魔王の話2
「『シアケイラ帝国は守護神に生け贄を捧げていた』。あなたたちに伝わっている話は、こんな話だったかしら」
魔王の問いかけに、エナが頷いた。
「そう聞いています。帝国の発展のため、神の代理人である帝国の王は王族から生け贄を捧げ続けた。最後の生け贄は守護神を魔神に変え、自らは魔神の巫女たる魔王となった、と」
「いろいろ間違っているわね」
「昔話なんてそんなもんだろ」
別に大したことじゃないと、ゼマー。ごく普通の、一般論だ。魔王もわかりきっているのだろう、「そうね」と小さく肩をすくめた。しかし。
(エナが関わってなかったら、何が起きても大したことじゃないから、その王子様の場合)
それこそ世界の滅亡だってエナが無事なら全く関心を示さないと思う。
瑞葵の脳内突っ込みには気づかず、魔王は一度目を伏せてから語り続けた。
「私が知っている帝国の歴史はこうよ。帝国は帝国として歴史が始まる前から守護神とともに魔神の降臨を阻止し続けてきた」
「なんだそれ。帝国の守護神が魔神になったんじゃないのか?」
「違うわ。守護神に選ばれた偉大な方々は、生涯をかけて魔神降臨を阻止してきたわ。全員が王族だったわけでもないし、何も知らない者の命を奪ったわけでも無いわ。魔神に対抗し続けた結果として、寿命を縮めてしまったの」
神に選ばれた英雄が敵を倒す。魔王の話は、瑞葵には目新しくない英雄譚だった。
(だってあたしもそうやって喚ばれたわけだし)
帝国の場合は異世界から喚ばずに、帝国内から人選されたようではあるが。
「魔神降臨の阻止って、具体的にどんなことなんだ?」
半分くらいは好奇心から、アートリーが尋ねた。
「わかりやすく言えば、魔神が人の世に出てこられないように玄関に施錠した、という感じかしら」
「わざわざ玄関から入ってくるなんて律儀な魔神だな」
ゼマーの感想は華麗にスルーされた。ゼマーは咳払いして別の話題を振った。
「あー、あれだ。魔神て、出てきたらどうなるんだ」
「人の世界は無くなるわ」
魔神が出てくるのだから当然だろう。
落ちた沈黙を、シノーシュが拾う。
「魔神の降臨を阻止して寿命を縮めたと言っていたな。それは鍵をかけ続けるのが大変だったのか? それとも、何度も鍵を壊されて掛け直す必要があったからか?」
「どちらもよ。守護神とともに、魔神討滅は何度も試みられたけど、失敗に終わっていたわ。私たちにできたのは魔神が出てこないように押さえつけるだけ。それも一人の寿命では足りない。だから人を集めて次に繋いで。その間に次の人を集めるための組織を作って。それは少しずつ大きくなって帝国になったのよ」
国が大きくなるにつれて、魔神降臨を阻止するという目的は、王族を中心としたごく少数にのみ伝えられるようになった。いらぬ騒ぎが起これば、魔神降臨の阻止に集中できなくなるからだ。それでも、完全に秘密にはできず、漏れこぼれた言葉は根拠の無い噂になり、最終的には帝国は生け贄を捧げている、という言い伝えになった。
「なるほどな。で。その話が本当だとしたら、おまえは何なんだ?」
ひりついたようなシノーシュの声に、エナも厳しい表情で頷いた。
「あなたは、帝国は魔神を押さえるために存在したと言いました。あなた自身も、魔族の世界を作るつもりは無いと。でも、実際に私たちは、あなたと、あなたが率いる魔族と戦いました。たくさんの人が犠牲になっているんです! これは矛盾ではないのですか」
魔王は、また目を伏せ、静かに開いた。半眼で自分のつま先を見つめている。
「――帝国は、ずっと考えていたわ。魔神を完全に討滅できる方法を。魔神の降臨を阻止するためだけに命と人生を終わらせてしまう者たちのことを決して忘れていなかったわ」
魔王はいったん口を閉じた。
「偉そうなこと言ってるけど、結局そんな方法は見つからなかったんだろ?」
アートリーが低く言う。魔王は目を開き、アートリーを見つめ返した。
「見つけたわ」
「ほんとかよ! だったら――」
わめくゼマーを制して、魔王は続けた。
「方法は見つけたけど、間に合わなかった。その方法に集中している隙に、魔神は、一瞬だけ、人の世に出てしまった」
「え」
「まじか」
「そんな」
驚く声が、逆に瑞葵には不思議だった。
(だって魔王が出てきてるんだから魔神が現れてないとおかしくない?)
瑞葵と同じことに気づいたのはシノーシュだった。
「……魔神が現れたその一瞬で、あんたは魔王になった?」
「そのときはまだ魔王ではなかったけれど、ね」
魔王はうっすらと笑った。
「あ……だから……次に目が覚めたとき……」
エナが遅ればせながら、魔王が先に発した言葉の意味に気づいた。
「安心しなさい。世に出てきたと言っても、小さな穴からつま先が出てきた程度のことよ。すぐに穴は塞いで、完全な降臨は阻止した」
「でも、そのちょっとのことで………」
「ええ。帝国は魔神の『祝福』を受けてしまったわ。人はみんな人ならざる者に変わり、帝国の領土は全部魔の領域へと替わったわ。守護神は諦めて去り、もう、私たちのことを見向きもしなかった」
「そんな……」
エナは真っ青だ。神が人を見放した、のくだりが、相当ショックだったらしい。ゼマーがここぞとばかりに慰めの言葉をかけるが、右から左に流れているだけである。
「姿は変わってしまったけれど、私たちはまだ魔神に抵抗できる心が残っていた。私たちの残されていた唯一の魔神討滅の方法を継続する力もあった。最初は、残っている国々に助力を申し出たのだけど、姿の変わった私たちの話に耳を傾ける者はいなかったわ」
それは仕方の無いことだろう。瑞葵だって、変わり果てた自分の姿にびっくりして正気を失いかけたくらいだ。
「だから私たちは、自分たちの力だけで魔神討滅の計画を進めるしかなかったわ。幸い、主立った考案者たちは揃っていたわ」
「その魔神討滅のとやらを、もったいぶらずにさっさと言え」
シノーシュが凄んだ。
(あれ?)
瑞葵には、シノーシュが焦っているように見えた。
魔王は言った。宣言した、と言ってもいいくらいに堂々と言った。
「いくら優れている力を持つ者でも、人一人の力を、人一人のままいくら束ねても魔神には届かない。それなら、優れた力を、ただ一人に束ねればよい」
そして『魔王』は誕生し、立ち向かってくる優れた人間の力を取り込み始めた。
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