事前準備は大変です。
お店の中に入ると、様々な葉っぱや棒、小さな固形の何かが、ショーケースに並んでいた。色や形もとりどりで、シエラはそれらを熱心に見てまわる。
「…お香のお店っていうのに、匂いは全然しないんだな」
トーカスが言うと、シエラはくすっと笑って当たり前でしょう?と答えた。
「お香のお店で、お香の匂いが充満してたら、匂いが確認できないじゃない。ちゃんとこうして、匂いが漏れないように展示することは当たり前だよ」
シエラが言うと、パチパチ、と奥から手を叩く音が聞こえてきた。音の方を見ると、そこにはグリーンのショートヘアの綺麗なお姉さんの姿があった。
「流石ねー。最近じゃ、店の一押しのお香を焚いておくのが流行りだ、とかって言って、店内で匂いをぷんぷんさせてる店も増えてきてて…。でもそれをしちゃうと、匂いが他の商品なんかにうつっちゃうからホントは良くないことなのよー。なのに、最近の客ときたら、店に匂いがしないとか、商品の匂いが薄いんじゃないか、とか文句つけてくるやつもいて、ほーんと、またその手の客だったら追い出してやろうかと思ってたんだけれど。あなたはちゃんとわかってるようね?受付嬢のシエラちゃん?」
そういってシエラは自分の名を呼ぶ彼女を見て首を傾げた。職業柄、人の顔を覚えるのは割と得意だと自負していたのだが、目の前の女性には見覚えがなかったからだ。自分の名を知っているということは、知り合いであるはずなのだが、彼女の名前も、会った記憶すらなかったのだ。
「…すみません、どこかでお会いしましたでしょうか?」
失礼であることは十分承知していたが、知らないものは知らないし、わからないものはわからないのだ、と、早々に諦めて、シエラは彼女に詫びた上で質問をした。
「いいえ?初対面よ?」
「あ、やっぱりそうですよね?」
あっけらかんと答える彼女に、シエラは少し安堵した。自分の記憶にない、ということは間違っていなかった、と。
「でも、名前くらいは知ってると思ったんだけど?私はこの【パルファン】の主、ルードよ」
これはこれはご丁寧に、と頭を下げたシエラは、頭を下げたまま「え?」と声を漏らす。
「え!?」
そして勢いよく顔を上げて、目の前の彼女を見つめながら、また、声を上げた。
パルファンは、モルト内にあるお香のお店の中でも、品揃えが良く、商品の品質も高く、納期を必ず守る、という点から、ギルド御用達のお店の一つであった。第一ギルドからも、ギルドでの使用備品、および、ギルド内での販売の為、パルファンからは定期的にお香を購入しており、発注や支払いの際に、店主である彼女、ルードの名前を、もちろんシエラは知っていた。
だが。
「…てっきり、男性の方だと思っていました」
ルード、という名前は珍しくないのだが、普通は男性につけられる名前であったため、シエラは今の今まで、パルファンの主はルードという男性であると思い込んでいた。
だから、先ほどの自己紹介を受けて、そのルードという方が、女性であることに驚いた、というわけだった。
「ふふふ、驚いた?」
「はい…すみません、正直驚きました」
あれだけあからさまに驚いた後に、いえ、そんなことはありません、とはさすがに言えない、とシエラは少し顔を引きつらせて笑った。
「ところで、今日はどういうご用件で?」
ルードが聞くと、シエラは意識を戻し、魔物よけと虫よけのお香が買いたい、と伝えた。
今回の生態調査では、おそらく何度も野営をすることになるだろうと思われたので、シエラは安心して眠れるためにも、この2つのお香は絶対に手に入れておきたかったのだった。
「うーん…そうねぇ。その2つだけれど、どういう用途に使う予定なのかを聞いてもいいかしら?」
「あ、はい。実は、生態調査を臨時で行うことになりまして。野営する可能性が非常に高いので、夜寝る時の対策としてほしいんです」
シエラが言うと、それなら、とルードは奥に引っ込んでなにやらガサゴソと漁る音を立てた後、にっこりと笑って、シエラにこれがお勧めよ、と言って目の前に1つの寝袋を差し出してきた。
「えと…寝袋はもうすでに持っているので、だいじょ…お、おぉぉぉぉぉぉ!?」
差し出された寝袋をシエラはいつもの癖で軽く鑑定したところ、そこに出ていた付加効果、思わず驚いた。
商品名:安眠寝袋
状態:新品
効果:虫よけ(半径10m)、魔物の接近感知アラーム(半径50m)
「お、おいくらですか!?」
「そうね~ザっと中銀貨5枚ってとこかしら」
「「たっか!!」」
なぜかトーカスの声がシエラとハモる。
「でも、これについてる効果を考えたら、決して高くはないと思うんだけれど?」
にっこりと笑って肩をすくめるルードに、シエラはうぅぅ、と唸った。
彼女の言うことは間違っていない。
虫よけのお香に関しては、付加されている倍以上の効果範囲があるのだが、お香の側から離れれば離れるほど、その虫よけとしての効果自体は下がっていく。そしてそれはもちろん、時間の経過とともに同じことが言えるため、分量を間違えると、朝目覚めるまでに、効果が切れてしまう可能性も出てきてしまう。
だが、この寝袋であれば、その心配がいらない。
そして何より、魔物が近づいてきていることを知らせるアラーム機能まで持っているというのだ。この機能が本当にきちんと動作するのであれば、安心して眠ることができる。
「でも確かに、普通の人に中銀貨5枚は確かに大金だと思うわ。そこで!」
にやりとルードは笑って、開いていた手の親指と小指を折り曲げて、3本の指を立てた状態にするして、「使用後の感想を教えてくれるというのであれば、今回特別に中銀貨3枚にまけてあげる」と続けた。
「買います!!!」
はいはい!と手を勢いよく上げて目をギラギラと輝かせながらシエラが言う。
思わず圧倒されて、若干のけぞるルードに、シエラは財布から中銀貨を3枚取り出して、はい!ルードの目の前に置いた。
「今回の生態調査は少し時間がかかると思うので、感想を伝えに来るのは少し遅くなりそうですが、いいですか?仕方がないしいいですよね?ね?」
今更だめだと言われても絶対にひかない、という無言の圧力をかけながらシエラが聞くと、ルードは苦笑しながら、問題ないわ、と答えた。
「一応、1年間は保証を付けてある製品だから、何かあったらうちにまた持ってきて頂戴。そうね…一応その生態調査が終わったら、念のためチェックしてあげるから、報告と合わせて持ってくるといいわ」
「なんて至れり尽くせりなの…!!」
これはものが良ければ、ギルドでの備品導入と販売の検討も視野に入れてもいいかもしれないな、とシエラは目を輝かせながら、考える。
「お香はどうする?」
「あ、一応、虫よけも魔物よけもどちらもください。ご飯を食べる時とかに必要になるかもしれないので…そうですね、とりあえずそれぞれ15個ずつで」
シエラが言うと、はいはーい、とルードはこたえて、鼻歌交じりにふんふん歌いながら、商品を袋に詰めていく。
「効果時間は1~2時間程度のもので大丈夫よね?虫よけのお香が1個銅貨50枚で魔物よけが1個銀貨1枚だから銀貨22枚と銅貨50枚。ってところなんだけど、寝袋も買ってもらったし、おまけで中銀貨2枚でいいわよ」
「た、助かります…!」
お香に関しては、必要経費として、後でギルドで経費精算することができるとはいえ、今は自分で支払いをしなくてはいけないのだ。財布がどんどん軽くなっていくのは、涙を禁じ得ない。
シエラは追加で中銀貨2枚をルードに渡す。
「領収書のあて先は、モルト第一ギルドでいいのかしら?」
ルードの言葉に、お願いします、とシエラは頷く。
「あ、寝袋は流石に経費申請通らないんで、金額はお香の代金だけでお願いします」
分かってるわよ、とウインクすると、ルードは出来上がった領収書と商品をシエラに渡した。
「またいつでも来てね~」
ルードが店の外まで見送りに出てきて、ひらひらと手を振ってくる。
シエラは軽く頭を下げると、そのまま店を後にした。
「…どこの世界も現実ってこんなもんなんだな…」
「ん?何か言った?」
トーカスが小さく何かを呟いたようだったが、シエラの耳にはどうやら届かなかったようだった。




