十五話
放課後、今だ監視の厳しい霧神から逃れつつ教室から脱出すると、丁度左山が下駄箱から靴を取り出すのが見えた。
その背中を小走りで追いかける。
「毎日毎日大変そうだね」
走ってくる音が聞こえたのだろう、後ろを振り返って左山がそんなことを言った。
「お前はもう完全に諦められてるもんな……、羨ましいわ」
桜火が左山の隣へと並びながら答える。
特に今日は前よりも圧が増していて、逃げるのに苦労した。
左山のようにこの人は何回言っても無駄なんだと、諦めフェーズに入ってくれれば楽なのに。
「それはそれで寂しい気持ちになるんだよね」
フッと笑い捨てる左山の表情が悲しい。
この前行われた体育の授業中、他クラスとの合同授業の際にスポーツ大会前ということで各種目の練習試合があった。
優勝を目指し、張り切っていた我がクラスだったが、男子ソフト以外はボロ負け。
最近欠席者も増え、放課後練習に参加する人数が減ったこともあり、『皆頑張ろうよ』という空気が蔓延した。
そんな中堂々と練習をサボる二人はクラスからどんな目で見られているのだろう。
「放課後の練習には出ないのか?」
隣を歩く左山に質問を投げる。
「あんな友達同士がいないと居場所がないような空間にいたらストレスでどうにかなっちゃう」
自分で想像して身震いする左山。
小さく、『恐ろしい……』と呟く左山は少し大げさに感じられるかもしれないが、これには桜火も同じ意見だった。
喋る相手もおらず、ちょっとできた時間を潰す時のなんとも言えないあのいたたまれなさ。
他の奴らがわいのわいのと楽しげに談笑しているのに、自分は一人次の試合はいつやるのかとソワソワキョロキョロ周りを見つめることしかできない……。
――ぼっちには人権がない空間だもんな
この間一度参加した桜火としても、もうごめん被りたい気持ちだった。
「まぁでも一番の理由は帰りが遅くなっちゃうから……」
確かに最もな理由だ。
ストーカー男、もといゾンビ男達がいつ現れるかわからないのに日が暮れるまで学校にいるのは怖いだろう。
夜道にいつ襲われるかわからないリスクをとってまであの練習に参加する理由がない。
今もこうして護衛のような形で一緒に帰ってはいるが、これも安全だとは言いきれない。
――早く解決しないとな
「家に帰ったら今日の失敗を踏まえていくつか作戦練らないとな」
「うーん、作戦かぁ」
左山はぼんやりと空を見上げた。
「どうすればいいかなぁ」
「もういっそ金でも渡してみるか」
「いくら?」
「一月五千円あたりは?」
「そんな手持ちない……」
そういってじっとこちらを見てくる。
「たかる気か?」
「魔法売りって儲かってるんじゃないの?」
「だから、俺は依頼で金はとってないって」
「それもうボランティアだよ」
左山の言う通り、魔法売りとは捉えようによってはボランティアだ。
今度から金をとるようにするか?
でもそうなると本格的に仕事みたいになる気もする。
金銭が発生したならそれ相応の責任がうんぬんかんぬんと言い出す輩ももしかしたらいるかもしれない。
いや、そういう奴らは何か丁度良い異種でちょちょいと……。
金額設定なんかを考え出しそうになったのでそこで一度思考を止めた。
「真中が好きなこととか、趣味とかが分かればでかいんだが」
「もう今度は失敗しないようにするね……」
「それだけ気にしてるならもう大丈夫だろ」
意識して、相手の反応を見て、そうすれば普通に会話できるはず。
加えて威圧しなければ完璧だ。
それにしても、真中の好きなもの……。
自分で言い出したものの、あいにくそんなことを知っていそうな知り合いはいない。
「そうだねぇ」
むぅと口を尖らせて考え込んでいた左山が
ふと思いついたと、
「ていうか君がそれを聞き出してくれたらいいんじゃ?」
「俺が?」
「私じゃ上手く話せないし、君がその情報を聞き出してくれれば……」
名案が出たとばかりに目を輝かせているが、
「それは無理だな」
「な、なんで」
そんな見捨てられた、みたいな目を向けられても困る。
「なんでも何も」
俺だって別に左山が憎くてそう言っているわけじゃない。
桜火は縋るような視線を送ってくる左山へ言った。
「ぶっちゃけ俺も上手く話せない」
「え」
桜火だってクラスの中に一人も友達がいないのだ。
今まで色々と偉そうなことを言ってしまったが、決して会話が得意というわけではない。
「今こうして私と話せてるのに……」
「それはお互い様だろ」
「じゃあ霧神さんと喋ってたのは?」
「あれは喋ってたというか言い訳してたというか……」
あれは喋ってたというより尋問を受けていた、の方が近い気がする。
屁理屈を捏ね回すのと仲良くなるために話すのでは訳が違う。
――そう考えると左山よりは喋れるかもしれないが……
しかし事態を早く収めるためだ、ここは俺が真中に――。
そんなことを考えていた時だった。
「左山さん!」
後ろから左山を呼ぶ声がした。
振り返り、そこにいたのは、
――確か同じクラスの……
誰が好きだとかなんとかで盛り上がっていた茶髪の男のグループの一人。
周りに涼と呼ばれていた男だ。
涼は振り返る左山の顔を見て顔を輝かせ、隣にいる桜火を見て表情を曇らせた。
「たしか天音、だっけ。左山さんと仲良いんだ」
「一応は……」
――露骨に煙たがってるな……。
喋ったこともなければどんな奴なのかもわからない相手だが声のトーンから察するに好かれてはなさそうだった。
だがこいつに嫌われるような覚えはない。
一度も関わりのない相手だから当然だ。
「普通に友達だけど」
桜火が思考している間に、左山が返事をした。
「そ、そう」
その語気の強さに怯んだ様子の涼だったが、すぐに気を取り直して、
「それにしても左山さんの家ってこっちの方だったんだ、知らなかったよ」
「……まぁ」
だから何、と言外にそう言ってそうな眼光。
同じクラスの男子だということを左山は分かっているのかは知らないが、相変わらず表向きの口調がきつい。
「その、隣の天音ってもしかして彼氏だったり……?」
だがその圧にも負けず、涼はおずおずとではあるがそんなことを聞いてきた。
飛んできた質問が思わぬものだったせいかぴくりと眉を上げ。
「彼氏じゃない。天音、は友達」
左山が言うと、
「そ、そっか! 俺勘違いしてたわ、左山さんが人と一緒にいるところ珍しいから――」
「別に珍しくない」
切って捨てるような鋭い一言。
「いやぁ、口調きついなぁ左山さんは」
あははと笑う涼。
――何なんだこいつ
左山に何の用があるんだ。
見れば蒸気した頬は赤く、首元に汗をかいている。
桜火を見て険しい目をしていたことを考えると、
――告白でもしにきたか?
左山の容姿は整っている。
学校では近寄りがたいと遠巻きに見られているが、思いの外学校外では声をかけられているのだろうか。
「僕はただ左山さんと話したくて後を追いかけてきただけなのに……」
ふぅと内側に篭った熱を発散するように一つ息を吐く。
「学校じゃ話しかけづらいし、いつもすぐ帰っちゃうから」
確かに左山の帰宅速度は爆速だ。
しかしそれを知っている上、話たくて追いかけてきたとはこいつ本当に。
「私は別に話したくないんだけど」
「またまた、きついなぁ」
へらへらと涼が笑う。
その態度を見て左山は一歩後ろへ下がった。
段々と左山の言葉に苛立ちが混じり始める。
「近づかないで」
表モードとは言えクラスメイトに対しての言いようが随分きつい。
自分に好意があるのだと分かっていないのか?
これは上手く話せないとかではなく明確な敵意が込められているような。
「そんなこと言わないでさ」
しかし左山が嫌がっているならここは間に入ったほうがいいか。
そう呑気に構えていたのが仇となった。
「少しくらい、いいじゃんか」
「っ」
ぽつりと低い声で涼が呟く。
「なんでダメなの、少し話すだけ、それだけなのに。他に何をしようっていうんじゃない、ただ俺と目を見て、視線を合わせて、互いの顔をじっくり見るだけ、それだけなのに」
瞬間、目の前の男から溢れでる濃い気配。
――こいつっ
やばい、と危険を察知したかのように肌にぴりぴりと痺れが走った。
「ちょっとくらい俺のいうこと聞いてくれよぉ!」
「やっ」
豹変した涼が左山へ向けて手を伸ばす。
怯んだ左山は目を閉じて縮こまってしまっている。
「っ、気持ち悪りぃこと言ってんなよ……!」
伸ばされた手が左山の髪を掴む寸前、咄嗟に二人の間に入った桜火が涼の手首を掴んだ。
即座に動いた反対の手にもしっかりと反応し、両腕で涼の両手を押さえ込む。
「邪魔を、するな。俺に触らせろ、その手を、その髪を、触らせろ!」
「くそっ、こいつ」
――こいつも、あのゾンビ連中と同じ……!
あいつらと違って普通の奴に見えたがおそらく左山の異種、その影響を受けている。
――いや、
ぎりぎりと歯を鳴らし、威嚇するように吠えるその姿は、
――とても普通の人間とは言えねぇな
油断した。
まさか突然豹変して襲ってくるとは。
この異種はなんなんだ。
涼は最初からおかしかったのか?
それとも突然異種の影響を受けたのか。
最初に話しかけてきたときには異種の気配はしなかったように思う。
ならば何かきっかけがあるのか。
首元を噛みつかれないように気をつけながら、左山から引き離しにかかる。
「はぁ、この俺の想いを、受け取ってくれるだろ!? 俺が、こんな、こんなに……。早く、早く触らせろ、その身体!」
「ぐぅぅっ」
たがが外れたような馬鹿力だ。
――ダメだ、押し負けるっ
部活にも入らず、ろくに筋トレもしていない身体だ。
徐々に桜火の方へ涼の腕が伸び、押し負ける桜火の腕が少しずつ折り畳まれて行く。
それでも歯を食いしばり足りない部分は気持ちで埋めようと息を止め、全神経を両腕に集中させて抵抗する。
「くっそ……!」
しかし根性だけでは筋力の差は縮まらない。
いよいよ押し返された腕の行き場がなくなり、桜火が押し倒されそうになる。
――仕方ねぇっ
「左山、俺のポケットから器を取り出せ!」
「……っ、ポケット?」
「そうだ、それをぶっ壊せ!」
その剣幕に怯えていた左山が弾かれるように動く。
桜火の背後に回った左山は涼から身体を隠すようにしながらポケットをまさぐった。
「これ!?」
左山が見せたのは淡い緑色の便箋。
「早く、破れ!」
今にも押し負けそうな桜火が必死に声を上げる。
瞬間、ばり、と紙が破ける音が鳴った。
零れ出すように出現した靄が桜火と涼の元へ向かう。
「っ、らぁ!」
器が壊れるのを確認すると同時、桜火は涼の腹目掛けて足を蹴り上げた。
鳩尾のあたりに突き刺さったのか涼は苦しげな声を漏らして後ずさる。
「っ!? なんだ、この靄――」
靄は腹を抑えて悶絶する涼の身体を包み込んでいき、全身をすっぽりと覆った。
まるで地面に水が染み込むように靄が涼の身体へと染み込んでいく。
「……あー、危ねぇ」
桜火はその光景を見て安心したように息を吐いた。
力んでいた反動による脱力感が全身をまったりと支配し。
久方ぶりに酷使された筋肉がぷるぷると震えている気がする。
――筋肉なさすぎか……
「これ、大丈夫なの?」
左山が便箋を破った格好のまま不安そうに聞いてくる。
「あぁ、左山のおかげでなんとかなった」
桜火は一言礼を言うと新しく取り出した器を掲げた。
何事かと叫んでいた涼の声は靄が身体へと吸い込まれると同時に途切れ、沈黙している。
「異種、【照れ隠し】。これでこいつの認識を変えた」
「認識……?」
どうやら涼やゾンビ男たちは左山に強く固執しているようだった。
なら左山を意識して狙ってくるのならその認識を、左山という人間の認識を別のものとすり替えてしまえば良い。
「そう、あいつは左山をもう別の何かにしか認識できない」
一体何と認識するようになったのかまではわからないが、それが石ころだろうが、別の人間だろうと問題はなく。
左山を左山として認識できないなら追いかけてくることもない、桜火はそう考えた。
元々は依頼者に使用し、桜火の素性を隠すためによく用いていた異種だったためこういった使い方をしたのは初めてだった。
「……」
だが、見たところ上手くいったらしい。
「あとはしっかりと回収して、と」
掲げた器を捉えたのか涼の身体に入っていったはずの靄が再び出現し、録画を巻き戻すように桜火の手に持つ器の中へと吸い込まれていく。
「あ、あの人……」
ぴくりと固まっていた涼の指が動く。
「一応俺の後ろに。また暴れだしたら一目散に逃げろ」
「うん」
二人の視線が直立したままの涼へ注がれる。
「あれ、ここは」
まるで今ベッドから目覚めたかのように緩慢な動きで辺りを見回し、
「えっと天音、と……誰?」
「誰って友達だよ、お前こそ何やってんだ」
「何って……、何だろ」
桜火は白々しい台詞を吐いた。
どうやら襲ってくる気配はなさそうだと左山と目を見合わせる。
「おかしいな、俺こんなところで……」
「調子悪いなら早く帰った方がいいぞ」
「ん? あぁ。そう、だな。なんか頭も妙な感じだし……、でもなんで俺こんなところに」
記憶が曖昧のようだった。
ぶつぶつと何かつぶやいている様は今しがたの凶暴性など感じられない。
涼はそのままおぼつかない足取りで学校の方へと戻っていく。
「もしかして、それってまた使えるの?」
感心したような少し上擦った声。
涼が立ち去るのをしかと確かめて、背中から桜火の手を覗き込みながら左山が言った。
「まぁな」
「すごい! じゃあこれで行きも帰りも安心ってことだよね!?」
興奮しているのか、二の腕の辺りをパシパシと叩いてくる。
「いや、これは対象が一人にしか向かないから複数人で来られたらどうしようもない」
「そうなんだ……」
また表情を曇らす左山。
「けどこうして効果があるのは分かったんだ。一人をなんとかできるだけでも全然違うはず」
そう言ってやると左山は少し安心したようにへへ、と笑った。
――ただ、問題は
桜火は破り捨てられた紙に視線を落としつつ、手持ちの器を手で触る。
しかしそこにあるはずだったものは存在せず、まさぐった手はただ何もない空間をさまようだけ。
手もちの器が完全に切れてしまったことを改めて確認して、桜火は小さく息をこぼした。