八話
左山から情報を探るなら空き教室に呼び出して話を聞き出すのが一番良い。
他の生徒に聞かれる心配もない為、ゆっくり話が出来る。
しかし、左山が単純な呼び出しで空き教室にやってくるとは思えない。
ということで、桜火は直接左山に話しかけることにした。
ただ、やはり周りに聞かれるわけにはいかない。
左山が人気のないところを通った瞬間に声をかけよう。
そんなことを考えつつちらちらと左山の様子を伺う。
「はーいじゃあ皆気をつけて帰るように」
担任の声を皮切りに皆ガタガタと椅子を引いて立ち上がり、身支度を始める。
「……」
左山はそんなクラスメイト達の誰よりも早く、教室を出た。
廊下に出て、階段を降り、下駄箱で靴を履き替え、正門を抜ける。
桜火もまた一定の距離を保ち、その後を尾ける。
この方向、どうやら駅に向かっているらしい。
――自転車じゃなくて良かった……
電車ならこうして尾けていても巻かれずに済む。
住宅地を抜け、大通りに出た左山はそのまま寄り道をする事なく、真っ直ぐ駅に向かって歩いていく。
急いでいるわけではなさそうだが、その足取りに微塵の揺らぎもない。
同じクラスになって数週間。
左山が教室で誰かといる所を見たことがない。
いつも一人で、まるで周りを寄せ付けないオーラを放っている。
桜火は普段の左山を知らないが、おそらくいつもこうして帰っているのだろう。
ホームールームが終わると同時、誰よりも早く。
友達がいないのなら、放課後の教室でダラダラと駄弁ることもないのだ。
そして桜火にとってもそれは同じ。
依頼がなければさっさと家に帰り、学校に残るようなことはない。
帰り際の廊下で教室に残り、教師に注意をされる連中の姿を見て何度無駄なことをしているなと思ったことか。
きっと左山も桜火と似たようなことを考えているのではないか。
左山の後ろ姿を見ていると、不思議とそう思ってしまう。
それにしても。
――なんかストーカーみたいで嫌だな……
この女子の後ろ姿を追いかけているこの状況、
考えなしに後を尾けてきたがこれ、周りからはどう見られているのだろうか。
桜火は少し恐る恐る周りを見渡した。
特段、桜火へ向けられる白い視線は感じない。
――さっさと話つけてぇな
しばらく様子を見ているうちにだんだんと駅までの距離が近くなってきた。
――さて、どのあたりで声を掛けるか。
いくら素行不良の女子高生といえど、そうそう路地裏に通じる道は通らないようで、中々人気のない状態にならない。
もうこのあたりならどこでもいいか、と考え始めたところで左山が歩道橋の階段を登り始めた。
――これだ
大急ぎで駆け出した桜火は一段抜かしで階段を駆け上る。
「左山!」
人が二人すれ違えるかという幅の歩道橋。
階段を上り切ったそこは今、左山と桜火の二人だけ。
名前を呼ばれ、振り返った左山の視線が息を切らす桜火を捉える。
「……?」
左山の表情は全く、これっぽっちの変化もない。
じっと桜火の顔をみつめた上で、誰だこいつとでもいいたげだ。
「同じクラスの天音だ。ちょっとお前に話が――」
言いかけたところで左山はくるりと反転。
何事もなかったかのように再び歩き出した。
「っおい! 無視かよ!」
「えっと……、誰?」
完全に不審人物を見る目で見てきやがる。
「だからお前と同じクラスの――」
左山が一歩後退りながら少し目を細める。
「ナンパ?」
「違う」
近寄れば殴ると顔が訴えていた。
見れば拳が握られている。
なんでこんなに好戦的なんだ。
「でも今話しかけた」
「お茶をする気も、ちょっといいことする気もないから安心しろ」
「でも怪しい人の話は聞くなってお母さん言ってたし……」
「いい子ちゃんかよ……」
その見た目でそれは無理があるだろう、綺麗な金に染まった髪を見てそう思った。
――どうすっかな
自慢じゃないが初対面の奴と親しげに話す話術や、懐に潜り込むコミュニケーション能力はない。
加えて相手はあの左山だ。
喋ったこともない上にやたら周りに怯えられているということ以外、どんな奴なのかもわからない。
――慎重に……
不審そうにこちらを見る目つきは未だ解除される気配はない。
まずはなんとか警戒心を緩めよう。
刺激しないように……。
「その、随分早く帰るんだな、なんか用事でもあるのか?」
「別に、ただ学校に用がないから帰ってるだけ」
なるべく当たり障りのない話題を……。
「スポーツ大会近いだろ、練習出ろって言われないのか? クラスの霧神とか結構口煩く――」
「何も言われないけど……」
「……そうか」
ダメだ、世間話程度じゃ何も進展する様子がない。
言葉に隠れる警戒心がチクチクとトゲのように刺さる。
投げたボールが投げ返されることなく、ピシャリと叩き落とされる感じ。
「ま、まぁそんな話はいいんだ」
「じゃあ何?」
冷たい声音に怯まず、逆に押し返すようなつもりで桜火は舌を回す。
「俺には少し特技があってな、人の異常に気が付きやすいんだ」
「異常?」
「あぁ。足や目、呼吸の仕方なんかでおかしいなってよく気づくんだよ」
まだ警戒は緩まない。
じとっと細めた目で桜火の足先から頭までを左山の視線が移動する。
「今日教室でお前のことを見て、何かおかしいと思ったんだ。いつもは何も感じないのに今日だけ妙だなって――」
「……そんな目で見られても困る」
左山がまた一歩後退った。
「別に変な目で見てたんじゃねえ」
「殴るよ」
「いや殴るなって」
こいつ何を勘違いしてるんだ。
握られた拳に視線がいく。
――ポーズだよな?
本気で殴りかかられたらどうしようかという考えが少し脳裏に浮かぶ。
「じゃあなんでこんな所で……、教室で声を掛ければ済む話」
「いや、あんまり人に聞かれたくなかったんだよ」
「人に、聞かれたくない……!?」
「だから拳を下ろせ」
攻撃的すぎる。
両手を上げて、俺何もしないよの姿勢を見せておく。
そうして桜火が一歩後ろに下がると、左山はようやく構えた拳を下ろした。
桜火はため息をつき、仕切り直すように口を開く。
「なんかここ最近でおかしいことはなかったか? 身体が一部透けるとか、妙な声が聞こえるとか」
「そんなのない」
左山は間を開けず即答した。
「なら体調に問題は? 咳が止まらないとか、頭が痛いとか」
「ない、なんでそんなこと君が聞いてくるの」
異変がないとなればどんな異種なのかを判断するのは難しい。
本人に自覚はなく、まだ何の現象も起きていない。
気になるのはクラスの奴らのあの咳。
明らかに左山が入ってきてから症状が重くなっていた。
――周囲に影響を及ぼすタイプなのは間違いない
しかし何も起きていない以上、他に何を聞いたところでといった感じか。
「……もしかしてっ」
ふと顔を上げると理解したと言わんばかりに声を上げた左山が、
「告白……したいの?」
「……なんでそうなった」
桜火が白んだ目線を送れば、左山は僅かに頬を赤くして手を所在なさげにぷらぷらと動かしている。
もじもじと照れたような仕草がイラっとくる。
「だって私のことをみて、おかしいところに気づくなんて……。普段から観察してないといつもとの違いなんてわからない、でしょ?」
自慢げだった。
少し口元が緩み、表情が柔らかくなっている。
落ち着きのなくなった動きに合わせて鞄につけられたキーホルダーがちゃりちゃりと音を立てた。
――そんなどうだ、という顔をされても
「言っただろ、特技だって。別に普段から見てなくたってわかるんだよ」
「……? つまり?」
「告白じゃない」
妙な勘違いをされないように桜火ははっきりと釘を刺した。
「……あ、そう」
平坦な調子で左山は呟いた。
所在なさげに動いていた手はぴたりと止まり、ゆっくりと腰のあたりに降りていった。
その表情は無。
教室でよく見る顔だ。
――何がっかりしてんだよ
その声音が少し気落ちしたのを桜火は敏感に感じ取った。
そんな肩を落とされても対応に困る。
もしかしたら少しこのシチュエーション。
帰り道、誰もいない歩道橋というこの状況にドキドキしていたのかもしれない。
――しかし、意外だな
がっかりするということは告白され慣れていないのか。
「……」
改めて見る左山の容姿は非常に整っている。
確かに近寄りがたいが、それは別に見た目が悪いということではない。
意外にも柔らかな目元にくりくりと大きな瞳。
鼻筋はスッと整っており、スタイルも良い、なんというか。
――かわいい、よな?
これだけかわいければ告白なんて両手の指じゃ足りないくらいに受けていそうなものだが。
くるくると肩まで伸びた髪を指に巻き、手持ち無沙汰にしている左山は心なしか口を尖らせてこちらをじっと見た。
「何?」
「っ、いやなんでもない」
少しどきりとした。
ひとつ咳払いを挟み、少し心を落ち着けてから再び口を開く。
「じゃあ最近変わったこととかはなかったか?」
「……何、告白もしてもないのに彼氏気取り?」
「だから違うっての」
左山は背負っていた鞄の紐を指で掴み、肩にかける位置を調節しながらローファーの爪先でとんとんと地面を叩く。
「なんでもいいんだ、何か気になることがあれば……」
「気になること……?」
「そうだ」
「話したこともない男子が急に声をかけてきた、とか」
「そうじゃなくて……」
言いつつ、桜火も左山がすんなり話してくれないことくらいは薄々理解していた。
――まぁ俺でもそうするし
帰り道に追っかけてきて最近変わったことはないか、なんて付きまとわれたらそんな態度をとっても不思議じゃない。
しかしどうしたものか。
左山自身は咳をしている感じはない。
他に目立った症状もないとなると打てる手がない。
些細な出来事でもいいから聞き出したいが、突然声をかけられた人物にぺらぺらと喋るような人物ではないようだし、これ以上引き留めておくのも……。
――この際、異種について話してしまうか
事情を説明して、協力を仰ぐ方がすんなりいくかもしれない。
「分かった正直に話す」
「やっぱり――」
「違う」
「ならストーカーだったり――」
「そうでもない」
「じゃあ早くして、そろそろ帰りたいし」
流石にそろそろダレてきたのか、コツコツとつま先から聞こえてくる音が強くなった。
桜火は不機嫌そうに睨みつけてくる左山の視線に負けないように背筋を気持ち正してから言った。
「お前には異種が取り憑いてる」
「い、しゅ?」
左山は片眉をぴくりと上げ、不可解そうな表情を浮かべる。
――まぁそうなるわな
桜火は依頼者へ、異種とは何かについて何度となく説明をしてきた。
ポカンとしたその顔も何度も見ている。
「人の感情によって膨らむ存在、簡単に言えば幽霊や妖怪の親戚だ。そんな感じで思ってくれれば良い」
「幽霊……妖怪……」
だからこうして戸惑ったような反応をされるのも慣れている。
「そいつらが人の感情を糧にいろんな現象を引き起こしてるんだ」
「現象って?」
左山が疑問を口にした。
「目が見えなくなったり、耳が聞こえなくったり」
「それ、病気じゃなくて?」
「これだけじゃない。他人の頭の中が覗けるようになったり、声量の調節が効かなくなって常に大声で喋らないといけなくなったりする場合もある」
以前依頼されたときに遭遇した【大声】の異種はなかなか苦労した。
他にも今まで見てきた中には今挙げたものなど比にならない程ひどいものや、逆に日常生活にはなんの影響も出ないほど些細なものまで、様々な現象があった。
「ふーん……」
左山は少し視線を下げて、耳から入ってきた言葉を噛み砕くように考えこむ素振りをしている。
「で、君は私にもその変な、いしゅとやらが憑いていると?」
桜火はあまり信じていない様子の左山に頷きながら、
「それが一体何なのかはわからない。だが、取り憑いてるのは確かだ」
「……確か、ね」
風でたなびく髪を二回ほど手で梳いて、
「それで、君は私にどうしてほしいの?」
きっ、と形の良い目元から放たれた力強い視線。
学校の皆が恐れるプレッシャー、それが桜火一人に向けてぶつけられる。
しかし、それは思いの外怖いとは感じられなかった。
威圧的ではあるが、それよりも改めて整った顔立ちだという印象の方が強い。
「ひとまず、まだ何も起きていないようだから少しでも妙な事が起きたら俺に教えてくれ」
「君に?」
訝しむような目。
あんたに何ができるのかと、口には出さないまでもそう言いたげな目つきだ。
――どうする、魔法売りだと教えてしまうか
やはり素直に聞いてくれそうな雰囲気ではない。
左山にとってまだ桜火はよく知らない一人のクラスメイト。
人となりもわからない者からの頼みをすんなり聞くほどお人好しではないということだろう。
よく知らないやつからそんなことを頼まれても、と。
歩道橋で少し会話を交わしたくらいでは、妙なオカルト話をしてくる変な奴程度の存在でしかない。
ならば、桜火がどんな人間なのかを手っ取り早く知って貰うほかない。
自身が魔法売りなのだという秘密を打ち明ければ、少しくらいは信用を得られるはず。
今学校中で噂の存在。
左山とて一人の女子、少しは興味がそそられて態度が柔らかくなるかも。
そう結論付けた桜火は息を吸い込み、ぐっと胸を張った。
「実は、俺は魔法売りとして色んな生徒の相談を受けている」
「魔法売り……?」
「聞いたことあるだろ? 頼まれる依頼は色々あるが、俺はその中でも異種に関するものをなるべく積極的にこなすようにしてるんだ」
桜火が受ける依頼は異種だけではない。
最近こそ異種絡みの依頼が少ない故に他の依頼は軒並み受けていないが、普段は桜火に解決できそうなものなら適度に解決しているのだ。
「積極的に……」
だが今は諸事情から異種最優先。
嘘は全くついていない。
なるほどねと二、三度左山がうなずく。
「異種に憑かれても憑いた異種が何かしでかさないと気づかないことが多い。むしろ何か異変が起きてから気づくのがほとんどだ」
左山が顔を上げる。
「それで私にも声を掛けたってこと?」
「あぁ、そうだ」
厳密に言えばクラスへの影響が大きそうだからという理由もあったがわざわざそんなところまでは説明しない。
桜火としては左山が不用意な行動をして面倒なことが起きる前に異種を回収したいのが本音だ。
左山はふむふむと再び頷いた。
「分かってくれたか?」
左山はちらりと視線を横にやりながら、一拍間を置いて何か考えた後、
「そっか。じゃあ何か起きたら君に言うことにする」
「頼む」
――取り敢えずなんとか話しをつけられた。
左山に起きた異常がすぐに分かれば対応速度にも雲泥の差が出る。
ひとまずこれで今桜火に出来ることはなくなった。
「それじゃ、連絡先を教えるから何かあったらここに……」
思い出したと後ろポケットに入れていた携帯を取り出し、操作。
「ほら、これが俺のREIN――」
携帯の画面を差し出した先、そこに左山の姿はなかった。
「っ!? あいつどこへ――」
急ぎ辺りを見渡せば既に歩道橋を渡りきり、横断歩道を駆け抜ける左山の姿。
「はやっ」
いやそんなことを思っている場合ではない。
しかし咄嗟に追いかけようとした所で既に時遅く、桜火が急いで歩道橋を渡りきった時には左山の姿は見えなくなっていた。
「逃げられた……?」
赤い色のランプを灯した信号を目の前に桜火はしばらく唖然とその場に佇む他なかった。