2.二人の旅立ち
面倒な変人に絡まれたな──というのが、セディラの正直な感想だった。
邪竜王ファヴニールを名乗った貴族風の男は、無駄に声も大きく無駄に顔も良かったので、宿の中とはいえ人目が気になった。
仕方なく……本当に仕方なく、セディラは渋々自身の部屋へ男を案内する。
男女が密室で二人きりという状況にはなるが、人間如きなら聖女様パンチでイチコロだ。アドバンテージはこちらにある。
……仮に彼が本当に【邪竜王】であったとしても、一度倒した相手に不覚をとるセディラではない。
「とりあえず適当に座りなさい。途中で呼び出されたせいで少し蒸らしすぎたけれど、お茶が入ってるから」
「ほう……? 人間とは、色の付いた水を飲むのだな」
「水じゃなくて紅茶。……貴方、本当にそんな事すら知らないの?」
「ああ、知らんな。何せ我は邪竜の王であるからな!」
ティーポットからカップに紅茶を注ぎながら、そんな会話を交わす。
やはりこの男、無駄に声量がある。隣の部屋の客に迷惑を掛けなければ良いのだが……。
「……熱いから、気を付けて飲みなさいよ」
観察がてら、テーブルの向かいに座ったセディラは紅茶を口に運ぶ。
やはり少し渋みが出てしまっているが、飲めない程ではない。
ただ、せっかく休暇前にミルラから貰った茶葉がもったいないな……と思った。出来る限り、美味しいものは正しい方法で堪能したかったからだ。
すると、ようやく男もカップに手を伸ばした。
「これが紅茶、というものなのか。ふむ……」
一口飲んで、彼は切れ長の真紅の眼を大きく見開く。
「これは! 水ではない味がするぞ! 何なのだ、この花のような豊かな香りのする湯は‼︎」
「花をブレンドした紅茶だもの。香りの強い品種だし、ストレートで飲むなら私はこの茶葉がお気に入りね」
「ストレート……とな?」
「砂糖で味を甘くしたり、ミルクを入れないでシンプルに飲む紅茶の事……なんだけど」
「うむ! このストレートなる紅茶の飲み方、我も気に入った! やはりそなたと我は、惹かれ合う運命なのだな‼︎」
我ら、最高に似合いの夫婦ではないか〜! なんて上機嫌に笑っている自称邪竜王。
セディラは苦笑しながら頭が痛くなってきたが、ひとまずこれはいい傾向だ。
……相手の気分が良くなっている今ならば、情報を引き出しやすい。
それも、向こうがこちらに好意を抱いているならなおさらだ。こういった駆け引きも、聖女として各地に派遣されていく中で学んできた。
「……ねえ、貴方は私に倒されたはずのファヴニールなのよね?」
「ん? ああ、間違いないぞ! 我の渾身のブレスをものともせず、強烈な拳を叩き込まれたからなぁ。いやぁ、かなり痛かったぞぉ〜アレは!」
「それを笑顔で言える貴方が怖いわ」
「記憶に残る致命傷だからな!」
いまいち会話が噛み合わない。
だが、そこまで当時の状況を把握しているのなら、彼がファヴニールの関係者である可能性は高くなってきた。
セディラは緩んでいた頬の筋肉を引き締めて、真剣な面持ちで彼に問う。
「……あの時、確かに邪竜王は死んだのよね?」
でなければ、光の粒子となって身体が消滅した説明が付かない。
あれは幻術でしたと言われてしまえばそれまでだが、竜が人の姿になるなど聞いた事が無い。
世界には獣人と呼ばれる種族はいる。けれどもそれは、人間と動物の中間のような姿をした人々の事を指すものだ。目の前の彼には当てはまらない。
彼は、どこからどう見ても人間。多少人間離れした美貌を兼ね備えているけれど、それでも人間の特徴を持っている。
「……そうだな。我はあの場で、そなたの手で葬られた」
「なら、どうして貴方はここに……それも、ドラゴンとしてではなく、人間の姿で私の前に現れたのかしら?」
核心を突くセディラの質問に、男は困ったように眉を下げて笑った。
彼はカップを持ったまま椅子から立ち上がると、ベッドの横を通って窓辺をもたれかかる。
その立ち姿すらも、無駄に画になってしまっている。イケメンとは、その中身が変人であったとしても許されてしまうものなのだろう。
セディラは内心、小さな苛立ちを覚えた。
「……我が邪竜王として配下を率いていた当時、我にはある野望があった。人類を駆逐し、ドラゴンが世を支配する世界を作りたかったのだ」
「そうして、ドラゴンが魔族の頂点に立とうとしていたのね」
「ああ。それこそが我ら竜種の幸福であり、義務なのだと信じていたよ。……その野望は、聖女セディラの手で途絶えてしまったがね」
人間やエルフ、ドワーフ、獣人をはじめとした人類連合と、ドラゴンをはじめとする魔族の軍勢は、古くから争う間柄だ。
聖女であるセディラとミルラ、そして異世界から召喚された勇者クーガの三人を主戦力とした防衛戦。それこそが、セディラとファヴニールの戦いである。
「けれどもあの後、冥界へと堕ちたはずの我の身に異変が起こった」
「異変……?」
「冥界へ堕ちる最中、何者かの妨害……否。見方によっては援護とも言えるか? ……我の魂が、二つに引き裂かれてしまったのだよ」
あらゆる生命は、その炎が途絶えれば地上を離れていく。
善き生命は天界へ。
悪しき生命は冥界へ。
それが世界の理である。
セディラ達のような聖女は、人々が清く生きられるよう奔走する神々の遣いだ。
しかし、彼の話を聞いてセディラは直感した。
人類の駆逐を目指した邪竜王に手を貸し、魂に影響を与えられるような者──
「……邪神の仕業、なのね」
セディラの言葉に、男は目を伏せながら頷いた。
「我が魂は、荒々しい殺意を抱く邪竜としての魂と、愛を知り、生きる事の素晴らしさを知った魂とに分離した。故にセディラ、我はそなたの事を探しておったのだ」
──……ん? 今、こいつ何て言った?
「そなたのあの拳によって、我は気付かされたのだ! 『生きる』とはただ肉を喰らい、敵を殺す事にあらず! 痛みによって生を実感した時は衝撃的であったぞ? 邪竜王たる我に強烈な痛みを与えられる者の稀有さもそうだが、我に向かって来るそなたの凛とした美しさに惚れたのだよ、我は‼︎」
「痛みと、美しさ……?」
──もしかしてこいつ、私のせいで性癖歪んだ説ある?
死ぬ程の痛みで生を実感して、そんな痛みを与えたセディラに一目惚れ。
「……こんなモテ方あります?」
その後もセディラの素晴らしさと、生きる事の喜びを叫び続けるファヴニール。
ぼそりと呟いた竜滅の聖女の嘆きは、元邪竜王の萌え語りによって掻き消されるのだった。
*
その後、セディラは今後の方針を固めた。
まず、このファヴニールを名乗る男──彼は間違い無く、邪竜王の魂の片割れであるのだろう。
人類への敵意を取り除かれた彼は、言うなれば『善なるファヴニール』だ。
冥界に堕ちきる前に、邪神によって地上へ押し戻された彼ら。
彼の話では「邪心の方の我であれば、まだ充分に力を取り戻せていないはず。この我も本調子ではないのだから、間違いあるまい!」との事だったので、今すぐ世界の危機に晒される訳ではないらしい。
ともあれ、邪竜王の片割れを放置しておく訳にもいかない。
ここは一度近くの神殿に立ち寄り、セディラの本来の住まいである大神殿に連絡を入れる必要があるだろう。
……それに、放置出来ないファヴニールはもう一匹いるのだ。
「貴方の事は、仕方がないので私が面倒を見ます。だけど、自分の事を邪竜王だと言いふらしたり、変な真似をしたらワンパンで沈ませるからね!」
「フフッ、そこまで我も馬鹿ではない! 安心せよセディラ。我はそなたの夫として、堂々と振る舞うことをここに誓おうぞ‼︎」
「それが変な真似だって言ってんのが分からんのかぁ‼︎」
「ゴフッ‼︎」
宿に預けていた馬を走らせる準備を終えたところで、セディラの聖女様パンチがファヴニールのみぞおちに叩き込まれる。
威力はセーブしたので、死にはしないはずだ。
ファヴニールはその場で崩れ落ちてしまったが、少し放っておいたら復活した。これが普通の人間相手であれば、即入院レベルのパンチだったのだが……。
「ふぅん……。囮として使えそうな耐久力ね」
「ああ! 以前から、体力には自信があったのでな!」
と、セディラの冷めた発言に輝く笑顔で応えるファヴニール。
「私はこの子に乗って隣街まで向かうつもりだけど、貴方はどうするの? 一応、二人で乗れないこともないわよ」
そう問えば、ファヴニールは待っていましたとばかりに胸を張って魔力を放出させる。
すると、彼の背中に立派な黒い竜の翼が生えたではないか。
「我にはこの翼があるのでな! グリフォンをも凌駕するスピードを約束しよう!」
「いやいやいや、それ目立つからしまいなさい!」
「そ、そうなのか? ……せっかく我の素晴らしさをセディラに伝えられる機会であったのだが」
ファヴニールは残念そうにしながら翼を消すと、セディラに続いて馬の背に跨った。
当然ファヴニールは馬に乗った経験が無いので、手綱を握るセディラが前に座っている。
背後からファヴニールに包まれているような状態になっているが、男性と二人乗りで戦場を駆けた経験は何度もある。違和感や嫌悪感は特に無い。
仮にも、命を懸けて戦った敵同士であったのに……だ。
「これが二人乗り……というものか」
「落っこちないようにしなさいよ、ファヴニール」
「う、うむ! そなたには窮屈やもしれぬが、迷惑をかけぬよう注意を払おう!」
言いながら、ファヴニールがセディラを抱くようにして、背後から腕を回して来る。
「……なあ、我が妻よ。何故だか妙に心臓が騒がしいのだが……」
「誰が誰の妻だ! ……初めての乗馬なんだし、緊張してるだけでしょうよ」
「あ、ああ……早く慣れるよう努めよう。そしてあわよくば、正式にそなたを妻として迎え入れたい!」
「そんな未来は来ないと思いますけどねぇ」
「来させてみせる! 何故なら我は、偉大なる邪竜のお──」
「それ以上口に出したら貴方のこと嫌いになるわよ!」
「すまなかった‼︎ 次こそ気を付けよう‼︎」
「声がデカい! ……あー、まったくもう!」
そうしてセディラが馬の横腹を軽く蹴ると、二人を乗せた馬が走り出す。
傍目から見れば、その姿はまるで姫と王子の遠駆けのよう。
けれどもセディラに向けられる恋心は、ひどく一方通行なものでしかない。
果たして、邪竜王ファヴニールを名乗る男との出会いが、【竜滅の聖女】セディラに遅い春をもたらすのか──
──その答えは、神のみぞ知る。