七話
天音桜火はある理由から、魔法売りとして異種の収集を行なっている。
簡単なものなら数分で済む場合もあるが、手強いものだと一週間かけて捕獲することもある。
そんな異種の収集を優先させれば、桜火には部活や、放課後遊んでいるような暇はなかなかない。
つまり、
「天音くん? 今日の練習は?」
「いや、今日もアレがちょっとソレで……」
なんとかしてこの場を切り抜けなければならない、桜火は今そんな状況にあった。
目線を逸らしつつ、教室の入り口を目指してじりじりと後退。
声を掛けてきた霧神から顔は背けずにあたり触りのないやりとりで誤魔化しにかかる。
――この後はみっちり予定があるんだって……
今日だけで三件、依頼内容を聞かなくてはならない。
この間の声の異種以降、未だ異種関連の依頼は無し。
わんさか舞い込んでくる依頼は全て異種の関係ない些細な相談ばかり。
『友達との仲を取り持って欲しい』
『迷子の犬を見つけて』
『最近ある人のことが気になっておかしくなりそう』
などなど挙げればキリがないほど多種多様な相談事が来ている。
落とし物や探し物なんかは件名だけ見てもどんな依頼なのかすぐわかる。
だが異種関連の悩みは突拍子もないことだと人に打ち明けられる人が多くないため、こういった件名だけではわからない依頼の場合も多々あるので無視するわけにもいかない。
要するに桜火にはスポーツ大会の練習などしている暇はないのだ。
「困りましたね……、今はクラス一丸となって一つの目標へと頑張ろうとしているのですから天音くんにも練習に出ていただかないと」
この間の時よりも霧神の視線が鋭い。
――これは、さすがにバレてるか……?
桜火が適当な理由をつけて帰ろうとしていると霧神にはおそらく見透かされている。
現にもはや桜火の言い訳など聞いてすらいない。
冷たい氷を連想させる、意志の籠もった瞳は桜火のことをどうしてくれようかと考えているらしく、一瞬たりとも視線が外れることがない。
――走って逃げるか?
しかしそう考えた瞬間に霧神の視線が動き、その合図の直後霧神の友人らしい女子二人が教室の扉に陣取った。
お前は完全に包囲されているといったところか。
――無理やり逃げるのは無理くせぇな、これ
だがそれではこの後の依頼が……。
霧神の視線は真っ直ぐ桜火を射止め、動く気配がない。
そしてその視線の後ろからは逃げるな、と言わんばかりに睨みつけてくる他のクラスメイト達。
――ふざけんな、お前らも一緒に帰れば練習しなくて済むだろうが……
結局人の意思なんてものは完全には操れないのだから皆で練習したくないと口に出すだけでこの同調圧力はなくなり、練習なんてしなくて済むのだ。
しかし彼らは万が一にも霧神に目をつけられるのを恐れて嫌々練習に参加している。
こちらを見つめてくる淀んだ視線達は明らかに俺を道連れにしようとしていた。
死なば諸共。
抜け駆けなんて許さない、口に出さずともそう考えてるのがわかる。
――臆病者共め……
桜火が死んだ目の亡者どもを恨めしく睨んでいると。
ガタリ。
席を立った一人の女子が桜火の側を何事もなかったかのように抜けていった。
「どいて」
そいつは入り口に陣取っていた女子に一言呟いた。
今から喧嘩でも始めるのか? 一瞬そんな風に思うほど威圧的な態度だった。
「ご、ごめんなさい……」
慌てて弾かれるように扉の端へと移動する女子。
怯える女子の横を無言で通り過ぎていく金色の髪。
左山花音。
確かこの間も同じようにして一人だけ何事もなく教室を出ていった女子だ。
――なんであいつには何も言わねぇんだ……!
あっさりと教室を出て行った左山を見て思わず小学生のようなことを考えてしまった。
じっと霧神を睨むとにっこりと笑いかけられた。
そのまま数秒。
霧神が左山を呼び止めに行く素振りはない。
どうやらこの女でも左山に対しては強く出れないようだ。
単純に諦めているだけなのかもしれないが。
――それなら俺のことも諦めてくれよ……
「沙里奈? ちょっと大丈夫!?」
がくりと肩を落とし、こうなったら体育館にいってから逃げようと思い立ったところで後ろで何かざわざわしているのが聞こえた。
――なんだ?
振り返って見てみれば、さっき左山に怯えて入り口から退いた女子が床に手をついて蹲っていた。
「げほっ、げほっげほっ!」
苦しそうに胸を押さえて咳き込んでいる。
その女子の友達らしき人物に背中をさすられているが顔を真っ赤にして苦しそうな表情だ。
「沙里奈さん、大丈夫ですか」
異変に気付いた霧神が素早くうずくまる女子の傍に寄り添い、声をかける。
「病院に、いえひとまず保健室へ」
立てますかと声をかけられ、女子はふらつきながらもなんとか立ち上がった。
「辛ければ私に寄り掛かっていただいて構いません、さぁ行きましょう」
「大丈夫、沙里奈……?」
友達と霧神に付き添われ、集まってきた野次馬をかき分けて彼女らは保健室へと歩いて行った。
――風邪、か?
それにしては少し妙な感じだったが。
まぁ何はともあれ、これでなし崩し的に教室を出れる。
少し後ろ髪を引かれつつも、桜火は霧神がいなくなったこの瞬間に空き教室へと向かった。
――
「では五十三ページの左、問二をノートに書いて」
――全部ハズレ……だと
英語の教師が声を出し、皆が問題文と睨めっこを始めた時、桜火は一人、項垂れていた。
昨日の依頼は三件が三件とも全く異種とは関係ないただのお悩み相談だった。
どれも桜火が期待していたような話はなく、早々に話を切り上げて空き教室を追い返した。
悪戯ではないにしろ、異種と関係のない依頼は今必要ない。
他の依頼の中から十分に厳選、吟味した上での結果に強烈な肩透かしを食らった気分だった。
――何のためにあんなに苦労して……
悲痛な表情を浮かべ、手に持ったシャーペンで教科書に刷られたイラストをつつく。
笑顔で手を広げている男の顔がカンに触る。
――――残りもだいぶ少なくなっちまったし
そして何より痛いのが依頼を一つ聞くごとに手持ちの器を一つ消費しなくてはならないことだった。
魔法売りとしての素性がばれるのを恐れ、桜火は相手の認識をぼかす異種を普段使いしている。
異種は器を壊すことでその力を解放する。
だが器を再利用することはできないため、異種をもう一度使用するには新しい器が必要となるのだ。
――【照れ隠し】に使う器は低い位で十分にしても……
こうして空振りばかり続けばそのうち器の在庫が切れ、誤魔化すこともできなくなる。
顔を知られればさらに活動は制限され、目当ての異種にたどり着かなくなってしまう。
『魔法売りって天音って奴がやってるらしいぜ』
『えー、何どこのクラス―?』
『ほら、あれあれ。なんか普通の奴じゃね?』
『とりあえず話してみれば良くない? ねぇねぇ、天音くんが魔法売りってほんとー? 私になんか憑いてないか調べてよー』
なんてことになったら……。
――恐ろしい……
そんなことになる前に器だけでもストックをしておくべきだろうか。
――しかし異種以外の依頼なんて解決できるのか?
いくつか手持ちの異種を使えばなんとかなるものもあるかもしれないが、それでは器を手に入れる為に器を壊さなければならず、本末転倒。
自身の力だけで依頼をこなせるくらいなら、そんなに楽なことはない。
所詮桜火は異種が関係すること以外ではただの男子高校生に過ぎない。
――何か良い方法は……
「じゃあこの問題を――」
「はい」
指名された霧神が凛とした佇まいで黒板へと歩いていく。
「よし、正解」
当然の如く正しい答えを書き、優雅に自分の席へと戻る霧神。
その霧神の視線がちらりと前は向いていた桜火とぶつかる。
「っ」
傍目にはおしとやかに見える笑顔。
だが間違いなく含みがある表情。
――なんか怖いんだよな
そんな桜火の感想とは打って変わって、霧神へと送られる羨望の眼差し。
さすが霧神さん、といつも霧神の側にくっついて回る女子達の幻聴が聞こえそうだ。
というか絶対に言ってる。
「ん?」
しかしいつもなら絶対に聞こえてくる声が聞こえてこない。
なんとなしに件の女子の方へと視線を向ければ、その席の主は不在だった。
――そういえば
昨日調子悪そうに保健室へと運ばれたのだったか。
あの後どうなったかはわからないが、欠席しているところを見るにまだ治ってはいないらしい。
――風邪……
「じゃあ次の問三を、山野」
霧神が席につくや否や次の人物が名前を呼ばれる。
「げほげほっ、はい」
山野と呼ばれた女子が椅子を引き、立ち上がる。
――それにしてはなんか……
「げほっ、げほっげほ」
クラス中に木霊する咳の音。
そこかしこから苦しそうな声がする。
季節外れの風邪か、具合悪そうに授業を受けているものが多い。
――こんなんでスポーツ大会は大丈夫なのか?
練習練習などと言うより身体を休めた方が良さそうな奴が何人かいる気がする。
そして授業も残すところ後10分を残す頃。
ガラリと扉の引かれる音がした。
クラス中の視線が音に反応し、皆一斉に顔を向ける。
教室後方、扉を開けて立っていたのは金に染められた髪を揺らす女生徒。
「お前、左山……。今何時か見えるか?」
「はい」
「ったく、堂々と遅刻すんなよな……」
「すみません」
言葉の割にカケラも悪びれる様子なく、左山はそのまま席についた。
教師は一つため息を吐き、クラスの皆も左山の姿をみとめた途端に再び黒板へと視線を戻す。
左山が遅刻してくることなどすでに皆見慣れた光景。
それは桜火もまた同じだった。
しかし、
――こいつ……!
今日だけは違う。
左山が教室に入ってきた瞬間、ぞわりと肌がチリつく。
――異種の気配……
くわぁと猫のように口を開け、眠そうにしている左山から漂ってくるのは慣れ親しんだ異種の気配。
「はい、じゃあ気を取り直して――――」
ほんのわずかに教室に存在感が増す。
身体にまとわりつく空気が重く、濃くなったような感覚。
――あの様子じゃ自覚なしだな
自身の身に起きている異変に気づいている様子はない。
桜火ですらただ異種の気配を察知したにすぎず、どんな異種なのかわかっていない以上左山にわかるはずもない。
――ただ……
「げほっげほっ!」
左山が入ってきてからのクラスメイト達の容態が少し悪くなっているように思える。
咳が深く、悪化している。
昨日の時点ではまだ異種に憑かれていなかったはず。
それとも気づかなかっただけで、昨日すでに憑かれていて急速に力が膨れ上がっただけなのか。
後者の場合なら早めに対処しなければならない。
前者であったとしても、周りに影響をだすタイプならどっちみち早く行動する必要がある。
――とりあえず聞き出してみるか
いつのまにか黒板にはぎっしりと文字が刻まれ、桜火がそれに気づくと同時、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。