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魔法売りの少年  作者: 青い夕焼け
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四話

ある日の帰りのホームルームの時間。

連絡事項を終え、担任が教室を出て行ったタイミングで坂上が教卓へと歩み出た。


「あー皆、昨日グループトークで話した奴なんだけどさー」


クラス内での連絡のためにとこの前、クラス全員でLEINの連絡先を交換し合った。

グループトークとはLEINの機能の一つで連絡先を持っている人物を任意に招待でき、このクラス全員がそれぞれ自由に発言できる。


そしてそのグループトークは自己主張の強い坂上達のグループを中心に、ほぼ毎日盛んに活用されていた。


昨日そこであげられた話題は当然、間近に迫ってきたスポーツ大会に関するもの。


「ぶっちゃけこのクラス皆運動得意な奴ばっかり集まってるからさぁ、やる気だしゃ優勝行けると思うんだけど......」


ニヤニヤと不快な笑みを浮かべる坂上。


「バスケは俺らで余裕だし」


「女子だって私達がいればよゆっしょ」


「練習しなくても勝ちそー」


グループの面々が勝ち気に喋る中、


「と、思ってたんだけどさちょっと最近このままじゃ優勝厳しいかなって思い始めてさー」


含みのある言い方をした後に坂上はある方向へとわざとらしく視線を向ける。 


その視線の先には佐藤をはじめ、何度も坂上から悪態をつかれていた面々がいた。


その視線に気づいたグループの面々からくすくすとバカにしているような笑いが生まれる。


あえて言葉にせず、立場の弱いものを見下して楽しんでいる感じの悪さ。


しかし佐藤たちは何も言い返さない。


否、言い返せない。 


そうして笑われていることに気づきながらも、彼らはぐっと下唇を噛み締めてこらえていた。 


「まぁ、ちょっと練習しなくちゃなって思うわけよ。でも授業の時間だけじゃ正直厳しいから休み時間とか、放課後とか場所借りてやりたいわけ」


そこで一度言葉を区切り、一息置くと、


「だからさー、誰か先生に使用許可とってきてくんない?」


坂上は教室をぐるりと一周見渡す。


「なぁ、俺らが練習できねーと皆勝てないっしょ? だから頼むよー」


体育館の使用許可を取りに行くなど誰もやりたがらない。

申請書を先生にもらいにいき、申請書を書いて提出。

体育館を使用する部活の顧問にも話を通しに行く必要がある。


日直の帳簿をつけることすらめんどくさいのだ、そんな面倒ごとをやりたがる奴なんていない。


皆はざわざわと声を上げながら周りの顔を見る。

めんどくさそうな顔をするものや困った顔をするもの。

中にはいいねと好意的な顔をするものもいたが、それは自分が許可を取りにいくことになるとは欠片も思っていないからだろう。


皆色々な表情をしていたが自分から進み出るものはいなかった。


その反応を見て坂上はため息を吐き、


「なぁ、佐藤。頼んできてくんない?」


「え?」


唐突に名前を呼ばれ、佐藤が驚いた声をあげた。


「佐藤くんよろしく」


「お願ーい」


坂上の後から女二人もニヤつきながら便乗する。


「でも僕――」


「頼むよ、佐藤!」


言いかける佐藤の声を遮って坂上が言う。


口では頼むと言ってはいるがその実有無を言わさず、言うことを聞けとその目が語っていた。


「持ちつ持たれつってゆーかさー、俺らは競技で活躍できるからさー、佐藤とか他の運動できない奴らはサポートに回って欲しいわけよ」


自然に佐藤を下に見る発言。


その自信は一体どこから湧いてくるのか。

傲慢なその提案を、しかし坂上は平然と通そうとしていた。


坂上のグループ以外の面々も呆気にとられたように坂上の話を聞いている。


「あいつ、何言ってんの?」


智子がひそひそと千羽に向かって話しかけてきた。

千羽も、智子と同じ想いだった。


試合で活躍できないから、運動が苦手だからといってそんな雑用を押しつけていい理由にはならない。


「なんだよ、嫌なのー」


戸惑う佐藤に坂上がふてくされたように言う。


教卓についた手をでろんと前へ伸ばし、教卓にもたれかかるような姿勢で話す。


「じゃあ太田は?」


次に坂上が話を振ったのは佐藤と同じように、あまり運動を得意としていない男子だった。

ふくよかな見た目のとおり、運動が得意ではないらしいことはクラスの皆が知っている。


「そんなの嫌に決まって――」


「じゃあお前何かできることあんのか?」


太田の言葉の途中で坂上が言う。


「それは……」


語気の強い口調で言われ、太田の声が小さくなった。


「俺は一人一人にできることをやって、皆で勝とうぜって言ってるだけなんだよ、わかるか?」


トントン、と威嚇するかのように教卓を叩く坂上。

黙り込んだ太田は口の端を噛み締める。


ピリつく空気を感じとり、ざわめいていた教室が静かになっていく。

何か口を開いて、坂上の意識が向けられるのを避けているようだった。


しん、と空気が重い。


誰も口を開くことができない。


そんなクラスの状況を見て、


「じゃあ、森野さんはー?」


「わ、私……?」


「おねがーい」


女二人もまた、坂上と同じように話を振る。


「てか森野さんしっかりしてそうだしマジ適任じゃん?」


「それなー」


名前を挙げられた女子は皆の視線から逃げるように身体を竦めて縮こまっている。


「えっと、私にはちょっと……」


蚊の鳴くようなか細い声。

恥ずかしそうに森野は目を伏せながら話す。

小さいながらも否定する言葉。


「え?何?」


「聞こえなーい」


しかし女達は森野に被せるように大きな声を出す。

聞こえていた上であえて聞こえないフリをしているのかは分からないが、その声に森野は明らかに怯んだ。


「私には……」


「もっと大きな声でしゃべってってば」


「声ちっちゃすぎー」


女達の声に森野の身体がびくりと強張った。


「えっと、だから……」


だんだんと森野の声が震えだす。

何か罵倒をしているわけではない。

だが、森野は大勢の目が集まっているこの状況に追い込まれていた。


「わ、私には……」


クラスから集まる視線が、目立つことを得意としない彼女の精神をすり減らしている。

潤んだ瞳から雫が一つこぼれ落ちそうになる。


「あ! あの……」


と、そこに一人声を上げるものが。


「お? なになに佐藤くん」


「今話ちゅーなんだけどー?」 


坂上から話を振られて当惑していた佐藤がクラス中の視線を集め直すように声を上げた。


視線が離れたことで、森野の身体からふっと力が抜けるのがわかった。


「僕が、先生に頼んでくるよ」


佐藤は森野の方を一度ちらりと見た後、そう言った。

見るに見かねて、名乗り出たのだろう。

とても本意ではないなかったことが表情から伝わってくる。


「おー、まじ! 助かるぅ」


佐藤の言葉を聞いて、先ほどとは表情を一変させた坂上が調子良く言う。


「さすがに他のクラスも使うだろうから毎日は厳しいだろうけど、許可取れたら俺らに教えてなー。じゃ、あとはよろしく!」


言うだけ言って鞄を背負い、坂上達は教室を出て行く。


残された皆の頭にあるのは横暴な態度に拍車の掛かってきた坂上への不満。

だがほとんどのものがまず浮かべていたのは、自分じゃなくてよかった、という安心だろう。


一方で、森野の代わりを名乗り出る形となった佐藤はうつむきがちに視線を落とし、静かに教室を後にした。


皆心の中で佐藤に謝罪しつつも、その奥底ではさして大した出来事ではないと認識していた。


だが、この件がますます坂上を増長させることになった。


佐藤へのアタリはどんどんと強くなり、雑用どころか些細な用事でも佐藤をこき使うようになった。


昼飯を買いに行かせ、課題を押し付ける。

事あるごとに呼びつけ、あれをしろこれをしろとパシリにいかせ。

グループ内で散々佐藤をネタにし大笑い。


いじりは日増しにネタの域を超え、辛そうな佐藤の表情を加味すればもはやそれは歴としたいじめと化していた。


発端は佐藤がバスケの試合で足を引っ張ったから。

こいつには何を言っても良い。

ダメな奴には何をしても良い。


そんな傲慢な考えが彼らの脳みそを支配し、超えてはいけないラインがぼやける。


坂上からの暴言や頭をはたいたり、背中を小突くなどの軽度な暴力。

取り巻きの女二人、樽井と野木目による精神的な屈辱を受け続け。


━━ある日、佐藤は学校を休んだ。


体調不良とのことだが、坂上からの扱いに耐えかねてのことなのは明白だった。


そうして佐藤が学校を休み出しても坂上グループは気にした様子もなく、むしろ何休んでるんだと不満をこぼす始末。


人一人を追い込んでおきながら彼らに罪の意識は存在しない。


彼らは平然と学園生活を過ごしていた。


だが、話はそこで終わらない。


異変はその日の放課後に起こった。


「よーし練習いくぞ」


「おっけー」


樽井がいつもの調子で緩く返事を返す。


「ノキも早く……?」


樽井が野木目を呼ぼうと振り返ると、彼女はソワソワと自分の周りを警戒するように奇妙な動きをしていた。


引きつった表情からは余裕は感じられず、何かに怯えているような、そんな表情。


「どうしたのー」


樽井が声を掛けると、


「ちょっと、声が……」


「声?」


まだ何かを気にする素振りを見せていたが、樽井の不思議そうな表情を見て、


「なんでもないなんでもない。桜は? 呼んだ?」


「いや、まだだけど……、てかさっきバイトがなんだってさっさと帰っちゃったし」


「また? 何気にあいつ一回も練習出てなくね?」


いつもの調子に戻った野木目と共に樽井は体育館に向かうべく教室を出る。


「早くしろよ! 時間少ねーんだからよ!」


機嫌の悪そうな声で坂上が廊下の先から叫んでいるのが聞こえた。


「はいはい、すぐ行くっての」


「坂上機嫌悪ー」


都合の良い小間使いがいないせいか、ここ数日の坂上の機嫌が悪い。


「佐藤くんがいないとこっちまでとばっちりだわ」


「まぁそのうち他の人に目つけるだろうし、それまでの辛抱だねー」


佐藤以外の誰かが坂上の標的になる。

野木目や樽井は勿論、クラスのものたちも同じように考え、いつ自分が標的になるのかと気が気ではなかった。


しかし、次なる犠牲者は出なかった。


佐藤が休んでから数日。


クラス内でしばしば奇妙なことが起こり始めた為だ。


「ねぇ、なんか最近携帯から変な音するんだけど」


それを初めて口にしたのは、野木目だった。


「壊したんじゃね?」


「そんなんじゃなくてさー、なんかきもい声がさ、夜中にプツプツプツプツ聞こえるっていうか……」


坂上が茶化した様子で答えるも、野木目は真剣な様子で答えた。


寝不足なのか、調子の悪そうな顔。

いつもギャハギャハと甲高く笑っている彼女にしては珍しい様子だった。


「なんだそれ、怪談にはまだ早いだろ」


「だから! 本当なんだって!」


何度話しても軽い調子でまともに取り合わない坂上に野木目が大きな声を上げる。


「うるせーな、じゃあどんな音だったか明日録音して来いよ」


坂上を睨みながら、野木目は了承した。


嘘なんかついてないし、と苛立ちまじりに吐き捨てる野木目の顔は坂上に対する怒りと、謎の怪現象に対する怯えが見えた。


翌日、野木目は学校に来なかった。


担任曰く、風邪でしばらく休むとのこと。

奇妙に感じた友人達がメッセージを送ったが、何一つ返信が返ってくることはなかった。


次におかしなことを言い出したのは坂上のグループの美島。


普段のお調子者の姿はなりを潜め、その顔色を不安でいっぱいに染めて、


「声だ。絶対。誰かの声が聞こえるんだよ。なんて言ってんのかわからないけど、ノイズみたいな音と一緒に……、これ、幽霊的なやつなんじゃねぇの……」


「お前もノキと同じかよ」


面倒くさそうに眉をひそめる坂上に、


「え、ノキも……?」


美島は意外そうな顔をした。


「そうだよ、高校生にもなって変な声が聞こえるだなんだって」


「……」


「せめてそういうのは夏にやんなきゃ面白くねーよ」


美島はそれを聞いて黙り込んだ。

じろりと時折坂上の顔を見つめつつ、何か考えるように口を尖らせている。


「そんなに言うなら録音して持って来いって言ったのによ。どうせ適当言ってるから持ってこれねーんだよあいつ」


美島はそんな坂上の言う事など聞いていないように席から立ち上がると、


「俺ちょっとノキに聞いてみるわ」


美島もその次の日学校へ来なかった。


相変わらず何の音沙汰もなく。


ようやくその頃になってクラス内に妙だという雰囲気が流れ出した。


まるで呪いが感染していくように、ゆっくりと"何か"がクラス内に侵食していく。


「ねぇ、聞いた?」


「私はまだ、でも――は昨日声が」


次第にクラス内でも噂されるようになり、あちこちでその話がささやかれている。


野木目や美島だけでなく「妙な声を聞いた」と周りに話していたものは、皆一様に学校を休んでいる。


――罰が当たったんだ。


皆の瞳に移る恐怖の色を見て、千羽は思う。


そして四限、現国の授業。


教師が黒板に文字を書き連ねる音が響く中、


『――デ』


耳のすぐそばで聞こえた“それ”に千羽は反射的に身体を逸らした。 


「え……?」


思わず漏れた声。

しかし隣に座る男子は何をやっているんだと言わんばかりに不思議な顔を向けてくる。


「今、何か――」


言ったか。そう書こうとした瞬間だ。


「いやぁぁぁ!!」


教室に悲鳴が響いた。

皆の視線が一斉に悲鳴の主、樽井に集まる。


「誰!? 誰!?」


椅子から突如立ち上がった樽井は両の耳に手を当てて、髪を振り乱している。


「お、おい」


「ちょっとどうしたの!?」


周囲の席に座るものたちが慌てて声を掛けるも樽井は返事をしない。


ただ、何かから怯えるように悲鳴を上げるだけだ。


「なんなの、誰なの!? 気持ち悪い……気持ち悪い……!」


明らかに錯乱している様子の樽井は、普段の緩い表情からは考えられない気迫で叫び散らしている。


「た、樽井!? どうしたんだ……?」


明らかに異質な生徒の様子に、動揺した現国の教師が宥めるように優しく声をかける。


「うるさい、うるさいうるさい……!」


ひとしきり叫び散らかした樽井は、ふと唐突にガタリと椅子に座った。


「――私じゃ――なん――」


蹲るように、小さく身体を縮めながら下を向いてブツブツ呟いている。


「大丈夫か? 樽井……」


あまりの様子に教師が心配そうに近く。

しかし、樽井は耳を塞いだまま答えない。


取り憑かれたように床の一点を見つめる樽井をクラスの皆は不気味そうに眺めていた。


突然の奇行にクラスはしんと静まり返り、チクタクと音を立てる時計の音がやけに大きく聞こえる。


「誰が樽井を保健室に連れていってやってくれ」


手に負えないと判断したのかひとまず教師はそう言ってクラスに目を向ける。


キョロキョロと教室を見回す教師の視線が、野木目の席に行くが、欠席していることを思い出したのかまたふらりと移動する。


「羽生、頼めるか」


羽生――坂上達から桜と呼ばれている女が少し嫌そうな顔をした後、渋々といった様子で樽井の脇に頭を潜らせ、肩を貸す形で教室を出て行った。


ぴしゃん、と教室の扉が閉まると同時。


呼吸をするのを思い出したかのように千羽は深く息を吐き出した。


皆も異様な空気に飲み込まれていた己を取り戻すように、隣の席のものや近くの席のものに話しかけ、瞬く間に教室が騒がしくなる。


「えー、皆静かに。とりあえず授業を続けるぞ」


残りの十分間。教室が静かになることはなく、昼休みが終わる頃、付き添っていた羽生からの話で樽井が早退したことがわかった。


――


「千羽、あんたご飯の時くらい携帯置きなさい」


「んー」


野菜炒めを箸でつつき、携帯片手に口へと運ぶ。

母はそんな千羽の仕草を見て一言注意するが、このやりとりももう何度目になるか。

すっかり耳にタコができてしまい、自然と耳から耳へと抜けていく。


「全く……」


そんの千羽の態度に何を言っても無駄だと悟った母もため息を一つ吐いて食事に戻る。


携帯の画面に映るのは今流行りのドラマについての記事だ。

主演の男優がえらく人気なのだが、千羽にはその良さがあまり理解できない。


――何が良いのか……


記事のトップに映る笑顔を見て、小首を傾げる。


『……ンデ』


ぶつり、と耳障りな音が聞こえた気がした。


「……? お母さん、今何か言った?」


「言ったわよー何度も。もう何回言ったかわからない位」


母は呆れた調子で返してくる。


「そうじゃなくてさ――」


『アイ――クナケ』


言いかける千羽のすぐ耳元でまたぶつり、音がした。


「――っ!」


慌てて左右を確認する。

だが、そこには慌てた千羽のことを不思議そうに見つめる弟がいるだけ。


「どしたの?」


「いや、今なんか声が……」


そう言った千羽の言葉に、


「声?」


眉を動かし、なんともいいがたい表情の母。

どうやら千羽が話を逸らそうと適当なことを言っていると思い込んでいるようだった。


「なんだか、ノイズ混じりの……」


言いつつ、点いているテレビに視線を向ける。


画面にはお笑い芸人が台においたフリップボードを使って何か叫んでいる所だった。


気合の込め方が空回りしている感じが思わず目を背けたくなる。

何が面白いのかわからない、つまらないネタ。

画面手前に映る観客のいかにもわざとらしい笑い声がゲラゲラと聞こえてくる。


「ノイズ?」


家族の視線がテレビに集まるが、何もおかしな所はない。


「いや、なんでもない……」


――気のせい……かな


疲れているのかもしれない、そう思った千羽は急いで夕飯を流し込み風呂場へと向かった。


「ふぅ……」


顎の先まで湯船に浸かることで身体中の疲れが漏れ出ていくような気がする。


ここのところ千羽を苦しめていた筋肉痛もだんだんと良くなりつつあった。


「あ……ここも治ってる」


ちゃぷちゃぷと音を立てつつ、湯船に沈んだ自身の腕を眺める。

白い肌に点々と出来た痣。

内出血で青くなったそれは練習の証とでも呼ぶべき、千羽の努力の跡だ。


しかしそれもだいぶ色が薄くなり、元の白い肌へと戻りつつある。


練習練習とうるさい坂上によって千羽のクラスはこの所スポーツ大会へ向けて練習してきた。


カースト上位の者達が促すまま半強制的にだが、他のクラスと比べても相当練習量を積んだ。


だがそれも結局、成果が実らないままに終わりそうだ。


――それどころじゃないしね


今日の授業の騒ぎは尋常ではなかった。

休んだ人も全然学校へ登校してこない上に何が起きているのかもよくわからない。


――風邪、なわけないけど


薄々、感じとっている違和感はある。


学校でのあの感じ。


そして、さっきのリビングでのあの妙な"声"。


一体あれは……


「千羽ー! 電話鳴ってるわよ!」


母の声。


「はーい!」


千羽は返事をしながら、湯船から立ち上がった。



「あーごめんごめん、お風呂入ってた」


着信は智子からだった。


髪の毛をタオルで拭きながら、スピーカーにした携帯をベッドの上へ放る。


『じゃもう少し後でも良かったんだけど』


掛けるタイミングを間違えたと話す智子に、「いや、私今日は早めに寝るから」と告げると、


『えー? 早くない? 千羽おばあちゃんじゃん』


「うっさいよ」


軽い調子で喋る智子を適当に流して、あの先生の癖がどうの、先輩に一人かっこいい人がいるだの何でもない話をいつものように交わす。

そうして気がつけばすでに30分が経とうとしていた。


『そういえば私こないだ友達から魔法売りの連絡先教えてもらったんだ』


「へー、あの噂本当なんだ。なんか依頼したってこと?」


『それはまだ。何か困ったことができたら連絡しようかな』


「なにそれ、じゃあその連絡先が本当に魔法売りのやつかわからないじゃん」


半笑いでそう話すと、


『でも実際に依頼したことあるって言ってたから本物だよ』


心外だ、と声音に滲ませる智子が少しムッとした口調で答えた。


ふーん、と相槌を打っていると、


『まぁ本物でも私よりもっと欲しい人がいるだろうけど』


少し声のトーンを抑えて言う智子は、きっと今日の授業の時のことでも思い出しているのだろう。


千羽のクラスで何か起こっていることだけは確かなのだが、それが何なのかはわからない。


学校へ来なくなった人達も徐々に増えている。


恐らくだが、彼ら彼女らも今日の樽井のような事になっているのではないか。


そうだとすれば未だ学校へ来られないのも納得いく。


「そうね。魔法売りに相談してみるってのは――」


意外といい案かもしれない。そう言いかけた時、


『――――ンデ』


またあの”声”がした。


「!?」


慌てて辺りを見る。


何もない。


部屋の扉は閉まっており、音の出るようなものは近くには存在しない。


なのに。


「どこからっ……!?」


もう気のせいなどではない。


千羽の耳ははっきりと異質な音を捉えた。


背筋にひやりと冷たいものが走る。


正体のわからないものを認識した恐怖に心臓の鼓動が少し速くなる。


『どうしたの?』


「どっかから声が――――」


半ば助けを求めるように智子へ説明しようとした瞬間、


携帯に映っていた画面がぶつりと切り替わった。


「智子!? 智子!? なんで……?」


灰色に染まった画面はところどころに文字化けした文字が映し出され、耳障りな機械音がぴ――と部屋に響いた。


「なんなの、この音……」


音はすぐに収まった。


灰色の画面は時が止まったかのように静止し、何の反応も示さない。


しんと、部屋に落ちた静寂。


唐突に訪れた静けさに、何故か身体が強張る。


得も言えぬ不安が。


何か嫌なことが起きるという直感が、身体に警鐘を鳴らす。


『――――デ』


ゾクリと全身をなぞる様に怖気がせりあがった。


「いやっ!?」

 

耳元で囁かれるように聞こえた”声”。


反射的にしゃがみこんだ千羽はうずくまるように身体を丸める。


『――ナン――デ』


まるで溶けた泥のように、


『ナンデ――ガ』


耳を塞いだ手の隙間から、


『ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ』


染み込むように、不快な”声”が身体に入り込んでくる。


「――――! ――!? ――!!」


深く息を吸い込んで、その”声”を掻き消そうと必死になって大声を上げる。

だが、


――声が……


どれだけ叫ぼうと、自分の声が聞こえない。


口を大きく開き、いつものように声を出そうとするものの、空気に音が吸い込まれてしまうかのように吐き出した声がどこかへ消える。


なのに、


『タシ、――。ナンデ、ナンデ』


この"声"だけが、千羽の耳を支配する。


負の感情が直接身体を侵食するかのように。


その”声”が耳から入ってくる度、感情が染められていくような。


精神が、少しずつおかしくなっていく。


――やめてっ!


こめかみが痛くなるほど手を耳に押し当てても、”それ”は変わらず千羽に語りかけてくる。


――誰か、助けて!


助けを呼ぼうとする声も虚しく、自分の口からは何の音も出ることはない。


全身に鳥肌が走り、風呂上がりの身体は足先まで冷たくなっていた。


『ンデナンデ、オマエ、オマオマエガガガ』


ーー離れない。


耳にへばりつくその"声”が、耳にこびりつく。


『イナクナッタイナクナッタ』


『ハナレ、ハナレロナンデ、マエ』


『キエレバ、――――タシガ』


意識が、乗っ取られる。


頭の中に入ってきた”声”に精神が侵されていく。


――誰か……


「――っ」


唐突に視界が反転した。


倒れたのだということに気づく余裕すらなく、部屋の扉が勢いよく開き、弟と母親が慌ててやってくる姿を最後に千羽の意識は途切れた。

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