第十四話
「俺、そろそろ帰るわ」
窓から見える街の景色が暗くなってきた頃。
斎藤の家に遊びに来ていた俺は、橘と斎藤の二人に帰宅を告げる。
この情報は不要かもしれないが、斎藤の自室は実に汚い。
ラノベや漫画が散らかっていて足の踏み場に困るほどだ。
男子高校生らしい部屋と言えば、そうなのだが……。
「え? 帰るには早くないかい? いつもなら、もっと遅くまで遊んでいくじゃないか」
「ああ、今晩は約束があるんだ」
ベッドで寝そべりながらラノベを読んでいる斎藤に言う。
今日は土曜日。夜から水樹さんたちとネトゲをする予定である。
「約束って、俺ら以外に遊べる相手はいないだろ?」
「そのセリフ、数日前にも聞いたけどな。……水樹さんだよ」
「水樹には振られたんじゃねえのかよ」
「振られてないってば。なんかもう説明が面倒くさいな……。お前らを信じて見せるよ」
スマホを取り出して水樹さんとのチャットを二人に見せる。
画面に表示されているのは、先日のモーニングメール(好きよ)から始まり、自分たちを夫婦として認識したやり取りのもの。
「これ、ガチか……?」
「ガチだ。誰にも言うなよ? 未だに俺も信じられないけどさ……」
「「…………っ」」
俺のスマホを凝視して、ワナワナと震えだす斎藤と橘。
何事かと思っていると、唐突に声を上げた。
「う、嘘だ嘘だ! 人生不公平すぎるだろぉおおおお!」
「ぼ、ぼぼ、僕の計算によると…………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
これでもかと見苦しく奇声を発する男二人。
頭を抱えて白目を剥き唾を吐き散らしながら叫ぶ彼らの姿は、言っちゃ悪いが物凄く醜かった。
頬を引きつらせた俺は、逃げるようにしてドアノブに手をかける。
「まてよぉぉ綾小路ぃぃぃい!」
「うおっ、なんだよ!」
ゾンビのようなドロドロとした声を発する橘が、俺の腰にしがみついてきた。
「このまま行かせるかよぉぉお! お前が人気アイドルと夫婦ごっこしてる間、俺たちは野郎同士で遊べと言うのか!?」
「まあ、うん……。仕方ないよな」
どうしようもないだろ、俺には。
ドアを開けて部屋から出ようと試みるも、橘がミシミシと腰を締め上げてくる。
「絶対に行かせねえぞ!」
「ぐっ、まじで離せって! 急がないと胡桃坂さんにまで迷惑がかかる――――あっ」
言った瞬間、墓穴を掘ったのが分かった。
焦るあまり余計な情報を漏らしている。
「お、お前、まさか……奈々ちゃんともネトゲをするのか?」
「……」
「そうなんだな!? その無言は肯定と受け取るぞ!」
「……ち、違うよ?」
「違わなくねえだろ! 綾小路はウソが下手くそだから、すぐ分かるんだよ! ああクソ、両手に花ってか!? 羨ましすぎるだろコンチクショウ!」
「……僕の計算によると、僕たちが嫉妬で狂う確率は――1000%!!」
そう断言した次の瞬間、血走った目をした斎藤までもが俺に飛びかかってきた。
二人がのしかかって来る……!
「ちょ、やめろぉおおおお!」
□
『もう遅いよカズ!
今まで何をしていたの٩(๑`^´๑)۶』
ゲームにログインするなり、そんなリンのお怒りメッセージが飛んできた。
ちょっと可愛くて頬が緩む。
結局、斎藤たちのせいで二十分ほど遅刻してしまった。
俺は『ごめん』と返信してからパソコン内のボイスチャットアプリを起動する。
あらかじめリンと作っておいたトークルームを選択し、ボイスチャンネルをクリックして入室した。
入室しているメンバーは三人。
『カズ』と『リン』と『シュトゥルムアングリフ』だ。
…………誰?
なんか横文字の凄い人がいるんだけど。
「遅かったわねカズ。私たち、ずっと待っていたのよ?」
クールな装いのリンが言ってくる。
ついさっき送られてきた可愛らしいチャットとは、えらく雰囲気が違うんだな。
……ま、わざわざ俺から突っ込むことじゃないか。
彼女なりの事情があるんだろう。
それよりもシュトゥルムアングリフさんが気になる。
いや誰かは分かるけど聞かずにはいられなかった。
「あの、シュトゥルムアングリフさんって誰ですか?」
「はいはーい! 私だよー! 胡桃坂奈々ですっ!」
ヘッドフォンから元気のいい大きな声が響いてきた。
声量が半端ない。
「ちょっと奈々。声が大きいわよ。声を抑えなさい」
「あ、ごめんねー」
普段から大きな声を出している胡桃坂さんはボイスチャットでも同じノリらしい。
何気なく俺は名前の由来を聞くことにする。
「胡桃坂さん。どうしてシュトゥルムアングリフって名前なの?」
「えとねー。私が飼っている猫の名前なんだよ! どう? 可愛い名前でしょ?」
一瞬、ツッコミ待ちのボケかと思ったが、胡桃坂さんの明るい声音で本気だと理解する。
返す言葉に悩んでいると、リンが会話を引き継いだ。
「奈々は普通の人に比べてセンスがズレているのよ。気にしないであげて」
「そんなことないよ! 私は普通だもん!」
……絶対に普通じゃない。
それと今シュトゥルムアングリフの意味をネットで調べてみたが、ドイツ語で『突撃』という意味らしい。
胡桃坂さんは自分の猫に何をさせる気なんだろう。
「既にシュトゥル――――奈々はチュートリアルを終えているわ。悪いけどカズ、最初の村に来てくれるかしら」
「分かった。すぐ行く」
プレイヤー名で呼ぶのが邪魔臭くなったらしい。
本名で呼んでいた。俺もそうしよう。
言われた通り、俺は馬に跨り数分かけて最初の村に到着する。
村に向かう途中で話を聞いたところ、胡桃坂さんはチュートリアルを終えたが、未だ操作に慣れていないらしい。
そんなわけで胡桃坂さんが操作に慣れるまでの間、村周辺の雑魚モンスターと戦うことになった。
彼女達と集まるべく、のどかな村の中央広場にキャラの足を進める。
そこで待っていたのは、弓を背負った可愛らしい金髪のエルフ『リン』と、大斧を担いだゴリゴリマッチョの獣人のオッサン『シュトゥルムアングリフ』だった。
……。
「……なあ胡桃坂さん。絶対にネタプレイのつもりだろ?」
黒い平原では割と細かくキャラメイクが出来る。
胡桃坂さんが作成したキャラクターは、どう考えても筋力パラメーターだけを最大値に上げたとしか思えない筋肉ダルマと仕上がっていた。間違いなく知力は最低値である。
「ネタプレイ? え、この子、可愛いでしょ?」
「さすがに言わせてもらうわ。胡桃坂さん、センスがイカれてるよ」
「えぇえええ!? カズくんまで言うの!?」
誰でも言うと思う。
明らかにフザケたキャラメイクを大真面目に可愛いとか言っちゃうんだから。
「奈々のおかしなセンスも確認したことだし、早速狩りに行くわよ」
「ぶぅー、リンちゃんとカズくんはイケズだなぁ」
唇を尖らせていそうな不満声を漏らしながらも、胡桃坂さんはリンに従って村から出ていく。
程なくしてモンスターが生息する草原地帯にやってきた。
「あ、見て! あそこに大きくて可愛い猫がいるよ!」
「あれはサーベルキャットね。気をつけなさい、この辺で一番強いモンスターなの。今の奈々では絶対に勝てないから近寄らないで――――」
「この子、凄く可愛い! 見て、楽しそうに私にじゃれついてくる!」
「違うわ奈々! それは攻撃されているの! 早く逃げて!」
「えっ? えと、どうやって走るんだったかな――――あっ」
『パーティメンバー:シュトゥルムアングリフさんが倒れました』
無情にもチャット欄に表示される死亡宣告。
村から出て5分足らずの出来事だった。
突撃するどころか棒立ちで逝った。
「奈々……」
「ごめんなさい。リンちゃん」
呆れたように胡桃坂さんの名前を呟くリン。
とりあえず俺は敵討ちをしておくか。
レベルカンストしている『カズ』は、剣を一振りしてサーベルキャットを葬った。
ちなみにサーベルキャットは全然可愛くない。
なんとなく猫に似ているだけで、体格は人間並だし顔つきも凶悪だ。
口からは巨大な牙だって零している。
「気を取り直して次行きましょう。カズ、お願い」
「おぉー」
なんとなく意味を察した俺は周囲をグルグルと巡回して、胡桃坂さんが手こずりそうなモンスターだけを倒していく。
「あ、これなら私でも勝てるかも!」
凄まじい巨体をした獣人のオッサンが、体格に似合った大斧を振り回して小さなイタチをしばいていた。
しかし通常攻撃すら不慣れらしく、たまにイタチに攻撃を躱されている。
クリックしてのターゲット選択ではないので、初心者の胡桃坂さんには辛いかも知れない。
「……想像以上に奈々は……いえ、これ以上言うのはやめておきましょう」
リンが何を考えたのかは分かる。
胡桃坂さんはゲーム音痴の人かもしれない。
まあ純粋にゲーム経験に乏しいだけだろうけど。
胡桃坂さんが最弱モンスターを相手に苦戦している間、俺とリンは周囲のモンスターをボチボチと狩り続ける。
旨味はまったくないが、胡桃坂さんの楽しそうな声を聞けているだけでも十分な収穫はあったと言えよう。
「二人とも息がピッタリだね」
ふと胡桃坂さんが、そんなことを言ってきた。
「何が?」
「お互い、名前だけで指示を出し合ってない?」
「そうね……。この辺のモンスターは弱いから複雑な連携がいらないのも理由だけど……」
「俺とリンはずっと一緒にやってきたからな。相手が何を求めているかくらい、考えなくても分かる」
「その通りよ。以心伝心というやつね」
リンが少し自慢気に言ってのける。
胡桃坂さんは「へ~、凄いなぁ」と感心していた。
そうして適当に会話をしながら狩りをすること数十分。
「ごめん。ちょっと私、用事ができちゃった。少しだけ離れるね」
狩りの手を止めた胡桃坂さんがログインしたまま離席する。
ボイスチャンネルの方も在籍中なので、すぐに戻ってくるつもりなんだろう。
と、思っていると、机に置いていたスマホから通知音が鳴った。
確認してみる。
胡桃坂さんからメッセージが送られてきていた。
『良い感じで場が温まったよ! 二人きりになった今がチャンス!』
何がチャンスかは聞くまでもないことか。
恐らく名前呼びの件。
凛香と呼ぶことを要求されていた。
俺は胡桃坂さんに返信する。
『いきなり過ぎだって。まだ心の準備ができていない』
『大丈夫だよ! 普通にリンって呼べてたよね?』
今、指摘されて気がつく。
確かに俺は水樹さんのことをリンと呼んでいた。
『あとは香をつけるだよ! 簡単簡単!』
簡単なものか。
意識しだすと今度はリンと呼ぶことすら緊張してきたぞ。
「どうかしたのカズ? 急に黙り込んじゃって」
「あ、あー、えと……。リン、か……かもめが飛んでるぞ」
「かもめ? どこに? 黒い平原にかもめなんて居たかしら?」
『…………』
無言の罵倒が胡桃坂さんから送られてくる。
何も言い返せねぇ。
…………。
なんだかなぁ。
ずっと違和感があるんだよな。
もやもやした気持ちが胸中を渦巻く。
俺は胡桃坂さんに後押しされなければ、水樹さんと仲良くなれないのかっていう……。
それに水樹さんは、リアルでも嫁になろうとするくらい俺のことが好きなわけで……。
「うん。やっぱ、そうだよな」
「カズ? 本当にどうしたの?」
訝しげに尋ねてくる水樹さんを無視して、俺は己の考えを定める。
この一週間に起きた出来事、水樹さんとの思い出がすべて頭の中で流れていく。
本当に濃密な一週間だった。
慌ただしくて、俺の日常を容易く激変させて……。
いつも中心に水樹さんがいた。
彼女が本気で俺を想っているのなら、こちらも正々堂々と本音をぶつけるべきじゃないだろうか。
それが対等であるということ。
水樹凛香が望んだ、不純が混じらない心の関係……。
覚悟が決まった俺は、ゆっくりと口を開く。
「リン……いや水樹さん。ちょっとだけ俺の話を聞いてくれないか?」
「……なにかしら?」
こちらの真剣な声音から何かを察したらしい。
水樹さんの声から強張りが感じ取れた。
「……本当は俺、水樹さんのことを仲の良いネトゲフレンドにしか思っていなかったんだ」
「――――っ」
ヘッドフォン越しから息を呑む気配が伝わってくる。
スマホから着信音が鳴った。
胡桃坂さんからだ。
やはり会話を聞いているのか。
大体の用件は察しが付く。
けれど聞く必要はない。
俺はスマホの電源を落として喋り続けた。
「水樹さんに憧れの気持ちは抱いているけど、これが恋愛感情なのか分からないんだ」
「そう……だったのね……」
震えた声で水樹さんが返事をする。
呆然としていそうな気がした。
でも俺の話はここで終わりじゃない。
まだ本音をすべて吐き出していないのだ。
「けど俺は水樹さんの気持ちに応えたい。いや、それ以上に水樹さんのことをもっと知りたいし、今よりも親密な関係になりたいと思っている。……ケジメって言うのかな、しっかりとリアルでも水樹さんと向き合いたい」
「……え?」
「だから、最初の一歩として……。水樹さんのことを、凛香と呼んでもいいかな?」
緊張しながらもサラッと口にできた。
しばしの沈黙が流れる。
断られる可能性が頭によぎった瞬間、水樹さんの声が聞こえてきた。
「……もちろん、いいわ。でもその……」
「なに?」
「聞いている限りだと、和斗くんも私のことが好きだと思うのだけれど」
「その……アイドルに抱くような憧れの気持ちも否定できないというか……。水樹さんも嫌でしょ? 俺がアイドルに告白されたからOKしたとか」
「それは凄く不愉快ね。私は余計な情報が関わらないネトゲだからこそ、純粋な心での付き合いができると思っているの。なのにアイドルという立場のおかげで承諾されたお付き合いなんて絶対にお断りよ」
やや口調を荒くした水樹さんが一気に捲し立てた。
しかし次に重ねてくる言葉は柔らかい口調となっていた。
「……でも私は確信しているの。和斗くんは私自身を好きでいるのだと」
「……え?」
「今はまだ混乱しているせいで自分の感情を把握できていないのよ。だとしても大丈夫。私は和斗くんよりも和斗くんを理解している。何も心配いらないわ」
「……」
お、おいおい……。
なんだか話の方向がおかしなことになってきたぞ。
「私、聞いたことがあるの。結婚しても旦那の自覚を持てない男の人がいるって」
「そういう話じゃない。俺の場合、親しいネトゲフレンドと憧れの人気アイドルが同一人物だったから、色々と混乱しているわけで……」
それに加えて並々ならぬ好意まで持たれている。
困惑するなという方が無理だろう。
「なら待つわ」
「ま、待つ?」
「ええ。和斗くんが自分の感情を整理して、私との関係を受け入れられるようになるまで待つわ」
「あ、ありがとう……?」
一番言われて安心する言葉だったかも知れない。
ちゃんと自分の感情と向き合う時間が欲しかったのだ。
「にしても最初は驚いたわ。和斗くんが私のことが好きかどうか分からないなんて言うんだもの」
「まあ、うん……」
「でもその後の言葉で理解したの。和斗くんは私のことが本当に好きなんだと」
「あのー、水樹さん? 話がループしてませんか?」
ループと言うより矛盾かもしれない。
俺が主張したのは、好きかどうか分からないけど、リアルでも仲良くなりたいということ。
そのために凛香と呼ばせてくださいと言ったのだ。
なのに水樹さんは意地でも俺が好意を抱いていると解釈してくる。
「そうね……。仮に和斗くんの感情が、愛ではなく、友達や尊敬のそれだったとしても問題ないわね」
「え?」
「簡単なことよ。”嫁である私”が、和斗くんに惚れられるような女になればいいのだから」
「えーと、ごめん。何を言ってるのか分からなくなってきた」
「難しいことじゃないわ。ようするに、好きになる前に結婚をしたのだから、これから好きになればいいということ」
あ、あー。なるほど。
なるほどなるほど。
プチパニックに陥った頭でもギリギリ理解できる。
水樹さんは、この状況においても『嫁のつもり』でいるのだ。
「和斗くんが本音を打ち明けてくれて嬉しかったわ。確かに私が望む答えではなかったけれど……。それでも和斗くんの嘘偽りのない気持ちを知ることができたから」
「水樹さん……」
「あら、聞き間違いかしら? これからは名前で呼んでくれると思っていたのだけれど」
「……凛香」
「……」
ボソッと呟くように呼んでみる。
なのに返事が聞こえてこなかった。
「ん、凛香? 急に黙ったけど……やっぱり嫌だった?」
「いえ、ごめんなさい。自分でも驚くほど嬉しくて息が止まっていたの」
「な、なんじゃそりゃ……」
名前を呼ばれただけで嬉しくて息が止まるとか、そんな話は聞いたことがない。
それだけ俺のことが好きということなんだろうか。
……考えただけで恥ずかしくなるな。
「和斗くん。私のことでずっと悩んでいたのね」
「別に悩んでいるわけじゃ……」
「いいえ。そこまで来ると悩みよ」
「……」
何も言い返せなくなった。
そんな情けない俺に対し、凛香はハッキリと己の気持ちを表明する。
「深く考えなくていいの。だって……私が勝手に、和斗くんを好きになっているだけだから」
「――――っ」
勝手に好きになっているだけ……。
その言葉がどれほど尊いものか。
打算もなければ容姿や身分に惹かれたわけでもない。
俺自身を好きでいるのだと深く伝わってきた。
「それと……。この会話、奈々も聞いているのでしょう? いないフリをしているけども」
「あ、あははは。バレてた?」
控え目な笑いのもと再登場する胡桃坂さん。
確信めいた言い方に降参したようだ。
「少しだけ物音がしていたもの。よく分からないけど、何かしらの陰謀を感じるわね」
鋭い。クールな見た目通り、頭がキレるらしい。
すべてがバレているとは思わないけど、俺と胡桃坂さんの繋がりまでは悟っている可能性が高い。
「ごめんねリンちゃん。私も悪気があって、こういうことをしたわけじゃないの」
「別にいいのよ。昔から奈々が変なことをする時は、いつだって私のためだったもの」
「リンちゃん……!」
感動したように声を上げる胡桃坂さん。
「とはいえ黙ってコソコソされるのは気に食わないけれど」
「リンちゃん……」
申し訳無さそうに縮こまる胡桃坂さん……。
「ただ、そうね。謝罪をするつもりがあるのなら……。ほんの少しだけ気を利かせてほしいかしら」
気を利かせる?
どういう意味だろうか。
俺には分からなかったが、胡桃坂さんは理解したらしい。
「もちろんだよ! 二人が今よりもずっと仲良しになってくれたら嬉しいもん。というわけで……カズくん、凛ちゃんをよろしくね」
「え、よろしくってなにを――――」
ピロロン♪
トークルームからシュトゥルムアングリフが退出した……。
どうやらアイドルは人の話を最後まで聞かずに電話を切る習性があるらしい。
「さて和斗くん。奈々がわざとらしく離席したタイミングで、あなたは本音を打ち明けてきた。これはとても偶然とは思えないわね」
「い、いや……その」
「すべて吐いてもらうわよ。裏で奈々と、どういうやり取りをしていたのか……すべて、ね」
「……その、テキストチャットの方でもよろしいですか?」
「どうして?」
ネトゲ内のリンの方が、ほんわかしていて話しやすいから。
とは言えず……。
「文字にしたほうが説明しやすいなぁと思って」
「……そう、仕方ないわね。そうしましょうか」
すぐゲーム内にチャットが送られてくる。
『カズ! ここまできたら隠し事は一切なしだからね!』
あー、うん。
やっぱりこっちだ。
こっちのほうがシックリくる。
よし、もう全部喋っちゃうか。
きっと今がそのタイミングだ。
『この間の昼休みのことなんだけど、アレは胡桃坂さんに呼ばれていたんだ』
『奈々が!? まさか私の親友と浮気……?』
『いや違う! すぐに浮気と結び付けないでください!』
ていうか浮気って……。
どれだけ言われようと、凛香は嫁のつもりでいるらしい。
おかしいとは思うけど、不思議なことに嫌悪感はない。
今となっては安心感すら覚えるようになっている。
自分の気持ちをすべて伝えたからか……?
ネトゲ廃人の俺が言っても重みはないかもしれない。
けど一つだけ確信したことがある。
人間、余分な情報を削ぎ落として本音をぶつけ合えば、争いを起こすことなく理解し合えると……。
『じゃあ琴音という女子とは何もなくて、奈々とも何もなかったんだよね?』
『……最初に手を握られました』
『カズゥウウウウウウウ!!』
前言撤回。
余計なことは言う必要がない。
『まだ私とも手を繋いでいないのに……。
カズの初めてを奈々に奪われるなんて
。°(´∩ω∩`)°。』
『大げさすぎる! あれはファンの手を繋ぐような軽いノリだったから安心してくれ!』
『もう決めた! これからはカズの人間関係を管理する! フレンドリストもチェックするから! 一日の予定計画表も提出してね!』
『管理社会かよ! 息が詰まって窒息死するぞ!』
こんな嫁さんをリアルで持つと人生が大変になるんだろうなぁ。
あ、彼女はリアルでも嫁のつもりなのか。
マジヤバい。
そんなことを考えながら、リンのチャットに対して返事を打ち込んでいく。
俺たちはボイスチャットを繋いでいながら、かつてと同じようにネトゲ内のチャットで心を交わし合っていた。
これから何年先も、ずっと一緒に居るのだろうと確信して――――。