訪問者
水の一杯くらいだしてやるさ――シノーシュはそう言って、彼が寝起きに使っている掘っ立て小屋に案内してくれた。
「ほんとに寝て起きるだけの生活……?」
水瓶の前で容れ物――どう見てもどんぶりにしか見えない――を並べているシノーシュに、瑞葵は思わずそう声をかけた。
「化け物どもも狩ってるぞ」
シノーシュは言いながら水を入れた碗をテーブルの上に並べていった。椅子は一脚しか無かったので、必然的にエナが使うことになった。エナは瑞葵にと勧めてくれたが、断った。浮いていることを自覚した辺りから、腰を下ろして休みたいとは思わなくなっている。だんだん人間離れしてきているなと、今更ながらにため息をついた。
「グラスの一つくらい無いのかよ」
エナの前に置かれた大きな碗を見てゼマーが舌打ちした。
「俺が毎日使ってるやつでいいならあるぞ」
「そんなもん出てきたらすぐに叩き割ってやる」
「……お姫様に出したお碗は毎日使ってないの?」
普通に考えれば、ここにある食器はシノーシュしか使う人間がいない。とすれば、どうやってもエナに出された碗は割られてしまうことになるのだが。
「それはこの小屋を前に使ってたやつが置いていったものだからな。安心しろ、一応洗ってある」
「ここに前に住んでた人って?」
続けて尋ねると、シノーシュは首を振った。
「さあな。普通に獣を狩るための狩り小屋だったのかもしれないし、世捨て人の変人がぽつんと住んでいたのかもしれん」
「え、ここって魔物が出てくるんでしょ? そんなところに一人で住めるわけが――」
「ここが境界線になったのは二、三年前のことだからな」
数年前までは普通に人が住める場所だった。
知った途端に、小屋の雰囲気が物寂しく感じられた。
「さて。それじゃそろそろ何が起きているのか聞かせろ」
全員がそれぞれに一息ついた頃を見計らって、シノーシュが言った。隠し事は一切認めないと言っているように聞こえたのは気の回しすぎだろうか。
(隠すことなんて何も無いけど)
瑞葵には無い。だが、ゼマーとエナと、そしてアートリーにはあるのかもしれない。
「最初にご相談したときよりも、状況はよろしくないようですわ」
口火を切ったのはエナだった。語られたのは瑞葵が聞かされたことと、ほとんど一緒だった。アートリーの案内の元、ゼマーとともに瑞葵の魂を追いかけ、境界線を越えて廃城にたどり着き、変わり果てた姿の瑞葵を見つけ出した。
「ですが、私の力ではこの先、救世主様をお救いすることは叶わないと思い、こうして戻って参りました」
「なるほど。そこでよくわからないのですが、殿下はどのようなおつもりでこちらにいらしたのですか?」
「だからさ、どうにかこっそり大巫女様に会う方法がないかと思って」
「は? なんで俺がそんなこと知ってると思うんだ?」
「どこにも属さないシノーシュ先生だからこそ、何か方法があるのではと思いました」
「買いかぶりすぎです、殿下。私はただのひねくれ者です」
「ひねくれてるのは知ってるけど、でもなにかあるだろ。そうでなきゃ、エナの師匠になんかなれないだろ」
「おまえにひねくれてると言われたくないわ。殿下に教えることになったのは、あれは単なる偶然だ」
「……」
エナとゼマーが同時に語りかけたらどうなるんだろう。シノーシュの態度の切り替え具合に感心しながら、瑞葵はとりとめの無いことを考えていた。
(きっと王子様の方が無視されて終わるんだろうなあ)
一番確率の高い状況を導き出して満足すると、瑞葵は再び三人の会話に耳を傾けた。
「大巫女様へのご相談なら、全員で押しかける必要は無いでしょう。殿下が堂々と大巫女様をお伺いなさればいいではないですか」
「おそらくそれは不可能だと思いますわ。私が何のために出て行ったのか、知っている人は知っていますから」
エナは壁により掛かったまま目を閉じているアートリーを一瞬だけ見た。アートリーは実行者であるだけで、エナとゼマーの命を狙っている人間はどこかに隠れている。
「そんな状況で救世主様を国元にお連れするわけにはいきません。先ほどもお話ししたとおり、魔王の力をお持ちですから、名をあげようとするものが救世主様をお騒がせすることは間違いありません」
「え、そっち?」
思わず瑞葵は叫んだ。てっきりエナは自分の身の安全を気にしているかと思っていたのに。
「そっち、とは……?」
首を傾げるエナは、真剣に瑞葵の心配だけをしているようだった。勘ぐった自分の心が死ぬほど恥ずかしい。今のところ死ねないらしいが。
「あ、うん、えっと、ほら、あたしこんな姿だからお姫様と一緒に行くのはふさわしくないとかそういうことかと思ってて」
「どんなお姿でも、救世主様の魂の輝きは消せませんわ」
「それがわかる人はお姫様だけだと思うけど……」
そっと視線を動かしてみれば、ゼマーも、アートリーも、シノーシュまでもが厳しい顔で首を振っていた。
エナも、それでやっと一般的な視点まで降りてきてくれた。
「……そうですね、もしかしたら救世主様の光が見えないものもいるかもしれません」
「大半は見えないと思うから」
「だとしたら、やはり密かに大巫女様にお会いするしかないと思うのです、シノーシュ先生」
「しかし――」
再び同じ会話が繰り返されようとしたとき、扉をノックする音が聞こえた。
途端に全員が息を潜める。瑞葵はできる限り小さくなってテーブルの下に隠れた。何をしているんだというアートリーの冷たい視線は見なかったことにする。
「……誰だ」
一呼吸の後、シノーシュは厳しい声を返した。
「――旅の者です」
答えた声は女性のようだった。
「旅の者? こんなところを旅する酔狂なやつがいるとは思えないが」
シノーシュはゼマーに目配せをしてから扉に近寄った。ゼマーはすでにエナの横に移動済みである。
「実際にいるんだから仕方ないでしょう。それより、中にいる者に用があるのです。開けなさい!」
(あれ?)
「あら……」
瑞葵とエナは同時に気づいた。この声、どこかで聞いたことがある。
シノーシュはゼマーにもう一度視線を投げてから、扉を開けた。
「あ!」
テーブルの下からのぞいていた瑞葵が最初に声を上げた。
「救世主様!?」
ゼマーの肩越しにエナも叫んだ。
「やっぱりここにいたわね!」
扉の外に立っていたのは、瑞葵その人だった。
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