何のために
感じたのは、違和感、だった。
「何を?」
どこに、何に、引っかかったのか。魔王の言葉をもう一度なぞって、瑞葵は問いかけた。
魔王が振り返った。怪訝そうな顔をしているので、言った魔王も無意識だったのかもしれない。何でも無いと話を終わらせてもよかったけれど、魔王自身も気づいていないのならはっきりさせた方がいい、ような気もした。
「何を終わらせないつもりなのかなって」
「ばーか、何言ってんだよ。魔王なんだぞ。そんなの訊かなくてもわかるだろ」
「じゃあ言ってみてよ」
「だから……あれだろ」
囃し立てた勢いはどこへやら、ゼマーは目を丸くして固まった。途方に暮れてますと大きく顔に書いたまま、視線をさまよわせ始める。
「魔王の……魔族の世界を作るって言うアレだろ!」
「何を指してアレと言っているのかよくわからないけど、絶対に違うと言えるわね」
全力の回答を言い終える前に、魔王はダメ出しした。ゼマーは盛大にふてくされた。おそらくはダメ出しされたという行為そのものより、エナの前で、という環境設定のダメージが大きかったとみられる。
「こいつに持って行かれた能力を取り返して、再び侵略を始めるってことじゃないのか」
ゼマーが言いたかったことを、アートリーが正しく言い直した。魔王の敵なら、皆、等しく同じことを考えるに違いない。瑞葵も最初は、そう考えた。
「でも……もしそうなら『終わらせない』じゃなくて、『終わらない』じゃないのかな」
瑞葵が違和感を覚えたのは、そこだ。魔王は『何もしないで終わらせるつもりは無い』と言った。それは、魔王が何をしても終わってしまう何かがあるということじゃないのだろうか。
(それが何なのかは、わかんないけど)
魔王と呼ばれるほどの力を持っても抗えない何かというと、時間とか運命とか、瑞葵の頭ではその程度しか思いつかない。
「やっぱり、魔族の世界を作るのをやめないってことじゃねえのか?」
ゼマーが微かな希望を胸に発言すれば、
「私はそんな世界を目指した覚えは無いわ」
魔王はまた否定した。
「えっ」
嘘だろ、とゼマーが叫ぶ。エナも同じように驚いていたが、すぐに厳しい眼差しで魔王を見据えた。
「では、ただ世界を滅ぼすため、ですか。キアユ神がお造りになられたこの世界を、ただ消し去りたいだけですか」
「それなら私は何もしないわ。ただ眺めていれば、この世界は勝手に終焉を迎えるでしょう」
「あなたが終焉をもたらすのではないのですか」
「そうね、死んでいった者からしてみれば、私は終焉をもたらしたのでしょうね。人だけでなく、多くの生き物も、国も」
魔王は淡々と答える。己の所業を悔いている様子も――勝ち誇る様子も無かった。歴史の一コマを描いた本の一ページを読んでいる、そんな風に見えた。
エナも何かを感じたようだ。不安が、顔に浮き上がっている。
「人は……生き物も国も、永遠ではないから、あなたが手を下さなくても終わると言いたいのですか」
「……そういう風に考えられればよかったのかもしれない」
魔王は考え込むように答えた。
「世界は勝手に終わる……終わらせるつもりは、無い……?」
アートリーも瑞葵のように魔王の言葉をなぞり、首を捻っていた。
「おかしくないか……? それじゃまるで――」
「ああ、おかしいな」
黙り込んでいたシノーシュが、ようやく口を開いた。
「考えれば考えるほどおかしい。そもそも、魔王なんて存在がおかしい」
「シノーシュさん……それを言ったらあたしの立場が無いんですけど……」
「ああ、神が遣わした救世主なんてのもおかしい」
「ほんとにあたしの立場がなくなったんだけど!」
「そんなおかしい奴らとこうしてのんびり立ち話してる俺たちもおかしい」
「話が見えなくなってきましたよ?」
「いちいちうるせえな。魔王と人間の半端モンが一番おかしいんだから黙ってろ」
「ひどい……!」
「そんな言い方、ひどいですわ、シノーシュ先生!」
「一番ひどいにはそいつをそんな姿にした魔王だろ」
確かにそのとおりである。魔王は、うんざりしたように息を吐いた。
「己がおかしいと自覚できてよかったわね。それで?」
「俺たちがおかしいのもあんたのせいだ、魔王」
「責任転嫁はやめてくれる?」
「俺たちは魔王が世界をおかしくしてると思っていた。だがあんたの言い分は、どうも世界がおかしくなるのをどうにかしようとしているように聞こえる。これがおかしくなくて何なんだ? 俺たちは、何であんたと戦ってるんだ?」
シノーシュは剣に手を添えて、腹の底から絞り出すように、言った。
「あんたに、魔王に挑んだ奴らは、何のために魂ごと持って行かれたんだ?」
「シノーシュ先生……」
エナは痛ましげに俯いた。シノーシュは剣聖と呼ばれるほどの達人だ。ゼマーやエナの他にも弟子がいたかもしれない。腕を競う友人だっていただろう。だが今ここにいる人たち以外は、みんな魔王に挑んで、破れたのだと、想像はついた。
(……どうしてシノーシュさんは挑まなかったんだろ)
挑めなかったのか、と訊くべきかもしれない。今だって、すぐにも斬りかかりたいのを必死で押さえているように見える。
「魔王には、力が必要だから」
あざ笑うかと思ったが、魔王は無表情に答えた。わかりやすい理由だが、なぜその力が必要なのかがわからない。
「それは、世界がおかしくなるのを、止めるため、とか?」
瑞葵が訊くと、魔王は『穢れ地』を振り返った。
「――魔神の降臨を阻止するため」
「…………誰、それ……?」
シノーシュも、ゼマーも、エナも、アートリーも揃って首を横に振った。
「あ、もしかして……」
エナが、何かを思い出したようだ。
「シアケイラ帝国の、守護神……?」
「あー、昔、生け贄を捧げてたって言う……」
そして最後に捧げられた姫が、魔王になったという話を瑞葵も思い出した。
魔王は彼方を眺めたまま、目を細めた。
「生け贄ね……そうね、確かに生け贄ね。魔神の降臨を阻止するために、みんな命をかけたのだから」
聞いた話と、ちょっと違うようだった。
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