第二話
「いつ見ても水樹さんは綺麗で可愛いなぁ」
自室のベッドで寛ぐ俺は、スマホで『スター☆まいんず』のミュージックビデオを鑑賞していた。
スター☆まいんずのメンバーは五人、全員女子高生だ。可愛らしいドレスを着て楽しそうに踊っている。人気のあるアイドルグループで、普通に生きていれば一度は耳にする名前だろう。
しかし俺が注目しているのは水樹凛香一人。
スター☆まいんずのファンと言うよりも水樹凛香のファンだった。
ファンになったきっかけは同じクラスになったこと。
ずば抜けた容姿とクールな振る舞いに目を奪われた。
思えばアイドルという存在を明確に感じたのは、これが初めてだったと思う。
水樹さんと出会うまではアイドルに興味なかったし……。
だが、教室内での水樹さんは冷たい態度が目立っていた。
つねにキリッとした表情で真面目な態度を一貫しており、一部の生徒たちから距離を置かれているのだ。煙たがられている……とも言える。
とはいえ、人気アイドルなので男子からの人気は恐ろしく高い。
色んな男子から話しかけられている姿を教室で何度も目にした。
…………実は、隠れて誰かと付き合っているのでは?
そう考える人も少なくないが、そこはクール系アイドルの水樹凛香。特定の男子と浮いた話が上がるどころか、クラスメイトの男子とすら必要最低限の会話しかしていなかった。
『男が嫌いなんじゃね?』なんて噂が流れる始末。
まあ普通に考えてスキャンダル対策だろう。彼氏バレしたアイドルは漏れなく炎上するしな……。
なら女子たちと仲が良いのかと言われると、別にそういうこともなかった。
はっきり言おう。
水樹さんは――――孤立していた。
女子はグループを作り、集団で行動するのが一般的だと思う。それは男も同じだが、女性は特にその傾向が強いだろう。にもかかわらず、水樹さんは一人で行動するのが当たり前になっていた。まあ平然としているので本人が望んだ結果なのかもしれない。
しかし、とある女子とは楽しそうに話をしている。その女子もスター☆まいんずのメンバーだ。おそらくだが、水樹さんは自分が認めた人には心を開くタイプだと思う。
もう一つ孤立しやすい理由をあげるなら、空気感が普通の人とは違うことだろう。
芸能界の荒波にもまれ、日々努力を重ねた人の堂々たる雰囲気…………。
俺たち凡人とは身に纏うオーラが明らかに違った。
周囲から空気読めない男と称される俺ですら、教室の隅っこで水樹さんの背中を眺めるのが限界なのだ。あれは話しかけるだけで緊張する。どこかピリピリとした緊張感を漂わせていて話しかけづらい。
「けど挨拶くらいはしたいよなぁ。あの美声で”おはよう”と言ってもらいたい……!」
水樹さんはグループの中で一番歌唱力が高いと世間で言われている。
俺も激しく同意しているところだ。聞いているだけで心が震える。
「勇気出して、明日こそは朝の挨拶をしてみるか……!」
さすがに恋愛感情まではないけど、せめてクラスメイトとして挨拶する程度の関係にはなりたい。
という願いを抱いてから既に数週間は経過していた。
我ながらヘタレ過ぎる。
ピロン。スマホから通知音が鳴った。ゲーム用のボイスチャットアプリからだ。
メッセージ送信者の名前は【リン】。
『インしてるよ~』
「お、もうそんな時間か」
今の時刻は21:07。
待ち合わせの時刻が21:00なので遅刻してしまっている。
水樹さんに夢中になってフレンドとの約束時間を忘れていた。
『ごめん。すぐにインする』
そう返信した俺はパソコンの席につき、電源ボタンを押す。起動するパソコン。アイコンをクリックして【黒い平原】という圧倒的自由度を誇るMMOを始めた。
リアルなグラフィックで楽しめるオープンワールドの本作は、戦いから日常系に至るまで、あらゆるロールプレイを楽しむことができる素晴らしいネトゲだ。一部機能はスマホアプリとも連携している。
ちなみに俺のプレイヤー名は『カズ』。名前の由来は俺の本名にある。
本名は綾小路和斗。
ようするに名前の頭二文字をとっただけ。
俺がインすると、すぐにリンからチャットが飛んできた。
『待ってたよ~。久々だね』
『久々か? 先週の日曜日も一緒にしただろ?』
『じゃあ一週間ぶりじゃん! カズとゲームできる日をずっと楽しみにしていたんだから!』
『へいへい』
相変わらずノリノリといいますか、テンションが高いなぁ。
このリンというプレイヤーは、中二の頃から仲良くしているネトゲのフレンドだ。
今の俺が高校二年生だから……実に四年目となる付き合いだな。
ネット上の親友と呼べるんじゃないだろうか。
いや、ゲーム内とはいえ結婚をしているので親友以上かもしれない。
少なくともリンは俺に気を遣うこと無く無邪気に接してくる。
『今日は何する? ちなみに私は釣りをしたい気分かな~』
『鉱山に行って鉱石採取しながら採掘スキルを上げたい』
『今日は何する? ちなみに私は釣りをしたい気分かな~』
『ボットですか、あなたは!? 俺の要求が通らないんですけどっ!』
『釣りに行くよ』
『もう強制じゃん!』
それなら今日は何する?とか聞いてくるなよ……。と思いながらも言わない。
挨拶代わりのじゃれ合いみたいなもの。それはリンも理解している。
お互いリアルの事情は何も知らないけど、それなりの信頼関係は築かれていた。
「リアルのリンは、どんな人なんだろうな」
昔、それとなくリンにリアルの話を振ってみたことがあった。
しかしリアルの話題はナシにしたいと言われたので、それ以上の追求はしないことにしている。
彼女曰く、リアルの情報が絡めば純粋な関係が崩れるから、だそうだ。
言いたいことは分かる。
極端な話だが、もしリンの正体がゴリゴリのヤクザだったら、俺は黒い平原をアンインストールした上でパソコンを破壊して徹底的に距離を取るだろう。
…………まあ何でもいいさ。
リンが何者だろうと俺には関係ない(ヤクザじゃない限り)。
一緒にゲームをしていて楽しい。
その事実が一番大切なのだから……。
『ねえねえカズ。私の船で海に出ようよ』
『沈むから嫌だ』
『なんでそんなこと言うの!? 絶対に大丈夫だから!』
『そのセリフ三度目。そしていつも船の修理材料集めを手伝わされる』
『今度は大丈夫だから! 動画サイトで船の上手な操作方法を調べてきたから!』
画面内の可愛らしいエルフの格好をしたリンが、拳を握りしめたガッツポーズを見せてきた。アバターの雰囲気はやる気満々だ。
『本当に頼むぞ? 船は修理するだけでも大変なんだからな』
『任せて! 今の私なら何でもできる気がする!』
そうして謎の自信に満ちたリンに従い、小舟より少し大きいかなぁくらいの船に乗って海に出る。陸から離れすぎると海賊船に襲われるから注意が必要だ。
途中、停船して釣りを開始する。
魚がかかるまでの間、フレンドと何気なくチャットするのが楽しんだよなぁ。
『ねえカズ。まだ遅刻したことへの謝罪を聞いてないんだけど』
『ごめんなさい』
『なんで遅れたの?』
『アイドルのミュージックビデオを観てた』
『へぇ。カズってアイドルに興味があったんだ』
『まあな』
そう返すと数秒間の沈黙が続いた。
船から海に垂らした釣り糸を眺めながらボーッとする。
リンの方も魚は釣れていない様子。
『そのアイドルの名前は?』
『リアルの話は禁止じゃないのか?』
『今回は別。教えて』
なんだか随分と食いついてくるな。
魚ではなくリンが釣れたぞ。
『スター☆まいんずってグループだ。知ってる?』
『うん』
『水樹凛香のファンでさ、しょっちゅう観てるんだよな』
『そうなんだ』
『うん。俺、実は水樹さんと同じクラスなんだよ。すごいだろ?』
ちょっと自慢げに言ってみる。
すると返事が来なくなった。
一分、二分、三分……無言が続く。
この沈黙はヤバい方の沈黙だ。
しかもリンの釣り竿が揺れて魚が食いついた反応を示しているのに、リンは釣り上げる気配がない。
放置しているのか? え、このタイミングで?
唐突すぎる。
俺は何かマズイことを言ってしまったのだろうか。
水樹さんと同じクラスだと自慢したのがいけなかったのかもしれない。
『ごめんリン。調子に乗って余計なことまで言っちゃった。気を悪くしたならごめん』
とりあえず謝罪。
少しばかりマウスに手汗を染み込ませて返事を待つ。
リンの釣り竿から魚が逃げたタイミングで、ようやくチャットが返ってきた。
『私、水樹凛香』
……。
……ん?
『はは。いきなり何を言い出すんだよ。さすがにウソだって分かるぞ』
『二年三組。担任は佐藤先生。私が座っている席は窓際から二番目の列、最前席』
淡々とテキストウィンドウに流れてきたのは、水樹凛香に関する情報だった。
……う、うそだろ。全部当たっているんだけど!
いやでも水樹さん本人とは限らない。
クラスメイトの誰かかも。
『カズは誰なの?』
どうしよう。言っちゃっていいのか?
でもリンがウソをつくとは思えない。
だとするとリン=水樹さんになるわけだけど……。
『私のことが信じられない?』
そう問われてしまい、ちょっとした罪悪感で胸が痛くなった。
思わずチャットを打ち込む。
『俺は、窓際列で一番後ろに座っている人だよ』
少しボカして答える。すぐにチャットが送られてきた。
『綾小路和斗くんね』
『……当たりだ』
これで水樹さんかはともかく、リンがクラスメイトである可能性が高くなった。
『ごめんなさい。もう落ちるわ』
『分かった』
船の上から姿を消すリン。ひょっとして相手が俺だと分かって失望したのか?
だとしたら…………ショックだ。
こうなるならリアルの話なんてするんじゃなかった。
いや、リンが昔言ってたじゃないか。
リアルの事情を持ち込めばネトゲの関係が歪になると。
その意味をもっと深く考えるべきだった。
「やっちゃったなぁ……」
リンと遊べなくなったらどうしよう。
頭を抱えて己の浅はかさに後悔していると、スマホから通知音が鳴った。
リンからだ。
内容は『明日の昼休み、一緒に食堂行きませんか?』というもの。
俺は緊張で震えながらも『はい』と返信する。
これで本当に水樹さんだったらどうしよう。
半端なくヤバい。はは…………冷静に考えてみろ。
リンは水樹さんじゃない。
なぜなら、『明るくて無邪気なリン』と『クール系アイドルの水樹凛香』は、全く異なる性格をしているじゃないか!
そうだ、偽物…………偽物に違いない。
どうせクラスメイトの誰かが俺をからかっているんだ。
そう自分に言い聞かせていると、またしてもメッセージが送られてきた。
タイトルは『本物だと証明します』。
タップしてメッセージを開く。パソコン画面を背景にした水樹さんの自撮り写真が添付されていた。
試しにネットの画像検索にかけてみるもヒットはなし。
つまり電子の海から拾ってきた画像ではないということ。
「ま、まじか。これ、まじのやつか……っ!」
スマホを握る手が尋常ではない揺れ方を起こす。
ネトゲで結婚したフレンドが、実は俺が憧れている彼女…………?
「ね、ネトゲの嫁が……人気アイドルだったなんて……っ!」