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第二十話

 ただ凛香と過ごすためだけに泊まりに来たはずが、なぜか凛香の母親から夫婦としての絆を認められる試練を受けることになってしまった。不思議で仕方ない。

 そこまで気負う必要はないと凛香は言っていたが、どうなるのか……。


 いつも通りに過ごせば夫婦として認めてもらえるはずよ、と凛香は自信を持って語っていたが、実のところ俺たちは夫婦らしいことをするどころか、恋人らしいこともまだそこまでしていなかったりする。たまにイチャイチャ的なことはするけども、ほんとにたまにだ。


「和斗くん。整理の手伝いをするわ」


 割り当てられた部屋で持ってきた荷物の整理を行っていると、部屋の入口から凛香の優しい声が聞こえた。振り返る。凛香は収納ボックスを抱えていた。


「これに服を入れるといいわ」

「ありがとう、凛香」

「ごめんなさい……先に準備しておくべきだったわね」

「大丈夫、そこまで気にしなくても…………」

「いいえ、妻として失格だわ」

「大げさすぎない? これくらい全然――――え」


 部屋に入ってきた凛香と話をしていると、恐ろしい事実を発見する。ドアの隙間から光る両目がこちらをジーっと覗いていた。あれが誰かは考えるまでもない……。


「和斗くん、このバッグは何かしら」

「勉強道具を入れているんだ。あとは夏休みの宿題とか……」

「そうなのね。じゃあこれは机の方に…………待って、何か布みたいなのがはみ出して――――し、下着!? 和斗くんのパンツが入ってるわ!」


 バッグの僅かな隙間からひょろりとはみ出していたパンツを引っ張り出し、凛香は赤面して声を荒げる。


「あー……めんどくさくて、そっちに入れてたかも」

「お、おかしいわよ和斗くん! このバッグは勉強道具用でしょ!? なぜ下着を……!」

「とりあえず適当に突っ込んだんだよなー」

「はぁ…………なんてだらしない夫かしら……やっぱり私がいなくちゃ――――」

「凛香、その反応は妻として失格です。下着程度で動揺してはいけません」


 突如部屋に踏み込んできた凛香の母親が、淡々とした口調で凛香にダメ出しをする。それに対して凛香は目を鋭くさせ、一歩踏み込んで怒気を放った。


「お母さん! 私たちに干渉しすぎよ!」

「ただの恋人関係であれば何も言いませんでした。しかし、夫婦のつもりなら話は別です」

「つもりではなく、夫婦よ!」

「なおさら問題です」


 ほんとだよ…………。

 常識的に考えると、多くの人が凛香の母親を支持すると思う。

 もしかして…………それが狙いか?

 凛香の母親は頭ごなしに凛香の考え方を否定するのではなく、一旦受け止め、あえて過度に干渉して夫婦の在り方を否定することで、凛香に正しい考え方を身につけさせようとしているのでは? 


「私が凛香の頃には、すでに自分の両親、そして幹夫さんのご両親からも夫婦として認めてもらっていましたよ」

「――――ッ! 私は……まだまだね…………!」


 …………。

 どっちもどっちだな。

 

「和斗くん。荷物の整理はこれくらいで問題ないかしら」

「そう、だな。うん、ありがと」


 持ってきた服や勉強道具、それ以外の荷物も綺麗に整理され、これから数日間過ごすに不便のない部屋になっただろう。


「ということで休憩時間よ。和斗くん、耳かきをしてあげるわ……妻としてっ」


 いつのまに準備していたのか、耳かきを右手に持った凛香が正座して俺を待ち構えていた。とんとん、と自分の膝を軽く叩いて誘導してくる。

 人気アイドルから耳かきしてもらえるイベントに胸が躍りそうになるが、ちょっと唐突すぎるだろ……。凛香なりの夫婦としてのアピールだろうか。


「和斗くん、早く」

「は、はい……」


 断るのも違うよなー。そう思い、凛香のそばへ。

 ごろんと寝転がり、凛香の膝に頭を置いた。側頭部に感じる柔かい膝の温もりが何とも言えない。凛香の「それじゃ、いくわよ」という声が降り注ぎ、左耳に異物が侵入してくるのがわかった。ぞりぞりと耳穴を擦られている。背筋に何かが這うような気持ち良い心地良さを感じた。


「これぞ夫婦ね……和斗くん、痛くないかしら」

「ううん、痛くない。気持ちいいよ」

「良かったわ…………」


 夫婦でもするかもしれないが、現状では恋人の域を超えていない気がする。

 目を閉じていた俺は、何となく目を開けて悲鳴を漏らしそうになった。

 三歩くらいの距離の先に、正座してこちらをジーっと見つめる凛香の母親の姿があった――――! いやこわっ! 地獄すぎるだろこの状況!

 何が悲しくて、彼女とのイチャイチャを彼女のお母さんに見られなくちゃいけないんだ…………。



 ☆



 昼食を終え、乃々愛ちゃんのお昼寝時間に突入する。リビングの片隅に子供用の布団を敷き、俺は乃々愛ちゃんを寝かしつけていた。なぜか俺から離れようとせず、流れるようにこうなった。


「すぅ、すぅ……むにゃ…………」

「くっ……可愛いな、乃々愛ちゃんは」


 無垢な寝顔を晒して心地よさそうに眠る乃々愛ちゃん。ほっこりする。


「グッドです、和斗くん」

「え?」


 後ろから凛香の母親に話しかけられる。真顔ではあったが、ビシッとサムズアップをしていた。


「子供に優しくできるのは最低条件の一つ。子供が好きか嫌いかではなく、守るべき存在に優しくできるかが、一家の大黒柱に求められる素質……。和斗くんは見事に試練の一つをクリアしました」

「ど、ども……」


 一家の大黒柱、か……。収入面の話をするなら、凛香の方が家庭を支えられると思う。人気アイドルの稼ぎがいくらになるのか知らないが、相当なものに違いない。


 凛香の母親が去っていき、何気なくそこでソファに座っていた幹夫パパと目が合った。この場にいるのは眠っている乃々愛ちゃんを除いて男二人だけ。今のうちに聞きたかったことを聞いておこうか。


「あの、凛香のお父さん、少しよろしいでしょうか?」

「ふむ……どうした」

「以前、ご自身のことを先駆者とおっしゃっていましたよね? その話、もう少し詳しくお聞きしたいです」

「…………」


 ゆっくりと鼻から息を吐いた幹夫パパは、瞑想するように目を閉じて黙り込む。静かな時間が五秒ほど流れた頃に目を開け、闇に染まったような黒い瞳で俺を見据えた。


「私から言えることは何もない」

「いや、あの、思い出話でも構いませんので――――」

「頑張りたまえ。少なくとも死にはしない」

「その言い方だと、限りなく死に近づくこともあるんですかね……?」

「…………」

 否定してよ!



 ☆



 幹夫パパとの一件で恐怖を感じながら水樹家での日常を過ごす。

 俺がお風呂に入っていると凛香が「背中を流すわ」と言いながら入ってきて、背中を洗ってくれたり……(以前同様凛香は服を着ていた。そして凛香の母親がジーっと俺たちのやり取りを見ていた)。就寝時に変なことをしてないか確認されたり……(夫婦がどうのこうの言いながら、健全な関係を求めてくる)。


 とにかく凛香の母親から見張られる時間が過ぎていき、胃がキリキリするような三日間が過ぎていた。


「和斗くんと凛香、いらっしゃい」


 凛香の母親に呼ばれ、リビングに向かう。俺と凛香は並んで座り、テーブルの向かいに座る凛香の母親と向き合った。これまでに比べ、一層真面目な雰囲気を感じる。


「この三日間、二人の行動を見ていました。夫婦を目指すに値する絆があるのかを……」

「目指すのではなく、すでに夫婦だけれど」

「凛香はアイドルで忙しく、二人は共に過ごせる時間を作ることが難しい。この三日間もそうでしたね」


 その通りだ。実際、凛香が家にいる時間は短かった。思うほど目立ったイベントが起きなかったのもそれが理由になっている。


「あなたたちはネトゲで絆を育んだ……そうですね?」

「そうよ」

「…………時代は変わった、そういうことなのでしょう。親の目が行き届かない世界で娘は成長していると……」


 ふっ、と細目になった凛香の母親が感慨深いそうに呟いている。急に何の展開だこれは……。


「わかりました、認めましょう。娘を信頼するのも母親の務めでしょうから」

「ありがとうお母さん。これからも私は和斗くんの妻として頑張るわ」


 …………。

 …………ん? なんか母親公認になってない?

 ちょっとボーっとしている間に、とんとん拍子に話が進んだ気がする。


「やったわね和斗くん。これで私たちの障害となる存在はなくなったわ」

「お、おお……?」


 喜ぶ凛香に戸惑いながら相槌を打っていると、今度は凛香の母親が話しかけてくる。


「和斗くん、どうせなら夏休み終わりまで泊まりなさいと。じっくり親睦を深めましょう」

「え、本気ですか?」

「当たり前よ」

「それは素晴らしいわねお母さん。……いずれは私も和斗くんの家に泊まって、ご両親に認めてもらわなくちゃ」


 凄まじい勢いで外堀を埋められ、逃げ道を断たれている気がする。

 俺は救いを求めるようにソファに座る幹夫パパに視線を向けるが、幹夫パパは無言無表情で首を横に振った。


 あぁ…………。

 こんな感じで俺は、水樹家に取り込まれていくのだろうか…………?



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