第十七話
夕方になり俺たち三人は解散することになる。
ようやく地獄から解放されると安堵したのだが、またしても清川が余計だけど有り難いアドバイスを送ってきた。
「その姿を一度凛香先輩にお見せした方がいいのでは? 事情を説明してこれからのことを考えていきましょう」
……確かにその通りだった。
当事者である凛香には、女装の件を伝えておいたほうが良い。そう分かっているのだが……。気が進まないな~。
「自信を持ってください綾小路先輩。それだけ可愛ければ、凛香先輩も惚れ直すこと間違いなしですよ」
「女装で惚れ直されても困るんだよ……っ!」
胡桃坂さんたちと別れた後、半ばヤケクソになった俺は、勢いに任せて凛香の家に向かう。
丁度家に居た香澄さんに中に入れてもらい、凛香が帰ってくるのを待つことにした。
「いやー、すごいことを考えるもんだね……。さすが人気アイドル、私たち凡人とは発想が違うわー」
水樹家のリビング。これまでのことを俺から聞いた香澄さんが、素直に感心したように言った。
最初女装した俺を見た時は、目を丸くして「どちらさま?」とか言ってたのにな。
「絶対俺で遊んでますよ、あの二人」
「とか言いながら和斗くんもノリノリだったり?」
「そんなわけないでしょ! 今日ほど泣きそうになった日はないです!」
俺が涙混じりに叫ぶと、香澄さんは楽しそうに笑った。
「あははは。ほんと和斗くんは面白い子だねー。でも女装、似合ってるよ」
「全然嬉しくない……」
香澄さんが俺の格好をじっくりと眺める。もうどうでもいいや……。
「なんだか姉として嬉しいなー。凛香のためにそこまでしてくれるなんて」
「まぁ、その……俺のためでもありますし……」
凛香と普通に出かけることができるのなら、女装くらい我慢しようかな。と、思っていたりする。
「俺のためって……え、和斗くんマジで? 女装にハマった?」
「そうじゃないです! え、今の流れで分かりませんかね!? 凛香と花火大会に行くためですよ!」
俺の反応を見て、またしても香澄さんが愉快げに笑う。
なんだろ、行く先々で女性にオモチャにされている気がするぞ。
「わーい! かずとお姉ちゃん抱っこしてー!」
「普通にお姉ちゃんって呼んだな……」
「……んぅ?」
嬉しそうに駆け寄ってきた乃々愛ちゃんにジト目を向けてみるが、意味が分からないと言った様子で乃々愛ちゃんは首を傾げた。
……ま、可愛いからいいや。
俺は乃々愛ちゃんを抱っこしてあげる。
「かずとお姉ちゃん、おっぱいないねー」
「そりゃね!」
あったら大問題だろ。
俺たちが適当に時間を潰していると、玄関のほうからドアの開く音とともに、凛香の「ただいま」という声が聞こえてきた。
――あ、しまった!
「凛香に女装のこと言うの忘れてた!」
事前にスマホで伝えようと思っていたのだが、どうしても凛香に女装の件を言うのが恥ずかしく、つい後回しにしていた。
そして、そのまま忘れていた!
「いいんじゃない? サプライズといこうか! 凛香も驚いてくれるよ!」
ノリノリの香澄さん。俺に抱っこされている乃々愛ちゃんも「わーい、サプライズ!」と嬉しそうにしている。
ほんとこの姉妹は……っ!
「何をして――――えっ」
リビングに踏み込む凛香。すぐに俺を見つけ、珍しく間抜けな声を短く発した。
そして一瞬の沈黙の後、凛香はクール系アイドルらしい雰囲気を崩さず言う。
「あら、和斗くん来ていたのね。連絡してくれたらよかったのに」
「え? あ、うん……」
「ご飯食べていく? 今から準備するわね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「ん、なにかしら?」
あまりにも自然に受け入れた凛香に、逆に驚いてしまう。
「俺の格好を見て、何か思うことはないのか?」
「とくにないわね」
「いやあるだろ! 女装してるんだぞ、俺!」
「それがどうしたのよ。女装くらいなんてことないわ」
「な、なんだと……!」
眉をピクリともさせず、凛香は堂々と言い放った。
ある種の貫禄すら感じさせるほどだった。
「私は和斗くんの妻よ? いかに夫が変わった趣味性癖を抱こうが、妻として全てを受け入れてみせるわ」
「寛容すぎる! いや誤解だ!」
「いいのよ和斗くん。私たちは真なる心から結ばれた絶対的な夫婦……。何があっても私は和斗くんを嫌いになることはない。だから、全てをさらけ出していいの」
「そうだった、これが凛香だった……!」
まるで聖母のごとき光を放つ凛香を前にし、俺は頭を抱えそうになる。
いっそ貶されたほうが精神的に楽だったかもしれない。
なんでもかんでも受け入れられては困るというものだ。
「仮に和斗くんの心が女の子だったとしても気にしないわ。だって私は、和斗くんという存在そのものを愛しているのだから」
「なんでだろ、ちっとも嬉しくない……!」
もっと別のシチュエーションで言われたらドキッとしたかもしれないが、今言われては微妙な気持ちにしかならない。
しかし、途端に凛香がオロオロと動揺する。
「え、待って。ちょっと待って和斗くん」
「……なんでしょーか」
「まさかその格好で街に出てないわよね?」
「……出たけど?」
「そう……。詳しく話を聞かせてもらうわ。浮気チェックよ」
「なんで!?」
「今の可愛い和斗くんを男たちが放っておくわけないもの。もしかしたら……という可能性があるわ」
「ないから! 微塵も可能性なんてないから!」
「浮気してる男は皆、そう言うのよ……。って聡子さんから聞いたわ」
「また出たよ聡子さん! もういい加減にしてくれ!」
あぁ――どうしてこうなるのか。
女装して浮気を疑われる男なんて、世界広しと言えど俺くらいだろう……多分。