自分にとっては当たり前でも……なんて、意外とよくあることでした
試験の答案用紙を回収し、生徒たちが教室から全員出て行ったことを確認したリオは、小さくため息をついた。
(……今日はほんとにツイてない……)
回収した答案用紙の束を持って、リオは「行きましょうか」とシエラに声をかけて、教室を後にした。
「……あ、あの、臨時で補佐をとお願いしてたのに、結局ほとんど一人で監督してもらうことになってしまって、すみませんでした」
リオがペコリと頭を下げると、シエラは慌てて、ぶんぶんと首を横に振った。
「い、いえ!その、こちらこそ……最後の最後に何か、その……」
倒れた彼のことを思い出して、シエラは口ごもる。
「……えっと、なぜベルフォード君が廊下で倒れていたのか、伺っても……?」
少し戸惑いながらリオが聞くも、シエラも少し困ったような表情を浮かべる。
「いや、その……なぜ倒れていたのかっていうのは、たぶん、コーカスの威圧に耐えられなくて、だとは思うんですけど……」
「い、威圧……!?」
思わぬ答えに、リオは手に持っていた答案用紙の束をバラバラっと床に落としてしまう。
「あ、あわわ!」
「手伝います!」
慌てて二人で答案用紙を拾い上げ、リオは枚数を数えてすべてそろっているのを確認すると、ほっと息をつきながら、また歩き出した。
「経緯を説明しますと、その、ベルフォード君、ですか?廊下で倒れていた彼が、試験の途中でおなかが痛いのでトイレに行きたい、と言い出しまして。中座しても問題がないかがわからなかったのですが、本人が学園の試験では問題がない、と言っていたので、私には判断ができず、取り合えず、リオ先生が戻ったら、そのことを伝えるが構わないかを確認だけ取って、コーカスを念のため、不正しないかを見張る監視役としてつけさせた状態で、彼が教室から出て行ったんですが……」
そこまで説明し、シエラは言葉に詰まる。
(まぁ、案の定というかって感じではあるけど、コーカスの鶏姿のせいでカンニングしたってばれないと思ったんだろうけど……)
なんとなく、教室の外にでた後のことは想像がついている。
廊下にあった木製ロッカーは、個人に割り振られたロッカーなのだろう。彼はそこに置いてあった参考書か何かから、答えをカンニングするつもりで、ロッカーを漁っていた。
そして、その行為に対して、コーカスに声をかけられて――……
「廊下に出た後、トイレに行くこともせず、何やらそこの収納の前でごそごそとやっておったから、何をしておるのか、と声をかけたところ、悲鳴を上げて殴り掛かってきたのでな。少し大きくなって、威嚇しただけだ」
コーカスの言葉に、シエラは自分の考えていた内容でほぼ間違いないかな、と小さく頷いた。
「え……し、しゃべ…………喋った!?!?!?」
リオがコーカスが喋ったことに驚き、その場で硬直する。
手に持っていた答案用紙が彼女の硬直に耐え切れず、音を立ててぐしゃぐしゃになる。
「り、リオ先生!答案用紙、答案用紙が!」
「いやいや、え、し、シエラさん?今、貴女の従魔がしゃべ」
目を丸くして驚いた表情を浮かべてシエラの方を向く彼女を見て、シエラは思い出す。
(し、しまった……!一般的に、従魔は喋らない……!!)
コーカス達が普通にまるで人間のように言葉を喋り、そしてその日常がすでに当たり前になってしまっていたため、彼らが言葉を喋ることが普通ではない、ということを完全に失念していたことにシエラは気づいた。
「……だから彼も、驚いて、殴り掛かっちゃったのか。コーカスに声をかけられて……」
そう。
『何をしているんだ?』
と、人から声をかけられたのであれば、驚きはしても、自身のしている行為について、弁解するなりなんなりして、ごまかそうとするのが普通だろう。
だが。
今回声をかけてきたのは、一般的には喋らないと思われている従魔だった。
話す従魔なんて、たぶん彼も初めて出会ったのだろう。
だから驚いて、反射的に従魔とはいえ魔獣であるコーカスに殴り掛かる、などということをしてしまった。
コーカスは攻撃をされたので、姿を少し大きくし、攻撃をすることは無意味である、と示す。
けれどそれが逆効果となり、彼は物理攻撃ではなく、魔法で攻撃を仕掛けることを選択。
結果、コーカスの威嚇を受け、失神してしまった、ということだった。
「すいません……説明してませんでしたね。私の従魔のコーカスは、人語を話すことが出来まして……彼もそれに驚いて、まぁ結果、ああいうことになったんだと思います……」
モルトではもう、誰もがコーカス達が喋ることを知っているし、何ならギルド職員のみならず、街の住人達にも浸透していて、彼らと普通に会話をしていたりもする。
大丈夫ですか?とリオ先生の肩をポンポン、と叩くと、リオはハッと我に返り、コーカスとシエラの顔を交互に見やった。
「ほんとにすみませんでした。その、コーカスが喋ること自体当たり前になってしまっていて、そのことに人が驚くってことが頭にありませんでした……」
「あ、あは、あははは……」
少し顔を引きつらせながら、乾いた笑いを浮かべながらも、何とか歩き出したリオ。
「あ、そういえば、試験中に呼び出されてましたけど、そちらは大丈夫だったんですか?」
話題を変えた方がいいかな、と思い、全く関係のない話を振ってみるシエラ。
しかし、リオの表情はさらにきゅっと硬くなり、シエラはと本能的に話題の選択を失敗していることに気付いて、しまった!と心の中で叫んだ。
「呼び出しに来たのは学年主任のグレイム先生という方なんですけど、その、呼ばれた理由というのが、今日の昼までに提出が必要な書類が保管されているチェストの鍵が、鍵の保管場所からなくなってしまっていて開けられなくなってしまったので、急ぎで開けてほしい、ということだったんです」
その言葉に、シエラはうん?と首を傾げる。
「えぇっと……リオ先生は調合の先生、でしたよね?鍵開けか何かのスキルをお持ちされてるんですか?というか、予備の鍵とかはないんですか?」
ちなみに、モルトのギルドでは、錬金術師に依頼して、魔力を通せばどんな鍵の形状にも一致するようになる不思議な金属でできた万能鍵を作成してもらっており、万が一、鍵をなくした場合は、その鍵を使って開けることになっている。ちなみに、この鍵はなんでも開けられるため、盗難や悪用の防止策として、常にジェルマが身に着けることになっている。
「それが、予備の鍵がまとめられていた鍵束を、誰か別の先生が持ち出していたようでなくなっていたんです。私自身、鍵開けのスキルは持ってませんし、他の先生にも、そういったスキルを持っている先生はいません。今回、時間があまりないからってことで、チェストを壊していいからすぐに何とか開けてくれ、ということで、鍵の金属部分を腐食させて開ける方法をとるから、そのための薬液を急遽調合しなくてはいけなくなったんです」
「あぁ、なるほど」
鍵の部分を壊せば、確かにチェストを開けることはできる。
チェスト自体を壊してしまえば、中に保存されている物に影響が出る恐れもあるし、何より、修繕に費用と時間がかかってしまう。
「ただ、調合をしてほしい、と言われて行ったのに、調合するための素材が全然そろっていなくって」
「おぅ……」
彼女の表情に、シエラはまだあるぞ、これは、とごくりと喉を鳴らした。
「調合用に用意されたすり鉢と乳棒は1セットしかないし、用意されてた素材も半分は全然関係ない素材で使えないし、必要なものも足りてないし、触媒も補助材料も一切ないし……」
あ、これはマズい、とシエラが思った時だった。
「わかってるんですよ!調薬なんて誰でも簡単にできることだとか、魔法で代用ができるだとか、錬金術みたいに派手でわかりやすい凄い何かが作れたりするわけでもないから、馬鹿にされてるなんてことくらい!でも、お願いしてほしいなら、せめて必要なものを用意しておくとか、足りないものがあったら手分けして用意するのを手伝ってくれるとか、してくれてもいいと思うんです!なのに、他にもやらないといけないことがあるから、この授業時間内にチェストを開けておくように、とか、ふざけんじゃねぇって感じですよ!私だって試験の監督しないといけないんです、むしろそっちの方が本業で大事なことだっていうのに!子爵家のしかも次女で、担当も調合だからってみんな馬鹿にしすぎなんですよ!雑用ばっかり押し付けるな、私にだって仕事はあるんだ!うわぁぁぁーん!!!」
溜まっていたどうやらここにきて溢れてしまったようで、リオがわんわんと泣きだした。
シエラはどうしたらいいのかと、慌ててリオに落ち着いてください、と背中をさする。
「私だってわかってるんです、仕方ないって。だって、魔力も少ないし持っているスキルの数も少ないし、種類も生活に関するものが多いし。調合に関しては、人並み以上にはできるという自負はありますけど、でも、他の先生に比べて、家柄は低いですし、授業の人気度も低いですし、獣人だし」
「いや、そこに家柄とか授業の人気度とか、まして人種とか関係ないと思いますけど」
ズビズビと鼻をならしながら泣くリオに、シエラは言った。
「そもそも、リオ先生は王立学園に教師として採用されるくらいの実力をお持ちされてるわけじゃないですか。そこはリオ先生自身もさっき自負があるって言ってましたよね?」
「まぁ、はい。そこだけは。しっかりと学びましたし、経験も積んできましたから、この学園の他の誰にも負けないと思ってます」
リオの答えに、シエラはうんうん、と頷いた。
「なら、他に何がいるんですか?」
「え?」
シエラの問いに、リオはきょとんとした表情を浮かべる。
「だって、家柄が高ければ、勝手に調合の腕前が上回るんですか?生徒からの人気がある授業の種類であれば、調合の腕前が勝手に上回るんですか?知識が勝手に増えるんですか?獣人だと調合が上手くいかないとかがあるんですか?」
「いえ、それは……」
「そうですね、ん-……例えば、有名な魔術師や実力も人気もある剣士がお腹を壊したとするじゃないですか」
「へ?」
急に何を言いだすのかと、リオの頭の上にはてなマークが飛び交う。
「もう、歩くこともできないくらいお腹が痛くて、動けない、っていう状況になったその人たちが必要とするものって何ですか?」
「そりゃ、腹痛に効く薬……あ」
リオの言葉に、シエラはこくりと頷いた。
「はい、薬が必要になります。では、その薬って、誰が作ってますか?」
「調合、師……」
シエラはにっこりと笑った。
「みんな忘れがちですけど、そもそも、調合の仕事をする人がこの世からいなくなったら大変なことになるんですよ。調合師がいなくなる=薬がこの世からなくなるってことですからね。ポーションなんかは確かに錬金術師の方でも作れますけど、錬金術師の方は基本的に調合でできるものは作成してくださらないんで、まぁ、料金が跳ね上がることになると思いますし、何よりも供給が確実に追いつかなくなります。正直、質も悪い物が多くなりそうですしね」
シエラの言葉に、リオはくすっと笑った。
「では、そうなったらみんなどうなるか?高いお金を払って錬金術師や教会にお願いする?まぁそれができる人は良いかもですが、平民である私たちにはきっと無理になると思います。そうなったら平民達が病気やケガなんかが悪化して、どんどんいなくなる可能性が高くなる。平民がいなくなれば、貴族たちだって税収がなくなったり働き手がいなくなったりして、生活が立ち行かなくなる。となると、これ、もう未来が詰むんです」
シエラの言葉に、リオは目をぱちくりと瞬かせた。
「今、自分たちが当たり前に享受しているものというのは、必ず誰かがそれを提供してくれている物でもあるんです。当たり前にあふれている物ほど、ありがたみを忘れがちになりますが、そのぶん、失ったときの影響は計り知れないんです。だから、学園の人気だとか、家柄だとか、そんなことはどうでもよくって、リオ先生が担当されている教科というのは、世の中に絶対必要で、なくてはならない科目であることは間違いないので、胸を張ってください。あと、それと、学年主任の先生についてですが、その先生がリオ先生に作業を押し付けた間に何をされていたのかは分かりませんし、そのお願いの仕方は私も腹がたちますが、それでも、この状況の中で対応ができると思った人がリオ先生しかいなかった、というのは、リオ先生の実力をそれだけ認めている、ということじゃないですかね?」
「じえ”ら”ざーん”!!」
「え!?」
おいおいと泣きながら抱きついてきたリオが、なんとなくオーリと被って見えたシエラは、確実に自分よりも年上の女性の頭を、ポンポンと優しく撫でてあげたのだった。
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