シノーシュ
7/7 削りすぎていた部分を書き足しました。ストーリーに変更はありません。
「お、生きてたのか」
ゼマーを一目見るなりそう言い放ったのは、初老の男性だった。日焼けした顔にはニヤニヤ笑いを貼り付けて、今にも怒りを爆発させそうなゼマーを面白そうに眺めている。
「簡単に死んでたまるか」
ゼマーは短く吐き捨てた。たぶん、長く口を開いていたら罵詈雑言が止めどなく溢れるからだろうな――瑞葵は推測した。
「お久しぶりでございます、シノーシュ先生」
エナが優雅に挨拶の言葉を述べれば、シノーシュは途端に表情を引き締めた。
「お久しゅうございます、殿下。ますますお美しくなられましたな」
「ありがとうございます。先生もお元気そうで何よりですわ」
王宮の中庭か、はたまた宴会中の大広間の一角かと疑いたくなるような社交辞令の応酬が続く。もしかしたら二人ともここが『穢れ地』との境界近くの掘っ立て小屋の前だと言うことを、本気で忘れているのかもしれない。
(さすがに、それはないか)
時折魔物に襲われること以外は特に何事も無く、瑞葵たちは『穢れ地』を渡り、人間の住める土地との境界線まで戻ってきた。境界線付近には複数の砦が築かれていて、魔王との戦いのために多くの兵が参集している。シノーシュはそのどこにも属さず、ただ一人で魔物を狩り歩いていたという。
(この人が剣聖、ねえ……)
シノーシュがどの砦にも属さないのは、彼がどの国にも属さないからだ。魔王討伐のために結成された連合は、自国の『英雄』に魔王を撃たせるべく、腕に覚えのあるものを広く募った。魔王を倒した後に、他の国よりも一歩先んじるため――そんな思惑が見え隠れする討伐連合に、シノーシュは自ら志願することは無かった。各国に乞われても、途方もない条件をつけて引き下がらせるばかりだった。剣聖の名は、次第に忘れられていったとエナは言っていた。そんなシノーシュがどうしてゼマーとエナに剣を教えることになったのか、いつか聞いてみたいと思う。
そんな住所不定の相手をどうやって捜し当てるのかという疑問は、簡単に答えが出た。魔王が救世主に倒されてからは、シノーシュは境界付近の一角に留まっているそうだ。エナと談笑を続ける彼の背後にある掘っ立て小屋が、剣聖の住処というわけだ。自作なのかどうかは不明である。
ゼマーはエナの旅立ちのためにわざわざここまで来て、アートリーという道案内をつけてもらった。シノーシュ自身が手伝わなかったのは、『弟子の頼みは聞かないことにしている』からだそうである。
(弟子の相談には乗るけど、頼みは聞かないってのは……ただのツンデレじゃないの)
もしかしたら頼みを聞いてもらえなかったのはゼマーだったからではないか。エナとの和やかな会話を聞いていると、そんな気がしてならない。
「……ねえねえ、王子様の時と差がすごくない?」
ゼマーは何かしゃべらせたらマズいと思ったので、隣のアートリーに振ってみる。『穢れ地』を渡った後も、アートリーが同行していたのは本人の意思だ。詳しくは語らなかったが、アートリーもシノーシュに聞きたいことがあるらしい。
「よくあることだろ」
瑞葵の質問に、アートリーはつまらなそうに言ったので、本当によくあることなのかもしれない。ということは、やはりゼマーだから頼みを聞いてもらえなかったのだろうか。
その声が聞こえたのか、シノーシュが振り返った。
「……で、貴様は何一つ果たさずに戻ってきたのか」
その声には、ゼマーに憎まれ口をきいていた時とも違う、底冷えするような冷たさを孕んでいる。不要と知れば、ためらわずに目の前の障害物を排除できる人間だと思った。排除方法には、命を奪うことも含まれている、と。
アートリーは何も答えない。瑞葵が感じた以上の恐怖を味わっているのは、顔つきでわかった。
「――そんなの、しょうがないじゃない。あたしが全部邪魔したんだから」
瑞葵は、手をひらひらと振って言ってやった。シノーシュの暗く冷たい視線の方が魔王感に溢れまくっているので、声が震えていなかったのは奇跡である。
「……なるほどな。救世主が魔王になったというのは本当のようだ」
シノーシュは口の端を持ち上げた。笑っているつもりかもしれないが、視線はまだまだ冷たくて堅い。
「私は嘘はもうしませんわ、先生」
「承知しています、殿下。しかし、神殿からは、魔王が救世主の力を取り込んで生き延びているという報告もありましたので対応せねばならなかったわけです」
「もしかして、それでアートリーを寄越したの?」
瑞葵が首を傾げると、シノーシュはさらに口の端を持ち上げた。
「まさか、救世主の方が魔王を取り込んだとは思わなかったからな」
「普通はそうかもね。でもそれなら、アートリーだけ寄越せばよかったんじゃないの? もしかして、あなたも二人の命と引き換えに大金を積まれたわけ?」
それなら、シノーシュがアートリーに「何一つ果たさなかった」といったことの説明がつく。
シノーシュの視線が一瞬強くなった。今度こそ殺されるかもしれないと瑞葵は全身が干からびるくらいに冷や汗をかいた。どこにも汗なんてかいてなかったけれど。
「なるほど。元救世主殿は俺が暗殺の首謀者だと言いたい訳か」
「首謀者までは言わないけど」
「残念だが、俺が弟子を殺すのは、弟子が不始末をしでかしたときだけと決めている」
「……いろいろめんどくさい決まり事があるのね……」
シノーシュの言葉に嘘はなさそうだった。ではどうして、とさらに瑞葵が疑問を口にする前に、シノーシュはにやりと笑って言った。
「それともう一つ。俺は弟子を鍛えるためなら手段を選ばないことに決めている」
「……」
瞬間、ゼマーは「クソったれ!」と王族らしからぬ言葉を叫んで足下の石を蹴飛ばした。一方エナは、遠くの空を眺めていた。
「さらにいえば、こいつの術で俺の弟子が倒れることは無いと確信している」
「……」
ツンデレだ――瑞葵は確信した。師の言葉に、ゼマーは驚いた顔で振り返り、エナは恥ずかしそうにうつむく。こうなると、この場で一番不憫なのはアートリーだろう。隣を見やれば、案の定、白髪の魔法使いはしゃがみ込んで杖で地面をほじくり返していた。
「……もしかして、アートリーって他にも何か頼まれてたの?」
さっきから瑞葵の心の中には、シノーシュが「何一つ果たしていない」と言った言葉がずっと引っかかっている。
シノーシュは探るような目を向けてきたが、諦めたようにため息をついた。
「こいつの師匠は俺の古馴染みでな。魔王が撃たれた直後から『穢れ地』にかかってる魔王の呪いが揺らぎ始めてるとかなんとか言いやがって、他の弟子たち連れて中心部に向かってったんだよ。それっきり連絡もねえから、手がかりの一つくらい見つけてこいって言ったんだが」
「それってすごい大雑把な頼みじゃない?」
「何かあったらこいつに探させろって言ったのはあっちなんだぜ?」
それはもしかして、アートリーの師匠はアートリーに期待していたということではないだろうか。
アートリーは地面をほじくる杖を、ぎゅっと握っていた。
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