音ゲーマニアが師匠と高級イタリアンを食べるようですよ
「ふぅ……ようやく終わった……」
一息をつく健仁の視線の先には奇麗に整頓されたプレゼントの山が置かれている。
あの僅かな時間によく書いたな、と思えるほどの文量のファンレターが何通かあり、ようやくそれらを読み切った健仁は椅子に座ったまま大きく体を伸ばす。
今は丁度昼休憩の時間、次の試合が開始されるのは一時からだ。
先程正午を過ぎたばかりなので少なくともあと四十分は時間が残されている。
誰もいない部屋の中をぐきゅるるる、という奇怪な音が木霊する。
「……腹減ったし何か食べに行くか」
周辺ランチで検索をかけようかとしている健仁の目に案内図が目に留まる。
どうやら幕張メッセの中にも昼食を食べられるスペースがあるようだ。
距離も近いためそちらに向かおうとしたところ、誰の物ともしれない手が健仁の肩をとんとん、と小突いた。いきなりのことで驚きを隠せぬまま背後の方へ視線を向けると、そこに立っていたのはECLODだった。
「ここのレストランは止めておいた方がいいよ? 考えてもみなよ、あれだけの人数の観客がいてここのレストランに行かない訳がないじゃないか」
それに、とECDOLは辺りを少し警戒した後に健仁に近づいて小声で続ける。
「ここのレストラン、結構値段が高いんだ。だから僕と一緒に外にランチを食べに行かないか?」
「まあ積もる話もありますし、お供しますよ」
「はは、それもそうだね。GENZI君ピザは好きかい?」
「ええ、まあ好きですよ」
人当たりの良い笑みを浮かべるとECLODは胸を撫で下ろす。
「そうか。それじゃあ良さそうな店を見つけたからそこに行こう。僕の車で行こうと思うから駐車場まで一緒に来てくれるかな」
こくりと健仁が頷くと嬉しそうな笑みを浮かべる。
その笑みを見て健仁は昔を思い出していた。
この人の笑顔はリアルでも変わらないんだな……。
昔から人当たりの良い、優しい笑顔で俺に色々なことを教えてくれた。
少し思い出に耽っているとGENZI君、と声を掛けられて健仁は我に返る。
すいませんと軽く謝罪を挟み、開かれた扉から車に乗り込もうとしたところで健仁は一度車を降りて再度確認した。
「あの、すいません師匠。これ本当に師匠の車ですよね?」
「うん、そうだよ?」
「これ、見るからに高い車ですよね……」
首を捻り、唸り声を小さくあげながらECLODは考え込み、最後は爽やかな笑顔を浮かべる。
「覚えてないや」
この瞬間、健仁は思った。
この人絶対金持ちなやつやん、と。
「どうしたの健仁君、そんなにソワソワして」
「……師匠がこんな店にいきなり連れてくるからですよ」
店内は木造の床と天井が自然な暖かみを演出し、落ち着いた色合いで統一されたインテリアがモダンな雰囲気を醸している。
全てのテーブルにテーブルクロス、グラスに入った清水、おしぼり、そしてナイフとフォークが予め置かれている。店内に入れば誰もが息を飲むような見事な装飾に、例に漏れず健仁も息を飲んだ。
平然としているECLODをジト目で睨んだ後、勧められるままメニューを確認する。何かの称号かと考えてしまう程長い商品名の右側にひっそりと書かれた文字を見て健仁は完全に打ちのめされた。
「師匠、俺こんなに金持ってないんですけど……」
「いやいや、僕が誘ったんだから僕の奢りでいいよ」
その太っ腹な提案に思わず声をあげそうになる気持ちを抑えながら、ここはお言葉に甘えさせてもらおうと健仁は決めた。
奢ってもらうのだからせめて値段の安いものを頼もうと健仁が考えていると、メニューの一番下の方に載っていた名前に視線が繋ぎ止められる。
子羊ロインのヘーゼルナッツ殻・ネギ・トマトのコンフィ・タッジャスケ・オリーブ添え。
健仁の大好物、子羊肉。
思わず涎が垂れ落ちてしまいそうなほどに食べたかったが、メニューの中でも一際高いその値段に躊躇して無難なピザを注文した。
「それじゃあGENZI君、久々に会ったんだし昔話に花を咲かせようじゃないか」
「って言ってもほんの二年振りくらいですけどね」
「本当は君ともっと音ゲーをプレイしていたかったんだけどね。仕事が立て込んでしまって」
少し寂し気な表情を浮かべると、すぐに頭を振った。
「お! 料理が来たみたいだよ」
ECLODの声の先から運ばれてきた料理の香りが、まだ距離が離れているというのに鼻孔を擽る。
芳ばしい香りは食欲をそそらせ、目の前に品物が運ばれてきたときには目の色が変わってしまいそうな程に胃袋が早く寄こせと喚いていた。
ただ、健仁には一つ気掛かりなことがあった。
「師匠、俺は確かピザを頼んだと思ったんですが、どうして子羊ロインのヘーゼルナッツ殻・ネギ・トマトのコンフィ・タッジャスケ・オリーブ添えが目の前に運ばれて来たんですか?」
「GENZI君は昔っから思ったことが顔に出やすいからね。その料理の欄で視線が釘付けになっていることくらいすぐに分かったよ」
そんなに顔に出ていただろうか、と顔をペタペタと触る健仁の様子が面白かったのか、くすっと噴き出したECLODは思い出したかのように話し始めた。
「そう言えばGENZI君、UEO始めたんだって?」
「え……、師匠何で知ってるんですか……?」
実は、と卓上のフォークでクリームソースのスパゲッティーを絡めとりながら話す。
「僕の昔からの友人がいるんだけどね、二人共UEOを初期から遊んでてさ。その内の一人から最近面白い初心者が現れたって聞いてね、話を聞いたらその初心者の名前はGENZIっていうみたいだからもしかしたら、と思っていたけど聞けば聞くほど君だと確信したよ」
あはは、と苦笑交じりの笑みを零しながら目の前に置かれた子羊の柔肉を口元へ運び、健仁は一思いに頬張った。すると――。
「っ!? 何だコレ……下の上で蕩ける……それなのに肉肉しい歯ごたえと、噛めば噛むほど肉汁と共に旨味が溢れ出してくる……!」
「お気に召したようで何よりだよ。……おっと、GENZI君どうやらゆっくり味わっている暇は無さそうだ。確か君の試合って二回戦の一番初めだったよね?」
「え、はい」
子羊肉と盛り合わせ達の旨味を噛み締めるように咀嚼する健仁に視線を向けると、ECLODは困ったように笑った。
「試合開始まであと十分しかない」
「……………………」
それを聞いた瞬間にエンジンが掛かったように咀嚼の速度を速めた健仁は無言のままひたすらに卓上に並ぶ馳走を頬張る。もっとゆっくり味わいたかった……という思いを泣く泣く胸中にしまうと、一心不乱に食べ進めていく。
「おお……中々良い食べっぷりだね、GENZI君。それじゃあ僕も」
当初の予定では二人は昔話に花を咲かせながらゆっくりと美味なる料理を食べ、近況報告や他愛のない話を交わし、親睦が深まる……はずだったのだが。
現実はそう上手くはいかない。それを目の前の状況は物語っていた。
♦
「師匠、ご馳走になりました。すごく美味しかったです」
「そっか、それは良かったな。今回はあんまりゆっくりと話している暇が無かったからまた今度一緒にご飯でも行こうか」
「是非」
俺達は笑顔で握手を交わすと、互いの控え室へと向かう。
こうしてリアルで会ったのは初めてだけど、師匠はやっぱり師匠だった。
師匠は先日会った時もそうだったが、黒いワイシャツの上から白いジャケットを羽織っており、どこか成金臭のする―実際お金持ちなようだが―格好を完全に着こなしていた。
俺よりも高い身長と彫りの深い顔立ちから外国人の血が入っているのだろうことは容易に想像がつく。
それに外見から見てだが、師匠は三十代前半程、それであの高級外車を平然と乗り回している時点で常人ではないことが分かる。
「俺の師匠、スペック高すぎない?」
自分以外誰もいない控え室で愚痴を漏らしている間にも時間は刻一刻と迫っている。
どうやらもう、出番らしい。
ドアをノックする音が二回、こんこんと部屋に響く。
腹も膨れた。
気持ちもリラックスした。
緊張も……無い。
いつもと変わらない足取りでスタッフの人に連れられるまま歩き、再び円形状のステージに立つ。
周りを埋め尽くす観客と、その観客からの声援をこの身に一心に浴びながら口端を僅かに上にあげ笑みを浮かべる。
さあ、始めようか。俺の試合を。