第二話
「お、おーい。大丈夫?」
「…………ぅぅ、んっ……んんっ……!」
本気で痛そうに体をくねくねさせる謎の少女。
俺からすれば不審者だが、ちょっと心配になるレベルの落ち方をしたので不安になった。
とにかく情報を知りたくて少女を観察するも、分厚い着る毛布で全身が包まれているのでよく分からない。なんか黒くて柔らかい固まりが蠢いているようにしか見えなかった(今は夏なのに熱くないのか?)。体格から見るに小学五年生くらいな気がする。
とりあえず彼女を起こしてあげよう……。
階段に足を下ろしギッと音が鳴った瞬間、飛び上がるように少女は体を起こし、慌てるようにして四足歩行でシャカシャカとリビングに駆け込んだ。
「……なんだ?」
あまり良い予感はしないが、俺も階段を下りてリビングに向かう。
「…………」
彼女はソファの後ろから顔の上半分だけを出し、こちらの様子を窺っていた。
おまけにフードを深く被っているので、どんな目をしているのかすら確認できない。
「あの、さ。頭……大丈夫?」
「……痛い……」
「だよな。病院行く?」
「…………」
何も言わず、首を左右に振って拒否を示してきた。
見たところ深刻なダメージではないようだが、打ったのが頭だけに心配になる。
「一番確認したいことがあるんだけど、君誰?」
「……ここの、住人」
「奇遇だな。俺もなんだよ」
「……不審者」
「俺からしたら君が不審者なんだが……。名前は?」
「…………り……りす……」
「リス? リスちゃん?」
体格といい雰囲気といい、確かにリスっぽい。
「……小動物扱い……」
「あー、ちゃんと話し合おう。今、そっちに行くから」
「……その飢餓に満ちた目は獰猛な肉食獣を彷彿させ、非力な少女を小動物と見立てるや否やよだれを垂らしながらジリジリとにじりよる」
「は?」
「……抵抗する少女を乱暴に押し倒した男は、家中に響き渡る悲鳴に愉悦を感じながら白い柔肌に爪を立て――」
「待て待て! 何言ってんの!?」
「…………こわっ」
…………。
この子とは絶対に仲良くなれない。
初対面の人にそう思ったのは初めてのことだった。
しかし自分の家に見知らぬ人間がいる状況は見過ごせない。
「まず状況を確認させてくれ。ここは俺の家だ」
「……私の、家でもある」
「そうか! いつからこの家に住み始めたんだ?」
「……一週間前。」「どうやってこの家に来た?」
「………新しい父に、連れてきてもらった」
「新しい父……。それ、俺の父親?」
「……多分、そう。顔が似ている」
思わず自分の顔に手をやって輪郭を確かめてしまう。
そんなに似ているだろうか? 父親の顔を思い浮かべるが、しっくりこない。
「……前の家、住所バレしたから、この家に引っ越した……」
「住所バレ? まるで有名人みたいな言い方だな。動画配信者か?」
「…………そんなところ」
若干考える素振りを見せ、こちらの言葉に肯定した。
そして俺の中で、ある予想ができあがっていく。
「ひょっとして君、俺の妹だったりする?」
数年前に母親を事故で亡くし、俺は父親と二人で暮らしている。
もっとも、その父親も仕事で中々家に帰ってこないが……。
さきほど目の前の少女は新しい父と口にした。
つまり再婚した可能性が浮上してくる――――。
「……姉の可能性もある」
「ないな、それは。絶対に」
「…………ちっ。舐めやがって……」
「意外と口悪いな……! ちゃんと確認したいんだけど……君は、俺の父親の再婚相手の娘?」
「……そう」
「…………まじかー」
こんな話、聞いてないぞ。衝撃的な事実に頭がクラクラしてきた。
「そんなバカな……いや、これはありえないだろ」
「……ありえてる、現実に」
「あーうん、そだね。あとさ、多分俺のことを知っていて不審者扱いしたよね?」
「…………」
「なるほど、都合が悪かったら黙るタイプか……!」
一番信じられないのは、このことを黙っていた父親だ。
黙っていられるその精神に驚きを隠せない。
…………一旦、話を整理しよう。
いつのまにか俺に妹ができた。その妹は一週間前からこの家に住み始めた。
理由は住所バレしたから。どうやら妹は配信者らしい。
「ダメだ、話を整理してもいきなり過ぎてパニックになる……!」
「……ご乱心……?」
ソファの後ろから顔半分だけ出している妹が心配そうに見てくる。ご乱心というか発狂しそうだ。これがネトゲなら回復アイテムで治せるが現実はそういかない。
「ま、まあいいや……よくないけどいいや。これからどうする?」
「……どうする、とは?」
「初めて顔を合わせたわけだし、これから何かするとか」
「……怖いからヤダ。何もしない」
「めっちゃ警戒されてるんだな、俺……」
「……無自覚に女をたらし込む甘い顔と声をしてる……危険度SS」
目の前の少女は、意味不明なことを言って俺から逃げようとする。
とは言っても、ある程度の心理的な距離を詰めておきたい。
「俺、和斗。君のことはリスでいいのかな?」
「……別にいい……」
名前がリスなのか。珍しいな。
「何歳?」
「……十五……高一」
「そっか、俺より一つ下――え、高一!? 小学生だろ!?」
「……紛れもない立派な高一のお姉さん」
「全然見えないしお姉さんでもない…………」
嫌味とかではなく、本当に小学生にしか見えなかった。
唖然としている俺を見て、リスがムッとする。
「……次、私を小学生扱いしたら……どうなるか分からない」
「分からないって具体的には?」
「……いつの間にか、ご近所さんから避けられるようになる」
「まじで怖いやつじゃん……!」
具体的に何をするのか明かさず、どんな未来になるのかを想像させる恐ろしさがあった。
明らかに脅迫をすることに慣れている。
「……私に変なことしないと、約束してほしい」
「も、もちろんだ」
「……あと、私の部屋に入らないで欲しい」
「わか――――」
「……極力、私に関与しないでほしい」
「…………分かった」
圧倒的な距離感があった。
いや距離感とかではなく、完全なる拒絶、警戒……およそ家族に対する言葉ではない。
「一応家族なんだし、それなりに仲良くしたいと……俺は思ってる」
「……私たちは、家族という名の他人。関係上、家族なだけ」
「そうだけど……」
「……家族だから仲良くする、みたいな考え方は嫌い」
彼女の強い言い方に、グッと喉が詰まった。
おそらく俺の発言は一般の人からすれば、何もおかしいことではない。
家族だから仲良くしたい、そう思うのは不自然ではないだろう。
けれど彼女からすれば不愉快だったのだ。
なんというか、彼女は凛香に少し似ている気がした。
「……これから、よろしく」
「あ、ああ……はい、よろしく」
打ち解けるつもりが全くない新しい家族に、俺は不安しかなかった。