訪問者の正体
「救世主……?」
アートリーは訝しげに呟き、瑞葵が潜り込んだテーブルを見た。
その視線に気づいた『瑞葵』は、断りもせずに家の中に入り込むと、テーブルの下をのぞき込む。
「見つけたわ」
「ひぃっ!?」
ホラー映画の主人公気分で瑞葵は悲鳴を上げた。逆行効果がより一層恐怖を煽り立てている。逃げなきゃ、と思ったときには『瑞葵』に首根っこを捕まれてテーブルの下から引きずり出された。
「ちょっと! なにするの! 離して!」
そのまま『瑞葵』は、瑞葵を引きずって外に出て行こうとする。
「待て」
止めたのは、シノーシュだった。たった一言発しただけだが、瑞葵には天からの救いの声に聞こえた。
「……私の用は済みました。このまま引き下がらせてもらうわ」
振り返りもせずに『瑞葵』は言った。シノーシュは頭を振った。
「そうはいかない。その化け物は俺の獲物、じゃない、客だ、今は、とりあえず」
「なんで期間限定!?」
しかも客じゃ無いなら獲物とは物騒な――瑞葵の叫びは、緊張した空気を断ち切るまでには至らなかった。
「そう。でも私の用事の方が重要だから、これで失礼するわ」
『瑞葵』はさらに一歩進もうと踏み出す。
「待ちなさい!」
次に声を上げたのはエナだった。前に出ようとするのをゼマーに押さえ込まれている。
「あなたはどうしてここにいるのですか! 大巫女様のもとに保護されていたのでは」
「どういうことですか、殿下」
「シノーシュ先生、この者の姿は救世主様の元のお姿です。この者は、救世主様に乗り移った魔王です!」
「魔王? これが?」
「え、やっぱり魔王なの!?」
「……なんであなたまで驚いているの」
瑞葵の声に、『瑞葵』、もとい瑞葵の体を乗っ取った魔王が、やれやれとため息をつく。
「そんなに身構えなくてもいいわ。私の正体を知っているなら、私が今、無能であることもよく知っているのでしょう」
「あ、そういえば……」
大巫女によって、魔王は瑞葵を乗っ取ろうとして逆に瑞葵に能力のすべてを奪われたことが看破されている。その後どうなったのかは知らないが、エナが瑞葵の魂を元の体に戻そうとしていたのだから、どこかに保護されているに決まっていた。
相手が魔王と聞いて、シノーシュの目がわずかに細められた。
「確か……救世主の体は、神殿の牢獄に放り込まれたって聞いた。本当に無能なら、どうしてこんなところを出歩いているんだ」
「え、牢獄!?」
「脱走したからに決まってるじゃない。あんなところから出るだけなら、何の能力もいらないわ」
「え、脱走!?」
「もう、なんでいちいちあなたが驚くの! いいこと、そもそも魔王を『保護』するわけないでしょう」
「え、でも、ほら」
瑞葵はエナを指した。エナは真っ青な顔で、口元を押さえて震えていた。
「そんな……救世主様のお身体を牢獄になど……」
「エナ! 大丈夫か! 座った方がいいぞ!」
隣でゼマーが死にそうなくらいに心配しているが、多分エナの耳には届いていない。そしてそれを見守る周囲の視線は、どこか冷めている。
「……とにかく、私が誰で、どこから来たのかがわかっているのなら、このまま黙って私たちを行かせた方が身のためよ」
気を取り直して魔王は瑞葵の首根っこを掴む手に力を込め直した。
「私たち!? 行くなら一人で行って!」
瑞葵はジタバタしたが、魔王の力は思いのほか強かった。今は魔王が使っているとはいえ、かつては自分の体だ。人一人を掴んで引きずれるような筋力は無かったと思うのだが。
(目が覚めるまで三ヶ月あったんだっけ)
その間に密かに鍛えたのだろうか。どうせならお腹周りを鍛えておいて欲しいのだが。
「!」
不意に、シノーシュが動いた。小屋に一つしか無い小さな窓に近寄って、端からそっと外をうかがう。
「なるほど……追っ手か」
思いのほか苦々しい響きがある。魔王は薄く笑った。
「そう。捕まらないギリギリのところにいたのだけど、グズグズしてるから追いつかれてしまったわ」
「あたしのせいじゃないと思う……」
魔王が蔑んだ視線を向けてくる。自分がこんな表情ができるのだとは思わなかった。
「……師匠、逃げ道は?」
エナを椅子に座らせて、ゼマーも窓の外をのぞき込む。瑞葵からは何も見えないが、かなりマズい状況らしい。
「俺一人ならいくらでもあるが……」
「私たちを行かせなさいよ。そうすれば追いかけてくるでしょう」
「おまえがここに入った以上、ここを見逃すとは思えないな。いくら『無能』な連合の兵士でもな」
ことさら無能を強調して、シノーシュ。いろいろと思うところはあるようだ。
「ここから出るなら、俺たちも一緒に行った方がいい」
それまでじっと静観していたアートリーが、壁により掛かったまま魔王と瑞葵を見た。
「それが一番の逃げ道になる」
「どういうことだ」
シノーシュに鋭く聞き返されると、一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに強い口調で返す。
「こいつが俺の魔法を防いだって、聞いただろ。それを利用すりゃいい」
「あら、いつの間にか人の力を使いこなしていたの?」
「そういうわけじゃ――わあっ!」
「それなら安心ね。行くわよ」
魔王はそれ以上誰の言葉にも耳を貸さず、瑞葵を引きずって小屋の外に出た。
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