音ゲーマニアが三回戦に挑むようですよ
胸が高鳴るままに廊下を疾駆する。
時間よりも僅かに早く会場の中へ入ると観客と司会者の視線が降り注いだ。
「おお、GENZI選手。今回はお早い入場ですね」
「いやあ、居ても立っても居られなくなって……。すぐにプレイしたかったので来ちゃいました」
少し照れ笑いを浮かべながら頬を掻くと、司会者のTさんも笑みを返してくれる。
「その気持ち私も分かりますよ。それにしてもGENZI選手、何だか先程よりも興奮している……と言いますか、凄く笑顔を浮かべていますが何か良いことでもありましたか?」
「え?」
自分でも気づいていないことを指摘されて慌てて顔を触ると、確かに俺の口端は上がり、笑みを浮かべていた。意識していない笑みに自分でも驚きながら苦笑を零す。
「多分、さっき飲んできたALIENが原因かもしれません」
「ALIENですか? ALIENと言えば世界的に有名なエナジードリンクの……?」
「はい、そうです。俺、ALIENが本っ当に大好きなんですよ!」
「分かります! 凄く美味しいですし、それに飲んだ後の高揚感が何とも言えないですしね。最大の魅力は眠気を吹き飛ばして集中力が高まることでしょうか?」
何となく始まった会話は止まることを知らず、Tさんと思わずALIENトークが弾んでしまう。
まだ時間ではないしいいだろう、と自分に言い聞かせるとそのままTさんとのALIENトークを続行する。
「俺が世界ランク一位……つまり最後に残った曲に挑んだ時もALIENを飲んでいました。そういう意味では全楽曲でAPフルコンを達成できたのはALIENのおかげとも言えますかね」
「なるほど……。おっと、思いの外両選手共出揃ったということで、試合開始を早めるようです。GENZI選手がALIENのリピーターだということが判明したところで試合に移りましょう」
好きなことを語らっていると時間の流れが速く感じる。
俺はこれまで同様【アーク】の方に案内されると考え、一歩先に歩き出すとTさんに少し待ってください、と止められる。
怪訝な面持ちでTさんの方を見やっているとマイクを口元に近づけたTさんの声が場内に響き渡った。
「ついにBSDの世界大会も佳境を迎え、準決勝です。準決勝ということもあり、この場まで駒を進めてきた両選手の紹介を軽く行いたいと思います!」
うおおお! と盛り上がる場内の雰囲気そのまま、Tさんは相手選手の紹介を始める。
「一人目はALEX選手です! ALEX選手は第一回Beat Sword Dancer世界大会にて、その驚異的な精度で他の追随を許さず優勝したプレイヤーです!」
―優勝とか凄いな……。ということはこの人は『BSD』の中でもかなり有名な人なんだろう。
「それでは意気込みや抱負がありましたら」
どうぞ、とALEX選手に目で訴えかけマイクを差し出すと、ALEX選手は差し出されたマイクを手に取った。
「私はこの日を楽しみにしていました。GENZI選手とは一度本気でぶつかり合ってみたいと考えていましたから。今日この時を持って世界ランク一位の座は私が貰いますよ」
高らかに俺への勝利を宣言すると、自身たっぷりの笑みを張り付け、借りていたマイクをTさんへと返す。真正面からお前のことを倒す、と言われた俺の気持ちも考えてほしいものだ……。
「言葉の端端から熱い思いが伝わってきました。これだけの想い、果たしてぶつけられた本人はどう思っているのでしょう?」
素直に感嘆の息を漏らしていると、次に白羽の矢が立ったのは俺だった。
ニヤリと笑みを浮かべたTさんのマイクがこちらへと突きつけられる。
ALEX選手同様にそっとマイクを受け取る。
「えーっと……そんなに俺の事を意識してくれて嬉しいです。ですけど、俺は勝ちには拘りません。もちらん勝つことは嬉しいです、だけど一番大切なことが何かを……師匠が教えてくれたので」
歯を見せるような笑みを浮かべると、目を丸くしたTさんに返そうとしたマイクを再び押し付けられてしまった。
「その教えとは一体どのようなものでしょうか?」
「何事もは楽しむものが一番だという教えです」
「そうなんで……っと。申し訳ありません、短くと言ったのに選手紹介が長引いてしまいましたね。それでは両選手共アークの中へ」
アークの中に入った瞬間に何時ものステージへ――
「――いや、違う……。これはいつものステージじゃない」
「ええ、これは所謂大会用のモードですね」
「確か対戦相手の……」
「はい、ALEXです。よろしく」
「こちらこそ」
外国人であることも相まって、俺よりも身長が高いALEXさんが腕を下げる形で俺達は固く握手を交わす。手を離すや否や俺達は自分の定位置へと戻る。
するとタイミングを見計らっていたかのように音楽が流れ出した。
「うわっ……」
「oh……」
何気なく口から漏れた愚痴がALEXのものと重なる。
彼も『BSD』をやりこんでいるんだろう。曲の始まりの部分で確信していた。
【LIMBO】、『BSD』の楽曲を難易度順に並べ替えるとすれば間違いなく俺はこの曲を二番目にあげるだろう。
曲の始まりは穏やかで、静謐な森の中を連想させる音色に合わせて音符を斬る。音楽に乗っている感覚を全身で楽しみながら次第に増える音符を対処する。
「っ!」
この曲は序盤から物量譜面をぶつけてくる譜面だ。
始まりから既にEXPERT楽曲のサビに匹敵する難易度。
これこそが【LIMBO】だ。
だが、いや……だからこそ、俺の表情は鏡で見ずとも分かる。
この状況を心の底から楽しんでいるのだと。
ALIENを飲んだことによる体の火照りを解消するように自分の全力を音符にぶつけていく。巨躯は中盤を越えた辺り、ここまで俺とALEX選手はMISS無し。
次はこの曲のサビ部分。
「っ……」
体から力を抜き極力自然体になるように心がけ、俺は体をリズムに預ける。
リズムを全身で感じ取り、後はタイミングを合わせるのみ。
【LIMBO】のサビもこの曲限定の特殊ギミックが設定されている。
それこそが――
「う……おおおぉぉぉぉッ!!」
隣で雄叫びがあがる。それを聞いた瞬間にALEX選手の状況を悟る。
彼はこの曲をフルコンボ出来ない、と。
―来た……。【LIMBO】の特殊ギミック……!
迫りくる音符数が突然増える。
その数は明らかに人の腕では対処しきれない量だ。そのまま流れてくれば。
眼前まで迫った音符が突如急停止、代わりに別の音符が降り注ぐ。目の前を覆いつくす音符の光景から名付けられた通称は渋滞。
これこそが【LIMBO】の特殊ギミックだ。
―そして俺の思っていた通り。
ちらりと視線を左へ向けると、これまで積み重ねてきていたコンボ数が途切れている。
やはりALEX選手はこのサビを突破することが出来なかったのだ。
それもそのはずだ。このサビ、通常通りのやり方ではほぼ間違いなく失敗する。
普通音ゲーというのは振ってくる音符が判定ラインと重なった瞬間にタップする、というのが一般的だ。
だが、この瞬間だけはその常識がきかなくなる。
音符が目の前を埋め尽くし、次の瞬間にどの音符が降ってくるかの見当すらつかない。そのような状況で普段通りのプレイをするとどうなるのか?
結果は今のALEX選手に如実に表れている。
ではこの曲をプレイするときにどうすれば良いのか?
それは――
「…………」
―音をよく聞くことだ。
今、この瞬間も俺は音を一音たりとも聞き逃していない。
曲をしっかりと聞けばどのタイミングで音符が降ってくるかは音ゲープレイヤーなら恐らくは判別がつく。そうすれば後はそのタイミングに合わせて、迫る音符断つだけだ。
「これでラスト、だな……!」
ひゅん、という音を鳴らして、蒼く光る音符が縦に両断された。
それと同時に俺の視界一杯にフルコンボの文字が表示される。
楽曲の余韻に浸っている暇もなく強制的にリアルへと戻された。
音を立てて開かれたハッチはまるで俺達のことを急かしているようにさえ思える。
「素晴らしい試合でした。結果は……ALEX選手897PERFECT・1MISS。それに対してGENZI選手はALL PERFECTのフルコンボ……! よって勝者はGENZI選手ですっ!!」
絶叫の嵐に包まれ、喜色に包まれた観客席とは裏腹に、悔しさを滲ませたALEX選手が俺の前までやってきた。
「いい試合だった。やっぱりGENZIさんは凄い、俺なんかが叶う相手じゃなかった」
「いや、そんなことないですよ、ALEX選手はあのサビでたった一回ミスしただけなんですから」
それは本心だった。正直世界大会とは言え、師匠以外は眼中に無かった。
だが、結果はギリギリの勝利だ。俺は世界ランカーたちを甘く見ていた。
するとALEX選手は苦笑を浮かべ、こちらに手を差し出した。
「それを言うならGENZIさんはたった一回のミスすらしてないじゃないか。貴方と勝負することが出来て本当に良かった」
「こちらこそ」
差し出された大きな手を固く握る。
握手が終わると俺達は互いに背中を向け合い、互いの控え室へと向かっていった。
本当に、本当に楽しい試合だった。
それでもまだ、ALIENの……そして試合の高揚感は俺の中で未だ燻っている。
「決勝戦、楽しみだな……」
そっと会場から退出した俺は本の十数分後の出来事に対して期待を膨らませていた。