第十九話
あの花火大会から数日が経過し、再び凛香は忙しい日常を送ることになっていた。中々リアルで会えるキッカケがなく、俺たちは今までのようにネトゲで遊んでいる。
いつものように採掘に励んでいると、チャット欄に『リンさんがログインしました』と表示された。
『カズ! また採掘してる! 今日も釣り行こうよ!』
『この前も釣りしたじゃないか……』
『それを言ったら、カズは毎日採掘してるでしょ!』
その通りでした……。毎日ログインしているわけじゃないが、リンは俺の行動パターンを完全に理解しているらしい。それだけ俺が採掘にハマっているということでもある。
『ねえカズー。花火大会以来、会えてないよね。ネトゲでしか会えてないもん』
『そうだなぁ。仕方ないよ、リンはアイドルで忙しいんだしさ』
画面内に映るリンがガックリと残念そうに両肩を落としている。アバターからでも感情が伝わってくるほど今の凛香は落ち込んでいるらしい。
『そうだ! 私の家に泊まりに来てよ!』
「泊まりかー」
これまでにも何度か凛香の家に泊まったが……今回も家族はいないだろうか。
『私の家族もカズに会いたがってるし、ちょうどいいよ!』
…………まじか。幹夫パパとは望まない形で出会ってしまったが、次のお泊まりでは水樹一家とご対面することになりそうだ。そう考え、ちょっと緊張してくる。
俺からの返事が途絶えたことにより不安に感じたのか、追撃チャットが送られてきた。
『いや……?』
『嫌じゃないよ。わかった、泊りに行く』
『ほんと? ありがとうカズ! さすが私の夫だね!』
太陽のような明るい笑みを浮かべたリンが、無邪気にピョンピョンと飛び跳ねる。微笑ましく感じるが、やはり緊張も誤魔化せない。大丈夫か……?
『じゃあ明後日からね! お母さんたちにも話をしておくから!』
「明後日、だと……? 急すぎる……っ。いや、引き延ばしても一緒か」
頭を抱えそうになるが、決意を固めた俺は『分かった』と返事を送り、ふーっと息を吐いた。多分これは避けては通れない道なのだろう。こうして俺は人気アイドルの家に泊まることになった。
☆
「来てくれてありがとう和斗くん。さ、あがって」
凛香の家に到着した俺は、出迎えてくれた凛香に招かれ家の中に入る。何度か通った廊下を目にして慣れた気持ちが込み上げてきた。なんとかなりそうだ。
凛香から事前に聞いた話によると、香澄さんは友達の家に泊まりにいっており、幹夫パパは家にいるそうだ。もちろん天使乃々愛ちゃんもいる。
「あ、かずとお兄ちゃんだ! わーい!」
早速現れた乃々愛ちゃんが、トテトテと廊下を駆け抜けて俺の元にやってくる。……なんて可愛いのか。相変わらずの人懐っこさ。にこーっと笑みを浮かべ、こちらを見上げている。
「ねね、しばらく泊まるの?」
「うん。二日か三日くらいかなー」
「んぅ……夏休みが終わるまで泊まってー」
「それは…………また後で考えよっか」
長期になると、凛香のご両親の事情も関わってくるだろう。俺一人では決められない。
凛香と乃々愛ちゃんに導かれてリビングに入り、ソファに腰かけてテレビを眺める幹夫パパを見かけた。凛香と乃々愛ちゃんによる和気あいあいとした雰囲気を感じたのか、幹夫パパがチラリとこちらに顔を向ける。とっさに会釈したが、幹夫パパは表情を一切変えることなく軽く会釈を返して再びテレビに顔を向けてしまった。不愛想な印象が強い。
「あの、今日から数日間、よろしくお願いします」
「…………うむ」
重い間を置いて頷く幹夫パパ。どうしたんだ。
疑問に思っていると、リビングを見回した凛香が首を傾げる。
「あら、お母さんがいないわね」
「んーとね、凛香お姉ちゃんの部屋にいるよー」
「私の部屋? なぜかしら……。和斗くん、行きましょうか」
凛香としては先に両親に俺を紹介したいようだ。俺としても助かる。
そうして凛香の部屋に向かい、ドアを開けると――凛香の母親が、テーブルの向こう側で正座していた。凍り付くような真顔で俺たちに鋭い視線を飛ばしている。以前と違って酔っぱらってはいないし、陽気でもない。重苦しい空気が充満している。
「お母さん……? どうしたの?」
「話をする前に…………乃々愛、お父さんのところに行って遊んでもらいなさい」
「んぅ? どーして?」
「今から真面目な話をするからよ。乃々愛には関係ないの」
「…………はーい」
どこかしょんぼりした乃々愛ちゃんは廊下を歩いていき、リビングに姿を消す。残された俺と凛香は、凛香の母親から放たれる異様な空気に呑まれていた。
「早くこちらに来て座りなさい」
有無を言わせない口調だった。俺と凛香は部屋に入りドアを閉め、テーブルの前に並んで座る。まるで今から説教されそうな雰囲気だ。
「あの、凛香さんとお付き合いさせていただいている綾小路和斗です。今日から数日間、よろしくお願いします」
初めて出会ったとき、凛香の母親は酔っぱらっていたので、一応丁寧に自己紹介しておいた。しかし凛香の母親はニコリともしない。お、おそろしい……!
「ちょっとお母さん。どうして私の部屋にいるのかしら。勝手に入らないでほしいわ」
「整理整頓しているかのチェックよ。部屋の乱れは生活習慣にも繋がるもの……娘の生活を気にかけるのは母親として当然のこと」
「……そう、今は納得しておく。もう一つ聞かせて。なぜそんなにも身構えているのかしら。威圧的じゃないの。和斗くんにも失礼だわ」
彼女たちのやり取りを聞きながら、ほんと二人は似てるな~、と俺は心の中で呟いていた。口調も似てるし、話し方の雰囲気もそっくりだ。
「凛香と和斗くんはお付き合いをしている…………で、いいのかしら」
「……………………ええ、そうよ」
長すぎる間を置いて、凛香は苦しそうに頷いた。母親には夫婦であることを隠しているらしい。…………いや、本当は夫婦じゃないけども。凛香の自称に過ぎない。
「本当に、健全なお付き合いなのね?」
「…………そうよ、何度も確認しないで」
「ならこれは何かしら」
「え――――」
凛香の母親がテーブルに置いたのは、一枚の紙――――婚姻届だ!
氏名欄にはバッチリと俺と凛香の名前が記入されている(俺は記入した覚えがない)。
「部屋の入り口に落ちていたの。凛香、これはどういうこと?」
「そ、それは…………」
「笑えない冗談よ。ごっこではすまされないわ」
突き放すような冷たい言い方に、動揺していた凛香の何かに火がついた。凛香は顔を上げ、確固たる意志で自分の言葉を放つ。
「ごっこじゃないわ。私たちは――――夫婦よ。本物の夫婦」
「…………はい?」
堂々たる凛香を前に、凛香の母親はピクリと眉を揺らす。
「私たちはネトゲで結婚したの。だからリアルでも夫婦なのよ」
普通であれば何を言っているのか困惑するに違いない。事実、凛香の母親も固まっていた。そしてたっぷり時間を置いて口を開く。
「そう……二人の気持ちや考えは分かりました」
「ありがとうお母さん……分かってくれて」
いや待ってほしい。俺はネトゲで結婚=リアルでも夫婦とは考えていない。否定するつもりはなくなったが、積極的に肯定するつもりもないです……!
「しかし、ろくに世間を知らない二人が夫婦を語るのは早すぎます。このお泊まり期間で二人の絆を見極めさせてもらいましょう。それで万が一にもダメだったときは、離婚してもらいます」
「離婚――――!」
衝撃を受ける凛香の隣で、俺もゴクッと喉を鳴らす。まさか別れろと――?
「離婚してもらった後、まずは六年間の恋人期間を過ごしてもらいます。それから夫婦という形に目を向けなさい」
めっちゃまともだった! 想像以上に常識視点から言われた!
「そんなのおかしいわ! 私と和斗くんは深く愛し合う夫婦なのに!」
「これは決定事項です。納得いかないならこの試練を乗り越えなさい」
「…………横暴よ……酷すぎるわ…………!」
凛香が悔しそうに歯を食いしばっているが、一般的に見ると、かなり譲歩してもらえたように感じられる。
「いいえ、むしろこれはチャンスよ。お母さんにさえ認めてもらえたら、あとは何も怖いことなんてないもの。頑張りましょうね、和斗くん」
「あ、はい」
意気込む凛香に一応頷いて見せたが、俺は思っていた。
…………この試練、乗り越えない方がいいのでは?