第八話
リンの正体が水樹さんと知った日から、早くも数日が経過した。
気づけば木曜日になっている。明後日は胡桃坂さんを交えた三人でネトゲをする予定だ。それを思うだけでちょっと緊張してくる。
「おいおい綾小路。元気出せよ、な?」
「そうだよ綾小路くん。一度だけでも水樹さんと食堂に行けたことを神に感謝するべきだね」
「……別に落ち込んでないけどな」
和やかな雰囲気が教室に漂う昼休みのこと。
俺は普段通り友達二人と食事を共にしていた。
あの月曜日から校内で水樹さんと喋っていない。
というのも、水樹さんと二人で食堂に行ったことがキッカケで、ちょっとした噂が校内に広がったのだ。
彼女のアイドル活動を考慮するなら、これ以上は人前で関わらないほうがいい。
結局、一緒に昼休みを過ごしたのは一回だけになってしまった。
「いただきます……んぐっごく……ごちそうさま」
俺はゆで卵を食し、手を合わせた。これが唯一の昼食である。
「いつものことだけどよ、ゆで卵一個で足りてるのか?」
「ああ慣れた」
「慣れたらダメだろお前……」
「お小遣いはもらっているんだよね? 弁当でも買わないのかい?」
「買わない。課金のために金を浮かせる必要があるからな……!」
「「これだからネトゲ廃人は……」」
二人同時にため息をついて呆れてしまう。心外な。
「そういやよぉ綾小路は水樹のことを名前で呼んでやらないのか?」
「い、いきなり何だよ。俺にそんな勇気があるわけないだろ?」
「でも水樹は綾小路のことを和斗くんって呼んでるんだろ?」
「まあ……うん」
思えば最初から名前で呼ばれていたよな。
水樹さんの性格によるものと考えていたけど……。
「あの水樹が男を名前で呼ぶなんて普通じゃないぞ」
「そうなのか?」
「おう。これは半年前に聞いた話なんだけどよ……。とあるイケメン男子が、水樹に迫ろうとして名前を呼んだらしい」
「へえ、それで?」
「素っ気なく対応されたそうだ」
「……目に浮かぶ光景だな」
「だがイケメン男子は何を勘違いしたのか。水樹がテレていると勘違いして、軽いノリで後ろから抱きついたんだ」
「そ、それで?」
「背負い投げで床に叩きつけられた……!」
「や、やべえ……!」
まあ聞いている限りだと男子の方が悪い。
いきなり名前で呼んだ挙げ句に後ろから抱きつけば立派なセクハラだ。
「幸いにもイケメン男子は痣が出来る程度で済んだが……水樹の男嫌いは相当なものだと証明された」
「男嫌いっつーか、正当防衛じゃね?」
「そんな水樹が綾小路を名前で呼んでいるんだぞ?」
俺の言葉を無視して橘が会話を続けてくる。
「……何が言いたいんだ」
「そりゃお前、アレだよアレ」
やけに含みたっぷりで言う橘。それを見た斎藤もニヤニヤする。なんだか嫌な雰囲気だな……。
「僕の計算によると、水樹さんが綾小路くんに惚れている確率は84%だね!」
「は、はぁ!? な、なな、何言ってんだよ!?」
あまりにも自信満々に告げてきた斎藤に、思わず椅子から立ち上がって叫んでしまう。
瞬間、教室のあちこちから視線を感じた。
「……っ」
顔が沸騰してそうなくらい熱い。俺は慌てて椅子に座り直す。
こういう悪目立ちだけは絶対に避けたかったのに……!
「ぶふっ! 綾小路くん焦りすぎでしょ」
「お、お前が変なことを言うからだろ! あ、あの水樹さんが俺なんかに……!」
「いやいや綾小路くん、割とありえる話だと思うよ」
「ないってば。俺と水樹さんはネトゲのフレンド。それ以上でもそれ以下でもない」
「そうかな? 最近、それとなく水樹さんを観察していたんだけど、綾小路くんを気にしている節があったよ」
「また適当なことを……」
「綾小路くんは気が付いていないようだけど、水樹さんは隙あらば綾小路くんを眺めているね」
「ああ、この俺様も見ていたけど間違いねえ」
「……そ、そんな馬鹿な」
あの人気アイドル水樹凛香が、ネトゲ廃人と呼ばれる俺に惚れている……?
とても信じられた話じゃないぞ。
「って、言ったらどうする?」
「ウソなのかよ! ちょっと喜んじゃったじゃん!」
「いや普通に本当だけどね」
「何だよそれ……」
ヤバいな。斎藤と橘に遊ばれてしまっている。
ひとまず深呼吸して平常心を取り戻そう。
「そんなに疑うなら水樹を名前で呼んでみりゃあいいじゃねえか」
「……もしそれで無視されたり投げられたりしたら、一生立ち直れないんだけど」
「おい斎藤。綾小路の名前呼びチャレンジが成功する確率は?」
「僕の計算によると、70%くらいかな」
「微妙に挑戦するのが怖い確率だなぁ。しかも惚れられてる確率より低いし」
斎藤の計算は相変わらず意味が分からん。
「ねえ君が綾小路和斗くんかな?」
「え――――?」
声をかけられたので横に顔を向ける。
見慣れない女子生徒が立っていた。
クラスメイトではない。しかしリボンの色からして同学年であることは確認できた。
「ちょっと私に付き合ってくれないかな?」
「えと……」
「あー、ごめん。今すぐじゃないと困るんだよねー」
申し訳無さそうに頭を下げるも女子生徒は要求を撤回しなかった。
やんわりとした雰囲気をしているが、こちらに拒否権を与えるつもりはなさそうだ。
「お、おいおい……! やっぱり綾小路にモテ期が……!」
「あ、そういうのじゃないから。それに私、彼氏いるし」
大げさに慄く橘に対して、さも当たり前のように言い放つ女子。
「別にいいけど用件を教えてくれないか?」
「あまり大きい声じゃ言えないんだけど、奈々ちゃんがお呼びなんだよねぇ」
「胡桃坂さんが?」
一体どんな用事なんだろう。ともかく胡桃坂さんが相手なら無下にはできない。
「じゃあ行こっかぁ」
「分かった」
俺が女子生徒の後に続こうとすると、橘と斎藤が目をかっ開いて顔に驚きを示した。
「う、うそだろ、水樹に続いて奈々ちゃんまで!? お前、化け物かよ……っ!」
「ぼ、僕の計算によると、綾小路くんがモテ期の確率は……100%!」
………………。
何を言っているんだろう、この人達。
背中に彼らの視線をヒシヒシと感じながら、俺は教室から出ていくのだった。