光は残っている
エナの言葉は力強かった。
思わず瑞葵は自分の姿を見下ろした。見慣れた自分の姿はない。ただ、黒っぽい布の塊があるだけだった。
(布を被ってるだけとか……?)
一縷の希望にかけて布を取り外そうとして――外れなかった。上下左右斜めと、あちこち引っ張ってみたが、ダメだった。
「……何でいきなり踊り出してんだ?」
怪訝そうに、ゼマー。瑞葵はちょっと恥ずかしくなって、早口に言い訳した。
「踊ってないっ! ホントに生きてるなら、脱げるんじゃないかなって試してただけ!」
「脱げるのか?」
「……ダメみたい」
持ち上げることもつまむこともできるのに、布は取れそうになかった。がっくり項垂れると、ゼマーがまた勝ち誇る。
「やめとけよ。それが取れちまったら亡者じゃなくて別の化け物になるんじゃねえの」
「ゼマー殿下!」
エナが腕を横に払うと、ゼマーの臑にクリーンヒットした。鈍い音がして、ゼマーは悶絶した。袖の中に鉄棒でも仕込んであったのだろうか。
「暴言をお詫びいたしますわ」
「お詫びはいいんだけど……あの子、すごい痛そうにしてるけど、いいの?」
「救世主様が感じておられる心の痛みに比べたら、そよ風に吹かれたようなものですわ」
エナは心から言っているのだろうが、実際に痛みを感じているのはゼマーなのでイマイチ説得力に欠ける。
「それよりも救世主様、お姿は多少変わってしまわれましたが、私には神々しい魂が残っていらっしゃるのがはっきりと見えます」
再度、エナは主張した。瑞葵はエナの真っ直ぐな視線が、実は自分の後ろにいる誰かに向けられているのではと、振り返ってみたりした。誰もいなかった。当然だ。
「……神々しい魂……?」
総合すると、神々しい幽霊と言うことだろうか。矛盾した存在だが、仮にそうだとしても、その変わり様は多少の一言では済まされないと思うのだが。
「はい。世界を創世されたキアユ神の光が御身に輝いていますわ」
「あたしには何も見えないけど……」
見える光といえば、カンテラと、エナの髪くらいだ。
「ご自身の光は見えないものですわ。私はあの時、キアユ神の聖なる御座所で大巫女様と共に祈りを捧げ、救世主様をお待ちしておりました。大巫女様の祈りがキアユ神に届いたとき、救世主様が降臨されたのです。その瞬間を私はこの目で見ました。キアユ神の光に包まれて現れ、御座所に降り立った後には、ご自身の魂にその光を収められたのです。その神々しい魂を、例え見習いでも見間違える巫女はいませんわ」
エナは強く訴えるが、瑞葵にはスピリチュアル系の胡散臭い話にしか聞こえなかった。
(異世界に救世主として呼ばれました、って記憶を語った時点であたしも同じか……)
エナは瑞葵の話を信じてくれた。その分は、話を聞いてもいいかもしれない。
「救世主様のご降臨に、御座所に集った者は皆、キアユ神の感謝を捧げましたわ。これで魔王の影に怯える日々は終わりだと誰もが思いました。そこに――油断があったのです」
誰も、魔王の登場を予想できなかった。エナはそう悔いた。
「それはエナのせいじゃねえだろ。あの魔王を簡単に止められるわけがないんだ」
何事も無かったように、ゼマーは復活していた。しかし彼の目尻には、涙がにじんだ跡がある。相当痛かったと思われる。
「あたしもそう思う。ていうか、救世主登場と同時に出てくる魔王とか、空気読まなすぎでしょ」
瑞葵が言うと、
「空気……?」
「読めるもんなのか……?」
エナとゼマーは同時に首を傾げた。気にしないで、と瑞葵は手を振る。
「とにかく、やっぱりあたしの記憶通り、あの時出てきたのは魔王で、あたしは……あの時……魔王に殺されて……オバケになったんだね……」
痛みは何も感じなかった。それはある意味、救いだったのかもしれない。が、エナはまた首を横に振った。
「ですから、お姿は変わってしまわれましたが、救世主様はまだ生きておられます」
話が元に戻ってしまった。が、エナが言いたいことは何となくわかった。
「うん、確かに、あたしは直前の記憶もあるし、もっと前の記憶もあるし、こうして二人と話も出来るから魂が残ってるって言われたらそうかなって気がするけど、それって『生きてる』って事にならないんじゃい?」
「魂があるからこそ、生きておられます」
エナは頑なに繰り返した。
「魔王は相手を取りこむ力を持っています。あの時魔王は、救世主様を取りこもうと、やってきたのです」
魔王討伐が困難を極めていたのは、どれほど剣技や魔法に優れた者を送り込んでも、魔王に身体ごと取りこまれてしまうからだ。魔王は取りこんだ者の技量、知識、潜在的な魔力といったものを全て吸収する。魔王が唯一残すのは挑んだ者の魂だけだが、それすらもその場で消滅させられてしまうと言われていた。
「魔王に、取りこまれる……?」
『お前も我が物だ』
最後に魔王はそう言っていた。
エナは両手を握り合わせた。
「魔王が救世主様を取りこむのを、誰も止められませんでした。ですが、希望は潰えてしまったのだと嘆くのは早計でした。キアユ神の光が魔王の闇を打ち払ったのです」
「具体的にいうと……?」
「具体的も何も、そのまんまだよ。魔王があんたを取りこんだ次の瞬間に光り出して、光が収まったらあんただけがその場に残ってたんだ」
ゼマーが言った。意味がわからない。
「あたしが、残っていた?」
だとしたら、ここにいる自分は何なのか。
「救世主様が魔王を打ち破ったと、その場にいた者は全員そう思ったはずです。ですが、大巫女様がお言葉を掛けても、救世主様は何もおっしゃらず、また大巫女様も救世主様のお体には魔王の魂のみが宿っていると看破されました」
「だから、あたしは魔王に乗っ取られたんだよね?」
よって、ところてんを押し出すように自分の魂は身体から追い出され、こうして幽霊になってさまよっている。
「そうなのですが……大巫女様はさらに『魔王は全ての力を失っている』と看破されました」
「具体的に言うと……?」
「だから、残ってたのは、ただの一般人だったって事だよ。本人も我に返って取り乱してたらしいし」
ゼマーは直接、見聞きしたわけではないらしい。
「救世主様の魂は魔王の力を取りこんでキアユ神の元にお帰りになられたのだと、大巫女様はそう説明されました。でも!」
エナは身を乗り出した。
「私は信じられませんでした。あの時、魔王が救世主様に乗り移るときに、確かに救世主様の身体から光が飛び出すのを見たのです。ですから、救世主様の魂はきっとどこかにいらっしゃると思って探しに参りました!」
ようやくみつけたと、エナは嬉しそうだった。
「救世主様、お身体に戻りましょう。私も共にキアユ神にお祈りいたしますわ!」
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