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魔王の話

「ミズキ様、いかがなさいました?」


 隣に並んだエナが、首を傾げてのぞき込んできた。


「……川に何かありましたか?」

「川には何も無いんだけど……ていうか、川って呼ぶにはちょっと水が足りないと思うんだけど」


 アートリーの案内で辿り着いた『細い川』は、過去には大河だった痕跡は見える。しかし今、見えるのは川床を濡らす程度の水が、ちょろちょろと流れているだけだ。これでは水を汲むのも一苦労だろう。


「今は乾期だからな」


 エナと同じく、何を見ているのか気になったのだろう。シノーシュも頭越しにのぞき込んできた。


「雨期だと目一杯、水が流れる感じ?」

「溢れてそこら中が水浸しになるくらいにな」

「それ、洪水だよね……?」

「そうだな」

「そうだなって……大変なことじゃないの?」

「人が住んでいた頃は、大変だったろうな」


 一瞬だけ夕日が眩しく差し込んで、シノーシュは目を細めた。日が沈んで行くにつれて雲が空を覆い隠し始めている。まだ『穢れ地』ではないとアートリーは言っていたが、この辺りも魔の領域になりつつあるようだ。


「治水工事とかしなかったの?」

「したのかもしれないが、それよりすることが他にあったからな」

「他に?」

「戦だ」


 特にこの辺りは国境線がよく変わる地域だった。護岸を整備すれば、敵がそれを崩す、の繰り返しだったそうだ。当時は雨期は兵士の骨休め時だったとまで言われていたと、珍しくアートリーが自発的に語った。


「ちなみに雨期っていつから始まるの?」


 万が一にも寝ている時に水が溢れてきたら嫌だな――瑞葵が訊くと、ゼマーが笑いながら言った。


「少なくとも、今夜からじゃねえから安心しろよ」

「……」


 ゼマーに見抜かれたのが地味に悔しかった。


「ここでいいか」


 川沿いを進んでアートリーが最後に足を止めたのは、一抱えもある石がごろごろしている場所だった。何かの建物跡らしい。

 シノーシュがさらに先に進んでこっちの方がいいと指したのは、腰の高さまで石が積み上がった場所だった。洪水で崩れたのだろうか。残っているのは一部分だけなので、元はどんな建物だったのかは、想像もつかない。


「それじゃ、どうぞ」


 適当に石をどけて、それぞれがそれぞれに居心地のいい位置に納まったところで瑞葵は言った。


「どうぞって……」


 面食らった魔王に、瑞葵はたたみかけた。


「だってたき火とかもしないみたいだし、ご飯の用意とかもないし、後はすること無いでしょ。さっきの意味深な話の続き、どうぞ」


 暗くなると、ゼマーは荷物の中からカンテラを取りだして明かりを灯した。最初に瑞葵が思ったとおり、燃料は油では無く魔法だ。ちなみに「ご飯の用意」の部分で、ゼマーは思い出したように携帯食料も取りだして、エナと分け始めた。それを見て、アートリーとシノーシュも自分の荷物から食料を取りだした。あの騒ぎの中、誰も食料を忘れていないことに驚きだが、この世界は当たり前の常識なのだろうか。

 ちなみにエナは魔王に自分の分を分けようとしたが、断られた。


「食べなくても平気なの?」

「私に何か食べさせるより、話させたいのではなくて?」

「あ、じゃあよろしくお願いします!」


 魔王はまだ何か言いたそうだったが、諦めたように息を吐いた。


「あなたは、そんな姿になっても、よく平気でいられるわね」

「平気ってことはないけど……最初はびっくりしたし」

「びっくりしただけなの……」

「えーと、びっくりしてるうちに二人が来て……いきなり土下座されて、もっとびっくりしたから……そのままなんとなく話してるうちに落ち着いちゃった感じ?」


 思い返してみれば、自分の姿が変わっていることよりも、美少女がいきなり土下座を始めたことの方が衝撃が強かった。もし誰も来なかったなら、恐怖のあまり正気を失っていたかもしれない。


「土下座……?」


 魔王は眉を顰めた。


「あ、そこは気にしないでいいから。要するに、自分がどうなったのかってことを納得できたからってことで」

「そ、そう……?」


 魔王は戸惑いながらも、頷いてくれた。


「まるで、同じ経験をされたみたいですわね」


 エナが、静かに言う。

 魔王はエナを見つめ返し、同じくらい静かに返した。


「あなた、とてもきれいね」

「ありがとうございます」


 突然の賞賛にもエナは動じない。


(聞き慣れてるからなんだろうなー)


 エナの耳にたこができていないかが気になった。


「その美貌が、次に目を覚ましたときにどこにも見えなくなったら、あなたはどうするかしら?」

「あなたはどうされたのでしょう?」


 やはりエナは動じない。確信を持って逆に聞き返す。魔王はうっすらと笑った。


「助けを求めたわ。でも、助けを求めた人も全員、同じように人ではないものに変わっていたわ」


 ここに至って、瑞葵は己の考えが間違っていたことを知った。


「あ、そっち……」

「そっち……?」


 魔王とエナに同時に振り返られて、瑞葵は何でもないと手を振った。


「気にせず、続きをどうぞ!」


 魔王も美少女に出会い頭に土下座された経験があるんだ――言わなくてよかった。瑞葵は心の底から安心した。魔王以上のうっかり者にならないように気を引き締めなければ。

お読みくださってありがとうございます。

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