第十話
「…………」
お風呂から上がり、ともに凛香の部屋に向かう。
お互いとくに何かを言うことはない。
気がつけば俺たちは肩を寄せ合うようにしてベッドに座っていた。
お風呂上がりの凛香からシャンプーの良い匂いが漂ってくる。
凛香の格好は、なめらかな素材をしていそうな無地のパジャマ。可愛い。
もちろん俺が女の子のパジャマ姿を見るのは、これが初めてである。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
明らかに緊張していた。
俺だけではなく、凛香まで……。
さて、どうしようか。
やはりここは俺から男らしく行くべきだろう。
正直な話、好きな女の子からあれだけアピールされては我慢の限界を迎える。
とはいえ……手順はどうしたらいいんだ?
始まりの合図は?
どんな感じで声をかけたらいいんだ?
くそ……ネトゲしかしてこなかった俺には、何一つとして分からない!
まるで視界が一切効かない暗黒の世界に迷い込んだ気分だ……。
変なことをやらかして凛香に失望されたくない。
……こんなことになるなら事前に調べておけば良かった。
まあ、何を調べるんだって話だけど。
もしこの場に香澄さんが居たら、ごじゃごじゃ考えずに本能に委ねろ、と怒られそうだなぁ。
「あ、あの……和斗くん」
「は、はい!」
「ちょ、ちょっとだけ……ネトゲしない? 私たちにとってネトゲは生き甲斐であり人生そのもの。きっとネトゲをすれば落ち着けると思うわ」
「な、なるほど」
凛香なりに気を遣ってくれているのが分かる。
いや、この場合は自分のためでもあるかもしれない。
俺は素直に甘えることにした。
「あ、でもパソコンは一台しかないぞ」
「ノートパソコンがあるわ。お姉ちゃんのだけれど」
「勝手に使ってもいいのか?」
「ええ。そういうのは気にしない人だから問題ないわ。それにお姉ちゃんも最近黒い平原を始めたそうだし」
「へえ」
香澄さんもネトゲデビューしたのか。
どんどんプレイヤーが増えていく。いいことだ。
「それじゃあ……今からネトゲを少しだけするということでいいかしら?」
「ああ、お願いするよ」
ベッドから立ち上がった凛香が部屋から出て行く。
香澄さんのノートパソコンを取りに行ったのだろう。
「……」
このネトゲが終わったら、いよいよ、というわけだな。
心臓が口から飛び出そうだ。
◇
そして数十分後。
「和斗くんお願い!」
「分かった任せろ!」
凛香の必死なる言葉に俺は挑発スキルを発動してモンスターを引きつける。
レベルカンストしている俺たちではあるが、エンドコンテンツであるレイド戦は少し厳しい。
適当にプレイしていれば負けてしまう。
俺と凛香以外にも六人の見知らぬメンバーが居るのだ。
プレイヤー同士の連携力すら必要とされる。
「凛香!」
「はい!」
熱く、とにかく熱く、ネトゲに没頭する男女の姿が――――ここにあった。
心の底から楽しみ、和気藹々としている。
これぞ自然体の姿。
何も意識することなく、ありのままの自分たちでネトゲを楽しんでいた。
「ふぅ、なんとか攻略できたわね」
「そうだな……お疲れ様」
ゲーム内のパーティーメンバーにもチャットで『お疲れ様でした』と送信する。
皆、協力的で良い人たちだったなぁ。
このレイドボスに初めて挑戦する人が二人も居たので、もしかしたらキレだす人が居るのではないかと不安になっていたのだ。
だがそんなことはなく、むしろ親切な人だけで集まっていた。
最初から最後まで良い雰囲気で終えることができて安心している。
ギスギスは勘弁だ……。
「和斗くん。この後はどうする?」
「そうだなぁ。採掘?」
「分かったわ。そんなに釣りがしたいのね」
「釣り? 一言でも言ったか? 釣りがしたいってさ」
「私には聞こえるの……和斗くんの内なる声が」
「それ幻聴。状態異常なので早く回復して下さい」
俺と凛香はパソコンに向き合いながら軽口を叩き合う。
ついでに言うと俺はミニテーブルに置かれたノートパソコンで遊んでいた。
凛香はデスクトップパソコンだ。
「あぁ、なんて楽しいのかしら……やっぱり黒い平原は最高ね!」
「そういえば、凛香は最近ログインしていなかったな」
「忙しくて時間を確保できなかったのよ。夜は疲れて寝ちゃっていたし……」
「そっか。今日は大丈夫?」
「ええ! 明日はお昼までフリーなの。それに和斗くんと同じ部屋に居ながらネトゲをしているのよ? 寝ている暇なんてないわ!」
り、凛香が興奮している。
まあ気持ちは理解できる。
いつもはテキストチャットやボイスチャットでやり取りを交わしてきた。
だからこそ一つの憧れとして、生の声で話をしながらネトゲをしてみたいという気持ちも抱いていたのだ。
きっと凛香も同じだったんだろう。
「あら、黒い平原でも花火大会が行われるのね」
運営からのお知らせを見ているらしい。
「うん。俺も驚いたよ」
「…………花火大会、ね」
「凛香?」
影の落ちた声音で呟く凛香。
どうしたんだ?
「できることなら……和斗くんと一緒に花火を見たい」
「花火大会の日はログインできないのか?」
「できるわ。でもね、私が言っているのはリアルの方よ」
「あぁ……」
「浴衣を着て、和斗くんと手を繋ぎながら屋台を回って、夜空に打ち上がる綺麗な花火を一緒に見上げて……」
「凛香……」
儚くも羨ましがるような声音を耳にし、何も言えなくなる。
俺と凛香が揃って花火大会に行くのは無理だろう。
まず間違いなく周囲の人間にバレる。
仮に凛香が変装しても結果は同じだ。
街中で歩くのとは訳が違う。
人の密集具合がまるで違うのだ。
しかも凛香は浴衣を着たいと言っている。
……残念だが叶わない夢だな。
「ご、ごめんなさい。雰囲気を悪くするようなことを言っちゃって」
「いいよ。謝ることじゃない。俺も凛香と花火大会に行きたいからさ」
「和斗くん……ありがとう」
「まあ、その。黒い平原の花火大会を楽しみにしよう」
「ふふ、そうね。運営には期待しておくわ」
少しだけ元気を取り戻してくれたのか、軽い笑みを見せてくれた。
……でも、そうだよなぁ。
やっぱりリアルの花火大会に俺と行きたいはずだ。
浴衣を着て、屋台を回って……。
そんな凛香の願いを叶えてやりたい。
でも、どうすればいいんだろう。
何とかしてやりたい気持ちはあるんだけどな……。
「船の準備ができたわ。早く海に出ましょう」
「了解」
というか、何か大事なことを忘れていないか? そんな気がしてならない。
……まあいいか。
凛香が楽しそうにしているのだ。
水を差す必要はない。
◇
「すぅ……すぅ……」
安らかな寝息が鼓膜を優しく揺らす。
ふと目を開けると、凛香の可愛い寝顔が鼻先にあった……!
「っ――――」
思わず声を上げそうになる。
俺たちはベッドで向き合って寝ていた。
何故こんな状況に、と焦るも記憶が蘇ってくる。
ネトゲをしている途中、眠気に襲われた俺は仮眠することにしたのだ。
なんせ数時間前までプールで乃々愛ちゃんに振り回されていた。
眠くなってもおかしくない。
そしてベッドで仮眠するよう凛香に促されて……今に至る。
「すぅ……すぅ」
「……凛香?」
「すぅ……んん……和斗くん……」
俺の名前を口にしたが、目を開ける気配はない。寝言か。
「どうしようかな、これ」
とくに意味もなく凛香の寝顔を眺める。
本当に可愛い。
長い睫毛にスッキリとした鼻筋。
薄っすら赤みを帯びた白い頬は見るからに柔らかそう。
ふっくらした唇は実に瑞々しく、見ているだけでドキドキしてきた。
……やばい、変な気分になる。
「い、いやいや。なに考えてんだよ、俺……!」
頭を振って邪心を消し飛ばす。
「……和斗くん……すぅ……」
あー、可愛いんじゃー。
気持ち良さそうに眠っている。
たまに俺の名前を呟いては嬉しそうに頬を緩めていた。
どんな夢を見ているんだろう。
「……ありがとな、凛香」
何に対するお礼なのか、自分でも分からない。
多分、存在そのものだな。
おもむろに凛香の鼻をつまんだ。
「ふぐっ……ん」
「ふふっ。ご、ごめん凛香。もうしない」
すぐに手を離す。
思わず笑ってしまった。
ささやかなイタズラである。
良くないな、こういうの。
……凛香の寝息を聞いていると、また眠くなってきた。
眠気に抗えそうにない。まさに寝落ち。
でもまぁ、ネトゲをしていれば誰だって経験すること。
ネトゲを純粋な世界とする俺たちらしい一日かもしれないな。
◇
ふと何かを感じて意識が浮上していく。
体感としては朝だ。
小鳥の鳴き声を耳にしつつ、ゆっくり目を開ける。
健やかな凛香の寝顔を確認できた。
相変わらず可愛いなぁ。
そんな俺の平和的な目覚めは、一瞬で瓦解した。
「おはよう綾小路くん」
「おはようございます…………えっ!」
どこかで聞き覚えのある男性の低い声に、飛び跳ねて起きる。
そこに立っていたのは――――幹雄パパだった。
腕を組み、硬い表情で俺を見下ろしている。
言うまでもなく全身から重苦しい空気を発していた。
「あ、あの、え……?」
「まずは顔を洗ってきなさい」
「え、えと」
「その後、ゆっくりと話を聞かせてもらうよ」
――――君がここで何をしていたのか、ね。




