魔王の力
「言うほど小さくないよね……」
薄曇りの空を背景に立つ城は、高さはだいたい三階建てのビルくらいか。辺境領主の居城だったのだろうとゼマーは言っていた。小さな城だからすぐに回れると言う言葉を信じて、瑞葵は外に出て城の外を一周してみた。その感想が、最初の呟きである。
「ていうかこれで小さいってどういう感覚? 大きいホテルくらいあるよ? 王子様はどんなお城に暮らしてたの。端から端まで走れって言われたら、あたし途中で休むよ?」
ぶつくさ言いながら元の場所まで戻って、瑞葵は乾いた笑いをこぼした。
「……走れ、か」
歩く、という感覚は残っている。しかし実際に見下ろしても、見えるのはひらひら揺れる布の端っこだけだ。
「ただのオバケじゃなくて、魔王のオバケだったのかぁ……」
神が遣わした救世主が自分だったと言う実感もわかないうちに、討伐対象の魔王本人に倒されたという笑い話にもならない事実には、さらにどんでん返しが待っていた。
瑞葵は身体は魔王に乗っ取られたが、魂の方では逆に魔王の力を全て奪い取っていたのだそうだ。魔王は全ての力を失っていると言った大巫女の言葉は、正しかったわけだ。
「……そんな自覚、全然無いんだけど……」
一部が欠けた城のシルエットを眺めて、ため息を吐く。アートリーという魔法使いが放った爆炎魔法を、瑞葵は無意識のうちに防いでいたそうだ。魔王の力とは言え、他人も助けられる力ならあってもいいじゃないかという安易なオチには、残念ながら至らなかった。
「どうしたものかなあ……」
***
「大巫女様のお言葉を疑った私がおろかでした。救世主様が本当に魔王の力をお持ちだったなんて……申し訳ありません、私にはもう、なにもできません」
エナは再び地面に額をこすりつけていた。
「魔王とは、神の慈悲を拒否した存在です。その力を取りこまれたとあっては救世主様の魂といえども、神の慈悲は届かなくなってしまわれました。恐らく大巫女様が祈っても、救世主様を元のお身体に戻すことも、キアユ神の御許にお送りして安らかにお休みいただくことも、できません……!」
「それってつまり、あたしはもうずっとこのまま……オバケのままってこと……?」
沈黙が落ちた。顔を伏せたままのエナが息を吸って吐く音が、やけに大きく聞こえた。
「それからどうなるの? オバケのままずっとここにいて、そのあとはどうなるの? 神様にも助けてもらえなくて、あたしは――!」
「――方法はあります」
ゆっくりと顔を上げ、エナは胸に手を当てた。
「救世主様、どうぞ私の身体をお使いください!」
「は?」
「エナ! 何をバカなこと言ってんだよ! そんなことしたらエナが消えちまうじゃないか!」
「バカなことではありません、ゼマー殿下。私にできる最善の方法です。私の身体で寿命を全うしていただければ、救世主様の魂はキアユ神の御許で安らぐことができます」
「そんなの別にエナじゃなくたっていいだろ!」
「代わりなど――」
「ちょっと待って、二人だけで盛り上がらないで」
完全に蚊帳の外に置かれてしまった瑞葵は、話題の中心に返り咲こうと頑張った。
「決めるのはあたしだからね。あと最善の方法とか言われても、他人の身体を乗っ取る方法とか知らないから」
「それなら大丈夫です、救世主様。これまでの魔王の行動から考えれば、私が救世主様に害をなそうとすればきっと」
「それってさっき、アートリーとか言う人がやったことだよね? でもあたし、あの人を乗っ取ってないよね?」
「あら……」
口元に手を当てて固まったエナに代わって、ゼマーが言った。
「もしかして、相手の身体を乗っ取るって力は奪ってこなかったとかじゃねえの?」
「でも、それでは大巫女様がおっしゃった『魔王は全ての力を失っている』との言葉と矛盾しますわ」
「んじゃ、あの程度の魔法じゃ乗っ取る気にもなれなかったとか、そういうことじゃねえのか?」
「あの程度って……部屋が壊れるくらいの爆発だったけど?」
広々とした元室内を見回して言えば、ゼマーは厳かに言った。
「魔王にしてみたらそんなの朝飯前なんだろ」
「うーん、そうかなあ……でも魔王って言われるくらいならそうなのかなあ……」
納得しかけていると、エナがまた、申し訳ありませんと土下座した。
「私が未熟なばっかりに、救世主様に乗っ取っていただけないなんて!」
「気持ちはわかるけど、そのいい方はやめよう……?」
「ここまで来て、何のお力にもなれないなんて!」
「なあ、エナ、いっそ、大巫女様とか連れてきて乗っ取ってもらったらいいんじゃねえの。うるさい奴もいなくなって一石二鳥――」
「不敬ですよ! ゼマー殿下」
エナは瞬き一つの間に身体を起こして、ゼマーの頬を殴りつけていた。ゼマーは避けることなく、エナの拳を受けていた。アートリーを瞬時に取り押さえたあの動きはどこに行ったのか。
エナに襲われたら、魔王の力が発動するかもしれない――不穏な考えを振り払おうと、瑞葵は外を向いた。
「ちょっと外にでも行って、気分転換してこようかな」
「遠くには行くなよ。城の周りだけにしとけ。多分ここは、辺境領主の居城で小さい城だから、すぐに回っちまうだろうけど」
アートリーの様子を窺いながら、ゼマーは言った。他に仲間がいるかもしれないと暗に言ってくれているようだ。痛む頬を擦りながらじゃなかったら、もう少しかっこよかったのに。
「じゃあそうするね」
そうして、古城一周の旅に出たのだが。
「――あれ、いない?」
何の名案も浮かばないまま戻ってみると、エナもゼマーも、アートリーの姿も無かった。
「帰ったのかな……そうだよね」
何もできないとわかったら、こんな場所にいつまでもいないだろう。王子様とお姫様なら、お城で帰りを待つ人たちがいるはずだ。
(……アートリーって人、物騒なこと言ってたような気もするけど……)
家が立派ならお家騒動の一つや二つ、珍しくない。とはいえ、庶民の瑞葵には理解できない話だし、この先頑張って生きて欲しいと願うだけだ。
(とすると……あたしはどうしたらいいんだろう……元に戻れないし……なんだか神様にも見放されちゃったみたいだし……ずっとここで地縛霊みたいになってるしかないのかな……異世界スローライフとかやってみたいとか思ったけど、ライフっていえないよね、これは)
元の身体に戻れたけど元の世界に戻れないということなら、この城を拠点に周囲を開拓して君臨するという、憧れの異世界生活も候補に挙がったかもしれないが、何しろ亡霊なので衣食住が完全に不要である。開拓する意味が無い。
(やっぱりここでずっと地縛霊やってるしかないのかな……そのうち噂を聞いた強い霊能者みたいな人が来て除霊してくれたら、成仏できるとか……?)
そういう意味では、エナが最有力候補だろうか。これまでの話から推測するに、エナは有能な巫女のようである。今はダメでも、修行を積めば元の身体に戻してくれるとか、そういった明るい未来が開けないだろうか。
(でもそのときに魔王の力が発動して身体を乗っ取ったりしたら……)
相手を乗っ取る力だけは奪わなかったというゼマーの意見が正しいことを、今は祈るしかなかった。
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