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魔法売りの少年  作者: 青い夕焼け
6/26

六話

魔法売りから連絡が入ったのはそれから三日後の事だった。


正体不明の現象によって陰鬱とした空気の流れる教室を後に千羽は再びあの空き教室へと向かう。


教室の前まで来るとすでに魔法売りは中にいるらしく、この前と同じ近寄り難い圧を扉越しに感じた。


しかしこれが意図して放たれているものだと分かれば怯える必要はない。


――それに


なんだか今日のプレッシャーはこの間よりもずっと弱い気がする。


ほんの少しの抵抗感を無視して千羽は空き教室の扉を開けた。


「お、今日は顔色が良い。ということは今回は上手くいったっぽいな」


入ってきた千羽の顔を見るや魔法売りが呑気にそんなことを言う。


「今日ここに呼ばれたってことは犯人とやらが見つかったってことでいいの?」


そんな軽口に付き合うことなく、千羽はすぐに本題を口にした。


いくら大丈夫だと言われても自分を苦しめたものが何なのか、それを解決する方法すらよくわからないものだ。


完全に不安を払拭するにはどうしたって難しかった。


だからここ数日は万が一あの声が聞こえてきやしないかと警戒せざるを得なかった。


顔色が良いとは言うが、薄ら隈が出来るくらいには不調だ。


それを分かって言っているのか定かではないが、千羽が言うと魔法売りは席に座るよう促し、喋り始めた。


「あなたの言う通り、昨日ようやく黒蛇が元凶の元まで辿り着いた。もっかい確認するけど依頼はあなたが聞いた"声"、この不可解な現象をなんとかしてくれってことで合ってる?」


「それは間違ってません。だけど私の知らないところで解決したって言われてもそれが本当かどうかわからない」


千羽が感じた恐怖を果たして目の前の男は理解しているのだろうか。


どこか飄々とした調子を崩さない態度にそんな考えがよぎる。


しかしそんなことを言ってもきっと目の前の人物は面倒くさそうに適当な返事をするだけだろう。


「まぁそうだよなぁ」


そう言って困ったように頬を掻いた魔法売りだったが、気怠そうにぐっと身体を伸ばした後、改めて千羽の目を見据え、


「でもそもそもがさ、異種なんてのは予想のつかない嘘みたいな現象のオンパレードなんだよ。だからあなたを安心させるほど、はっきりとした解決ってのは元々難しい」


「それじゃあ――」


「ただ今回はたまたまそれができる」


言い切った魔法売りの言葉と共に


――コンコンとノックの音が響いた。


「来たみたいだ」


魔法売りが返事を返すと女子生徒が一人、恐る恐る部屋に入ってきた。


「え……」


その女子は千羽と同じクラスの人物だった。


羽生桜。


坂上達と同じグループにいる、上位カーストの人間。


――なんで羽生が


ここはたまたま訪れるような、気軽に立ち寄るような場所ではない。


それに、当然のように魔法売りが招き入れる態勢をとっていたということは。


困惑する千羽に魔法売りはその手をびっと羽生に伸ばし、


「ということで、彼女が一連の騒ぎの元凶の羽生桜さん」


友達でも紹介するようにあっさりとそんなことを言った。


「えーと、ちょっとまだ状況が分かってないんだけど」


手を向けられ、羽生は戸惑った調子で千羽と魔法売りを見た。


しかし、千羽は魔法売りが告げた言葉に頭の中が支配され、それどころではない。


――元凶って、彼女が?


「ここで彼女の異種を消せばあなたは安心できる、で良いよね?」


驚きながらも、問いかけてくる魔法売りの方に視線を移し頷く。


――異種……。


人の感情によって様々な現象を起こす不可思議な存在、だったか。


だが、彼女からはあの蛇やあの声の嫌な存在感を感じない。


「同じクラスの小和井、だよね? なんなの? この人誰?」


羽生はいまだにまるで何がなんだか分からないと表情をしている。


――うわ、機嫌悪そう……


教室ではへらりへらりと樽井や野木目と一緒に行動しているのを見るだけで、あまり印象がなかった。


怒っている所はもちろん、ここまで不快そうな顔を表すことに少し意外だという気持ちが湧いた。


「その人は魔法売り……。ほら、今噂で。聞いたことあるでしょ?」


「うっそ、本物!?」


千羽が言うと羽生は100点満点のリアクションを見せた。

しかし魔法売りの顔を見た瞬間に眉をひそめた。


「……? え……?」


形容し難いものを見たとでも言いたげな羽生は魔法売りに近寄ろうとして、


「あー、それ以上は近寄るな」


魔法売りが低い声と共に手で制す。

突然の挙動に、少し驚いた羽生が一歩後ずさった。


「その場から動かないで聞いてくれ」


一言忠告し、千羽と羽生の目を射抜くように魔法売りが睨む。


魔法売りの言葉の圧に気圧されたのか、羽生は大人しくこくりと頷いた。


千羽も言われるまま、その場でじっと魔法売りの言葉を待った。


「依頼はあなたが被害に遭った声の異種。それを消すこと。ただあなたは俺が勝手にやっても安心できない、となればあなたの目の前で異種を消して見せれば安心できるってことだ」


そう言って彼が取り出したのは小さな小瓶だった。


「消して見せるって、ここでですか?」


千羽が問いかけると、取り出した小瓶を親指と人差し指で掴んで揺らしながら、魔法売りが頷く。


「場所は関係ないし、あんまり他の人に見られるのも不味い」


言った後、揺らしていた小瓶を掌の中に握りこんだ。


「てか私を置いて話進めないでよ。依頼って何? 小和井がこの人になんか頼んだってこと?」


千羽を見ながら、羽生が言う。

今の少しの間に我に返ったのか、元の調子に戻っている。


「それは……」


上位カーストの人間に睨まれている。物理的にもそうだが、これからの学校生活を考えれば変に目を付けられて嫌がらせでも受けてはたまらない。


曖昧に濁しながら、千羽は横目で魔法売りを見た。


――そもそも羽生が犯人ってどういうことなのか説明もないし


羽生の態度を見るに、何か知っているような素振りはない。


普通、自分が何かした自覚があるならもっと動揺するものではないのか。


「そう。俺が小和井さんから依頼を受けて、呼び出した」


「『空き教室にてお話したいことがあります』って、本当はこんなメール無視しても良かったんだけど。てかなんで私のアドレス知ってるわけ?」


魔法売りが答える暇もなく、羽生が続けざまに言う。


「小和井が依頼したってのも、あたし全然この子と絡みないし。なんでこんなとこに私を呼んだの?」 


ぎろりと音がなっていそうな視線が千羽を貫く。


――私が呼んだわけじゃないって……!


「本当に心当たりはないの?」


問いただすような声音で魔法売りが言う。


「心当たりも何も――」


「今あなたたちのクラスで妙な騒ぎが起きてるって、知らないわけじゃないでしょ」


その言葉を聞いて、羽生はなおさら不機嫌そうな顔になった。


「当たり前でしょ。ノキちゃんたちが今休んでるのだってそれのせいだし」


眉間にしわを寄せる羽生。


その態度を見てふむ、と魔法売りが顎のあたりを触りながら口を開いた。


「そもそも、今回こんなに騒ぎが大きくなってしまった原因の一つは携帯のクラスグループにある」


――携帯の?


「まずここまで被害者が出たのは、原因の異種を持つ羽生さんとクラスの皆が携帯を通してつながっていたから」


魔法売りの視線が千羽の手にある携帯へと注がれる。


「事の経緯は、まず羽生さんに異種が出現する。その異種は羽生さんの中で少しずつ力を蓄え、何かをきっかけに溢れた」


おそらくこれは千羽に向けられたものなのだろう。

羽生がいることを無視するかのように、魔法売りは語る。


「この前見せた黒蛇は覚えてる? 羽生さんが持つ異種はあの黒蛇と同じようなタイプで、携帯の連絡先――つまりクラスグループだね。これに流れ込んだ」


流れ込んだとはつまり。


「多分無意識だろうね。今の態度を見るに自覚してるわけじゃなさそうだし」


「無意識って……、そんなことあるんですか」


「まぁぼちぼちあるかな」


この場合、意図的に千羽や他のクラスメイトを襲ったわけではないと安堵するべきなのか。

 

「じゃあ羽生、さんに起きたきっかけって……」


「それは本人に聞いてみないと」


話題の矛先が自分に向けられるや否や羽生が、


「何わけわかんないこと言ってるの……? い、しゅ? 何それ、私そんなの知らないし」


ほら自覚ないでしょ、と魔法売りが肩をすくめる。


「意味わかんない。あの騒ぎを私が起こしたって言いたいの? そんなわけないじゃん。あれのせいでノキちゃん達だって学校休んでるのに……。私がノキちゃん達を傷つけるわけないでしょ!」


「異種が現象を起こす時、それは自身の感情が昂ったり、大きく変化したりする時が多い」


興奮する羽生に対し、魔法売りは冷静だった。


感情の変化。


異種が騒ぎを起こすきっかけ。


「何か心当たりはない?」


冷静に魔法売りが問う。


「そんなもの……」


「今回は携帯を媒介に被害が起きてる。携帯に関連することで、何かない?」


「携帯……」


怒りを露わにしていた羽生がそこで考え込むような仕草をとった。


「日記……、を書く時は少し興奮してたかも」


羽生はふてくされるようにして小さく呟く。


「どんな日記?」


「それは言えないけど……」


歯切れの悪くなった羽生へすぐさま魔法売りが詰める。


日記とは基本的にその日あったことを記すものだ。

興奮しながら書いていたということはよほど頭にきた出来事があったのか。


――でも教室ではそんな姿……


見たことないと言いたいところだが、千羽は羽生と仲が良いわけでも良く話をする仲なわけでもない。


現に今、魔法売りに対しての態度を見ればどんな一面があったとしても不思議ではない。


そして言い淀むからには人に言えないことを書いているのはそうなのだろう。


「隠されるとこの後の処理が大変になる」


「い、言うわけないじゃん」


「依頼もそうだけど、これ以上周りに被害を出さないためなんだ」


「だからあの騒ぎと私は関係ないんだって!」


羽生は頑なに首を縦に振らない。 


――この必死な感じ……


単に自分の日記を他人に見られたくない、という以外にも何か理由がありそうな雰囲気がする。


「あなたが悪いとは言ってない。ただ早めに原因を取り除いておかないと――」


「だから、知らないって!!」


言葉を重ねるにつれ、ヒートアップした羽生が鋭く叫んだ。


その瞬間。


『キエ――、ナンデ』


――空気が変わった。


あの怖気の立つ声が全身をなぞるように教室の中に響く。


「ひっ」


反射的に千羽が小さな悲鳴を上げた。


それはあの時と同じ声に、あの時と同じ胸を圧迫してくるような存在感。


あの時と同じ、嫌な感覚だった。


「随分力が強くなってるな」


魔法売りが呟く。


『キエレ――ノニ』


「異種が携帯に結びついていれば楽だったんだが……」


『ヨケイナコト、バッカり、イバルダケ――ノウノナイオト――のくセに』


――声が……


『ホウカゴにイノコリとか――――、スポーツタイカイなんてドウデモ』


徐々にはっきりと聞き取れるようになっていく。


「な、なんで……、これ、私の……」


教室に響く声の内容に、羽生は酷く狼狽していた。


この焦ったような表情を見るに、この声が言っている内容こそ羽生が書いていた日記の中身なのだろう。


『ノキメもタルイもめんどくさスギ、ホウカゴまでつきあってられねーよ。マジデうざい』


「い、言ってない……。私こんなこと言ってない!」


良く聞けばそれは羽生の声に少し似ている。

千羽からの視線に気づいた羽生が教室に響く”声”を掻き消すような大声で言う。


『つるむアイテまちがえたかも、クラス替え来年とか長すぎ』


しかし羽生の声を否定するように教室に響く謎の”声”は言葉を発し続けた。


『いのこりで練習とかダレが楽しいんだよ。いきりすぎて見てるのきつーい』


『でしゃばってキタヤツのおかげでメンドくさいことやらなくてすみそう』


『ぱしりくん便利だったのに。何休んでんだよ』


『そろそろバイトってごまかすのもしんどくなってきたし、別の理由が必要かも。なんで私があの女どもに悩まされなくちゃいけないんだろ』


それは不満や怒り、特定の人物に対しての憎しみの感情が溢れ。


”声”は言葉を発するごとに流暢になり、それは徐々に、羽生の声になっていった。


――頭が……っ


前に部屋で聞いた時とは比にならないほどきつい。


耳から入ってくる感情に自分が塗り替えられていく。


精神を無理やりかき混ぜられているような、気持ちの悪い感覚。


視界がぐらぐらと揺れ、立っていられない。


――頭がおかしくなるっ


胃からこみ上げてくる吐き気を堪え、歯を食いしばる。

そうしないと今にも発狂してしまいそうだった。


はやく何とかして、その一言を言うことすらできず、千羽はただ蹲って魔法売りへ視線を送ることしかできなかった。


「意味わかんない、なんでこれ……。この声……、どうなってんの!?」


「やっぱり携帯じゃなくて本人の方か……」


はぁ、とため息を一つつき、魔法売りはポケットから何かを取り出した。


それはくたびれた単語帳だった。


「加減間違えないようにしないとな……」


羽生を視界に捉え、魔法使いが呟いた。


『ァァ』


瞬間、気配がもう一つ。


「何!? 蛇!?」


小さな鳴き声のような音を発しながら、あの黒蛇が現れたのは羽生のポケットの中。


自分のポケットの中から現れた黒い蛇に羽生が腰を抜かして尻餅をついた。

蛇はしゅるりとポケットから這い出ると、そのままぐるぐると羽生の腰のあたりに巻きついた。


「何!? やだ! 取って! 誰かこれ取って!」


狂乱した羽生が手を振り回しながら叫ぶ。


「これくらいか……?」


「っう――――」


巻き付いた黒蛇が魔法売りの合図とともに羽生の身体を締め付けた。


頭を抱え、耳に手を当てた状態でうずくまる千羽は、苦しそうに悶える羽生の姿を見てさらに顔を歪める。


羽生は巻き付いた黒蛇を必死に引きはがそうとしていた。

黒蛇と身体の隙間に両手の指をねじ込んで、蛇の胴体を掴もうとしているが、羽生の力ではびくともしていない。


――あれ、大丈夫なの……?


魔法売りは構わず黒蛇が羽生を締め上げているのを眺めている。


「っぁぁ」


絞り出された空気が羽生の口から漏れる。

嗚咽と共に出た唾液が顎を伝い、首元に流れた。


「もう少し……!」


その時、羽生の身体から謎のモヤのようなものが出るのを千羽は見た。


――黒い、霧?


それは羽生の身体からにゅるにゅると溢れるように身体から出て床に落ちた。


――あれ、声が


同時に、今まで教室中に響いていた声がぱたりと止んだ。


「出た……っ」


それを見た魔法売りが先ほどの単語帳を床に放る。


ぱさりと床に落ちた単語帳の音に反応したのか、その気配に反応したのかはわからないが床を蠢いていたモヤが放られた単語帳の元は寄っていく。


『……』


モヤはずるりと単語帳の中へ入っていった。

水が地面に染み込むように、じわじわと。


同時に、どさりと羽生が床に倒れ込んだ。


長い髪が床に広がる。


どうやら気絶してしまったらしい。

呼吸する音は聞こえているから生きてはいる筈だ。


「ちょっと強すぎたみたいだけど、まぁ今回の罰が当たったってことで」


意識のない羽生へ魔法売りがそんなことを言う。


反論がないのを良いことに全く気にした様子はない。


そして、今モヤが入っていった単語帳を拾い上げると少し上にかざした後、ポケットにしまった。


「ふぅ。とりあえず依頼完了」


そう言って千羽の方へ振り返る。


「え、これで」


「終わり」


魔法売りは手に持った単語帳を揺らして見せる。


「羽生さんの中にいた異種を追い出してこれの中に入れた」


魔法売りの手に持っている単語帳は見た目は何の変哲もない単語帳だ。

誰かが使い込んだ形跡の見えること以外普通のもの。


「異種は人の感情に強く反応する。だから今みたいに人の中に潜り込む」 


――あんなのが……っ


あのモヤが自分の中にいることを想像し、

ゾッとして思わず自分の身体を抱きしめた。


「この単語帳はよく使い込んであること以外はただの単語帳だけど、使い込んでる分持ち主の感情が篭ってる。だから人間の代わりの器になりうるんだ」


人間の代わりの器。

人の感情の篭った入れ物。


初めて魔法売りに会った時、黒蛇を出現させる際に持っていたペンもその一つなのだろうか。


――そういえば


辺りを見回す。

やはり、黒蛇が消えている。


「あの黒蛇はどこにいったんですか」


「あれは蓄えた力を使い切ったから……」


力を使い切ってしまった異種は消えてなくなってしまうらしい。


「そうなんですか」


ほっとして千羽は床にへたり込んだ。


魔法売りの言う通りさっきまで感じていた存在感は霧散している。

教室内はまるで空気を入れ替えたかのように呼吸しやすくなっていた。


「えっと羽生さんは……」


ちらりと倒れ込んだ羽生に視線をやり、尋ねる。


「すぐに目を覚ますと思う」


魔法売りの言う通りそれから1分もしないうちに羽生は目を覚ました。


「うぅ……」


低くうめきながら起き上がった羽生はげほげほとむせこんでから辺りを見回した。


「あれ、どうなって……」


「どこかおかしいところある?」


魔法売りが話しかけると、びくりと身体を揺らした羽生は怯えるように腕を前に構えて後ずさった。


「まだ何かするつもり!?」


どうやらあの黒蛇を恐れているらしく、しきりに辺りを警戒している。


強気な態度をとっているように見えても、小刻みに揺れる足を見ればその内心は手に取るようだった。


「いや? もう終わったし。その感じだとまぁ大丈夫そうかな」


そう言うと、椅子に腰掛けた魔法売りがさっきの単語帳をいじりながら、


「あなたの異種は自分の不満や憎しみ、怒りといった負の感情を携帯を通して拡散するものだった」


負の感情。

さっき響いていた声の内容を思い出す。

どれもこれもが何かに対しての不満を抱いているようだった。


「あなたが書いた日記。随分と色々書いてた見たいだけど」


その言葉に羽生の震えが大きくなる。


「あれは、私の言葉じゃ……」


「ふーん」


冷えた声に羽生の声が小さくなる。

もう誤魔化しきれないのが自分でも分かったようだ。


「あれ、いつから書いてたの」


「書き始めたのは、高校に上がってから……」


観念したように羽生は怯えながら答えた。


「ずっとあんな感じのことを?」


「最初は少し愚痴を書く程度で、時々先生の悪口書いたり、その日嫌だったことを書いてたの」


少しの悪口くらい誰だって言うし、隠れて不満を書き連ねてる人もまぁいないことはないだろう。


誰かへ不満を持つのはよくあることだし、千羽も心中では坂上達のグループを毛嫌いしている。


それくらい普通のことだ。


――でも


「最初はってことは……」


魔法売りの言葉に羽生は下を向き、懺悔するように語った。


「一年の時は私今のグループみたいなところじゃなくて、もっと地味めなグループにいたの」


「そこで少し揉めちゃってグループからあぶれ気味になっちゃって」


「そいつらがいちいち私のことを馬鹿にした目で見るから、二年に上がってクラスが変わったら、一番派手な高いカーストのグループに入ろうと思った」


でも、と羽生は言う。


「やっぱり無理して周りに合わせたり、ノリが全然合わなくて。めちゃくちゃストレスが溜まって」


ストレス発散の手段が、彼女の場合日記に悪口を書くことだった。


あれだけ罵詈雑言を書き連ねる彼女のストレスは一年の時と比べてずっと大きなものとなった。


「じゃあバイトって言ってしょっちゅう練習に出なかったのも」


「あんなのやってられないでしょ。放課後残ってまで運動したい奴なんて誰がいるんだか」


悪態をつく羽生はキッと目を鋭くしてここにはいない人物を睨む。


「運動なんてできたってせいぜい役に立つのなんて高校まで。なのにちょっと運動が出来るくらいで得意気になっちゃって。馬鹿みたい」


――運動苦手なんだ……


だからバイトと嘘をついてまで練習に参加しなかったのか。


「あのイキリ野郎のせいでイライラしてしょうがなかったわ。樽井も野木目もホイホイ賛成しちゃうし」


それに、と羽生は付け加えて、


「足でも引っ張ろうもんなら間違いなくグループから弾かれる。あれだけ今まで我慢してきたのに、今更こんなことで仲間外れにされてたまるかっての!」


坂上達の佐藤やその他のクラスメイト達への当たりの強さを見ればそう思うのも無理はない。


同じグループにいる為に自然に運動のできる人間として扱われ、いつバレるかという緊張感と共に過ごしていたわけだ。


――まぁそれなりに大変なのかもしれないけど……


自分の身に置き換えるとそのストレスは相当なものだろう。


――にしてもなぁ


千羽が一つ気になったこと。


羽生の言い分は全て自分がいかに大変かを語るばかりで、悪びれた様子は微塵も感じられない。


どんな背景があったかと説明されはしたものの、あの時感じた恐怖を思えば、どうも釈然としなかった。


「坂上達の――」


「あー、もういいから」


口調に熱の篭り始めた羽生へ、ぴしゃりと水をかけるが如く魔法売りが口を挟んだ。


「あなたが原因で被害者が出た。自覚はなくともそのことを少し意識しておいた方が良い」


「意識って……、今の変な現象をどう意識しろって――」


「わざとじゃなくても、知らなかったとしても、人を傷つけたことには変わりない」


「傷つけたとか――」


「違うとでも?」


敵意すら感じるような、威圧感。

今放った一言には有無を言わせぬ迫力があった。


「いや……」


その圧力に黙り込んだ羽生はそれでもぐっと何か言いたげに口を尖らせている。


「まず目の前の人に謝るくらいのことはしてもいいんじゃないの」


すっと魔法売りが千羽を手で示した。


「……」


羽生は下唇をぎゅっと噛み締めていた。

不満たらたらといったふてくされた顔。


「……ごめん」


だがしばし沈黙した後、小さく頭を下げた。


その目元はヒクヒクと青筋が浮かんでいた。


子供が親に無理やり謝らされているような、形だけの謝罪。


そんなことをされても誠意は感じられない。


しかし、だからといって何か言う気にもなれなかった。


何と言おうか考えていると羽生はマズイと思ったのかさらに頭を下げて、


「まだ、よくわかってないけど。巻き込んじゃって……」


それは魔法売りに対しての怯えがあったのかもしれない。


心から思っての言葉というより、もうあの黒蛇を自分に向けられたくないという恐怖の感情から出たその場しのぎのものだったようにも思える。


だが、


――まぁ、少しはスッキリしたか…


あの上位カーストの人間が頭を下げて謝っているという事実は事実。


魔法売りが千羽の元へ近づいてくる。


「依頼完了、でいいかな」


少しスッとした胸に手を当てて千羽はゆっくりと頷いた。


――


「情報を?」


「そう」


羽生が不機嫌さを隠すことなく、足音を鳴らして帰った後、教室に残された千羽と魔法売りは報酬についての話をしていた。


どんな値段をふっかけられるのかと戦々恐々としていた千羽だったが。

魔法売りが提示した条件とは今回のような異種、もとい妙な現象が起きていたら教えてほしいというものだった。


「そんなのでいいんですか?」


「俺にとっては十分な報酬だ」


そんなことを言ってのけるとは、ボランティア精神溢れる人物なのだろうか。


「あなたの身の回りで起きたこと、友達や家族、親しいものに何か異変を感じたら連絡してほしい。よっぽどのことがなければ解決できるはずだから」


「わかりました」


この先もまたこんな変な現象に遭遇かもしれないと考えると嫌気がさすが、魔法売りに相談できるというのは安心できる。


「ところで本当に、あの異種はもう出てこないんですよね」


こうしてホッとした後……という可能性を少し心配してしまう。


「大丈夫だよ、なんなら今出して見せようか」


と、おどけた様子で魔法売りが言う。


「いや、やめてくださいっ」


焦って止める千羽。


目の前に揺らされる単語帳から少し距離をとった。


――あれ


そこで千羽が単語帳が少し黒ずんでいることに気づく。


「それ」


「ん? あぁこれ」


指摘すると、


「異種を入れられる器、人の想いの篭った器はその持ち主の思いが強いほど、強力な器となるんだけど、器に対して中の異種のほうが強い場合はこうして徐々に器が壊れていくんだ」


掌に置いた単語帳を魔法売りが近づけてくる。


よく見てみれば黒ずんでいるだけでなく、端の部分が焦げて灰になるかのようにチリチリと崩れ始めていた。


「これ大丈夫なんですか」


器が壊れてしまえば、また中に閉じ込めた異種が外に出てきてしまいそうだ。


「まぁ放っておいたら器が壊れちゃうから中身が出てくる」


「え……、じゃあ危ないんじゃ」


なんでもないように言っているが危険な状態なんじゃないのだろうか。


「そこで、一つ頼みなんだけど」


――やっぱり……っ


報酬が情報だけなんてなんのボランティアだと疑っていたが、


「お金は、あんまりないです」


今三ヶ月分ほどのお小遣いしか千羽の手元にはない。

それ以上を請求されればバイトして払うしかなくなるだろう。


「いや、お金じゃなくて。俺が欲しいのは今言った器のこと」


「器……」


異種を入れる器。

あの単語帳のことなのはわかるものの。


「私、そんなもの持ってませんよ。異種なんて存在これまで知らなかったし、今もあれって本当にあったことなのか現実感がなくて……」


夢のよう、ではまるで望んでいたかのような響きになってしまうが今が夢の中の出来事だと言われた方がしっくりくるくらいにはこれまでの出来事に実感がない。


それに欲しいと言われても困る。

持っていないものを要求されても千羽にはどうしようもない。


「器は人の感情の篭ったものであればいいんだ。例えば何年か身に付けたお守りとか、好きな人にもらった消しゴムなんかでもある程度の効果はある」


お守りに、消しゴム……。


どちらも持っていない。


――私あんまり物持ち良い方じゃないし……


何年も大事にしている物もなければ、好きな人から何かもらった事などない。

強いて言えば、小さい頃に――。


「あっ」


「何か思いついた?」


「小さい頃に好きな人に渡そうと思ったキーホルダーが確か家の引き出しにあったはずです」


小学生の頃に旅行に行ったお土産を渡そうとしたものの、恥ずかしくて渡せなかったイルカのキーホルダー。


身に付けていたわけではないが、あれならどうだろうか。


「あー、それそれ! それで充分だよ」


どうやら良かったらしい。


「いやぁ、良かった。もう手持ちの器が少なくなってきてたから。この単語帳だけじゃ厳しいし」


そう言って魔法売りが手に持った瞬間に、またばらばらと紙が崩れた。


「そう、みたいですね。今帰って急いで持ってきます」


「あー、大丈夫!それを明日にでもこの教室に置いておいてくれれば。後一日くらいは持つから」


「わかりました。じゃあ明日に」


千羽は床に置いていた鞄を背負い、扉を開ける。


最後に頭を下げてお礼を言う。

魔法売りがこちらに手をあげるのを見ながら千羽は扉を閉めた。


廊下に出ると、ようやくいつも通りの日常の中に戻ってきたようで、どっと身体に疲れを感じた。


――なんとかなって良かった……


歩き出した足にうまく力が入らない。

さっきまで感じていた恐怖から解放されて、

心底良かったという安心感のせいだろう。


騒ぎも無事解決した。


魔法売りを紹介してくれた智子には後でお礼を言っておいたほうが良いかもしれない。


所詮噂だと心の中では期待していなかったが、しっかり原因を突き止め、解決してくれた。


今後何かあったとき、また頼らせてもらおう。


下駄箱で靴を履き替え、校舎を出る。


――とりあえず家に帰ってキーホルダーがあるかどうか確かめ……


「……」


千羽は遠く一点を見つめながら立ち止まった。


オレンジ色の太陽がその姿を半分隠し、街に夜の帳が落ちようとしている。

後片付けをする生徒たちの声がどこかから聞こえる。

千羽は視界に広がる景色を見て違和感を覚えた。


「え、なんでもう夕方なの?」


ホームルームが終わり、教室を出て。


いや、違う、今日は違う場所へ寄って。


「……? 私何を……」


頭には何故か小さい頃、想い人へと渡し損ねたイルカのキーホルダーの事が浮かぶ。


「なんでキーホルダーがいるんだっけ……」


わからない。

断片的に頭の中に浮かぶ単語に千羽は首を傾げた。


「んー?」


空き居室へキーホルダーを置いて置かなければならない。

それは分かるのに、何故そうしなければならないかがさっぱりだ。


歩を進める。


何か頭に靄がかかってしまったように、スッキリしなかった。

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