第六話
何だかんだと平和的に過ぎ去る一日。
放課後になると生徒たちは慌ただしく教室から出ていく。
部活に行くなり友達と遊びに行くなりで忙しいのだろう。
これといった用事のない俺は、のんびりと自分の席に座っていた。
漠然とした気持ちで水樹さんの後ろ姿を眺める。
水樹さんは教室から出る際、俺に軽く手を振ってきた。思わずニヤけてしまいそうになるのを我慢して手を振り返す。それで満足したらしく、水樹さんは廊下まで迎えに来ていた胡桃坂さんと歩いていった。
詳しくは知らないが、アイドル活動に赴くのだろう。
歌と踊りの練習したり、何かしらの収録に励んだり……。
学生アイドルって、どんな一日を過ごすんだろうな。今まで気にしていなかったことが気になってくる。水樹さんについてもう少し知りたい。
「でもリアルの話題は嫌がってるしなぁ……」
聞くのは我慢するか。変に距離を詰めようとして、避けられる事態になれば悲しすぎる。奇跡的にも憧れの人気アイドルとお近づきになれたのだ、今の関係を大切にしていこう。
そう決意した俺は、そろそろ帰るかと立ち上がる。
「綾小路くぅぅん……! どこに行くのかなぁあ!?」
「僕の計算によると、僕たちから逃げられる確率は0%だよ」
「……お前ら」
橘が両腕を広げて通せんぼしてきた。斎藤に至っては俺のカバンを押さえてくる。こいつらガチだ……!
「ま、まま、まさか、水樹凛香と……プライベートを過ごすってことは、ないだろうな!?」
「ないよ。ただ家に帰ってネトゲするだけだ」
「本当か!? 本当だろうな!?」
「もちろん」
……食堂での話は内緒にしよう。
胡桃坂さんも絡んでいると知られたら何をしてくるか分かったもんじゃない。
「まあまあ落ち着いて橘くん。綾小路くんも座りたまえ」
「いや家に帰りたいんだけど」
「座りたまえ。……僕のメガネが火を吹く前にねっ」
「……」
訳のわからない脅しをされた俺は渋々腰を下ろした。
いや本当に訳が分からん。
ちょっとメガネが火を吹くところを見てみたいと思うのは俺だけだろうか?
「さあて綾小路。洗いざらい全部喋ってもらうぜ」
「何を喋ったらいいんだ?」
「んもん決まってるだろ! 水樹と親しくなった経緯だよ!」
「あぁ……」
「しかも食堂で奈々ちゃんとまで会話したんだってな! この贅沢野郎!」
「贅沢なのは、お前の体の方だろ」
橘のデブった腹を見ながら言ってやる。
「なんだとコノヤロウ!」
「ぶふっ! 今の返しは僕の計算によると百点満点だね! ……ぶふっ」
「斎藤まで……! いや俺の体型はいいんだよ! 今は綾小路の話だ! どうやって水樹と仲良くなった!?」
「そんなことよりも水樹さんは名字で呼ぶのに、胡桃坂さんは名前で呼ぶんだな」
「あー、イメージ的なやつ? 水樹はどうも名前で呼べるほどの気軽さがないっていうか……。奈々ちゃんは親近感があっていいよな」
「その感じは何となく分かるな。じゃあ、そういうわけで……」
「お前、話の逸し方が下手くそすぎるだろ。いいから話せって」
「んー……」
どうしたものか。水樹さんがネトゲをしている……これ世間はに衝撃を与える情報じゃないか?決してゲームを下に見るわけじゃないが、あの水樹さんには全く似合わないイメージだ。ともすればキャラ崩壊……までは言い過ぎか。
だとしても大っぴらにしていいことではない。
「おい綾小路! 早く言わねえと、これからピーマンあげねえぞ!」
「俺、ピーマン好きじゃねえから。嫌いでもないけど、別に好きじゃねえから」
「分かった! じゃあ千円やるから教えてくれ!」
手を合わせて拝んでくる橘と斎藤。必死過ぎてドン引きだ……。
できれば無視したい。しかし何も言わないでいると、かえって騒ぎ立てられるかもしれない。断腸の思いで決断を下す。
「……絶対誰にも言うなよ?」
「分かってるって! 俺たちは友達だろ? 絶対に約束は守る!」
「僕の計算によると、僕たちが約束を守る確率は2000%だ!」
「一気に嘘臭くなったな……。俺と水樹さんはネトゲで知り合ったんだ」
「ほう。どういう経緯で?」
「経緯っていうか……。二年前にネトゲで結婚した相手が水樹さんだったんだよ」
「「ま、まじで!?」」
驚きのあまりハモる二人。
まあ正常なリアクションだよな。
「おい斎藤! ネトゲの嫁が人気アイドルの確率は何%だ!?」
「ぼ、僕の計算によると、30%くらいかな」
「結構高えじゃねえか!」
橘と斎藤がギャーギャー騒ぎ立てる。
教室に残っているクラスメイトたちが、なんだなんだと視線を向けてきた。
「おいお前ら、騒ぐなって。他の人に知られたらヤバいだろ」
「は?なにがヤバいんだよ」
「水樹さんのイメージに関わるってば。それに多分だけど、水樹さんはネトゲ趣味が世間にバレたらネトゲをやめると思う」
確信はない。
そういう話を本人から聞いたわけでもない。
長年一緒にやってきたフレンドとしての勘だった。
「……かもしれないね。僕の計算によると、水樹さんのネトゲ趣味が世間を騒がせる確率は99%だよ。それに多くの人がゲーム内の水樹さんに会おうとネトゲを始めるだろう。騒がしくなるのは間違いない」
計算というか予測だったが、かなり的確だと思う。
少なくとも水樹さんのメンタルに影響を及ぼすのは確実だろう。
「そういうわけだからさ、このことは誰にも言わないでくれるか?」
「……」
何を考えているのか、二人は口を閉ざしたまま何も言わない。
ちょっとした焦燥に駆られた俺は言葉を重ねた。
「水樹さんの居場所を守ってやりたいんだ。勝手な予想だけど……ネトゲという世界は、彼女が周りの目を気にせず遊べる唯一の世界なんだと思う。頼む、誰にも言わないでくれ」
俺らしからぬ真面目さで訴える。
二人は互いに視線を交わし、そして俺の肩に手を置いてきた。
「綾小路……。心配することはねえ。お前の気持ちは十分伝わってきた」
「橘……」
これが友情の力だというのか。
真摯的な雰囲気を漂わせる橘が、こちらの目を真っ直ぐ見据えてきた。
「――――食わせてやるよ、俺のピーマンを」
「友達だけど言わせてもらうわ。お前、しばくぞ」
あれだけ真面目に喋った友達に対して、よくボケられるよな。
普通に殺意が湧き、全力で睨んでやる。
「ははは! 冗談だっての綾小路! 水樹に関しては俺たちだけの秘密な!」
「……」
「いやマジでごめんって。普段大人しい綾小路に睨まれると怖いんだけど」
これでもかと殺意を込めた視線を橘にぶつけ続ける。
橘は口端を引きつらせて斎藤の後ろに隠れた。
「まあまあ綾小路くん。これが橘くんなんだから許してあげようよ。あ、もちろん僕も約束は守るから安心して」
「はぁ……分かったよ」
これ以上怒っても仕方ない。それに彼らが約束を破る人間ではないことくらい理解している。だから話す決断をしたのだ。
その時、スマホから通知音が鳴った。内容を確認する。
送信者はリン。
今晩少しだけゲームをしませんか? と書かれていた。
「へえ……」
首を伸ばし、斎藤と橘が横からスマホを覗いてきた。
「な、なんだよ」
「僕たちも行っていい?」
「いいわけないだろ。ゲーム内での水樹さんは無邪気だけど人見知りというか……気を許した人以外には警戒心を剥き出しにするんだ」
俺以外の人と親しげにしている場面を見たことがなかった。
水樹さんのネトゲにおける人間関係は、やや排他的とも言える。
「なんだか猫みたいな人だね……。ま、綾小路くんが言うなら仕方ない。僕たちは大人しくしてるよ」
「だな。つうか俺も久々にネトゲやろっかな。アイドルと結婚できるかもしれないしっ!」
ほのぼのとした空気に変えて話し合う二人。
これで水樹さんの一件は落ち着いたらしい。
彼らの会話に相槌を打ちながら、俺はリンに『いいよ。21時頃にはインしてる』と返信する。
今晩が楽しみな一方で、抑えきれない緊張が胸を高鳴らせていた。