第二十六話
「ダメだ、ネトゲに集中できない……」
休日。黒い平原をしていたが、学校での凛香を思い出して手が止まる。ネトゲをやる気が起きず、そのままログアウトして背もたれに体重をかけた。
凛香、どうしたんだろうか。いきなり金髪のズラなんて被ってきて……。
天井を眺めながらボーッと考えていると、スマホにメッセージが届く。確認すると凛香からだった。『今から和斗くんの家に行っていい? お昼まで時間が空いてるの』とのこと。
俺は『いいよ。待ってる』と返信する。ほどなくして呼び鈴が鳴らされた。
玄関まで迎えに行き、外で待っていた凛香を中に招き入れる。
当然のように髪の毛は金色だった。まだズラを被っている……!
自然な流れで自室に移動し、俺たちは向き合った。
「和斗くん、大切な妻が寂しそうにしているわ」
「お、おぉ……?」
いきなり何を言い出すんだろう。凛香は真顔を崩さず、ジッと俺を見上げていた。
「微妙に反応が悪いわね……。そう、そうよ、私はお嬢様よ」
「なあ凛香、本当にどうした――――」
「肩をもみなさい」
「え」
「肩をもむのよ。お嬢様系が好きな和斗くんにとって、命令されることに至福を感じるのでしょう?」
いや全然そんなことはない。相手が凛香だから『どうしたんだろう?』と疑問に思うだけで、そこまで親しくない人から言われたら『ビンタしてやろうかコイツ』くらいには思う。
「さ、和斗くん」
凛香は椅子に腰掛け、くるりと回って俺に背中を見せる。…………そうか、疲れているんだな凛香は。お嬢様系として振る舞い、俺に命令して疲れを癒したいのかもしれない。そう考えれば何となく筋は通ってくる気がする。素直に甘えられない凛香らしさもある…………と思う。自信はないけど。
俺は凛香の両肩に手を置き、優しく揉む。柔らかい。グッと力を入れると指が沈みこんだ。
「あ―――んっ、ふっ…………んっ!」
「…………」
「いっ……ふ、や……んっ!」
揉めば揉むほど、妙に艶めかしい声を発する凛香。なんだか変な気分になる。
凛香の声から力加減を気にしつつ肩をもみ続け、十分ほど経過した頃。
「喉が渇いたわ。飲み物をもってきて」
「…………はい」
パサァ、と様になった仕草で髪を掻き上げた凛香に逆らうことができず、リビングに下りた俺はオレンジジュースをコップに注いで凛香のもとに戻る。確かスター☆まいんずの公式サイトで凛香の好きな飲み物の中にオレンジジュースがあったはずだ。
「凛香、持ってきたよ」
「ありが――――ふ、ふん。私のために働けて嬉しいでしょう。お礼を言いなさい」
「あのさ、お嬢様だからって傲慢になる必要ないからな?」
「…………え? お嬢様というのは、そういうキャラでしょう?」
「うーん……まあお嬢様によるけど、少なくとも清川はそんな感じじゃない」
「そうだったのね。べ、別に綾音を意識しているわけじゃないけれど、参考になったわ」
パサァ、とさっきよりも大きく髪を掻き上げる凛香。その仕草も演技っぽくて違和感があった。オレンジジュースを飲み干した凛香は今度、別の要求をしてくる。
「次は……あ、頭をヨシヨシしなさい」
「……これでいい?」
言われた通りに凛香の頭を撫でる。ドキドキ感はなく、なんだか子供の遊びに付き合うような気分になっていた。
「……………………ズラ越しだから微妙ね」
俺に頭を撫でられている凛香は、ちょっと不満そうにして呟いた。そりゃそうだ。
凛香は椅子から立ち上がり、何かを言おうとして口を開け、閉じると、また何かを言おうとして口を開けた。金魚みたいにパクパクしている。随分とためらっているな。よほど変な要求をしようとしているのか。
「何でもいいよ。言ってくれ」
俺にできることであれば凛香の力になりたい。その思いから優しく言う。
「え、えと……それじゃあ……ハグをお願いするわ」
「ハグ、か」
「私たちは夫婦だからハ、ハグくらいおかしなことはないけれど……その…………いいからハグをしなさい!」
顔を真っ赤にした凛香は、お嬢様口調でゴリ押しに要求を貫いてきた。
俺も結構恥ずかしい気持ちになっているが、これは断ってはいけない気がする。
鼓動が強くなるのを感じつつ、そっと凛香に歩み寄る。その瞬間を感じたらしい凛香は目をギュッと閉じた。……いやキスじゃないんだし。
凛香を包み込むように両腕を華奢な背中に回し、優しく抱きしめる。腕の中から「ふぐゅっ」と謎の可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「お、ぉぉお夫に……抱きしめられて――――ああ、これが幸せね……! もう思い残すことはないわ」
「大げさな……」
「お嬢様キャラになってよかったと、初めて思えた……」
「……いつもの凛香でも、お願いしてくれたらしてたよ」
「………………ほんとかしら」
「もちろん」
「…………」
凛香は無言になり、身を委ねてくる。一体何に対して不安を感じ、焦っているのか。一つの予想として、清川と俺がくっつくと、そう凛香は勘違いしている可能性があると考えていた。絶対にありえないことなのにな……。
その日の晩。突然凛香からメッセージが届いた。
『和斗くん。助けて』――――と。
☆
凛香から届いたメッセージを見てギョッとさせられる。助けて、なんてとんでもない非常事態だ。焦った俺は内容を具体的に聞くことにした。
どうも、熱が出たとのこと。今日は土曜日なので学校を休む必要はなく、また、奇跡的に明日はアイドルに関連した活動もないそうだ。今日と明日、安静にするらしい。助けて、と俺にメッセージを送ってきた理由は、朦朧とする意識の中で夫に縋りたい一心からの行動だったと凛香は説明してくれた。
「明日……お見舞いに行くか……」
今日はもう夜遅いので行くのはやめておいた方がいい。明日の朝、凛香の家に向かうことにしよう。
☆
「あれ、和斗先輩。凛香先輩のお見舞いですか?」
凛香が住むマンション内を進んでいると、階段付近で清川と遭遇した。階段を一緒に上がりながら話を聞くと、清川もお見舞いに来たらしい。他のスター☆まいんずのメンバーは仕事で来れないとのこと。清川も昼以降から用事があると言っていた。
「最近の凛香先輩、様子がおかしかったですから……。何か起きるのではと懸念しておりました」
「金髪のズラを被って登校してたもんなぁ」
「それだけではありません。レッスン中、あくびをすることが何度かありましたのよ。あの凛香先輩がありえませんわ。誰よりも真剣に取り組む、あの凛香先輩が……!」
「ごめん、それは俺のせいかも。最近の凛香、夜遅くまでネトゲをしたがるからさ……止めてもやりたいって言われて……毎日付き合っていました」
「はぁ…………だからですか。忙しい日々を送りながら、ネトゲで夜更かしをしていれば体調も悪くなりますよ」
呆れたように眉間を押さえた清川は、露骨にため息をついた。気まずいというか申し訳なく感じる。俺が凛香の行動を諌めるべきだったのだ。
二人で話しながら歩き、凛香の家に到着する。清川が呼び鈴を押し、香澄さんの声が発せられた。その数秒後、ドアが開かれる。困り顔の香澄さんが姿を見せた。
「あ~来てくれてありがとね、二人とも。凛香も喜ぶよ」
「いえいえ、尊敬する先輩が体調不良とあっては、駆けつけるのは当然のこと。奈々先輩たちも心配しておりました」
「昨日より熱は下がって、微熱に近くなってるから大丈夫だとは思うの。ささ、入って。和斗ボーイも」
香澄さんに招かれて家の中に踏み込む。自然な流れで俺が先頭になり、凛香の部屋まで歩いていった。ドアを開け、中を覗く。ベッドに寝る凛香と、すぐそばで心配そうに寄り添う乃々愛ちゃんの姿があった。まあさすがに凛香の頭は金色じゃない。ズラは被っていなかった。
「凛香、大丈夫?」
「あ—―和斗くん」
「かずとお兄ちゃんだー」
サッと立ち上がった乃々愛ちゃんがトコトコ俺のもとに駆け寄ってきた。なんて可愛らしいんだろう……。そう思う気持ちも一瞬、額に冷えピタを貼って辛そうにしている凛香を見て心配な気持ちで溢れる。
「微熱くらいに下がったって聞いたけど……顔、赤いな」
「そうね……夫の姿を見ると嬉しくてアガるわ」
軽口を言う余裕はあるらしい。乃々愛ちゃんの頭を軽く撫でてから、俺は凛香の傍に歩み寄って床に腰を下ろす。凛香が体が起こそうとしたので、そのままでいい、と制止しておいた。
「ちょっと無理し過ぎたかしら……。睡眠時間も削っていたし……」
「俺も止めるべきだったよ、ごめん」
「いいえ、和斗くんは何も悪くないわ。けど、そうね……お願いを聞いてもらってもいいかしら」
「何かな?」
「手をつないでもらっても……いいかしら」
発する声に力はなく、熱混じりの吐息が凛香の体調不良を証明していた。断るつもりはない。スッと布団の隙間から出された凛香の右手を握る。体温のせいか熱く感じられた。
「ありがとう、和斗くん……。とても気持ちが落ち着くわ」
ふにゃっと柔らかい笑みを浮かべる凛香。しかし次の瞬間、その笑みは焦りの表情に変化する。
「あ、綾音――――!」
「凛香先輩…………」
部屋の入り口に立っていた清川に気づいた凛香は、バッと跳ねるようにして体を起こした。体調不良とは思えない凄まじい速度だ。
「お、夫が……愛人を連れてお見舞いに……ああ…………!」
「あい、じん? 愛人!? な、なにをおっしゃるのですか凛香先輩!?」
「最近コソコソ二人で会っていたじゃないの。旧校舎の教室で……。私、見てたんだから」
「「なっ――――」」
俺と清川が二人で話をするところをコッソリ見ていたらしい。いや見られて困ることは何一つしていないが、これまでの凛香の言動が結びつき、なぜ凛香が変なことをしていたのか理由が判明した。
「もしかして清川を愛人だと思い込んで……対抗していたのか?」
「…………ええ、そうよ。綾音は可愛いから仕方ないかもしれない……そう思うようにしてもダメだったのよ。大切な後輩だから詰め寄る真似もしたくないし……。そこで、和斗くんの視線を独占することにしたの」
「すごい勘違いだな……。俺と清川は何もしてないよ」
「ウソよ。二人で……色々と話をしてたじゃない」
「凛香先輩。本当に私と和斗先輩は何もありませんよ。その……私が和斗先輩に疑いを持ち、人間性を確かめようとしていたのです」
「人間性を確かめる? どういうこと?」
「凛香先輩は男性が苦手です。なのに、和斗先輩を夫と呼び、夫婦として振る舞う…………。これはもう、和斗先輩に弱みを握られたのか、洗脳されたかの二択だと考えたのです」
「そこで和斗くんに近寄り、探ろうとしたのね……」
凛香の静かな言葉に、清川は「はい……」と頷いた。
聞いていた立場としては、そんな馬鹿な、と思わされる。ただ、凛香の考え方の方がぶっ飛んでいる気もしたので、何とも言えない。
「申し訳ございません凛香先輩。勝手なことを……」
「…………私を心配して、のことよね?」
「はい」
「今はどうなのかしら。和斗くんのことをどう思ってる?」
「まだ数日程度なので何とも言えませんが、少なくとも善良な男性ということは分かりました」
「ふふ、綾音らしいわね。…………話をまとめると、私が勘違いして暴走したということかしら」
「いえ、私も和斗先輩が悪人だと勘違いしておりましたので、正確には私たちが、ということになりますね」
清川の言葉に対して凛香は小さく笑い、誘発したように清川も合わせて小さく笑う。今さらだが、凛香が金髪のズラを被ってきたのは、清川に少しでも近づいて俺の気を引くためだったのだろう。本気で愛人だと思っていたのか……。
☆
俺の手を繋いでいた凛香は安心したように眠り、心地よさそうな寝息を立て始める。乃々愛ちゃんも俺にもたれて眠っていた。
「どうやら凛香先輩には和斗先輩が必要みたいですね。というより、半身も同然とした存在になっているようです」
「まあ夫婦と言ってるくらいだし……」
「それほど心の支柱になっているということなのでしょう。素晴らしいことです」
凛香の可愛らしい寝顔を覗き込み、清川は優しく微笑んだ。
「本当の意味で認めますよ、和斗先輩。こんな無垢な寝顔を晒しながら和斗先輩の手をつないでいるのですから、認めざるを得ません」
「今まで認めていなかったのか……」
愕然とする俺に対し、清川はクスっと上品な笑いを漏らす。
「頑張ってくださいね、凛香先輩の旦那さん」
そう言うと清川は「では用事があるのでこれにて」と言い、部屋から出ていった。残された俺は凛香の寝顔に目をやる。警戒心がなく、気を許しているのが伝わる無防備な寝顔だった。
「旦那さんかー」
これからも自称お嫁さんの人気アイドルに振り回されるような予感がして、思わず苦笑いを漏らしてしまうのだった。