第108話 嗤う蛮族
タラナに報告を上げたあと、考えこんでしまう。タクロと取引をした結果、想定通りに大農場は防衛できたこと。あの者の戦闘能力のこと。そしてその性質のこと。
今回、大農場は多方面からの侵略には弱い、という問題を深蛮斧人によって晒され、私は責任者として防衛力向上対策を殿下に求めなければならない。が、結果は見えている。権力闘争が進行している今、一時的にとはいえ大農場のために割ける集団があるとすれば、憲兵隊しかなく、そのリーダーは憲兵長官その人なのだ。
一方で、ここに一切の農場労働を行わないタクロという者がいて、この武辺者を中心に班を組織して防衛を一任する、という手段を選択することもできる。恐らく最も安全で、合理的だ。
だが大農場はどうなる?自衛の能力を持つことで、農業生産に特化したこの施設の能力が低下するし、寄る辺無き人々を労働で保護し教化するという存在意義を変質させてしまう。防衛力と言い換えてもそれは武力、参加者の性格を猛々しく変えてしまうだろう。問題はそれをどこまで許容できるか、だ。
私は悩んだ末に二つの方針を殿下に提示した。憲兵長官か元独裁者か。どのような判断が返ってくるだろうか?
「……」
思えば、光曜の魔術士たちはみなタラナに通じている。この大農場の職員も利用しているのだ。では、少しでも心象を良くする為、タクロに労働現場への関わりを勧めてみよう。
「さあ労働をしてみよう。何も悪いことはない。自分の食事の材料を自分で育てるだけだ。体の鍛錬にもなる」
「ええっ、嫌だよそんなん」
「私も一緒に作業をしよう」
「マジで?」
「ああ」
「そんなら追加の要望がある。その厚着を薄着に変えてくれ」
「何のために?」
「もちろん目の保養のためだよ!」
「ダメだ」
「ならいいや」
ダメだった。いや、諦めまい。
「勤労者には特別な福利厚生が用意されている」
「何それ。もしかしてここから出られる権利?」
「試用期間を無難に過ごした一般労働者はみな自由だ」
「女?」
「同意してくれる相手がいればそれも自由だ」
「じゃあ酒だ」
「……光曜では公に飲酒することは認められていないからここにも無い。そもそもあんなもの体を害するだけだ。そうではない。より専門的な産業学習をする時間と補助金が与えられる」
「な、なんすかそれ」
「先進的な農業研究、畜産技術、あとは労働法制に関する実務経験や管理運営実務などかな。魔術素養があればまた異なるカリキュラムが」
「ペッ!」
「貴様!」
くっ、忍耐だ。蛮斧人だってニンゲンなのだ。粘り強く……
「タクロ、どのような福利厚生を希望しているか言ってみろ。内容次第では検討するから」
「ちょっとちょっと!そんなことより噂の大都会へ行けば、おれの望むものは全て手に入るって聞いたぜ」
「……誰からだ」
「ここの職員だよ。男の」
「愚か者どもが」
「なあなあ、ここからそんなに遠くないんだろ?伝説の快楽の都に行ってみたいんだが、案内してくれよ」
「身を持ち崩すだけだ。やめておけ」
「光曜は自由なんだろ?自由を認めろ!自由!自由!」
「無山……いや大都会は光曜世界でも扱いが議論されている場所であってだな……」
「惨めな蛮族に自由を!哀れみを!」
「ここから出れば、命を狙われるぞ」
「ここにいたってもう二回も狙われたんだけど」
「いいか?あそこは必要悪のような場所で退廃と諦念の巣なのだだ。お前には似合うまい」
「いやワカらんぞ。酒飲んで女抱いてゴロゴロできるんなら多分あっという間に染まる。むしろ自信がある!」
「元居た場所に戻りたいんじゃあないのか?」
「だから遠いあの日に見た夢だったと思うようにするって」
「あからさまな嘘を吐くな。貴様の目は死んでいないではないか。蛮斧世界に未練があるのだろう。私はそれを否定しないが、それならばその道を自ら投げ打ってはいかん。お前はくだらない一時的な悦楽の為に戦ってきたのか?度胸、人望、能力と他者より優れているものがあるのなら無駄遣いをするな」
「こ、光曜の自由はどうした」
「教えてやる、自由とは好き勝手に振る舞うことではない。自由な行動には責任が伴うのだ。この原則は世界を問わず、それを忘れた者はみな没落していく」
「あ、てめえ今のおれのこと言ってんのけ?」
「そうかもしれんな。だが独裁者から転がり落ちたことではない。自ら社会で生きる気概を捨てようとしていることがだ。酒、女、ゴロゴロだと?舐めるな!獣たちだって生き延びるのは家族や仲間のために命懸けで狩りをするためだ。それが獣なりの責任の果たし方だからだ。今の貴様の態度はそれ以下ではないか。悦楽に目が眩み、国境の町の住民を捨て、元部下を捨て、帰りを待つ者も捨て、誇りまで捨てようとしているではないか?情けない!いいかね、自分が世界の中心でなかった事に気が付いた時どうするか?それに耐えられず、是が非でも自分が中心であろうとする者が最も気高いのだ。中心であることを諦めつつ、観察者に移行することで安定を背後に中心と関わろうとする者についても、非難はできん。だが、絶望して世を捨て堕落する者だけは弁護不能だ!堕落とは、自分で決めた道の先には無く、誰かが仕掛けた罠、戦略と知れ!」
「ちょ、ちょ、ワカったワカった、ワカりましたよ。大都市には行かない、行きません」
「……」
「きょ、興味深いけど、忘れておくよ」
―西部管理棟 事務所
「所長、先程はあの蛮族をかなり詰めていましたね。あの者、所長の気迫に押されて尻もちついてたじゃないですか。笑える」
「詰めたんじゃない。無山に行きたいというから説得したまでだ」
「あ、ああなるほど」
あのような魔窟が大農場の隣にあること自体が、私は許せない。ロリーの標的が今際の君よりも、平和の君であった方が望ましいくらいだ。
「ですが、この大農場の住民の中にも、大都会へ通っている者もいます」
「職員にもいるのではないか」
「噂は聞きますが……止める訳にも行かず」
「蛮斧人の教化もさることながら、快楽中毒者の浄化も必要かもしれん」
タクロ説得失敗から数日後、あの者の存在がもたらしたかもしれない我らの側に対する変化に気がついた。深蛮斧人を鎮圧した功績からタクロを認める者たちと、その扱う暴力を一層危険視する者たちがそれぞれ現れ始めた。
進んでタクロに話しかける職員は管理棟では少数の男性達が多い印象だ。今の光曜社会では失われつつある生来男性が持つ暴力への憧れが、彼らにタクロへの接近を思わせているのかもしれない。そして、そんな彼らを訝しげに睨む者は決まって女性である。
女性職員たちからの注進がタラナに飛んでくる。
「何故、あのような暴力の権化がこの大農場にて教化も受けずに思いのままに過ごしているのか」
「男同士で秘密の話をしていて、不快だ。特にこちらを一瞥してからのそれが嫌だ」
「深蛮斧人から施設を守ったことは認める。認めるから退去してもらいたい」
タクロが労働教化を受けていないのは、彼自身の拒絶よりも、女宰相マリスの情報を引き出すことを優先する殿下の指令があるからだ。この場合、私の「惹起」は……使い難い。そもそもこの魔術を目的外で使用するのは気が進まない。
女性たちが言うような労働教化の強制は、私の道義に悖る。似たような要望が並ぶ中、私は不穏な報告を見つけてしまう。
「あの蛮族の元長は、深蛮斧人たちと何か話し合っている」
「事実か」
「は、はい」
「いつだ」
「顔を合わせている時はいつでも。多分、所長もタイミングが合えば確認できます」
「見に行くぞ」
報告者を伴って果樹園エリアに向かう。労働教化中の深蛮斧人のこの日の作業科目だからだが、確かにタクロがいて、色落ちした深い蛮斧人となにやら笑い合っていた。
「あんな感じです」
「秘密を企んでいる感じではない。あけっぴろげだ」
「確かにそうなんですが……あれ、意思疎通できてるでしょう?」
「先日、お前は深蛮斧人の鎮圧に際してタクロと行動を共にしていた。その時の様子は?」
「言葉は理解して居なかったように見えましたが、身振り手振りで小さな意思疎通はできていたように感じました。それが発展したのかも」
「まだあれから数日。それなのに話し合っていると?」
「そ、そのように聞こえました。今も」
「今はともかく、その時はどんな話だったか」
「それは、ワカりませんが……多分下ネタトークではないかと」
「具体的には?」
「お、恐らく女性の体に関する話題です」
「それで盛り上がるのは時にお前たちも同じくでは?」
「そ、そういう一面も無くはありませんが、程度によるのかも。例えば大都会に通っている者たちはより過激ですが、それに近いものを感じました」
「お前はここに勤めて三年くらいか」
「は、はい」
「以前は確か、東境の荘園で働いていたと聞いている」
「はい。クビになりましたが」
「なぜクビになった?」
「仲間と上手く仕事ができなかったからだと思います。ノリについていけなくて浮いてたし、あとプレッシャーや強い同調圧力を躱してもいたので」
「お前はここでは問題なくやっていると思うが?」
「ありがとうございます。きっと、そういうのがないからでしょう」
「タクロは、東境の連中に似た空気を持っているか?」
「はい、蛮斧人は東境から遠くないし……」
「お前がタクロを遠ざけたいから、そう見えた可能性は?」
「……否定はできません。ただ、彼らとの意思疎通は我々には困難です。それでのご報告でして」
「つまり監視の強化が必要だと」
「所長の判断なさることですが、そもそも彼は厳重警戒対象者と伺っています」
「……」
仮に、タクロが深蛮斧人と暴動を企てたらどうなるか。この大農場の占拠ないし光曜世界への逃散の危険もある。
深蛮斧人と会話をしていただけでタクロを罰するのはアンフェアだ。だが、その恐れも否定できない。どうするべきか。
翌日朝、憲兵隊が大農場へやってくることが王府より通知された。
「というわけで国境はより安全になるだろう」
「これで一安心ですが、憲兵長官殿か……」
「何か言われたら全て私に振れ。対応する」
「あ,ありがとうございます」
職員たちは過激で苛烈な憲兵長官を歓迎していない。特に男性職員はそうで、
「所長、しばらく有給休暇をいただきたいのですが……」
「あ、所長。私もお休みをいただきます」
「私も!」
「……」
有給休暇は彼らの権利だから、認めないわけにもいかない。よって後回しにできる業務の一時停止、必須業務への振り分けと忙しくなる。これにまた女性職員が憤慨を強めるが、
「所長、私たちは目の前の責任から逃げません」
「これはチャンスです。たくさん仕事をして出世すればいい」
「ちゃんと評価してくださいね、所長」
と逆に士気を高める。苦しい時に頼れる者を評価したくなるのは人情だが、私はそこに溺れない。溺れまい。結束が高まれば楽観的にもなり、
「憲兵長官だって、話せばワカる人かもしれないしね」
「……」
その見通しは甘かろう、とも言えない苦しさがある。何と言おうか悩んでいたその時、飛び込んできた女性職員、
「大変です、所長!立て篭もりです!」
「何が起こった!」
「蛮族タクロが女性職員を人質に果樹園倉庫に立て籠りました!」
瞬時には、報告の意味がまるで理解できなかった私だった。