第十八話
「まあ!お似合いですわ、和斗先輩!」
「うん、私から見てもとってもかわいいよカズくん!」
二人の人気アイドルが満面の笑みでそう言ってくるが、俺は鏡台の鏡に映る自分を見てため息をつきそうになった。何度見ても自分の女装姿には慣れない。こういうのが好きな人もいるのは理解しているが、俺には早すぎる世界だ。
「わー! かずとお姉ちゃんだー! わーい!」
純度百パーセントの笑みを浮かべた乃々愛ちゃんが、俺たちがいる凛香の部屋に飛び込んできた。嬉しそうに俺の右脚にしがみつき、「かわいいねー」とニッコリする。可愛いけど今はやめてほしい。
「さあカズくん! もうすぐ花火大会だよ! 心の準備はいい?」
「…………結構緊張してる。本当にバレない、よな?」
「バレませんよ。どこからどう見ても女の子です。……違和感があるとすれば、やや身長が高いくらいでしょうか。しかし、ネトゲ廃人でろくに運動しない和斗先輩は筋肉量が少なくやせ型なので、身長が少し高めのスレンダーな少女に思われますよ」
「うんうん! それにね、浴衣だから体格も誤魔化せるし……うん! 大丈夫!」
サムズアップする二人に、俺は口端を引きつらせる。
…………全く大丈夫じゃない。鏡で化粧された自分を見るのも恥ずかしいのに、浴衣まで着せられているのだ。さらに肩下までのウィッグも頭に装着し……我ながらどう見ても女の子に仕上がっていた。きっと死ぬまで忘れない黒歴史になるだろう。
「あら和斗くん……とても可愛くなったわね。いえ、和斗ちゃんと呼ぶべきかしら」
楽しげな声が聞こえ振り返ると、部屋の入り口に浴衣を着た凛香が立っていた。俺を上から下まで眺め、クール系らしくない柔らかい笑みを浮かべる。一方で俺は心臓が一瞬跳ねた気がした。あの凛香の浴衣姿……! とても可愛い。
「んーカズくん? 凛ちゃんに見惚れてるー? むふふ」
「…………!」
いたずらっぽく笑う胡桃坂さんに何も言い返せなかった。その通りだからな……!
「私と胡桃坂先輩は用事でご一緒できませんが……無事にデートが成功することを祈っております」
俺に女装させるためだけに、胡桃坂さんと清川はここへ来た。役目を終えた彼女たちは俺たちに軽く言葉を投げかけ、凛香の家から出ていく。花火大会に向かうのは俺と凛香、香澄さんと乃々愛ちゃんの四人だ。しばらくして香澄さんもこの部屋にやってくる。
「それじゃ、そろそろ出発しよっか。車、用意してあるからさ」
「分かったわ。それじゃ和斗くん――いえ、この場合は和斗ちゃんと呼ぶべき……? 私たちは女性同士で結婚したということで……いいのかしら」
「いいよ気にしなくて! 普通に和斗くんと呼んでください……!」
「ふうん、へー。和斗ボーイ、浴衣も似合ってるじゃん……おっとごめんねー。ボーイじゃなかった」
「香澄さんまで悪ノリはやめてくださいよ。本気で恥ずかしいんで」
「和斗くん、私はお姉ちゃんと違って真面目に言ってるわよ」
「余計に困るんですけど……!」
「わーい! かずとお姉ちゃん、抱っこしてー」
「…………」
もうやだ、この水樹三姉妹……!
☆
俺が女装することによって、問題なくアイドルと二人で歩ける……。無茶苦茶だがその理屈は一応受け入れたし、先日実際に歩いて効果も確かめた。だから問題なく凛香と花火大会に行ける……。
そう思っても、心をじわじわと侵食するような不安な気持ちを拭えなかった。もっと根本的な問題を見逃している気がしてならないのだ。何がどうとは具体的に言えないけど……。
花火を見ることができる場所は河川敷とのこと。付近の駐車場に車を止め、俺たち四人は河川敷に向かって歩き出す。開始時刻までもう少し時間があるおかげか、道を行き交う人は少ない。時折凛香をチラ見する人はいるが、大げさな反応は見せなかった。問題があるとすれば俺だ。凛香の隣を歩いているせいか、俺にも視線を向けられる。…………気にしすぎかもしれないが、やはり気になってしまった。
「和斗くん、大丈夫? さっきから挙動不審だわ」
「…………ご、ごめん。いやな汗が……!」
「じっとして」
ハンカチを取り出した凛香が、俺の額に浮いた汗をそっと当てるようにしてふき取る。女装していることへの緊張感と、バレたら凛香のアイドル人生が終了するというプレッシャーが俺の心臓を激しくさせていた。鼓動が体内に響き渡っている。
「普通にしていればバレないわよ。思ったほど人間は他人を気にしないわ」
「凛香みたいな可愛い子だったら、皆気にするよ……。当然、その隣にいる俺も」
「大丈夫。今の和斗くんは完璧な女の子。それでも落ち着かないのなら…………っ」
右手が柔らかい温もりに包まれる。頬を軽く染めた凛香に手を握られていた。また別の意味でドキドキさせられ、頭の中が白っぽくなってしまう。
「ネトゲならともかく、リアルでもこうして和斗くんと手をつなぎながら堂々と歩けるなんてね……。和斗くん、女装してくれてありがとう」
照れくさそうに微笑む凛香を見て、まあ女装した甲斐はあったかなと思わされる。
凛香と歩きながら前方を歩く香澄さんと乃々愛ちゃんを見つめていると、すぐに河川敷に到着した。レジャーシートを敷いた何組もの見物客が、いまかいまかと花火の打ち上げを待ちわびている。
「いやー、思ったより人多いね。でもま、場所取りには困らなさそう。どの辺にする?」
「そうね……あそことかどうかしら」
香澄さんと凛香が場所について話し合っている。手持ち無沙汰になった俺は何となく周囲の人々を観察し、徐々に膨れ上がる違和感に気づいた。さっきよりも凛香たちを気にする人が増えている。というか露骨にスマホを取り出して凛香を見る人たちが現れた。これはまずい。そして、その時が訪れた。
「あの、水樹凛香ですよね? 花火大会に来てたんですね、浴衣可愛いです」
「え、ええ……ありがと」
一般人から話しかけられ、凛香はファンにするように自然な笑みで応じる。それを見た近くの人たちも『話しかけていいんだ!』となり、凛香に向かい始めた。隣にいた俺も巻き込まれる。香澄さんと乃々愛ちゃんは運よく、人だかりから抜けることができたようだ。
「なに? 芸能人でも来てるの? 何の集まり?」
「水樹凛香? スター☆まいんずの? うそ!?」
ざわざわと騒ぎが広がっていく。花火開始までの暇つぶしのつもりでもあるのだろうか。モブモンスターたちのように彼らは凛香に群がる。
「あの、あなたもアイドル?」
「うえっ?」
「水樹凛香の友達? 君もかわいいねっ」
唐突に話しかけられる俺。またこのパターンか!
なぜか俺もアイドルと勘違いされる全く嬉しくないイベントだ。サインの求めに応じる凛香を横目で見つめていると、俺にもサインが求められる。いやサインとか書けないし。
差し出されたマジックを反射的に手にしてしまい、目の前に出された白いバッグを見下ろす。その持ち主である女性が期待に満ちたキラキラした目を俺に向けていた。…………まじか。
「サインお願いします!」
「…………」
もうヤケクソだった。スタイリッシュな字を意識して、ぐじゃぐじゃーと『かずこ』と書く。多分かずことは読めないけど、なんかそれっぽい感じにはなった。女性は「ありがとうございます!」と頭を下げ、俺からマジックを返してもらうと人混みの中に下がっていった。一度サインに応じたせいか、凛香の方も次々とファンサービスを求められている。――――これは良くない。もはや花火大会を楽しむどころではなくなってしまう。
「凛香! 行こう!」
「え――――」
凛香の左手を握りしめ、強引に人混みを掻き分けて脱走を試みる。思いのほかアッサリ通され、脱出に成功した。とはいえ、この場にとどまるわけにはいかない。
「走ろう!」
「愛する人に手を握られ、連れ去れる…………。感動的なシーンね」
「呑気すぎない!? 早く逃げよう!」
ポッと頬を赤く染めて照れる凛香を連れ、俺は河川敷から離れるように走り始めるのだった。
☆
人気を避けて走り続けた先に辿り着いた場所は、雑木林に囲まれた小さな公園だった。俺たち以外に人はいない。ここなら落ち着けそうだ。荒い息のままに、凛香の手を引いて角のベンチに向かう。
「はぁ、はぁ…………ダメじゃん! めっちゃ人が集まってきたじゃん!」
「おかしいわね……。あんなにも話しかけられたのは初めてのことよ」
この私が人に囲まれるなんてね、と凛香は呟いて不思議そうに首を傾げる。人気アイドルとしての自覚があまりないのだろうか?
「最近お仕事が増えてきたせいかしら、私を知ってくれる人も少しづつ増えてきたのね」
「…………結構前から多くの人に知られていたと思うけど」
「それはアイドルにアンテナを張っている人たちの中での話ね。最近は一般の人たちからも認知されるようになったみたい……嬉しい限りよ」
満足そうに息を吐く凛香だが、今回は厳しい状況に陥ったぞ。河川敷からだいぶ離れてしまった。花火大会を楽しむという目的は失敗したのだ。
「変な話だけれど、女装した和斗くんと外を歩けただけでも刺激的で楽しかったわ。それに、さっきの逃走劇も非日常的でドキドキした……。私はとても満足してるわ」
「凛香…………」
その言葉にウソはないらしい。自然な微笑を浮かべる凛香は、俺を見つめる目に感謝の念を宿している。だからこそ、悔しい。もっと喜ばせたかったのに……。
ふと着信音が聞こえ、スマホを取り出して応答する。香澄さんからだった。電話の内容は、無事なのか、どこに行ったのか、という俺たちの安否を気にするもので、俺たちが無事であることを確認するとホッとしたように息を吐いていた。ひとまず各々で花火を見るということで通話は終了する。スマホの位置情報で自分の居場所と、香澄さんの車が止めてある駐車場の位置も分かるので、迷子にはならないだろう。
「じーっ」
「…………ん? 凛香?」
なぜか凛香が不機嫌そうな細目で俺を睨んでいた。
「どうかした?」
「私と二人きりなのに、他の女と電話するのね」
「いやいや! 相手は香澄さんだから!」
「やっぱり他の女じゃないの」
「自分のお姉ちゃんだよね!? 女呼ばわりは良くないでしょ!」
「…………事情だけに仕方ないのは理解している。けれど、今は私だけに集中してほしいわ」
「凛香――――」
目を伏せ、寂しそうに願望を伝えてきた凛香にグッとくるものを感じた。クール系アイドルのささやかなワガママ、というやつだろうか。
その時、爆発音が響いてきた。距離があるせいか、少しくぐもったように聞こえた。ハッと顔を上げると、雑木林を乗り越えるように、遠くの空に花を咲かせるような丸い花火が打ちあがっていた。
「ここからでも……見えたのね。綺麗…………」
次々と打ち上げられる花火を食い入るように眺める凛香。その端正な横顔と花火のどちらを俺は眺めればいいのか、悩んだ末に凛香を見る決断に至った。多分俺は花火ではなく、花火を楽しむ凛香を見たかったのだろう。
「ここは誰からも見向きされないような小さな公園だけれど、とても良い穴場かもしれないわね」
「うん、そうかも……」
「まるで夢みたい。今まではネトゲ内でしか和斗くんと花火を見ることができなかった。でも今は…………リアルでも一緒に見ている……ええ、本当に嬉しいわ。ありがとう、和斗くん」
俺に微笑んでくる凛香に対して、思わず言葉を失ってしまう。だから心の中で返事をした。お礼を言いたいのは、俺の方だと。
ただまあ……結果として、俺が女装をした意味はなくなったけどね!
というのは口に出さず、今は凛香と花火を眺めたい。
そういう気分だった。