第六話
日は沈み、空に重たい青色が混じりだした頃。
町中の街灯はポツポツと明かりを灯し始める。
マンションの上階からだと、夜に染まりゆく町を一望することが可能だった。
「……」
外廊下の優しげな照明を浴びる中、『水樹』のネームプレートをジッと見つめる。
とあることが原因で、俺はインターホンを押せないでいた。
その原因とは香澄さんと車内で交わした話題にある。
俺はインターホンに指を伸ばす決意をしながらも、つい数分前の出来事を思い出していた。
◇
「今日の凛香、期待していいよ~」
助手席から街の景色を眺めている時だった。
信号待ちのタイミングで、香澄さんがニヤニヤしながら喋りかけてくる。
「凛香にね、二人の時間を彩るためのドキドキ作戦を仕込んでおいたからさっ」
「……普通に不安なんですが」
「安心しな和斗ボーイ。男の子なら誰もが喜ぶとっておきの展開だよ」
「へー」
「なんか興味薄くない?」
俺は外の景色から香澄さんに目を向ける。
「そんなことないですけど……ろくな展開にはならないだろうなって思います」
「あはは、信用ないな~私。そんなに派手なことじゃないよ。ただ凛香にコスプレを勧めただけ」
「コスプレ、ですか?」
「うん。せっかく二人きりになるんだからね~。そういう楽しみ方もアリじゃない?」
「そ、そうですね……」
コスプレか。今まで目にしてきた凛香の姿は、アイドル衣装、学校の制服、部屋着、水着だったな。
……アイドル衣装もコスプレの枠に入るのだろうか?
「私が一番オススメしたのは、裸エプロンだったかな~」
「ぶふぅ! な、なな、なんてものを勧めているんですかっ!」
「え、男の子ってそういうのが好きなんでしょ? 人生の先輩から教えてもらったんだけど……」
「否定はしないですけど肯定もしないです。ていうか人生の先輩って誰ですか……」
「聡子さん」
「また出たよ聡子さん! マジで何者なんだ!」
まさか香澄さんの口からもその名前を聞くことになるとはな……!
水樹姉妹に悪影響を及ぼしてやがる!
「他にもチャイナ服とかスク水とかミリタリー系とか色んなものを勧めておいたよ~。凛香がどんな服装を選ぶのか楽しみだねぇ」
「バリエーションが豊富ですねー。どれだけ服を持っているんですか……」
一体何が香澄さんをそこまで駆り立てるんだろう。
信号が青に変わる。
俺は嘆息する思いで、再び動き出した車に揺られるのだった。
◇
「……色んな意味で緊張してくる」
もし本当に裸エプロンだったらどうしよう。
……多分、俺は卒倒してしまうな。
さすがに刺激が強すぎる。
だが、あの凛香ならあり得るかも知れない。
そう思わせるだけの何かがあった。
しかも香澄さんの入れ知恵だしなぁ。
「押すか………」
意を決し、インターホンをグッと押す。
すぐにスピーカーから凛香の声が聞こえてきたので返事をする。
程なくしてドアからガチャッという音が響いてきた。
……ついに凛香が現れる。
果たして、どのような格好をしているのか。
期待不安興味好奇心、あらゆる感情が胸の中に押し寄せてくる。
そして、ゆっくりとドアが開かれた。
「いらっしゃい和斗くん…………いえ、ご主人様と呼んだほうがいいかしら」
「っ――――」
凛香は、メイド服を着ていた。
それもメイドカフェで見るような、萌系を意識したフリフリのやつ。
白色のカチューシャに、魅惑的な脚を覆う黒のニーソックス。
スカートとニーソの隙間から覗かせるのは、程よくむちっとした白い太もも。
絶対領域……。
「どうかしら、この格好。お姉ちゃんに言われて着てみたのだけれど」
「……」
「メイド服を着るのは初めてね。自分では似合っているのか分からないわ」
そう言った凛香は、少し自信なさげにスカートの上部分をつまんだ。
心なしか不安げな表情を浮かべている。
本当に似合っているのか分からない様子だった。
「和斗くん……?」
くそ……なんてものを見せやがる……。
まったく、香澄さんは一体何を考えているんだありがとうございます!!
さすがに裸エプロンまで行っちゃうと少し引いていたところ。
だが……メイド服なら純粋な可愛らしさと、男の心を絶妙にくすぐる魅力を捉えてくるのだ!
そう、投げられた野球ボールをバットの芯で捉え、見事なホームランを打ち出すように!
「あの、和斗くん? ずっと黙っているけど……やっぱり私なんかにメイド服は似合わなかったかしら?」
「そんなことはないぞ! 凄く似合っている! それに普段からクールな振る舞いをしているからこそ、凄まじいギャップが生まれて可愛い!」
「え、あ、ありがとう……?」
熱い興奮に突き動かされた俺は、勢いのままに凛香の両手を握りしめる。
感動をありがとう!
「普段からも可愛いけど、メイドさんになると別の可愛さがあります。最高です」
「そ、そう。和斗くんが喜んでくれているようで良かったわ」
半ば引き気味ではあったが、凛香は安心したように顔を綻ばせた。
……あれ、もしかして俺の方がヤバくなってた?
少し冷静になる。
テンションが上がり過ぎた。
そんな俺に対し、凛香は恥ずかしげに両指を組みながら口を開いた。
「今夜、私のご主人様は和斗くんよ……。だから私にして欲しいことがあったら……なんでも言ってね」
「な、なんでも……ですか?」
ごくっと唾を飲み込む。
「……ええ、なんでも。遠慮せず、好きなように命令してくれて構わないから……」
彼女が何を想像しているのか、俺には分からない。
しかし、恥ずかしそうに俯いた凛香の頬は赤く染まっていた。
きっと俺も同じような顔になっているのだろう。
鏡を見なくても分かる。想像に難くない。