業務部 受付課
「それでは、本日からは研修が始まりますので、終わったら裏口の方から戻らせていただきますね」
「あぁ、わかった」
たっぷりの温かいお湯の張られた浴槽でゆっくりと疲れと汚れを取った後、ふかふかで寝心地抜群のベッドでしっかりと熟睡し、小鳥のさえずりで目覚めて出勤の支度を終え、仕事の話をされていたものの、温かでおいしい、その上デザートまでついてきた至れり尽くせりの朝食を終えた後、「私、なんでここにいるんだっけ?」と本気で一瞬、これから仕事であることを忘れかけたシエラが、目の前で、まるで付き合いたてのカップルが別れる間際のような様でトーカスとの別れを惜しむエディを見て、現実に引き戻されたので、声をかけて立ち上がった。
「そうだ、打ち合わせのこともあるので、できればさっきお願いした件は、早めに確認を取ってもらえるとありがたい」
「はい、わかりました」
食事の最中、エディより、訓練が開始されるまでの一週間、トーカスを自分に付けてほしい、と依頼を受けたシエラは、こくり、と頷いた。
「正直、エディ様のことはある程度存じ上げておりますが、マーカス殿下のことについては、あまり存じ上げておりませんし、何より、その周辺の状況についても、可能な限り事前に把握しておくに越したことはありませんので、私としても、良い案だと思います。それに、トーカスもエディ様に付いて行った方がいい気がする、と昨夜言ってましたので」
「すまないな」
トーカスが自分と一緒に行動できるようになる、と思うと思わずニコニコと笑みがこぼれるエディを見て、シエラはうわぁ、という表情を一瞬だけ浮かべた。
「うん?どうかしたか?」
「いえ、なにも?それでは行ってまいります。トーカスの派遣の件については、また今夜にでもご報告させていただきます」
そう言ってシエラは一礼すると、コーカス達と一緒に、屋敷の裏口へと回った。
「お、君が例の坊ちゃんの先生かい?」
「…………例の、かどうかはわかりませんが、エディ様の従魔術に関する講師、ということでしたら、合っております。これから一か月ほどお世話になります、シエラとその従魔です」
「おう、よろしくな?俺は門番のカノンだ」
「よろしくお願いします」
シエラが頭を下げると、そんなにかしこまらなくてもいい、とカラカラとカノンは笑った。
「ちゃんと、鍵は持ってるな?」
カノンに確認されたので、シエラははい、と頷いて、首からかけていた丸い輪を取り出して見せた。
「よし、なら問題ないな。裏門は常に門番が誰か立ってる。今日は俺が担当だから、戻ってきたら、名前を言って、その鍵を提示してくれ」
「わかりました」
シエラは無くさないように、と、いそいそとそれを服の中に戻す。
「それじゃ気を付けて」
「はい、行ってきます」
シエラは小さく一礼すると、門を開けて、ギルドへと向かった。
*****
出勤して制服に着替えを終えたシエラは、受付カウンターへと移動した。すでに何人かの職員が出勤していて、そのうちの一部はもう仕事を始めているようで、書類を記入したりしていた。
「あ、シャオさん。おはようございます」
昨日、ギルド内を案内してくれたシャオの姿を見つけたシエラは、駆け寄って声をかけた。
「シエラさん、おはようございます。昨日はありがとうございました」
深々と頭を下げるシャオに、シエラはいえいえ、と慌てて手を振った。
「今日はお伝えしていた通り、受付業務をお願いします。こちらが本日張り出しを行っている採取・討伐系の依頼のまとめになります。指名なしの大型討伐依頼や護衛依頼については、こちらの小型魔法板に、うちのギルド内でまだ残っている依頼を載せているので、これで確認をお願いします。大まかな流れについては、昨日でたぶん、なんとなくはわかったと思うので、説明は不要で大丈夫ですか?」
シャオに聞かれて、シエラは苦笑しながら、大丈夫です、と頷いた。
「皆さん、そろっていますか。朝礼を始めます」
ミュシカがやってきて、声をかけると、それまでざわざわとしていたギルド内が一瞬で静かになる。
「本日からは、昨日お伝えした通り、モルト第一ギルドから交換研修で来られたシエラさんが、本格的に中央ギルドで研修を開始されますのでよろしくお願いします。モルトと中央ギルドとでは、やはり多少勝手が異なるところもあると思いますので、皆さん、お互いに気になることは確認しあってください」
『はい』
全員のピリッとした返答に、シエラはおぉ、と少し感動する。
(モルトで朝礼しても、こういう感じないから、なんかすごい不思議)
「本日は、ギルドマスターは午前中会議で出ている為、朝礼はこれで終了します。本日も一日、よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
職員が散り散りに動き出したので、シエラはそうだ、と慌ててミュシカの所へと駆け寄った。
「ミュシカさん!」
「シエラさん。何かありましたか?」
部屋を出ようとしたミュシカが足を止めてシエラの方を向く。
「あの、少しご相談がありまして。実は……」
一週間のトーカスをエディの傍へ派遣する件について確認を取ると、ふむ、とミュシカは思案顔になる。
「ちなみに、派遣するのはトーカスさんだけですか?」
ミュシカに聞かれて、シエラはその予定です、と頷いた。
「そうですか、わかりました。こちらにいる間、コーカスさんたちの普段の様子も、念のため確認をさせていただく予定なのですが、トーカスさんだけということであれば、依頼を受けても問題ないでしょう」
(……そもそも、今回のこの依頼だって、もっともらしい理由を並べられてたけど、絶対にエディがトーカスと一緒に居たいって言うのが一番の目的だと思うんだけど、それは黙っておこう)
心の声が外に漏れないよう、にっこりと笑みを浮かべて、ありがとうございます、とシエラは頭を下げた。
「今日帰るときに、必要書類を持って帰って、明日すべて提出できるように準備をお願いします。委任状だけ今日中に申請してもらえれば、明日からトーカスさんを先に派遣してもらっても構いません」
「わかりました!」
シエラが頷くと、ミュシカも小さく頷く。
「いろいろと今日から大変だと思いますが、無理はせずに、何かあれば、いつでも声をかけてくださいね」
ミュシカは小さく微笑むと、くるりと向きを変えて、そのままその場を離れて行った。
「……ミュシカさんが笑ってるとこ、初めて見た気がする……」
珍しい物を見た、とシエラが驚いていると、シャオがそろそろギルドが開くよ!と声をかけてきたので、慌ててカウンターへと移動する。
「隣で業務を行ってますので、何か不明点があれば、気にせず声をかけてくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
まるで新人に戻った気分だな、とシエラは思いながら、ギルドの始業の鐘が鳴ると同時に、心の中でよし、と気合を入れた。
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