。寒くはない……お尻以外は。思えばほんの数ヶ月前までは幸福だった。学園で友人に囲まれ、先生たちからは大切にされ、食後のデザート、寝る前の暖かなお茶とおしゃべり、ふかふかの布団。
母が捕らわれた後もみんな心配をしてくれた。だが宰相職を解任されてからは……友人は私に近づかず、タラナも音沙汰なしに。学園長以外の先生はよそよそしくなり、わたしは部屋でひとりぼっちになった。母の部下たちとも会わなくなった。
母の地位の庇護の下、生きていたことを思い知らされ、わたしはこの不浄な都市に来た。それを思えばお尻に冷たいこの石は、わたしを勘違いから現実へと戻すもの……戒めなのかも。
そう、いましめは縛めで警めであり誡め。自分一人で生きていけるよう、胸に刻まないと……。
……
道を人が歩いている。朝?
「朝だ」
気がつけば朝。あまり眠れなかったが、体調は大丈夫。すでに門も開いているけれど、わたしに話しかけた人はいたのだろうか?それとも、風景に溶け込んで、誰の目にも留まらなかったのかもしれない。
「……」
そう言えば、蛮族タクロと時間の約束をしなかった。しばらくかかるかもしれない。
それにしても朝だというのに、清々しさがどこにもない。王都ならば朝露の香りや、通学する子供の声、整った制服、店の開く音が静かに世界を満たしていく時間なのに、ここまで違うと……戸惑う。
建物の隙間から吹き出すのは煙草の煙。昨夜から起き続けていたのか、路地の片隅には顔を伏せたまま動かない人。寝ているのか、倒れているのか、それとも……近づく気にはなれない。
高層建築の間を抜ける陽に立ち昇った埃が浮んで見える。まさに汚染そのもの。その中で、ぼそぼそと交わされる取引の声。誰もが何かを売り、何かを買っている……目も合わせず。紙袋、瓶、布袋、箱、煙、におい……何が合法違法かなんて、誰も気にしないのかも。
大通りの向こう、光の届かない側から、子供の群れを割るように、奇抜な服装をした女性たちが笑いながら歩いている。すれ違う男たちは手を叩いて笑っていたけれど、目はまったく笑っていなかった。
彼らはわたしを遠慮なく見て、歩み去る。嫌な気分だ。それでも山洞宮の前では、昨日のように話しかけてくる人は無し……ここが秩序の側に属していることを期待したい。
「よお」
「!」
いきなり、横から声をかけられた!気が付かなかった。
「おはようレイスちゃん」
「あ……」
蛮族タクロ。思ったよりも早かった。陽の光のせいか、昨日より顔色良く見える。
「こんだけありゃいいだろうってカネ持ってきたぜえ」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「じゃ、早速行くか」
「あの……」
「おう」
「昨日の、雄弁は金、沈黙は死って、どんな意味なのですか?」
「そのまんまだよ!命乞いすれば生き残っていつか値千金、だんまりキメこんでりゃたたき殺されるってね!ワワワ!」
「あ、あはは……」
今日の野蛮も変わらず恐ろし気。だが、この男を利用して、わたしは障壁は越えてみせる。
―山洞宮 エントランス受付
「おい、リムって奴いんだろ?会わせろ」
いきなり!でも、受付の人は蛮族を怖がる様子が無い。昨日と同じ、気だるげなまま。
「不在です。アポ
ドチャっ
イント」
重そうな袋。金貨の。き、金貨の袋……ついにわたしは蛮斧人と決定的な関わりを持ってしまった?
「……」
「女、リムに会わせりゃ報酬もやる」
「後ろの娘に今日は予定がいっぱいだと伝えたはずだよ」
なのにわたしに視線を向けない。
「アンタがカネ要求したんだろ?お望みのもん持ってきてやったんだぜ?」
「チッ」
また舌打ち!
「おい女、いいから取り次げ」
彼女は袋に手を伸ばし重さを確認している。そして手放すと、
「明日の朝一で、また来てください」
ドン
蛮族が怒った!?金貨袋で机を叩いている。
ドン、ドン、ドン、ドン
ドン、ドン、ドン、ドン
何度も、何度も。
「おれは、気が、短いんだ。礼儀は、後ろの、お嬢が、示した。おれは、カネ、を、示した」
音毎に区切って強調している。その間、蛮族タクロは彼女から視線を外さない。そして唐突
「だが無意味な引き延ばしをするなら、お前を殺す」
かつ流暢に。殺すってそんな……でも相手も負けていない。
「この町のクズらしいセリフだ」
「そうかい?おおっと!」
「ぐっ!」
蛮族タクロが受付女性の首を掴み、勢い良く持ち上げた。なんて力。止めないと!
「ちょ、ちょっと!」
わたしが服を引っ張り止めても、止まらない。
「宣言してやる。おれはできることしか言わん。嘘は嫌いだ。時間の無駄だからだ。殺すと言えば殺す。このごみ溜めの町で表に死体が一体転がろうと気に留めるヤツはいねえだろ?さあ、次はないぞ。リムに取り次げ。できなければ殺す。無礼への報酬としてな。あるいはお前の死体を担いで奥に行けば、誰かリムって野郎の場所を教えてくれるかもだ」
「やめてください!」
「お嬢、もうちっと絞ってみたいんだが?」
「お、お願いです。やめてください……」
「うーむそうか?仕方ねえなあ」
パッ
ドサッ
解放した受付女性の頭上で、袋を逆さにする蛮族タクロ。
ジャンジャラジャジャラ
「くれてやるよ、女。代わりに奥進ませてもらうぜ。お偉いさんが居んだろココ?」
「だ、ダメですよ!」
「なんで」
「こ、ここは平和の君さまの行政府なんです!」
「そいつ誰?」
「国王陛下の弟君で、この都市で一番偉い方です」
「こんなゴミ捨て場の?よっぽど無能か嫌われているかのどっちかかな。まあ、お偉いさんならヒマ人に違いない。行ってみようぜ」
「お、お願いダメ。また別の機会に」
「おいおいあのな、こういうのはタイミングとチャンスが全てなんだぜ?戦争っぽく言えばこれは奇襲、相手が思考停止している時こそ、正直な話が聞けるってもんだ」
「お兄ちゃん、その娘には王都での立場がある。だから遠慮してくれと言ってるんじゃ?」
息の乱れを感じさせず、受付女性が的確に指摘。そう、その通り。わたしは下手に目立ちたくないのだ。
「ふうん、ま、後生大事に帰るか、それとも一線を越えるかはお嬢ちゃんが選びなよ。おれはどっちでもいいし」
そ、そんなことを言われても、どうしたら?すぐに動けるはずも……体が。
「そうか、ならおれは行ってくるぜ!」
「えっ!」
堂々と奥へ行ってしまった。さっさと。わたしは……怖くて動けなかったのに。
「お嬢ちゃん」
「……」
「おいガキ」
「えっ、わたし?」
「あの野蛮人がバラ撒いたこのカネ、あんたが片付けな」
「え!」
「じゃなきゃあんたにもあいつと同じ責任を負ってもらう。首を締め上げられて、ああ痛かった」
そんなばかな。
「あたしは被害者だからね、そうなるように証言するよ」
また脅されている。目が回る。それでも……わたしは恥の思いと申し訳なさから、言われるままに片付けるしかなかった……膝を屈し、金貨を集めていく。
一枚、二枚、三枚……
七枚、八枚、九枚……
惨めだ。
あ、受付女性の靴の下に金貨の光が。
「あの」
「なに」
「足をその……ずらして」
「なんで」
「……足の下に金貨が」
「え。どれ……あ、本当だ。はい」
足がよけられた。彼女に踏みつけられていた金貨を素手で拾う。
「……」
なんて、なんて惨めなの。
二十一枚、二十二枚、二十三枚……
わたしがそうしている間、彼女は何も言わずに事務仕事のようなことをしているだけ。
二十三枚、二十四枚、二十六枚……
お前は無力で惨めだと指摘されているような雰囲気。そんなこと、嫌なほどワカっているのに。
ようやくおカネを回収……手を洗おう。入り口の手洗い場は……水が流れていない。
「あの、手洗い場は」
「そこ」
「水が流れていません」
「あ、そうだ修理中だった」
「……」
指先に衝力を動かして気分だけ洗うしかない。これが大都会の役所なのかという思いに、そんな場所にいるしかない今の自分を思い、また涙が溢れそうになる……耐えろ、わたし。
それからしばらくして、わたしは見た。笑顔で、満足気に戻ってくる蛮族タクロの晴れやかな表情を。