14話 老婆の瞳を求めて
マギカルト魔法学校の、まるで城の門の様に大きな校門を抜けると、ヒスイ色の森が眼前に広がっていた。
日の光を浴び生い茂る葉、耳をすまさずとも聞こえる鳥や虫の声、緑色の道を淡く照らす木漏れ日、マギカルト魔法学校とはまた違った美しさがそこにはあった。
「ここはヒスイの森よ。女王さまが管理しているの」
道を塞ぐ大きな茂みや木の枝にメイが触れると、それらは独りでに退いていく。まるで彼女らを通してあげる様に。
「あたしたち生徒は通してくれるのよ」
「悪い人は通してくれないのよね」
さすが女王さま、とメイとディアは語尾の様に付け加える。これを四六時中管理しているならマァリン女王はさぞかし大変だろう。
自然の声を浴び日の光の漏れる道を進んでいる途中、メイは話し始める。
「砂漠の老婆の末裔が砂漠の一族って呼ばれているのは知ってる?」
「うん。確かすごい魔力を持ってるんだっけ?」
「そうね。アドマやラナー先生も砂漠の一族出身なのよね。つやっつやのきれいな褐色のお肌なの」
そういえば2人とも褐色の肌だった事をチルルとキィは思い出す。それにアドマもラナーも魔法が上手い。納得である。
「アドマは"砂漠の老婆の再来"って呼ばれてる最高の魔法使い見習いだわ。悔しいけどね」
「あたしたちが学年で二番目なら、アドマは学年、もしかすると学校で一番よ」
「つ、つまりどういう事?」
「砂漠の老婆の様にすごい魔法使いって事ね。あたしとメイの2人がかりで戦ってもやられちゃったわ」
メイとディアは数日前の魔法大会の事を話し出す。12歳以下の部で決勝まで登り詰めた彼女達に"砂漠の老婆の再来"が立ちはだかった。姉妹の息を合わせた必殺の魔法も相殺され、すっかりこてんぱんにされてしまったのである。
結局砂漠の老婆の再来としてアドマが優勝を勝ち取り、メイとディアは準優勝の座に下るはめになった。
「デュアルファイアも雷に消されちゃったし、おまけに一発食らっちゃったわね」
「最初に必殺技を使ったのが問題だったのかしら……。次は雷対策をしておくべきね」
「うーん、でもアドマの事だから、雷以外の魔法も使うはずよ」
「だったらその対策も……」
「対策の対策をされたらどうする? アドマもあたしたちの対策をするはずだわ」
チルルとキィをよそに作戦会議を始めるメイとディア姉妹。結局2人ともぶつぶつと話したまま森を抜けていった。
草と木の生い茂る道にぽつぽつと乾いた砂が混じり、視界の先に砂の海が広がる。4人の子供が足を踏み出すと、後ろでがさがさと音が鳴った。
振り向けば、先程まで通っていた道を草や木の枝が隠しているではないか。これも魔法女王マァリンの管理だろう。
目の前にはどこまでも広がる砂漠。乾いた風とさんさんと照らす太陽、西の砂漠地帯『魔女の手のひら』だ。
「うわあ……! すっごく広い砂場みたいだぁ!」
チルルは砂漠でしゃがみ、砂を手で掴もうとする。だが、すぐに手からさらさらと零れてしまった。それを見てチルルは思わずため息をつく。
ロピ村で泥団子を作った時の砂よりも、砂場の砂よりも手触りの良いさらさらの砂だ。こんなにさらさらの砂を触ったのは生まれて初めてである。
「んもー、チルルったらぁ。オイラにも触らせろよー! それぇっ!」
キィが砂の中に勢いよく滑り込む。それからがばっと顔を上げると、チルルがそれを見て笑い出した。
「あはははっ! キィ、顔が砂だらけだよ!」
「そりゃそうなるよ! へへへっ……うわっ、砂にオイラの顔がぁ」
砂にくっきりとできたキィの顔。チルルとキィはそれを見て、さらに笑い出す。
「ふーむ、なかなかのハンサムだ」
「え~?」
「え~って、絶世のハンサムがここにいるだろ! これは後の世のために残しておこう」
さらさらの砂でやいのやいのと騒いでいるチルル達をメイとディアは呆れた目で見ていた。
「チルルとキィも子供ね」
「どう見ても子供よ」
そして「ねーっ」と声を合わせて言う。いつもより冷たい声で。
老婆の手のひらはまだまだ続く。炎天直下の砂の海を、メイとディアの魔法のコンパス片手に西へ西へと大行進。
しかし子供4人での進軍は中々に堪えるようで、最初にキィが音を上げた。
「うぇ~、喉渇いたぁ……」
水筒の中の水を飲みながらキィはぼやいた。だが、喉の奥に流れてくるのは一滴、二滴のしずく。これでは渇きも収まらない。
「チルルゥ~、水分けてぇ~」
「いいよ……あれ? あれれ……?」
チルルは水筒の蓋を開け、キィの水筒に入れようとする。だが、水は出ない。どうしたものかとチルルが中を覗くと、水筒は見事に空っぽであった。まだまだ少し残っているはずだと振ってみるが、虚しいだけだった。
水が無い。砂漠の真ん中で水が無い。チルルは思わずくらーっと倒れそうになった。
「メ、メイ、ちょっとだけお水分けてくれ……る?」
「ダメ」
惚れ惚れするほどの即答だった。チルルとキィは絶望のどん底にズトン、と落とされる
「砂漠での水の管理は大切。がぶがぶ飲むのは危ないわよ」
「他の人に分けたら自分の分まで無くなるわ。水は命ね」
「ごめんなさい……」
こればかりは自分達のミスだ。チルルとキィは喉の渇きをぐっと我慢し、反省する。
だが、何も厳しいだけのメイとディアではなかった。
「でも喉が渇くのはすっごくツラいわ。あたしたちの分を分けたげる」
「あまり飲みすぎないでね」
メイとディアは自分達の大きな水筒から、チルル達の水筒に水を注ぐ。たちまちチルル達の空の水筒は満タンになり、日の光を反射する。生命線は何とか保たれたのだ。
「あ、ありがとう……! いや、ありがとうございます! メイ先生! ディア先生!」
「先生は命の恩人です! 本っ当にありがとうございます!」
「ふふん。いくらでも先生と呼んでね!」
「……メイ、あんまり調子に乗り過ぎちゃダメよ」
チルルとキィに崇められてドヤ顔を浮かべるメイ。ディアはやれやれと肩をすくめた。
「早く行くわよ……あれ?」
ふとディアは足を止める。目を凝らし遠くを見つめると、蜃気楼が揺らいでいる。ゆらりゆらり、青い空が揺れていた。
だが、蜃気楼の中で青空でも砂でもないものが揺らいでいる。もっとディアは目を凝らす。彼女の横にチルルとキィ、メイも並び一緒に向こうを見つめた。
砂の海の上に石の山、否、あれは建物だ。近くに町があるのだ。
「あれ、町じゃないかな?」
「砂漠の一族の町だわ! あたしたち、ここまで着いたのね!」
チルル達は一斉に走り出す。町がある。疲れも乾きも吹っ飛んだ様に足取りが軽くなり、今にも飛べそうな気分になった。
かの伝説の魔法使い"砂漠の老婆"の末裔である、砂漠の一族の暮らす町。そこに住む者達は皆、生まれながらの魔法使いだ。
艶やかな褐色の肌と強力な魔力、そしてそれを誇りに思う心、砂漠の一族にはそれが備わっていた。
「いらっしゃい! ありゃ、子供だけで来るなんて珍しいね」
チルル達を見かけた町の青年が気さくに声を掛けてくれた。メイとディアが「はい」と答えると、青年は嬉しそうに笑った。
「おや、その制服は……マギカルト魔法学校の生徒さんじゃないか! しかもアドマと同じぐらいの!」
「は、はい。確かにアドマさんとは同じ学級ですけど……」
「本当か!? アドマは元気にやっているか? あの子は砂漠の老婆の再来なんだ! 町の誇りだよ!」
青年はアドマの事を嬉しそうに話す。チルル達やメイとディア姉妹には嫌味な彼女も、この町にとっては誇りと言われるほどの女の子なのだ。
そもそもアドマは不思議な女の子だ。意地悪な事を言った翌日にはチルル達にアドバイスをしてくれた。一昨日も昨日も「とてもじゃないけど見てられない」と冷たく言っていたのに、なぜか昨日のは嫌味っぽく聞こえなかった。
彼女は結局どういうつもりだったのか、チルルとキィはどうもそれが引っかかっていた。
「アドマさんはあたしたちの学年で、ひょっとすると学校で一番の魔法使いかもしれません」
「すっごい才能の持ち主なのに、それで満足しないでずっと努力してるんですよ!」
「さすがはアドマだよ……! 彼女、魔法大会でも優勝したんだってな。砂漠の一族の誇りさ!」
まるで自分の事の様に青年は語る。少し前までいがみ合っていた相手の事なのに、聞いているだけでチルル達も嬉しくなってきた。
それからチルル達は町の宿にチェックインし、各々の時間を過ごしていた。
メイとディアは久々の遠出の疲れを癒やそうとくつろぎ、チルルとキィは魔法について話していたのだ。
「学校の外に出たのっていつぶりだった?」
「去年の冬休み以来よ。今年の春休みは上級生がバカやって潰れたわよ」
温かい豆茶をぐいっと飲み干すと、ディアはメイの質問に答える。
たわいの無い話をするのはいつもの事である。生まれてきてからずっと一緒の仲良し姉妹は、2人一緒なのが幸せだった。
生まれたときも一緒で、マギカルト魔法学校に入学した時も一緒。成長するのも新しい魔法を憶えたのも、大会に出る時も一緒。
双子の魔法使いである事が許されるのなら、これからもずっと一緒。
「憶えてる? 魔法の実験で大失敗しちゃって部屋が丸々1つパーになっちゃったの」
「おまけにヘドロに命が宿っちゃうし。連帯責任ってほんとサイアクだわ」
「でもみんなで育てたのは楽しかったわね。お母さんやお父さんに会えなかったのは寂しかったけど」
メイも豆茶をすする。少しぬるくなっていた。
これからも自分達は一緒だ。チルルやキィと共に冒険する時も、老婆の瞳を冒険する時も一緒なのだ。
「ねえ、炎の魔法を使うってどんな感じ?」
チルルの横で備え付けのクッキーをかじりながら、キィが尋ねる。乾燥したクッキーだが、ドライフルーツが入っていて中々美味しい。
「うーん、魔力に火を付ける感じかな。こんな感じに、ぬぬぬぬぬ……」
そい! と高らかに叫ぶと、チルルの指先にぽっと朱色の炎が出る。ほんの小さな火だが、チルルだけの炎だ。
その小さな炎を、キィは誇らしげに見つめる。これは自分がカッコよくてステキな大人に近づいた証だとばかりに。
「チルルはどんな刃を作りたいか浮かんだ?」
「まるでダメ。どーうもカッコいいデザインが浮かばないんだよな~ぁ……」
だが、逆にチルルが尋ねるとキィは途端に頭を抱える。アドマのアドバイスを生かそうとしても、キィもまだまだ子供。どうせなら格好いいものを作りたくて必死に悩んでいた。
だが、同じ完成間近止まりでも、あれこれ悩んでいた頃より今の方が完成に近い。少なくとも今のキィはゴールを掴みつつあった。
魔女の瞳には明日の朝に出発する。ここまでモノクロの魔女や無彩色の術師と出会っていないのがどうも奇妙だが、できればこのまま出会わないでいてほしい。
今宵は上弦の月、雲一つ無い空に半分の月が浮かんでいた。
その1日前、月が空のてっぺんに昇っていた頃である。生徒は眠りに付き、何人かの教師が残りの仕事をしていた。
魔剣の花嫁ラナー、彼女も明日の授業のため、資料の準備をしていた。そんな時である。背後から微かな呼び声が響いたのは。
「……アドマ・タウィーザか」
聞き覚えのある声にラナーは手を止める。こんな時間とはいえ生徒を無視するのは良くない。それにこんな時間だからこそ無視してはいけない。
「もう1時だ。寝る時間だぞ」
「……どうしてもお聞きしたくて、眠れなかったんです」
「そうか」
広げかけの資料を一旦閉じ、ラナーはアドマの瞳を見る。少し眠たそうだが、いつも通り澄んだ目だ。
「大っ嫌いな人達がいて、どうしてもこの学校からいなくなってほしいんです」
「人間誰しもそんな相手はいる――」
「メイとディアが、アタシの将来を脅かすんです。あの2人がいたら、アタシは、アタシは」
「ふむ」
思ったよりも深刻そうだ。アドマのやけに重々しく震えた声には明確な怒りが込められていた。
いなくなってほしい相手がいる子供など珍しくもなんともなし、そんな生徒の相談は何度か聞いた。だが、今にも泣きそうな彼女の様な反応は初めてである。
「あの2人がいなくなってほしいんです。どんな手を使ってでも、ア、アタシ、魔法が上手いけれど、でも、どうすればいいのかわからなくて」
「例えば何だ。言ってみろ」
「ど、毒とか――」
アドマの声が急に震えた。まるで怯えている様に。
「何がとは言わないが、定番の手段だな。しかし、そんな手段で蹴落として満足か?」
「それは……」
「お前には言葉で誤魔化しても意味が無いだろう。だからハッキリと言おう」
ラナーの切れ長の目が、獲物を見つけた蛇の如く光った。鋭い眼差しはアドマを捉え、決して逃がさんとばかりに睨みつけてくる。
そんな眼力にまだまだ10歳のアドマが逆らえるはずがなく「ひっ」と怖がる声を漏らした。
「あの2人を追い出す手段も殺す手段もいくらでもある。だが、それはお前が卑劣だと知らしめるだけだ」
「で、でも……」
「正々堂々とねじ伏せろ。あの2人に実力を持って誰が上だと教えてやれ。それが砂漠の老婆の末裔の誇りだ」
「でも」
強く、厳しく、それでも優しく教えてくれるラナー。アドマがもしメイとディアを殺そうならば、たったの10歳にして罪人になってしまう。人生を棒に振ってしまうのだ。
アドマにはメイとディアの2人を上回る力がある。知恵も技術も才能もある。ひょっとするとこの学校の生徒全ての上に立てるかもしれない。
しかし。
「そんなのは上に立てる人が言える事よ!」
とうとうアドマは激昂した。が、彼女は途端に口を塞ぎ、自分の発言を恥じる。それをラナーが見逃すはずがなかった。
「では殺す手段の話をした時、お前はどう思ったか?」
「……少しだけ、ぞっとしました」
青白い顔のアドマが言うと、ラナーは深く頷く。
「ならば絶対にやるな。一生後悔するぞ」
「……わかりました」
しゅんとしたアドマは間違いなく我に返り、落ち込んでいる。自分に恐怖を感じたのはこれが生まれて初めてだった。この夜の出来事が良い教訓になったのは事実だろう。
後は寮に帰って寝なければならない。夜更かしは成長と学習の敵だ。
アドマは騒音を出さない程度にゆっくり扉を開け、教室を出ようとする。その時である。
「ずいぶんと真面目じゃないか。感心するねえ」
男とも女とも区別の付かないしゃがれた高い声が、どこからか聞こえた。
「何者だ、貴様――!」
ラナーはとっさに魔剣を作り、臨戦の構えをとる。だが、声の主の姿が見つからない。強い魔力は感知できるが、正体がわからないのだ。
突然、アドマの背後にべちゃりと何かが落ちる。泥にもスライムにも見える灰色の粘液。ぬるりと粘液は人の形へと膨れあがり、アドマに手を伸ばす。
生徒の1人に闖入者が手を出した。ラナーの心臓が一瞬、どくんと鳴った。
「そういうのわたしゃ大っ嫌いだよ」
「貴様ッ! アドマに手を出すな!」
嫌らしい声が聞こえたと同時に、ラナーが光の如くの速さで後ろへと回りその男――無彩色の術師に魔剣の一撃を叩き込もうとする。
あの術師は絶対に害のある、外から来たろくでもない存在だ。ラナーに躊躇は無い。美しい魔法の剣を振り上げる。
「――ががっ!?」
だが、彼女は突然呻き声を上げ、床に崩れた。動けなくなるほどの胸の痛みのあまり魔剣は消滅し、必死に胸を押さえる。
「強い精神を持つ者からは『ココロ』を奪いにくい。だが、魂が乱れれば簡単に取り出せるのさ」
ラナーの胸からオレンジ色の『ココロ』が飛び出し、無彩色の術師がぱっと掴む。そして、ラナーの身体はあっけなく、たちまち石になった。
「さぁて」
「ひぃッ!?」
すぐ後ろでの惨劇を横目で見たアドマは悲鳴を漏らす。彼女の肩に術師の細長い指が触れた途端、ガタガタと震えだした。
「良い子ちゃんでいるのは疲れたんだろう?」
「や、やめて」
「少し気が楽になるお手伝いをしたげるよ」
「お願いだから」
「肩の力を抜いてごらん? 自分の気持ちがわかるはずさね」
術師の指がぐっと肩に食い込み、絶対に逃がさないとばかりに強く掴む。そしてもう片方の手をアドマの胸の中に文字通り"突っ込んだ"。
真夜中の教室に響く絶叫。自分でもわからないほどの歪んだ顔。半分に割れた『ココロ』を握り締めた術師の手が抜かれた途端、アドマは立ったまま、それでもふらりとうつろな目を剥く。
「半分だけ頂くよ。一緒に優等生を辞めてみようじゃないの」
アドマの『ココロ』をハートの瓶に入れ、術師は燕尾服のポケットに入れる。
「悪い子デビューおめでとさん。砂漠の老婆の再来アドマ・タウィーザちゃん?」
『ココロ』を半分奪われれば、良い心や愛、思いやりが無くなると言われている。メイとディアに情念を抱えた彼女が、それでもラナーの言葉に胸を締め付けられた彼女が良心のストッパーを失えば、良いとは言えない事が起こるのが明確だ。
「……ふん。上等ね」
口を開くや否や、アドマは相変わらず嫌味っぽく上から目線で呟く。
「アナタの話に乗るべきと感じたわ。いいわ。優等生を辞めてやる」
肩に掛かった長い髪を振り払うと、指先にぱりりと雷を灯す。それを固く閉じた窓に向けて放った。ばちん、と音が鳴った途端、窓のガラスは一瞬にして砕け散る。
さらに雲の上でばりばり、ばちばちと耳障りな爆音が轟く。一瞬空が光ったと思いきや。雷鳴と共に大きな雷が落ちた。空が爆発したと思うほどの巨大な雷が。
その夜、マギカルト魔法学校の教師が50人も失踪した。