第五話 ほんまにお待たせしたで
「じゃーん!」
誇らしげにそう言うと、大学の先輩は薄っぺらい機械を俺に見せつけてきた。俺はつい、必要以上に大きな反応をしてしまう。
「うおおっ、スマホじゃないですか!」
「おう。ガラケー壊れたしさ、思い切って買い替えたんだ。はっきり言ってめちゃくちゃ便利だぞ、これ」
先輩は自慢げに、スマホを操作し始める。ガラケーを使っている俺からすれば、むき出しの大画面が今にも割れそうで不安なのだが、先輩いわくスマホ画面専用の強化フィルムがあったりして、簡単には割れないつくりになっているらしい。
「お前も買い替えた方が絶対いいって。言ってる間にガラケーの時代も終わるぞ」
「そっすねー……」
「それと、2011年ももうすぐ終わるな」
先輩はそう言うと、ラーメン屋に設置されている小さなテレビに視線をやった。
テレビでは『2011年で一番頑張ったこと』と『2012年の抱負』を街頭インタビューしている様子が延々と流れている。
恋人繋ぎをしている男女のカップル、そのうちの男性がアップで映し出され、『2011年で一番頑張ったことはー……』ともったいぶってからこう言った。
『隣にいる可愛い女に、告白したことですかね!』
「この映像、1年後には黒歴史になってるんじゃねーか」
先輩が、嫌悪と嫉妬と羨望を混ぜた顔をして言った。鼻で笑っていたが、その目は笑っていない。こわい。
「まあとにかく、スマホは便利だぞって話をしたかったわけ。……ラーメンも食ったし、そろそろ帰るか。お前この後バイトあんだろ?」
「はい」
先輩が立ち上がり、俺は開いていたガラケーをぱたりと閉じてポケットにしまう。それから、『2011年で一番頑張ったこと』についてふと考えた。
――まあ。あれだよな。
今年俺が頑張ったことといえば、イッパンジャーになってしまったことだよな。
『頑張ったこと』なのに、『なってしまったこと』なんだよなー。
「おーい、何してんだ。置いてくぞー」
「あっ、はい! すぐに行くので10秒ほど待ってください!」
「は? なんだそりゃ」
「あっ、……なんでもないです!」
日常生活でも誤ってイッパンジャー用語を口走ってしまうようになった自分が悔しくて、ラーメン屋から出た俺は決意を固めた。
――いい加減捨てよう。あのチェンジケータイを。
イッパンジャーに変身するための道具、チェンジケータイを俺に渡してきた――諸悪の根源である虎猫が最後に姿を見せたのは7月。新メンバーであるイエローを連れてきた時だった。
レッド、ブルー、グリーン、イエローときたので、最後にピンクを連れてくる。気長に待っていてくれ。
そう言い残して虎猫は消えていった。
――あれから4か月。
虎猫が現れる気配はないし、ここらへんで怪獣(ブルーに言わせるならメンストゥアー)が暴れているという情報もない。すなわちイッパンジャーの出番はなくて、本来なら今すぐにでも解散できる戦隊だった。ていうか解散したかった、少なくとも俺は。
問題は、ブルーだった。
ルックスはいいし頭脳も明晰、しかし頭のネジが数本抜けているレンジャーオタク。そんな彼は、イッパンジャーの解散をものすごく嫌がった。それどころか半月に一度俺たちを呼び出しては、変身ポーズの練習や、決め台詞のための発声練習、金属バットの振り方や突き方なんかを伝授してきた。
最後だけ聞くと犯罪集団かヤンキーの抗争みたいな話だが、これはあくまでイッパンジャー……正義の戦隊ヒーローの話である。
「ていうかみんな、意外とノリノリでやってんだよなぁ……」
夜の八時。バイト先――客の入ってこないコンビニで、俺は独りごちた。
そう、存在感が薄いからという理由で選ばれてしまったグリーンも、今を生きる忍だと嘘をつかれて加入したイエローでさえも、イッパンジャーの活動についてはやたらと積極的なのだ。ブルーに呼び出されれば絶対に来るし、どんな練習も手を抜かない。やる気がないのは俺くらいだ。
――あんなにダサい戦隊なのに、どうして皆、やる気に満ち溢れてるんだよ。
「おーい、レジ点検終わったら品出し手伝ってくれー」
店長の声で我に返る。気づけば完全に手が止まっていた。
雑念を追い払い、急いでレジの金を数え始める。そうしてくしゃくしゃの千円札を手で伸ばしていた時、
ピンポピンポーン
店のチャイムが鳴った。俺と店長は客の姿をろくに確認もせずに、「っしゃいませー」と低いテンションで挨拶をする。
しかし、新商品の菓子を並べていた店長がすぐさまその異変に気付いた。
「げっ、猫!」
「えっ!?」
その声に、俺は違う意味で反応した。カウンターから上半身を大きく乗り出し確認してしまう。
――いや、まさか。
そんなはずない。
虎猫のはずがない。
きっと黒い猫だ。白い猫だ。あるいは灰色の猫だ。
頼むからそうであってくれ。頼むから、見たこともない猫であってくれ。
そんな願いも虚しく、果たしてそこにいたのは見覚えのある虎猫だった。
「おまっ……、うそっ……!」
「にゃあ~ん?」
虎猫が首を傾げてわざとらしく鳴く。
――てめえ、本当はコテコテの関西弁で話せるくせに、かわい子ぶってんじゃねえぞ。
「やばいって! 俺、猫アレルギーあるんだよ!」
店長が菓子の箱を持ったまま後退する。女子が虫を見たときの反応そっくりだと思った。
虎猫からできうる限り距離をとった店長が言う。
「俺は事務所に入ってるからその猫さっさと外に出してくれ! あと、床も軽く拭いといてくれよ! じゃあな!」
店長の逃げ足は速かった。カウンターのスイングドアを開き、持ちっぱなしだった菓子をレジ横に置いて、事務所に入る。その時間、わずか1秒! そんな感じだった。
二人きりになった途端、猫はにんまりと邪悪な笑顔を見せる。
「ほんならなあ……、あったかチキンの『ピリ辛! 山椒のきいた焦がし醤油味』もらおか」
「馬鹿な事言うんじゃねえ」
「そやな、猫は猫用のごはんを食べやな身体に悪いもんな。よう知っとるなあレッド!」
「馬鹿な事言うんじゃねえ」
俺はカウンターから出ると、虎猫を両手で持ち上げた。虎猫が「いやぁん! やめて、えっちぃ!」と気持ち悪い声を出し、身体をくねらせる。
「ちょっ、変な声出すな! 店長に聞こえたらどうすんだよ!」
「お前、わいを追い出すつもりか! なんてひどい人間なんや!」
「ひどいのはそっちだろ! 食品を取り扱ってる場所に来るんじゃねえ!」
俺のその言葉に、虎猫はただでさえ丸い目を更に丸くさせた。
「そんじゃやっぱり、レッドのおうちに直接行った方がよかったんか? なんかいつも嫌がってそうやったから、今回はおうちやなくてバイト先に来てみたんやけど……」
嫌がっているのは確かだが、気を遣うべきところが違う。
俺は大きなため息をつくと、ドアに向かって歩きだした。虎猫は意外にもおとなしく、だらりと身体を伸ばしたままだ。
「ていうか。どうして今頃になって俺のとこに――」
そうして自動ドアが開いた時、俺ははたと気が付いた。
薄暗い駐車場に女性がひとり、ぽつねんと立っていた。
年齢は二十代半ばくらいか。ミディアムヘアはきれいにセットされていて、やけによく似合っている。
服装はボーダーのシャツにライトブルーのジーンズ、最近流行っているブランドのスニーカー。それに、何の変哲もない生成りのトートバッグ。
電車に乗ったら一車両に一人はいそうな、特徴を掴みづらい人。
見た目からはそんな印象を抱いた。
「いやー、ほんまにお待たせしたで、レッド!」
俺の腕からするりと抜けて、虎猫は女性の方へと歩いていく。女性が無言で頷く。
まさか、と俺は思った。
そんなまさか。なんで今更。チェンジケータイだってもう捨てるつもりだったんだ、それがまさかこんなタイミングで――
「この通り、ピンク連れてきたで! レッド!」
虎猫の言葉に、俺は膝から崩れ落ちた。