17話 ある少女の「これから」
僅か3歳の頃から"砂漠の老婆の再来"とちやほやされたアドマ・タウィーザ少女は、間違いなく自分は砂漠の老婆のような魔法使いになると、否、彼女すら越えると信じていた。
だが現実は違った。いつものように図書館で自習をしている時、真新しい文献から彼女は残酷な真実を知った。
"砂漠の老婆の再来"は1人ではなかったこと。そして過去に"砂漠の老婆の再来"と呼ばれた者達は、ただ単に早熟なだけだったこと。
その日からアドマは将来に目を輝かせる少女から、将来に怯える少女になった。
だから先を越されないように努力をした。才能に甘んじず勉強し、学年1番の座を勝ち取った。それでもマギカルト魔法学校には不安要素が大勢いた。
特に双子の魔法使いメイとディアは恐るべき存在だった。1人だけならただの見習い魔法使い、2人揃えば強力な魔法使い。自分のすぐ後ろを二人三脚で走っている、目の上のたんこぶだ。
もし自分の成長が止まれば、追い抜かれる相手はあの2人だ。どんな非道な手を使ってでも排除せねばならない。彼女の思いはごくごく普通の常識で止められていた。だが――。
「アドマ、大丈夫か? ――ディア、叩きすぎてはいないな?」
魔剣の花嫁ラナーの声が上から響く。確か彼女は無彩色の術師の手により石になってしまった。なのに彼女の声が聞こえる理由がわからない。
「ねえ、先生。彼女、生きてますよね……?」
「ああ。まだ伸びているだけだ」
続いてディアの声が聞こえた。一体全体何が起こっているのか。確かめるために、アドマは重いまぶたを開ける。
「……ふぇぁあっ!?」
目覚めたアドマの視界にはメイとディアとラナー、チルルにキィ、さらに数々の教師達の姿が映った。これにはアドマもびっくり仰天、思わず裏返った声を上げる。
「アドマ!? よかった……! あたし、殴りすぎちゃったと思って……」
「痛かったわよ! 死ぬかと思って……ん?」
そういえばなぜ自分は殴られたのだ、そもそもなぜひっくり返っていたのかとアドマは困惑する。自分とメイディア姉妹は少なくとも表面上は険悪でなかったはずだ。殴るだの物騒なことをするはずがない。ならばなぜ――。
考えれば考えるほど、なぜか胸が苦しくなる。思い出そうとすればするほど、心臓が握り締められる気分になった。
きっとこの感覚こそが罪悪感なのだろう。アドマは意を決してラナーに訪ねる。
「……ラナー先生。アタシは何か、最低なことをしたのですよね」
「ああ」
「ありがとうございます」
彼女の返答でアドマは一気に記憶を取り戻した。自分は自分の言った通り、最低な真似をしたのだ。キィとディアに敗れ、無彩色の術師もまたチルルとメイに敗れた。あの時のような悪意の魂は無い。だが、胸にただただ重いものがのしかかっていた。
「みんな、ごめんなさい! アタシのせいでひどい目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい! どんな罰も受け入れます! アタシは最低最悪の人間です!」
アドマは頭を深く下げ、心の底から謝った。自分の心が弱いばかりに無彩色の術師の話に乗ってしまったのだと、怯えずに、そして甘い言葉に耳を貸さずに戦えばよかったのだと、何よりこんな悪行をしでかしたのも自分に暗い欲望があったからだと、彼女は強く信じていた。
チルルとキィも、メイとディアも、教師達も何も言えなくなった。
「しかしどうしたものか……。私に彼女を罰する権利は無い……」
もしもあの時、自分が無彩色の術師に『ココロ』を奪われさえしなければ、アドマが罪を犯すことは無かったはずだ。確かに残る後悔がラナーの胸を締め付ける。
彼女がアドマの処遇に頭を抱えていると、遠くからキィンと甲高い音が響く。小さいが耳が痛くなる音だ。一体何事かと部屋にいる者達が耳を傾けると、ドタドタ騒がしい足音まで聞こえてきた。
そして部屋の入り口に鬼の形相の女性が、正確には鬼の形相のマァリン女王が、わざわざドレスの裾を持ち上げて音速で駆け込んできた。
「じょ、女王さ――」
一同が声を掛ける前に、マァリン女王はビューンと勢いのある擬音が似合いそうな速度でスライディングする。ずさーっと巻き起こった風で、髪の毛がぶわりとなびいた。
「……ぜい、ぜい、その、い、一体、何が起こったのですか!?」
「女王様……!? ゴホン、女王様、こんな無茶はおやめください! 陸上選手でもこんな真似はしませんよ!」
「む、胸騒ぎがして、仕方が、しか、無かったのです、ぜい、ぜい」
今にも倒れそうなほど荒々しい息をしながら、マァリン女王はラナーに微笑む。安心するどころかむしろ余計に不安になりそうだ。
「ですが、全て終わったようですね」
「女王さま! さっきまであんなことがありまして……」
メイとディアが慌て気味に経緯を話す。すると、女王の顔はたちまち険しくなる。慈悲深い笑みから厳しい教師の顔を、アドマに向けた。
当然そうならないはずがないと覚悟していたアドマは、自分も彼女をじっと見つめる。
「アドマ・タウィーザ。貴方が己の罪を自覚していることを喜ばしく思います」
「はい。ですが、どんな罰も心して受け入れます」
「ではアドマ、貴方にこの一件の罰として、1年の留年を言い渡します」
留年、当然ながら学生としては大変不名誉なことであり、己の学歴に泥を塗る行為である。同じ学年の生徒とは後れを取ることになるし、下の学年と机を並べなくてはならない。
無彩色の術師によって悪意を増幅されたからとはいえ、アドマの行いは紛れもなく悪行だった。退学だの投獄だのではなく、1年の留年で済んだのは女王の温情なのだろう。
「ありがとうございます、女王さま」
しかしアドマの表情に怒りや悲しみは無い。ただただ素直に受け入れていた。まるで罰を欲していたように。
「で、でも女王さま! アドマは反省してます!」
「だからってここまでしなくても……」
意外にも、あるいはむしろだからこそ、猛反対の声を上げたのはメイとディアだった。
アドマからは一方的に憎まれていたが、曲がりなりにもライバルだったのだ。たった1年、されど1年、彼女の罰は重いものだった。
「メイ、ディア。これは決定事項だ。それとも罪人に罰を与えるなと言いたいのか?」
「違います! だけど、これじゃアドマがかわいそうじゃないですか!」
「私だってこんなのはあんまりさ! だが、彼女のやったことは言い逃れできないことだ」
「だけど……でも……」
ラナーに言い返され、メイもディアも反論できなくなる。これ以上言葉が浮かばない。
2人の友達がどうにもならない場面で苦しんでいるのを見て、チルルとキィは不安になった。残念だが今のチルルもキィも外野でしかないのだ。
周囲はすっかり重苦しい雰囲気である。自分よりも悲しそうな双子の魔法使いを見てられないとばかりに、アドマは声を掛けた。
「メイ、ディア、どういう理由だとしても、アタシがやったのは最低なことよ。一族のみんなにも、老婆さまに顔向けできないわ」
「アドマはそれでいいの?」
「いいのよ。それで」
彼女自身が納得しているのならば、これ以上の口出しはむしろ余計だろう。胸にわだかまりは残るが、メイとディアは頷く。
ところが、しゅんとした顔の2人を見た途端、アドマはいつもの嫌味っぽい目で睨みつけてきた。
「これだけは約束させてほしいわ。アナタたちより1年遅れるけど、アタシは上を目指すわ」
もちろん真っ当な方法で、と自嘲気味にアドマは付け加える。
あんな邪悪に走るほど苦しみを少し乗り越えられた彼女は、己の未来を縛るのをやめられた。簡単なようで、誰かが声を荒げなければ彼女には難しいことだった。
自らの増幅した悪意のまま戦っている時、キィが言ったことが未だに胸に残っている。最初から諦めていたら何も変えられない、考えれば当たり前だが、アドマはずっと否定し続けていた。
「だからいつか、またアナタたちとライ……いや、アタシが言う資格は無いわね」
それでも自分は罪人は変わらないと子供のアドマでも理解できる。甘言に乗った自分と違い、メイとディアはずっと善良だからだ。
しかし。
「なーに言ってるのよ。これからもライバルよ」
アドマが思っている以上に、メイとディアは彼女を気に入っているのだ。
くすくすアドマは笑うと、「ありがとう」と照れながら握手をした。メイとディアも微笑み返す。
かくして3人の友情は一旦決着が付いた。少しのやるせなさと将来への希望を残して。
「それからラナー、貴方には1年間、教職を降りてもらいます」
「承知しました。ですが……」
生徒1人を守れなかったどころか、そのしで事件を引き起こさせてしまった自分にはもっと重い罰を与えてほしかった。ラナーの中ではわだかまりが強く残っている。
しかし、これ以上の苦悩は苦しいだけだとばかりに、マァリン女王はラナーの肩を撫でた。
「しばらくは生徒ではなく私の元にいなさい。今のままでは生徒達も貴方も苦しい気分になります」
「……はい」
少なくともこれが互いの"ため"にはなるだろう。そう思うと、ラナーは少しだけ胸が軽くなった。
「……そうそう、女王さま!」
すっかり落ち着いた様子のアドマは、何かを思い出したようにドレスから小さい物を取り出す。
「老婆さまの遺跡でこんなものを見つけましたわ。老婆さまのどの伝承にも無くて……、何かご存じですか?」
「どれ、見せてくださ……ん?」
アドマがマァリン女王に見せたのは、ハートの形をしたオレンジ色の石。部屋の壁で揺らめくロウソクの明かりを浴びて、きらきら光っていた。
一見するとただの石。しかし、重苦しい遺跡の空気にそぐわぬ異彩を放っていた。
「ぬあぁぁぁーっ!!! ちょっと、ちょっとぉ!」
これまでずっとアウェイ状態だったキィが、喉の奥から絶叫をひねり出した。それから隣でチルルがきょとんとしているのをお構いなしに、アドマの持つ石を指差す。
「それ多分、アイの結晶じゃありませんか!?」
「……間違いなくそうでしょう」
アドマが偶然見つけたこの石こそ、老婆の瞳で眠る2つ目のアイの結晶であった。
思わぬ成長と思わぬ冒険、思わぬ戦いがあったが、チルルとキィはやっと2つ目の結晶を発見したのだ。
2人はさっそくアドマに事情を説明し、アイの結晶を譲ってもらえるか頼む。すると彼女は結晶を握り締める拳だけを差し出した。
「かつてマギカルトは砂漠の老婆が治めていたわ。マァリン女王とライバルとして戦っている内に、女王の座に着いたの」
何百年も昔、砂漠の老婆の統治によりマギカルト王国は大きく発展した。その中でも、少年少女を魔法使いとして養成するマギカルト魔法学校は老婆の功績の1つであった。
ところがある年、マギカルト王国を災厄が襲った。空から流れ星が落ちてきたのである。
その頃にはすっかり魔法大国として名を馳せたマギカルトは、技術や魔法を駆使して止めようとした。だが、流れ星の落下は止められなかった。
しかし、最高の魔女であった砂漠の老婆が流れ星から国を守るため、全ての力を使い果たした。彼女の身体は砂粒となり、砂漠地帯に消えていったのである。
「アドマの言った通りです。砂漠の老婆のためにも、彼女の代わりに結晶を託します」
老婆の再来の拳が開くと、彼女はアイの結晶をチルルにそっと手渡した。小石のように軽いが、込められた想いはずっと重い。
チルルは背負ったカバンの中に結晶をしまうと、肩の力が緩むのを感じていた。魔法大国マギカルトの冒険はこれで終わりである。
「キィ、やっと2つめだね! ちょっとずつだけど、ぼくたち強くなってるよ!」
「あと5つ、オイラたちでがんばるぞ!」
えい、えい、おー! と元気よく声を上げるチルルとキィ。異国から来た友達はまだまだ小さな子供だと、メイとディアは呆れながら笑った。
「だけど次はどの国に行く? ローザ帝国とフィーニクシア国だっけ……」
「でしたら、ローザ帝国はどうでしょうか。かの国の皇帝には私から連絡しています」
さすがは女王である。すでにローザ帝国の皇帝にはすでにアイの結晶について頼んでいるらしいのだ。これならば話が早いだろう。3つめのアイの結晶はすぐに手に入りそうだ。
「残念ですが、フィーニクシア国の長には連絡が付きませんでした。ですので先にローザ帝国に行ってはどうですか?」
「わかりました! ありがとうございます!」
チルルとキィはぺこりとお辞儀をすると、銀の鍵で扉を作る。3度目となれば少し慣れたもので、キィは手際よく鍵を回し虹の扉を出現させた。
「お前達の健闘を祈っている。だが、どうか無茶はしないでくれ」
「あの術師はとっちめてほしいわ。アタシみたいな思いをする人は増えてほしくないもの」
ラナーが気遣い、アドマがにやりと笑う。
「同じ魔法使いとして応援するわ。頑張って、見習い魔法使いさん」
「あなた達ならできる。絶対の絶対に。魔法使いのカンよ」
そして双子の魔法使いがチルルとキィを激励した。チルルとキィが照れ臭そうにはにかむ。
「ローザに行こう!」
虹色の扉の向こうに広がる眩い光、その向こうに新たな冒険があると信じ、2人は飛び込んでいった。
「……あ、でも、魔法の訓練はサボっちゃダメだからね!」
と、わずかにメイとディアの声が扉越しに聞こえた。
無彩色の術師は実に惨憺たる目に遭った。自分よりも小さくて弱いはずの子供に二度も悪行を阻止され、彼の面目は丸つぶれである。
おまけに今回は彼のそこそこ繊細な心だけでなく、物理的な被害も負ったのだ。
チルルとメイが放った爆炎の魔法、とっさに泥になって逃げ出したものの、あまりの熱量のあまり身体がひどく乾燥して荒れ地のようになっている。
しかも自分のために仕立てたお気に入りの服も焦げて台無しになっている始末だ。水分補給と肌のケアをしなければならないし、また別の服を作る必要がある。
モノクロの魔女の根城に戻ってきた時にはすっかりヘトヘトで、脱水と乾燥でふらつく身体に鞭を打ちながら魔女の部屋へと行く途中だった。
「……あなたの忠誠は理解しました。さあ、跪きなさい」
扉の向こうからモノクロの魔女の声が、それも明らかに自分に対してではない言葉が響いた。
無彩色の術師の心臓かばくんと音を立てる。魔女の部屋に誰かがいる。忠臣たる自分ではない誰かが、魔女に誠心を示している。
あり得ない。
あり得てはならない。
「誰がわたしの魔女様にそんな真似を――っ!?」
途端に鬼の形相となった無彩色の術師が勢いよく扉を開けると、少なくとも彼にとってはひどくおぞましく、残酷な光景が広がっていた。
美しい無彩色の椅子に腰を掛けるモノクロの魔女と、彼女の前にひざまずく見知らぬ男。
術師は自分以外にモノクロの魔女の部下を知らない。第三者がいるだけでも大問題だ。
だが、それどころか、まるで忠誠心を示すように、男は魔女の手を取り口付けていた。
「……は、はあ、はあああああ!?」
無彩色の術師の絶叫が部屋中に響き、二人は彼に気付く。
「術師、任務を終えたのですか――」
「魔女様ぁ!その男は、その男はいったいどこのどいつなのですか!?」
今にも泣き出しそうな術師がぴぃんと男を指差し喚いた。声に出すだけでも辛いらしく、既に目はうっすら潤んでいる。
「魔女様、あのぺちゃ鼻が無彩色の術師ですか?」
「ちょっと!? 誰がぺちゃ鼻だと――」
「はい。彼もあなたの仲間です」
「だからその魔女様、恐れ入りますがその失礼な男はどこの馬の骨でしょうか」
男のさりげない一言にショックを受けながらも、術師は魔女に尋ねる。すると、またも術師にとっては残酷な事実を聞かされた。
「彼は新しい仲間。あなたと同じく私のしもべです」
「――魔女様の、しもべ?」
つまりは、このどこのどいつかも知らない、初対面の術師にしれっと失礼な事を言った男が仲間になった、ということである。
術師の口元がぐにゃりと引きつった。これからこの男と一緒にいなければならないなんて、考えただけで意識が遠のく。
「ど、どうして魔女様はそんな失礼で無礼で粗暴そうな男を我々の元に加えられたのですか!?」
「落ち着きなさい。あなたのみでは力が足りないからですよ」
「ですが、この事態をどうやって落ち着けとおっしゃるのですか!?」
「二度も失敗した口が何を言うのですか?」
「それは……あっ」
事実として無彩色の術師は二度も魔女の命令を失敗した。
そして「次こそは期待に応える」と豪語したのにも関わらず、魔女の期待を裏切った。失望されない方が不思議なぐらいだ。
それでも、彼には霜のように微かな拠り所があった。
「で、ですが、魔女様……、魔女様はわたしにあなたしか頼りが無いと、わたしにしかできないとおっしゃいました……!」
もはやあの彼女の言葉は意味を成さない甘い言葉に過ぎなかったと、無彩色の術師でも冷静になれば理解できるはずだ。否、盲目的な彼には理解できないかもしれないが。
それでも彼には魔女から期待されたという、すっかり脆くなった自信があった。
ところが。
「そうでしたね」
たったそれだけを、モノクロの魔女は無機質な声で言った。
次に静寂が部屋を支配する。無彩色の術師もモノクロの魔女も一言も発さず、重苦しい空気が2人を包んだ。
「それで、私の命令を達成できましたか?」
「……いえ」
結局、今のモノクロの魔女は期待など微塵もしていなかったのだ。
「ところで魔女様、面白い情報があるんですよ。あのチルルとキィとかいう小僧でしたっけ? 何か集めているらしいんですよ」
不躾な男は傍らに置かれた袋から羊皮紙を取り出し、モノクロの魔女に見せる。ハート型の7つの石が描かれ、何やら光を放っている絵が描かれていた。
絵の下には乱雑な字で、7つの石について書かれている。書いた本人でなければ読むのに手間がかかるだろう。
しかし、奇しくも書かれているのはチルルの父親の、アイの結晶に関する研究と類似していた。
「魔女様は7つの結晶についてご存じですかね?」
「いいえ」
「んまあ、これに書かれている通りの代物です」
「なるほどです。字と認識するのに時間がかかりましたが」
それがどうかしたのですが。と魔女が尋ねると男は不気味な目で笑った。
彼の目は横目でぼんやり見ている術師が不快になるほど奇妙であった。なぜか白目が黒い三白眼、暗闇からぎょろりと睨みつけているようである。
「チルルとキィが集めてるのがそれなんですよ」
男の言葉を聞いた途端、魔女の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
アイの結晶を7つ全て集めれば、強大な力を持つ宝石になる。これが全てチルルとキィの手に渡れば、モノクロの魔女一味も危ない。
現在ありかがわかっているのは4つ。2つは豊穣の国グリルブルクのデイナー女王と魔法大国マギカルトのマァリン女王が持っていたものがチルルの手に。
それから2つは今だ薔薇の帝国ローザと不死鳥の国フィーニクシアの長の手に。
そして残りの3つは行方知れずである。
チルルとキィが全て集めきっていない以上、魔女達にもチャンスはあった。先に結晶を探し、チルルとキィが持っているものは奪えばいい。否、こちらも集めねばならないのだ。
「ヤツらが集めればこっちも危ないですし、仮にヤツらをシメても世の中危ない連中はわんさかいるじゃないですか。そこで俺達もあの石を集めてみませんか?」
「……確かに、その必要がありますね」
「よっし! そうと決まれば次の作戦を決めましょうぜ!」
意気揚々と話を進めている男を、無彩色の術師はマグマのように煮えた憎悪の眼差しで睨みつけていた。
あの男がモノクロの魔女に近づいているのも許し難ければ、気さくに話しかけているのも大変腹立たしい。
何より、主たるモノクロの魔女に触れていいのは自分だけだ。男が魔女の手にキスをした光景が術師の網膜に焼き付いていた。
「では、あなたにはチルルとキィを倒してもらいます」
「ははっ。承知しました」
男は跪きお辞儀をする。このやり取りが何を意味するか理解した術師は血の気が引いていくのを感じていた。
今までの自分の役目は、どこの馬の骨だかわからない男に奪われた。悔しいなんてものではない。苦しい、悲しい、恨めしい。魔女の前でなければ怒鳴り散らしていたところだ。
「無彩色の術師、あなたには石を探してもらいます。余計な事をして彼の作戦を台無しにしないように」
「……承知しました」
魔女からの信頼を失った術師は、心底不服そうに跪いた。忌まわしき2人の子供を討ち取るという栄えある使命は新参者に奪われ、自分は惨めに石探しをしなければならない。
悲しみと怒りのあまり、顔を下げて歯形ができるほど唇を噛み締める。そんな術師の表情を知る者は誰もいなかった。