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拝啓、隣の作者さま 〜推しの恋愛小説家が、実は会社の後輩(男)だった俺の話  作者: 枢 呂紅


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15.チャンスと修羅場は表裏一体


「ポニー先生。『転こい』、2巻出してみませんか?」


 ちょうど夕刻のカフェタイム。ざわざわと楽しげな会話があちこちから漏れ聞こえるなか、庭野たちのテーブルだけが周囲から切り取ったように沈黙が流れる。


 ややあって、庭野の素っ頓狂な声が上がった。


「転こい2巻!?」


「そう! 完全書き下ろし2巻です!」


 びしりと指を突き付けられ、庭野は目を丸くした。


 転こい――正式名称『転生聖女の恋わずらい』。


 言わずと知れたポニーさん、もとい庭野作のこの小説は、WEB上では完結している。


 もともと短編のつもりで軽い気持ちでアップしたら、思いのほか反応がよかったので、急遽中編の長さまで書き上げた。それが出版社の目に留まり出版、という経緯で本になった作品である。


 そんなわけなので、続編の構想はこれと言って考えてなかった。たまに番外編をアップしたりと遊んではいるものの、メインで取り掛かっているのは既に別の小説。


 だから、加賀の提案は嬉しいより先に驚きが来た。


 それは加賀にも通じたようだが、むしろ彼女はにんまりと笑みを深くした。


「だって、ポニー先生。考えても見てくださいよ。転こいの魅力はすれ違ったり思いが重なりそうで重ならないジレキュン具合ですが、その分いちゃいちゃは足りないんです。せっかく本編で二人がくっついたんですよ。ある意味ここからじゃないですか!」


「な、なるほど?」


「それに設定にしても、まだ広げられる余地はあります。聖女様の役割についてはまだまだ想像の余地がありますし、騎士様の想いも主人公ふたりには秘められたままです。2巻、十分イケると思いませんか!?」


 ばん!と。小さい体に似合わない力強さで、加賀が机に両手を突き、身を乗りだす。それに気圧されつつも、庭野の頭には転こいを出してすぐの頃、手紙を渡してくれたときの丹原の姿が思い出されていた。


〝欲を言うならハッピーエンド後のふたりをもっと見たい。続編の構想があるなら、ぜひ読みたい! もちろん無理に書けとは言うつもりはないけど、いち読者としてこの想いは知っといて欲しいというか、期待しているというか……〟


(そういえば丹原先輩も、そんなこと言っていたっけ)


 途端、胸の奥からむくむくと湧き上がってくる情熱に、庭野はぎゅっと手を握りしめた。


 あの時は喜ぶよりも、思いのほか熱心に読んでくれたらしい丹原に驚くばかりで、続編について真面目に考えることが出来なかった。


 だけどもし、丹原が本気でああ言ってくれたなら――転こいの物語の先を、望んでくれたのだとしたら。それは、作者として応えたい。いや。応えなきゃだめだ。


 だって転こいの世界を生み出せるのは、世界で自分ひとりなのだから。


「やります。やらせてください、てんこい2巻!」


 力強く答えると、加賀の表情がぱああと輝いた。


「本当ですか、先生!」


「はい! どういう話にするか、これから考えなくちゃいけないけど……。転こいの可能性を、俺も信じたい。信じて、待ってくれているひとに届けたい! だから俺からも、ぜひよろしくお願いします!」


「嬉しい! 先生なら、そう言ってくれると思ってました!」


 きらきらと目を輝かせて喜んだ加賀だが、次の瞬間恐ろしいことを口走った。


「――――で。さっそく恐縮なのですけど、今月末の編集会議にのっけたいんです。プロット一本、急ぎで上げていただけますか……?」


「え“っ」


 思わず潰れたカエルのような声が出た。ぎょっとして固まる庭野に、加賀はぱちんと両手を合わせて縮こまった。


「突然でごめんなさい! だけど、鉄は熱いうちに打てと言いますし……。初動が好調な、いまがねらい目なんです! 社内を説得するために、ご協力いただけませんか!?」


「え、ええと……」


 机に頭がくっついてしまいそうな加賀に、庭野も困った。


 庭野とて勤め人だ。組織としての都合はなんとなく察しがつくし、加賀の事情も理解できる。いまが勝負時だというなら、庭野としてもぜひ乗りたいくらいだ。


 だけど、そういった熱意とは関係なく


(俺、現実的にイケるかな……?)


 編集会議が月末にあるのだと、加賀は言っていた。それが具体的に何日にあるのかはわからないが、最大多く見積もっても10日もないことになる。


 先ほども触れたように、庭野は転こいを既に完結した作品だと認識していた。当然2巻に向けたアイディアは空で、これから考えなくてはならない。


 加えて運の悪いことに、来週は庭野が所属する営業2グループで、大口顧客の案件で大きな山がある。普段はほぼほぼ定時上がり可能なホワイトな社風ではあるが、来週は締め切りに向けた駆け込みとあって、相当の修羅場を迎えるはずだ。


(けど、転こいの勢いが来月まで続く保証はないし、いくら初動が良くたって次の編集会議に通してもらえるとは限らないし……うわあ、もう! 俺、一体どうすれば……!)


 くしゃくしゃと、思わず庭野は髪をかきむしった。


 すると再び、なぜだか丹原の顔が頭に浮かんだ。


(先輩なら、どうしろって言うかな)


 丁寧に着実に、クライアントの要望に応え続ける営業部の不動のエース。そんな、会社の先輩としての丹原の姿が脳裏に蘇る。


 丹原と親しく話すようになってわかったことだけれども、彼はいわゆる天才ではない。もちろん地頭の良さとかもともとのセンスの良さなどはあるだろうが、彼の働きを裏付けるのはもっと別のもの。


 地道な努力や、ひとつひとつの仕事に誠実に向き合う姿勢。そして何より、目の前の課題から決して逃げ出さない芯の強さが、丹原を営業部のエースたらしめている。


 もし、丹原がいまの庭野の立場なら。


(めちゃくちゃ手に入れたいものがあるのに。叶えたい夢が、目の前にあるっていうのに。チャレンジする前から怯むなんて、先輩は絶対あり得ないよね!)


 武者震いとともに、がたり音を立てて庭野は立ち上がった。


「わかりました、加賀さん。俺、なんとかやってみます」


「っ、本当ですか!?」


「はい! やる前から逃げるのは、なんか違うかなって思って」


 頬を指の先で掻いてから、丹原は真面目な表情を浮かべる。


「けど俺、会社の方がかなり修羅場を迎えそうで……。月末の編集会議って言っていたけど、プロットを加賀さんに渡せるの、かなりギリギリになっちゃうかも」


「ええ、ええ! 大丈夫です。あらかじめ言っといていただけるなら、私も慣れてますし」


「ありがとう。それと、実は俺、これまでちゃんとしたプロットって書いたことがないんです。編集会議に出すってことは、それなりに体裁を整えなくちゃダメですよね。どういう風に出せばいいか、教えてもらうことって出来るかな」


 庭野がおずおずと尋ねると、小さな編集者はぱんと自身の胸を叩いた。


「任せてください! もちろん私も、先生にまかせっきりにはしません。一緒に頑張って、2巻に向けた案を練り上げていきましょうねっ」


 嬉しそうに笑った加賀に、庭野はホッと息を吐く。


 そして、改めて喜びに打ち震えた。


(2巻が出せる……。まだ決定じゃないけど、また本を出すことが出来るんだ!)


「ときにポニー先生、今日はまだ少しお時間ありますか? さっそくですが、作戦会議をしたいと思いまして」


「もちろん。加賀さんが大丈夫な限り、俺はいくらでも話せるよ!」


「いいお返事です」


 にっと笑って加賀が大きなバックを開ける。中から分厚い手帳を取り出すと、加賀はペンを握りしめて庭野を見た。


「それでは参りましょう。転こい2巻発売に向けた、第一回企画会議を!」



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