第101話 厳重警戒対象者の蛮族
―光曜国 大農場C110 教化棟
「お前が、あの蛮族タクロか。なるほど、直に見てみると、凶悪な人相をしている。戦場にて、我が国の陣に侵入し、あまつさえ殿下に対して刃を向け奉ったとか。大した度胸、蛮族とは言え誰にでもできることではない。蛮斧世界でも、国境の町を乗っ取って前任者を暴行追放の挙句軍司令官を僭称したり、正式な軍司令官率いる群勢を撃破したり、女性に過酷な処置を突き付けたりとさんざん騒ぎを起こしていたと聞いている。大した悪人ではないか。私が何を言いたいかというと、つまりお前がこれまでどのような人生を送ってきたかにせよ、この溢れんばかりの美徳満ちた世界の誉れたる光曜国においては、お前はただの厳重警戒対象者、一人のニンゲンに過ぎんということ。ここまではいいかな?……知っての通り、文明の光耀く我らが国では死刑が存在しない。もっと言えば過酷な身体刑や拷問を科す法も施設もなければお前のような悪人を収容し刑務を課す牢獄も無い。つまりこの国では、他者から与えられる死からは程遠い位置で輝き続けることができる、それが我が光曜なのだ。無論、物事には例外というものが避けられず、唯一のそれが戦争と言える。血が流れなければそれでよいが、現実そうならぬものが戦争だからな。だから戦いの場で多くの犯罪的行為を為したお前について、捕虜にした時点で多くの将兵が軍法会議による処刑を主張したという。当然、光曜境の町を廃墟にした悪名も加わった。だが殿下は、いとも尊き光曜国の次期国王たる御方は光曜の誇りとする精神啓蒙の可能性を信じ、お前を生かす決定を下されたのだ。お前のような悪が戦場で果てるのは宿命と言ってもよいのに、同じニンゲン故、善き道を歩む好機を下賜されたのだな。では、それはいかなる手段によって果たされるか?それは文明を照らす美徳たる精勤、勤労、献身しかない。蛮族タクロ、お前はこれから光曜が誇るこの大農場C110にて日々を過ごすことになる。我が国から飢えと失業を消し去った、まさしく啓蒙啓発の象徴だ。河の南で貧困と暴力を伴侶に蠢動するお前たちの昏く野蛮な眼瞳眸が、我らの限りなき気高さによって遍く啓かれることを期待するとしよう。お前も蛮斧世界で生きたから悪に染まらざるを得なかったが、光曜世界では良き人として生まれ変わった、との評価とともに日々穏やかに過ごせるよう、努めるのだ」
「なあ」
「……」
「なあなあ」
「ここでは質問を許していない」
「でも光曜の誇りとやらがあるんだろ?」
「今の昏き貴様に我らのそれがワカるとでも?」
「この部屋にはおれとアンタしかいない。拷問しないってのは本当なんだろうし」
「なんだ。そんなことを心配してるのか?さっきも言ったが我が国は
「捕虜拷問も死刑も無い」
……そうだ」
「お慈悲」
「?何を言って……」
「お慈悲を!」
「なんの話……」
ブッ
「うっ、貴様」
「寛容に許すこと」
「……」
「そして正義。すなわち公平であること。どうだ?」
「何がだ」
「つまりだ。おれ様が屁をブッ放したからと言って、罰が与えられることはない。それがアンタらの誇りだ」
「多少の弁は立つようだが、どこで教わった?」
「蛮斧にも教師どもはいるんだ。つまり慈悲も寛容も正義も、何もお前らの専売じゃねえ……蛮斧世界じゃ価値は低いけどな」
「お前、戦争以外で光曜世界は初めてか?」
「さあね」
「ふむ、なるほど。まあ専売でないにせよ、お前が知らないことは、我らのそれが突き抜けて高みに達しているということだ」
「自分で言ってちゃ世話ねえな」
「今日からお前はそれを身を持って知ることになる。ここはそういう場所なのだ」
「ところでアンタだれ?」
「さてな。まあこれから元気でやるように。困りごとがあったら周囲に聞け」
広大な土地に緻密な農場果樹園牧場。輝ける大農場は王府指導の下、今日も豊かな作物を生産している。その収穫量は実に見事なもので、光曜の食料自給が充実している前面の理想として君臨していると言える。私の役目は王国の胃袋を満たすため、運営上の諸課題を日々解決し、大農場を円滑に回し続けることだ。
この大農場の主な課題は労働力にある。あまりに広大な土地はあっても働き手は無限では無いし、王都に近づくほど住民たちはこういった産業への就労を好まない。設立来、荘園の住民を招き続けてきたがそれにも限界がある。
先般、殿下の軍が蛮斧との国境を越えて蛮族と戦い、勝利した。被害もあったが、その多くは荘園領主の軍勢だった。力を失った領主層に対して殿下が法の運用によりとどめの一撃を加えた後、荘園の多くは破綻する。行き場を無くしたその領民達は、この大農場が引き受けることになる。生産力はさらに安定し、社会の表面に荒立つ波も落ち着く。その招来を待つ間、野蛮な蛮斧人を農業生産に用いることにも価値があろう……というわけで今日は西部耕作エリアに来ている。
―大農場C110 西部耕作エリア
「お疲れ様です所長」
「順調そうでなによりだ。蛮斧人労働者の様子を直接見に来たよ」
案内された先では、せっせと労働に勤しむ屈強な者たちの姿があった。
「教化は……三ヶ月経過か」
経過は良好に見える。彼らは本境領域で発生した濃霧に迷っていたところを拘束……というより保護され、この農場に連れてこられた蛮斧人たちだ。戦争だけではなく、遭難の恐怖と死への怯えに晒されて狂乱状態であったが、その恐ろしげな顔付きも確実に和らいできている。これも労働教化の賜物だろう。ふと、彼らの作業着の裾や襟元から蛮斧人特有の刺青が覗けた。
「所長、あの刺青を消去させますか?」
悪魔のような絵、処刑場面、武具等多様な悪趣味大全開だ。中にはあられもない姿の裸婦のようなものもある。目の毒には違いないが……
「いや、真面目に仕事をしているのならばいい」
「他の労働者に悪影響があるやも……」
「何かトラブルが確認されたか?」
「そういう訳ではありませんが、見た目があれだと先々心配です」
確かに何かあってからでは遅いと言える。だが、
「あの刺青は彼らの過去の蓄積だ。過去への反省があって今の勤労がある。彼ら自身が刺青との決別を望んだ時、叶えてやればいい」
「承知しました」
「いずれにせよ経過は順調だな。殿下に良い報告ができるし、これなら新たな蛮斧人の受け入れも、大農場に資するだろう」
「あ……例の?」
「そう、例の」
「今回、ただ一人捕虜として残ったとか」
「蛮族人中の蛮斧人だが心配無用だ。すでに面接した」
「お、襲われませんでしたか!」
「ああ、会話も成立した」
「それ、当たり前では……」
「そこの連中とは当初会話すら成り立たなかったのだ。それを思えば……頭の出来はマシと言える。まあ腐っても指導者だったということか」
「将来的には、その者以外の蛮斧人の入場計画があるとか」
「そうだ。そういった連中の教化の検討のため、蛮族タクロは最優先して入場させるべしと殿下直々の御下命だからな。上手くいけば、蛮斧人の教化も我らの任務となる」
「はい!」
彼ら蛮斧人とてニンゲンであるから、我が国への同化は再教育次第であるはず。良き社会構築のためにも励まねば。
そこに職員の一人が険しい顔でやってきた。
「所長、その……け、憲兵長官殿が見えられました」
「憲兵長官?予定には無かったはずだが……」
「それが急にということで……」
「いきなりだな。まあいつものことか」
「あの……お気をつけ下さい」
「まあそうだな」
―大農場C110 西部管理棟
いた。無造作にしている長い髪、しっかりした体格、地位にそぐわぬ普段着、そして力強い目つき。全く、面倒事はさっさと片づけるに限る。
「やあアンジー」
「憲兵長官殿。暇なのか?」
「いつも名前で呼べと言っているはずだが」
「ではアンドレア、王都にいなくてもいいのか?」
「何故?」
「大きな戦いの後だ。殿下から、荘園領主に対する施策の指示があってもよさそうなものだからだ」
「もちろん全ての準備を整えた上での話だ。例の男……厳重警戒対象者を見にきた」
見に。それだけのため?違うな。
「殺すつもりだろう?」
彼女は力強い目つきそのままに堂々と口を開き、
「それを決めるためにも、見に来た」
「いいや、殺すつもりだろう」
「何故?」
「一度、始末に失敗した相手だからだ。が、殿下はそう思っていないのでは?」
「下卑たる男など生かしておく価値はない。まして蛮斧人、戦士、独裁者だった男。許されざる筆頭に属する」
相変わらず極端なことだ。ついていけん。
「まあやれるものならやるといい」
「いいのか?」
「私が見張っていることを忘れるなよ」
「いいとも、では遠慮なく」
ボン!
「むっ!」
背後の壁が崩れ、風が奔った。確かあの辺りには啓蒙ポスターが貼ってあって……そうだ、女性のイラストが描かれていた。それを狙ったな。そして憲兵長官の姿は消えており、
「……」
足音が聞こえる方角。彼女には言わないがあの体型で素早く動けるはずもない。相変わらずの強引さに辟易しながら、蛮族タクロが収容されている棟へ足を向け、ゆっくり歩く。
―教化棟
厳重警戒対象者の独房の隣の部屋に入り、そこから入房者の様子を見る。片面鏡壁になっており、独房側からこちらは見えないが、私側からは見える。蛮族タクロは椅子に寄りかかり、二脚立ちを繰り返して何やら考えている様子。憲兵長官がどのようにタクロを襲撃するか、想像してみよう。
ひと月ほど前、彼女が国境の町を襲撃したのと同じ手段ではやれないだろう。直接、光曜人を殺せば彼女だって処罰は免れないのだから。では彼女得意の分野【爆破】によって、独房のドアを吹き飛ばすか?この独房には窓も格子もなく、女性の絵もなく、ドアのみが外とつながっている。となると誰かを使わねばならないが……まさかウチの労働者を?
ドンドンドン!
誰かが独房のドアを叩いている。嫌な予感がする。だが今、廊下に出ての確認はできない。憲兵長官の罠ならおそらく間に合わないし、タイミングを外しての巻き添えの恐れもある。
予感は当たった。かなりの爆発。独房のドアが吹き飛びタクロの方へ吹き飛んでいった。潰された椅子はひしゃげていたが、すでに蛮族タクロは立ち上がり入り口を見据えていた。その通り、必ず追撃がある。
ドスドスドス!
走る重い足音。勢いから全速力だ。廊下を曲がり姿を現すのは……蛮斧人労働者だ。虚ろな顔、肥満体、胸に裸婦の刺青がある。間違いなく爆変させられている。この距離だと私も危なく、咄嗟に伏せる。
瞬間、瞼に強い光。耳への衝撃音。ガラスの破片が降り注いでくる感触。二人目が爆発したのだ。さすがにタクロも無事ではすむまい。だが憲兵長官のこと、生死に関わらず三発目があるに違いない。
顔を上げると片面鏡壁は崩れ落ちていた。独房には……蛮族タクロの姿が見えない。吹き飛ばされた様子も無い。どこに隠れている?立ち上がり、そのまま独房内に入る。
タッタッタッ
三発目が来ている。軽快な足音、すぐ到着する。タクロの姿は見えないが、これ以上私が責任を負う施設で好き勝手はさせない。衝力を展開。
直後、蛮斧人労働者が現れ、部屋に立ち入った。やはり刺青だらけであり、どこかに女性の図柄が刻まれているのだろう。
「……」
三人目は爆発させない。虚ろな顔で立ち尽くすのみ。ややあって、
「アンジー」
憲兵長官がやってきた。額に青筋が浮き出ている。
「私の邪魔をするのか」
「ここは私の管轄施設。勝手は許さないし、私が見張っている以上、誰も殺せない」
「解け、アンジー!」
「できん相談だ」
睨み合いになるが、私がここに立つ以上、攻撃一本独鈷のアンドレアにできることはない。背後で何かが動く気配がした。そして最初の爆発で吹き飛んだ扉の下から声。
「全く、光曜は危険なトコなんだな」
「蛮族タクロ」
「ふぅ」
やはり生きていたか。飛んできた扉を盾に爆発をしのぐとは、機転が利く。憲兵長官はタクロを見据えると同時に、私にどけと目でも言うが、聞けぬ話なのだ。
「ここからは百日手だぞ?」
「……ちっ」
彼女が舌打ちをした後、三人目の体から衝力が霧散するのを感じる。彼女の魔術が解除された。そしてタクロに蔑視線を向け、
「大農場に来れてよかったな。これが他の場所だったなら、既にお前は死んでいたのだ……この私によってな」
捨て台詞とともに去っていった。
「なんだあのデブ」
ムッ、私も彼女と仲が良いわけではないが、蛮族の放言には腹が立つ。
「人の体型をあれこれ言ってはいかん」
「いや、どう考えてもヤバいブタだろ、あのデブ女」
「何度も言わせるな」
「あんなデブ、蛮斧にもいたぜ……ダイエットに成功して痩せちまったがな」
ほう。
「どのようなダイエットを?」
「全身負傷による入院と粗食、いや絶食かな?」
話にならん話だった。
「なあ、アンジー」
コイツ。なんて無礼で馴れ馴れしい。やはり蛮族だ。
「あのブタ女が言ってたから。んな、やっぱり蛮族だ、なんて顔されてもなあ」
「……」
「なあなあ、なんであの女がおれを殺そうとしたのか、教えてくれよ」
「知らんな」
「おい、正義はどこ行った?」
「正義の形は人それぞれと言う」
「それがアンタの本音かい?」
「本音というより理想だな」
「……まあ何はともあれ、感謝するよ命拾いした。ありがとなアンジー」
これは驚いた。礼節を知っているとはな。というよりこの混乱の中、私が結果的に命を救ってやったことに気が付いたと?
「もう一回言っとく。アンジー、ありがとなアンジー」
この者には得体の知れないところがある。名前を連呼されるのも気持ちが悪い。ここは下手な回答はせず、私もこの場を立ち去るとしよう。