第七話
「……もうじき約束の時間だなぁ」
21時まで、あと数分。既にログインしていた俺はパソコン画面を見つめていた。
画面上に映っているのは、海辺で釣りをする戦士風の若い男。
俺の操るキャラクターだ。職業はウォーリア。
剣と盾を駆使して近接戦を行うナイスガイである。
しかし採掘スキルが異常に上がっているため、剣よりもツルハシが似合う男となっていた。
そして今は釣りをしている。もはや炭鉱夫の休日だった。
「お……釣れた。いや長靴かよ」
すぐさまインベントリから長靴を破棄する。何の価値もないゴミだ。気を取り直し、再び釣りを始める。
恐らく今日は釣りをしながらリンとチャットすることになるだろう。
基本、リンと平日に遊ぶことは少ない。遊ぶとしても20~30分が限界となっていた。
以前までは、リアルが忙しいんだなぁ、くらいにしか思っていなかった。
今となっては理由がよく分かる。アイドル活動で忙しい水樹さんは、平日に残される自由時間が少ないのだろう。
「……思ったより普通だな」
もっと緊張するかと思っていたが、自分でも驚くほどリラックスしてきた。
考えてみれば当然か。結局のところ、リンの正体が判明しただけの話。別人になったわけじゃない。あとはネトゲの環境が俺を平常心に導いてくれる。
「リン、早くこないかなぁ」
釣りしながら待つこと数分。画面下のチャット欄に『リンさんがログインしました』と表示された。俺は早速チャットを送ることにする。
『おつかれ~。今、釣りしてるよ』
『え、珍しいね! カズが釣りをするなんて!』
おぉ、いつものリンだ。彼女は『どちら』で来るのだろうと考えていたが、やはりリンの方だった。
『今からそっちに行くね~』
『分かった』
海辺で釣りを続けていると、馬に跨ったリンが砂浜に現れた。そして馬から降り、俺の隣にやって来る。すかさず釣り竿取り出してカズと同じように釣りを始めた。
その光景を見て、ふと疑問に思う。
リンの姿は明るい雰囲気のエルフ…………これが水樹さんの趣味なんだろうか? クール系のイメージとは異なるキャラに違和感があった。
そんなことを思いながら、いつものノリでチャットを送る。
『月曜日に誘ってくるの、珍しいね』
『だって今日のことがあったもん! 少しでもいいから一緒にやりたくなっちゃった』
素直な返事に、思わず頬を緩めてしまう。純粋に嬉しかった。
リアルのキャラとは全く違う言動だけど、水樹さんの本音であることは間違いない。
『今だから言えることなんだけどね。実は学校にいる間、ずっと緊張していたんだよね~』
『緊張? どうして?』
『そりゃカズの中の人と会えるんだと思ったら緊張くらいするよ~』
『全然そんな風に見えなかったけどな。朝の時間とか本を読んでたじゃん』
『そう見せないように振る舞っていただけ。本の内容も全く覚えてない』
そうだったのか。緊張していたのは俺だけじゃなかったらしい。
『だから和斗くんと目が合った時、どうすればいいか分からなくて咄嗟に手を振っちゃった』
『あー、アレね』
『手を振り返してくれて嬉しかったなぁ。和斗くんは緊張していなかったの?』
『めっちゃしてた。朝、トイレに篭るくらいずっと緊張してた』
『それは緊張しすぎ笑。和斗くんは緊張しているようには見えなかったけどなぁ』
いやメッチャしてたけどね?
なんなら緊張という単語を地球上の誰よりも使った一日だったと思う。
『昼休みの時もね、和斗くんに話しかけようと思ったら少しだけ声が震えちゃってさ……。恥ずかしくて顔から火が出そうな思いだったよ』
『震えてたかな。普通だったと思うけど』
『ううん。絶対に震えてた』
そういえば……。
あの時の水樹さんは用件だけ言うとすぐに教室から出ていったよな。
クールな顔をしているものだから感情は分かりにくいけど、こうして内心を教えてもらうと凄く可愛らしく思えてくるものだ。
それからも俺たちは、今日の一日について楽しく話し合う。
会話は途切れること無く、スラスラとチャットが流れていった。
そして気がつくと――――。
『あ、もうこんな時間だね……』
あっという間に一時間が経過していた。
現在の時刻は22:12。これまでのリンは必ず22時までにログアウトするようにしていた。少しだけ超えてしまっている。
『もう落ちる?』
何気なく尋ねると、数秒かけて『うん』と短い二文字が返ってきた。
「……?」
よく分からない沈黙が続く。俺から話しかけるべきか?
しばし悩んでいるとリンからチャットが来る。
『マイク付きのヘッドフォン持ってる?』
『持ってるけど、なんで?』
『次からはボイスチャットにしない?』
『いいよ。そうしよっか』
なるほど、もう正体を隠す必要がないから声でいいのか。
この提案を断わる理由は見つからない。
『それと次の土曜日の夜空いてる? 私と奈々の都合がつきそうなんだけど』
『空いてる。意地でも空けておく』
『なら安心かな。私、土曜日まではイン出来ないけど我慢してね』
『それは残念だな。一人寂しく遊ぶことにするよ』
『あはは。じゃあ……おやすみ和斗くん。また明日、学校でね』
『うん、おやすみ。また明日』
画面からリンの姿が消失する。
チャット欄には『リンさんがログアウトしました』と表示された。
「……俺も落ちるかなぁ」
普段なら23時までネトゲをしているところ。
しかし、不思議と充実感に満たされていた。
この心地よい余韻に浸りながらベッドで横になりたい。
「今日は凄い一日だったよなぁ……」
これから、どうなっていくんだろう。
ベッドに倒れ込んだ俺は、眠る瞬間まで水樹さんについて考えるのだった。